天使の微笑み、悪魔の企み
本当に突然だが、俺はパンツが大好きだ。中でも、女性用のショーツには並々ならね愛情を抱いている。あのフォルム、あの柔らかさ、そしてあの匂い……。全てがパーフェクト! 非の打ち所のないまさに究極の布と言っても過言ではない。
常日頃からそう考える俺にとって、パンツとは崇拝すべきものであり、愛すべき至高の存在なのだ。
だがしかし、古来より愛には障害が付き物だという。
例え固く結ばれている二人の絆でさえ、運命という巨大な力の前には脆く崩れさってしまうのだ。
俺と彼女も……巨大な壁によって隔てられていた。
そう、彼女を愛する上で、一つ、重大な問題があるのだ。それは、彼女を愛すると、どうしても変態というレッテルを貼られてしまということ。あろう事か、彼女と愛の言葉を囁く(お触りする)だけで、犯罪者として国に逮捕されてしまいかねないのだ!
俺は絶対に変態にはなりなたくないし、なる気もない。ましてや捕まるつもりなんてさらさらない!
ああ、何という残酷な運命だろう! 正に俺と彼女はロミオとジュリエット! 法律という巨大な壁の前に、俺はなすすべもなく頭を項垂れるしかないのだ!
(くっ。み、見えないっ! もう、少し……!)
……だから俺は、あくまで紳士的にパンツ様の顔を拝もうと、こうして全身全霊を注いでいるのだ。
しかし、普段から箱入り娘であるパンツ様はなかなかに気難しい。普段はその素顔はヴェールに包まれており、俺のような下賤の民には顔を見せてくれることはない。
だか、しかし。根気良く祈り続ければ、時に天使のようなその微笑みを俺に向けてくれるのだ。
(もう少し! もう少しなのに!)
俺は、その微笑みに焦がれた一人の男。彼女の微笑みを目にするためには、常に努力を怠らない。
そして、たゆまぬ努力の末に、俺は新たな必殺技を身につけたのだ!
具体的には、着席状態からのストレッチに見せかけた究極の前屈運動(巷では神への祈りとも呼ばれるその姿は、神々しいオーラを放ちます)だ。それは太ももを通り越し、ふくらはぎにまで達する。あとはそのまま首を持ち上げるだけで、きっと俺に、天使達は笑顔で挨拶をしてくれるだろう。さぁ、もう少しっ! もう少しだ! み、見え……見え……っ!
見えたぁーっ! 白! 真っ白な彼女が、俺に……俺に……微笑みかけている!
「こ、こここ……こんにちわぁーっ!」
今日も俺は、彼女達の微笑みを……この目にしかと焼き付けるのだ!
「こ、こんにちわ?」
直後、困惑気味の声が返ってきた。
「えっ?」
俺の挨拶が彼女達に届いたのかと耳を疑い顔をあげる。
「そ、そんなに頭を下げて挨拶するなんて、清水君って変わってるね……。頭が床につきそうだったよ?」
俺の顔は見る間に真っ青になったことだろう。
少し困ったような顔をして俺の前に立っているのは、俺の……いや、我がクラスのアイドル、小岩井恵さんだった。どうやら、偶然俺の席を通りかかったのだろう。なんというバッドタイミング! 神様のばかやろう!
小岩井さんは、整った目鼻立ちに、肩まで伸びた艶のある髪を揺らし、俺をみつめながら小首を傾げた。その仕草は、どこか愛嬌のある顔立ちと相まって、まるで小動物のような可愛らしさを醸し出していた。
彼女のそんな伏し目がちな瞳に俺は吸い込まれそうになる。
……彼女は俺の、憧れの人。
クラスの野郎どもの大半は、彼女の魅力に気付かずに、もっぱら、桜庭美由紀が1番可愛いと言っている。
クラスメイトである桜庭美由紀は、学校一の美人だと言われているのだ。
ふん、馬鹿共め。貴様らは何も分かっていない。
桜庭は確かに超がつくほどの美人だが、小岩井さんだって負けていない。
それに何より、俺は小岩井さんの内面に惚れている。
小岩井さんはその可憐な外見通りに、とても純粋な心の持ち主だ。はしたない行為は絶対にNG。事実、俺は彼女が大股を開いたり、スカートを翻したりした所を見たことがない。校内一のパンツマスターであると自負するこの俺が、彼女のラッキーパンツ(神が舞い降りることです)は見たことがないのだ!
