想いの嵐
祐介は極道である実家が小さな頃から嫌でたまらなかった。
どこに居ても自分がやくざの息子だと どこからか洩れて皆から恐れられ避けられるような…そんな思いばかりをしてきた。
産みの母親は両親の離婚のせいでいない。誰かから離婚でなく自殺による死別だとも聞いた事がある。
父親が共通しているだけの会ったこともない兄弟や姉妹が別に数人いて柄の悪い大人達が頻繁に自分の家を出入りする。
小学校の頃から自分の家が普通でないと気が付いていた。
唯一、同じ母親から生まれた兄(淳史)は極道の家に生を受けたことを追い風に
この世界で若手ながらもめきめきと頭角を表しつつあった。
普通の人生を歩みたくて祐介は大学受験をし、私立の大学に入る。学生として初めて楽しい時間を過ごしながらもまだなんとなくその世界から完全に身を断ち切れない中途半端な自分の弱さに悩んでいた。
ホストの純とは中学の頃からの淳史つながりの友人で、今でもたまに会っては一緒に酒を飲んだりたわいのない話をするのだ。
祐介はあの夜、美香を一目見た日から彼女のことが気になって仕方がなかった。
あの可憐な瞳、華奢な体…たった一時間だけ見た彼女について思い出せる限りの記憶を辿るくせがつくほどに
祐介は美香のことを考え続けた。
もう一度会いたい…。どうしても会いたい…。
淳史と純と居酒屋で飲みながら、祐介はさりげなく美香の話題を持ち出した。
「あの計画どうなの?」
「あの計画?」
「プルメリアの子…」
「あ~、あの娘…落ちるのにもうちょっと時間がかかるかも。ああいう純粋な娘ってある意味 時間も手間も人一倍とるよ。いきなり会って股開く女と違って(笑)」純が笑いを含みながらつぶやき、
「あの娘を高級店に入れれたら、ソープの革命!元祖高学歴美女、伝説(笑)」と淳史が続けた。
「そっかー、今度プルメリアに行く時に俺も誘ってよ」
祐介は急に胸が痛くなった。美香に会いたかった。
その週の土曜日に3人はプルメリアにいた。
純の指名でこちらに歩いてくる美香が視界に入った時に祐介の胸は軽い緊張で高鳴る。
紫色のラインがきれいなロングドレス。それに合うように乗せられた光の強い薄い紫のアイシャドウにピンクの口紅。
自分に付いた女の子との会話が途切れてしまうほど美香に視線を奪われる。純との会話の内容が気になって仕方ない。
祐介はその夜、いつもよりも多めに酒を飲んだ。
しばらくして、淳史、純、祐介と女の子たち皆で会話を楽しむようになったが祐介は口数が少なかった。
純が自分の客に電話を入れに席を外し、祐介に付いていた女の子が入れ替わるほんの少しの間に美香は祐介に視線をやった。
美香と目が合った祐介は何も言えずにそのままだった。
美香は祐介のグラスの水滴をハンカチで拭くと氷とスコッチを足してマドラーで混ぜた。
「ありがとう…」やっとの思いで祐介は口を開いた。
「いえ…スコッチって美味しいですか?」
「あー…うん、俺は好きだけど 美香ちゃんは何のお酒が好き?」
「私はカクテルかシャンパン」
「食べ物は何が好きなの?」
「何でも好きですよ。でも和食が一番好きで、お寿司とか茶碗蒸しとか…」
「俺も和食が一番好き。寿司いいね」
ふいに美香が微笑んだ。その微笑みを見た時、祐介は美香のことが好きだとはっきり自覚をした。
「魚は食べるのも見るのも大好き」
「見るって水族館とか?」
「うん。熱帯魚とか金魚も鯉も好き。飼えないけど(笑)」
今度、水族館に…一緒に行かない?