……だからこそ、この状況は非常にまずい。
もし俺がパンツを覗こうとしていたと、小岩井さんが知ったら……。俺がこれまで築いてきた紳士キャラは崩れ、彼女に嫌われてしまうかもしれない! そうなったら俺は、死んでも死にきれない!
ここは何としてもごまかさなければ!
「あ、あははは、お、大袈裟だったかなぁ? ちょっと挨拶に気合い入れすぎたかな? 朝は挨拶から始まるからね!」
「あはは、そうだったんだ。確かに、朝は挨拶から始まるっていうもんねー。でも、朝の挨拶なら、おはようだよ、清水君」
「う、うん。ちょっと間違えた。……改めて、おはよう、小岩井さん」
「うん、おはよー、清水君」
彼女はにっこりと笑って、俺に挨拶をしてくれた。良かった、どうやら誤魔化しきれたみたいだ。人を疑うという事を知らない純粋な彼女は、その無邪気な笑顔を俺に向けている。うっすらと後光が差している小岩井さんは、さながら女神のように美しい!
「皆も、あんなに気合いを入れて挨拶をして……やっぱり、このクラスは元気がいいね」
「……えっ? 皆って……?」
「ほら、皆、すっごい頭を下げてるよ?」そういって小岩井さんは後ろを指差した。俺は小岩井さんの視線を追い、立ち上がってクラスを見渡す。
そこには、一心不乱に神への祈りを捧げる野郎どもの姿があった。皆一様に限界まで頭を垂れるその姿は、果たして一般的な挨拶と呼べるのであろうか。
うん、あれだね、神々しいオーラどころか、禍々しい邪気しか放っていないね。戦慄している俺をよそに「ねっ? 皆元気だねー」と同意を求めてくる小岩井さん。
「そ、そうだね。あはは、すごいなー、みんな」
俺はなんとか、そう返すのが精いっぱいだった。ああ、今は貴女の純粋さが眩しいです。
どこの集会だよ! とツッコミたくなる異様な光景の中、俺の乾いた笑いがむなしく響き渡る。早く頭をあげろや変態どもが! と内心毒づくが、小岩井さんが目の前にいる以上、俺は早く時間が過ぎ去るように祈る事しかできない。
そこへ、ガラッ、と扉が開いて、女子生徒が入ってきた。その女子生徒は異様なフに気のクラスをキョロキョロと見回し、ニッコリと微笑んだ後
「あ、メグミー、おはよう!」と、小岩井さんに手を挙げ、こちらに向かってきた。
「おはよう、美由紀ちゃん」
「うん、おはよう! 清水もおはよう!」
「……おはよう、桜庭」
「どうしたの、珍しい組み合わせじゃない」
学年一の美少女と噂される桜庭美由紀は、俺と小岩井さんの顔を交互に見比べ、興味津津といった様子で身を乗り出してきた。
本来なら、朝からこんな美少女2人と会話を交わす時点で幸運な事なのだろうが……。俺は内心で舌打ちをした。俺はなぜだか、桜庭美由紀という女が苦手だった。接した感じでは親しみやすく、こうして朝の挨拶をしてだべる程度には仲が良いのだが……どうしても、好きにはなれない。理由は簡単だ。俺は彼女のパンツに興味がないのだ。
勘違いして欲しくないのだが、俺はたとえどのような外見の女でも、身につけているパンツには興味があるのだ。
パンツに貴賎なし、という言葉がある(造語)。たとえどんなエイリアンがパンツを穿こうと……俺はそのパンツを愛する自信がある。
しかし、そんなパンツマスターであるこの俺が、なぜか桜庭美由紀のパンツにはセンサーが反応しないのだ。外見良し、性格良し、器量良し。だが、パンツはだめ。
それが、俺の桜庭美由紀に対する評価だった。
「それで? 2人で何話してたの? 教えてよ」
「このクラスは元気いっぱいだねー、って話してたんだよ」
「えっ、何? どういうこと?」
「ほら、皆朝からあんなに気合いを入れて挨拶をしているから……」
っ! このままではまずい!
「えっ? あれは朝っぱらからパンツをのぞ――」
「あっ! まずいよ2人とも! もう朝のHRが始まるぞ! 早く自分の席に戻らないと!」
「何よ清水、急に大声あげて。大丈夫よ、チャイムまでまだ8分もあるじゃない」
桜庭は時計を確認すると、涼しい顔をして会話を続けようとする。くっ、その8分で小岩井さんの俺に対する評価はどん底まで落ちる可能性があるんだよっ!
「いや、でも、ほら、皆もう席についてるし、それどころか声もあげずに黙祷をしているよ? 俺達もそうした方がいいんじゃないのかなぁ」
「席についてるのは男子だけじゃない。女子はまだお喋りしてるわよ? それに、あれは黙祷じゃなくてパン――」「わー、わー!」
俺は大声を出しながら大慌てで桜庭の耳元に口を寄せた。
「――(バカ、小岩井さんはあれが朝の挨拶だって信じてるんだよ!)」
「――(ええっ? うそっ!)」
慌てた俺の様子を見て空気を読んでくれた桜庭も声を絞る。
「――(ホントだよっ! だから小岩井さんの純粋な心を踏みにじらないでくれ!)」
「――(はぁ……、あの子、どんだけウブなのよ……)」
そう言って、呆れ顔で小岩井さんへと顔を向ける桜庭。
「どうしたの? 2人とも」いきなり内緒話を始めた俺達を見て、小岩井さんは首をかしげていた。
そんな可憐な小岩井さんに、桜庭はニッコリと微笑んで――
「ううん、何でもないわ。清水が急に私の耳元で『アカン、俺もうほんまあかんねん』って囁きながら局部をなすりつけてきただけだから」
などとのたまった。
「おいっ、ちょっ、何言ってんだよお前!」
「…………(グッ)」
「やめろ、誇らしげに親指をたてるんじゃねぇ!」
「清水、アウトー!」
「黙れボケェ!」
とにかくこのあの世行きデッドボールを何とかして、小岩井さんの誤解を解かなければ!
「小岩井さん、違うんだ。聞いてくれ、俺は――」
「うん? 何がいけないの? 局部って……お腹? 清水君、お腹が痒いの?」
「「………………」」
その場に静寂が訪れる。
ちょうどそこへ、HRの開始を告げるチャイムが鳴った。
「あ、じゃあ、後でね」
慌てて自分の席へと戻る小岩井さんを、俺たちは茫然と見送った。
……小岩井さん……。君は何て、純粋なんだ。今俺は改めて言おう。小岩井さん、君は――
「――天使だ……」
「いや、あれは天使とかそういうの以前の問題でしょ。この年になってまで、絶望的にそっち方面の知識がなさすぎる……」
俺の隣の席である桜庭は、いつの間にかちゃかり着席しており、頬杖をついて呆れ顔をしていた。……小岩井さんが天使だったからよかったものの、こいつのせいで、危うく俺はっ……! そう考えると、俄かに怒りが湧きあがってきた。
教師はまだ来ていない。俺は若干静かになった教室で、小声で桜庭を怒鳴りつけた
「――(うるせぇ! 大体、なんだよお前裏切りやがって! お前がそんな下ネタキャラだとは思わなかったよ!)」
そう、まさか、あの状況で桜庭が裏切るとは思わなかった。あんな下ネタを言う奴ではないと思っていたのだ。それどころか、小岩井さんと同じくどちらかと言えばウブなキャラだと思っていたのだ。完全に油断していた。
「――(勝手にキャラ付けしないでくれる? 誰が下ネタキャラよ。それに、どーせあんたもパンツを覗こうとしていて、それをメグミにバレたくなかったんでしょ?)」
「――(んなっ! そ、そんな訳あるかよ! 憶測で物を言うんじゃない!)」
くっ、何て鋭い洞察力だ! こいつはやはり油断ならないっ。
「――(その慌てようで、もう確信したわ。あんたが、羊の皮を被った狼ならぬ、紳士の皮を被った変態って事がね!)」
「――(ち、違うっ! 俺は変態じゃない! 違うんだ!)」
「――(無駄無駄、今更遅いわよ。……このこと、メグミにバラして欲しくないんでしょ? メグミはエッチなのは嫌いだからねー。変態の清水をどう思うかしらねー)」
「――(くっ、お前っ! な、何が望みだ!)」
桜庭は、ニヤリと笑みを浮かべた。悪魔のような微笑み。
「――(お、話が分かるわね、清水。あんたの使い道は考えて置くわ。せいぜい今は、私に媚びへつらうことね……)」
そう言って、桜庭はクスクスと笑った。
ちくしょう、何でこんな事に! 今まで誰にも疑われなかった俺の紳士キャラが、まさかこんな性悪に知られてしまうなんて! 俺は神を呪った。そして、桜庭を呪った。ちくしょう、ちくしょう。せめて何か言い返してやらないと、俺の気がすまない! 俺は一見非の打ち所がないように見える桜庭の弱点を探す。何か、何かないのか? …………そうだ!