そんなセリフが咄嗟に思い浮かんだが純が戻って来てしまったこともあり言えなかった。美香を誘いたいのに…。
純は出勤の時間が迫っていたので一人先に店を後にした。
その夜、淳史は最後に付いた美香と比較的仲の良い由美も誘って純の店に飲みに連れて行こうとしていた。
タダでホストに行けると聞いて由美ははしゃぐ。美香は少し不安な顔をしていた。
そんな美香に淳史は大丈夫、すごく楽しいところだからと背中を押す。
「俺も行っていい?」
美香のことが心配な祐介が淳史に話しかける。
「珍しいな~。バイト頼まれても断りまくってたのに。どうせ今も人手不足だから助っ人にでもなってあげれば?(笑)純が泣いて喜ぶよ」
淳史と祐介はそのまま閉店の時間までプルメリアにいた。
由美は指名しなかったが、美香だけは引き続き席に留まるように指名を続け祐介の相手をさせる。
美香と祐介はお互いが学生という共通点があり、大学の話をした。
学部。授業、キャンパス、図書館は広いか?学食の話。
祐介は想像した。学生姿の普段の美香を。
きっと同じような真面目な女学生と友達なんだろう。
授業に遅れることなく朝8時半には大学にいる。きれいな文字でノートを取る。
自分の大学で見かけるチャラチャラした付属の女子短大生とは全然違う。
祐介は美香が酒を作ったりグラスをふいたりと仕事をする一瞬を狙って美香を盗み見る。
その顔は優しく光るライトに照らされ本当に美しかった。
胸が高鳴ったまま静まらない。もう美香のことが好きでどうしようもなかった。
中学、高校時代、やくざの息子だと学校中の誰もが知っているから
皆に恐れらる嫌われ者だから 好きな女の子にも告白できなかった。
好きになっても諦めるしかなかった。
でも美香への気持ちはそんな悲しい思い出や悲しみ、絶望感をも麻痺させるほどのもので
祐介の心はもう自分でコントロールが出来ないほどに美香に奪われていた。
彼女が好き。彼女が好き…。それ以外もう何も考えられなかった。
店が閉店の時間を向かえ、美香と由美はロッカーで着替えをしてから淳史たちとタクシーに乗り純の店へ向かう。
淳史が店の扉を開けると「いらっしゃいませー」勇ましい男達の声が響き渡った。
前髪の根元をジェルで固め立ち上げてから真ん中で分けるといったホスト独特の男のヘアスタイルを美香は初めて目にする。
こんな所に来てしまってどうしよう…。
目を輝かせて男を見定める由美とは正反対に美香の心には不安な気持ちがよぎる。
しばらくするときっちりとスーツを着こなした さっきとは全然装いの違う純が現れた。
「今日は僕の奢りだから楽しんでいってよ、ね?」
耳元で純が囁く。
純は売れっ子なのか美香に甘い言葉を何度も囁きデートに誘いながらも違う席へと時おり行く。
淳史は知り合いのホスト、店長と何やら楽しそうに話している。
祐介は淳史たちの会話に入りつつも どこか一人でぽつんと飲んでいる様子だった。
純のお客が一組帰り、足のないお客を迎えに行くことになったので暫く席を外さなければいけないことを告げにきた。
祐介が純のヘルプで美香の相手をするからと心配ないと淳史が笑顔で答える。
由美は酔っ払っているのか「行ってらっしゃーい!」大声で手を振っている。
祐介は席を移動して美香の隣に腰掛けた。
ノースリーブのワンピース姿の美香にクーラーの風が強く吹き付けられ寒くてしょうがなかったが祐介が隣に来たので
お店にいた時にのように接客のスイッチが入る。
何か話しかけなくては…。気持ちが焦り言葉が浮かばない。
「美香ちゃん疲れてない?大丈夫?」
今度は祐介から口を開いた。
「大丈夫です」
プルメリアでの癖で美香はバッグからハンカチを出して水滴の付いた祐介のグラスに当てた。
「もう仕事終わってるから気を使わないでいいよ」
「すみません……」
その瞬間、テーブル上の祐介の手が 祐介のグラスを持つ美香の手に触れた。
その指先は氷の様に冷たくて祐介はとっさに
「寒いの?」と口走った。
「少し…。カーディガンを持ってこれば良かったのに…」
祐介はボーイにクーラーを弱めるように言い、美香の為にホットウーロン茶を頼んだ。
美香はウーロン茶に口をつけ静かにため息をついて
「ありがとう」と弱々しい控えめな微笑を浮かべた。
「もう眠いんじゃない?今日は何時から起きてるの?」
「まだ大丈夫。11時くらいからかな…?レポートの下書きをしていたから…」
そう答えたそばから美香は小さなあくびを必死でかみ殺していた。
「ごめんなさい」お客さんの前であくびなんて…
もう一度気を引き締めて美香は眠気を振り払おうと瞬きを繰り返した。
祐介はふと彼女の素顔を垣間見れたような気がして小さな幸せを覚えたのと同時にますます好きになった。
美香の方は眠気と戦いながら祐介がふと何気なく浮かべた上品なのにどこか寂しげな横顔がほんの少しだけ気になった。大都会の男の人、上手く言えないけどそんな印象を抱いた。
純が戻って来ると疲れている美香なんぞお構い無しに強引にデートに誘い続けた。
疲れがピークに達していたのもあり根負けし、純はとうとう約束にこぎ着けたのだ。
知らない間に美香の手をそっと握り離さない。身体を美香の方に向けて話をするので祐介が視界から消える。
取り付けた約束を逃さないように純は手帳に来週の土曜日の日付と時間、場所を書き込むと 同じ内容をもう一枚書きページを破ってそっと美香に渡した。
なんとか閉店の時間を向かえ朝方にタクシーを拾ってもらいやっとの思い出ホテルまで帰る。
仮眠を取ろうかと思ったけれど、このままでは夕方過ぎまで寝てしまいそうで
シャワーを浴びたその足でタクシーで駅まで向かった。
大阪駅までの新幹線の中、乗り過ごしてしまいそうなほど眠くて眠くて閉じた目が開かなかった。