俺は桜庭を睨みつける。何? と顎を反らし、笑みすら浮かべる桜庭。俺は意を決し、桜庭へ言葉を投げ掛けた。
「――(この、残念パンツめっ!)」
「――(なっ!)」
桜庭の顔が、見る見る真っ青になっていく。
俺がやけくそで放ったその言葉は、予想外に桜庭を動揺させたみたいだ。ざまぁみろ!
「――(あんた! 私のパンツも見たの!?)」
「――(はっ、安心しろ、興味ねぇから)」
「――(…………じゃあ、見ていないのね!?)」
「――(見てないけど……。でも、俺には分かるんだよ。お前が履いているパンツは、それはそれは残念なパンツだってことがな!)」
「――(んなっ!)」
桜庭は怒りのためか、プルプルと両肩を震わせていた。俺は空気が軋んでいるような錯覚に囚われた。その迫力に、俺は少し言い過ぎたかと後悔する。そうだ、パンツに貴賎なしと言ったのは俺ではないか。彼女に罪はあっても、彼女のパンツに罪はない。俺は、なんてことを言ってしまったんだっ!
とにかく、桜庭に、謝らなければ。
「――(あ、あの、桜庭?)」俺は何とか取り繕おうと桜庭に声を掛ける。
「――(……決めたわ、あんたの使い道。……せいぜい楽しみにしておきなさい)」
ドスの利いたその声に、俺は心底震え上がった。どうやら俺は、桜庭の地雷を踏んでしまったようだ。
「はぁ、はぁ、間に合ったーっ!」
そこに、息を切らしながら服部が駆け込んできた。左手には朝飯だろうか、パンを持ち、そして何故か右手にはパンツを握っていた。
「お、お前、それ……」俺はつい、服部が握りしめているパンツにツッコミを入れてしまった。
「ああ、これ? ショップで買った、俺のお気に入りの染み付きパンツだよ。今朝は時間がなくってさー。最中で時間がきちゃったから、急いでて――」
パンツ、という言葉に反応して、桜庭がドス黒いオーラを放ち出す。俺は身を縮こまらせて身震いをした。
「いい、それ以上はいい。というか黙れ頼むから。そしてよく聞け。今、パンツという言葉は禁句だ。実物のパンツなんて以ての外。だからそのパンツはすぐに捨てるんだ」
「なんだよ、朝飯ぐらい食わせてくれよ」
「違う! パン、じゃなくて、パンツだよ。どんな聞き間違いだお前!」
「はぁ? 分かってるよ。だから、朝飯用のパンツを捨てる分けにはいかないって言ってるんだよ!」
やはり、こいつは馬鹿だ。死がすぐそこまで迫っているというのに、どこまで呑気なんだ!
「馬鹿かお前! 『パン』というワードでさえギリギリなのに、直球で『パンツ』を持ってくるなんて! お前は命が惜しくないのか! 大体、学校に染み付きパンツなんて持ってくるんじゃねぇ!」
「なんだよ、俺の日課を馬鹿にすんのか!? 今日偶然すっげー方法を編み出したのに、教えてやらないぞ!」
空気の読めない服部は、俺の返事を待たずに自慢気に自らのオナニーライフを語りだした。バカがっ! 殺されるぞ!
「うがぁーっ!」
案の定、桜庭が黒いオーラを全身に纏い、服部の愛蔵パンツを256枚に切り裂いた。
「あぁーっ! 何てことすんだよ! お前俺がこのパンツにどれだけお世話になったぐぼぉっ!」
バラバラになったかつての恋人を拾い集める服部の顔面に、桜庭の見事なローキックが決まった。綺麗な半円を描いて鼻血を撒き散らす服部に、教室は騒然となる。
「い、今のキック見えた?」「いや……残像しか見えなかったっ……!」「やっぱ桜庭さんはすげーぜっ!」「俺も蹴られてー!」
外野どもは口々に桜庭を褒め称え、服部を心配する声は一つもあがらない。
「うう……死ぬ……誰か、救急車を……」
半死半生で悶える服部をよそに、クラスメイト達は桜庭へと黄色い声を送る。なんて奴らだ……それでもお前たちはクラスメイトかっ! 今、まさに死に行くクラスメイトがいるというのに、こんな……こんなのってないだろっ!
俺は両手を広げて、力の限り叫んだ!
「ゴール! ゴルゴルゴールッ! 桜庭選手、見事なフリーキックです!」
ああ……今、最高に楽しいです……。
どう処理するか、それが問題だ。
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