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婚約破棄ですか?では、明日からご自分でどうぞ

作者: ふたーなる
掲載日:2026/10/12

 王宮の大広間で、私は婚約者から婚約破棄を告げられた。


「ユノシェ・リュゼル。私はお前との婚約を破棄する」


 第三王子レグナートは、集まった貴族たちを前に、堂々とそう宣言した。

 隣には、彼の腕にそっと手を添える令嬢がいる。

 淡い金髪に、宝石のような青い瞳。

 名前は、ミュレア・ヴァンデル。

 最近、王宮で彼と親しくしているという噂の令嬢だった。


「君は地味で、愛想もない。おまけに、いつも帳簿だの書類だのと、つまらない仕事ばかりしている。王族の妻としてふさわしくない」


「……そうですか」


「何だ、その反応は?」


「いえ。婚約を破棄なさるのでしたら、承知いたしました」


 私があっさり答えると、レグナートは拍子抜けしたような顔をした。

 もっと泣きわめくと思っていたのだろうか。

 それとも、彼にすがりつくと思っていたのだろうか。

 どちらにしても、期待に応えられず申し訳ない。


「それでは、失礼いたします」


「待て。お前、まさか本当にそれだけで済むと思っているのか?」


「はい?」


「お前はこれまで、王宮の仕事を任されてきたんだぞ。それを放り出して辞める

つもりか!」


 私は首を傾げた。


「ですが、殿下。今、私との婚約を破棄なさったのですよね?」


「それがどうした!」


「私は王族の婚約者だからこそ、王宮の仕事をお手伝いしていたのです。婚約者

でなくなった以上、これまでどおりに働く理由はございません」


「なっ……!」


 レグナートの顔が赤くなった。

 私はにっこりと微笑んだ。


「今までお世話になりました」


 そして、私は大広間を後にした。

 背後から、レグナートの怒鳴り声が聞こえた。


「勝手にしろ! お前の代わりなど、いくらでもいる!」


 そうですね。

 ぜひ、そうであってほしいものです。

 私だって、これ以上あの人の仕事を肩代わりしたくはなかったのだから。


 ***


 翌朝。

 私は久しぶりに、朝寝坊をした。

 いつもなら日の出前に起きて、王宮へ向かう準備をしている時間だ。

 王宮の予算管理、各部署への支払い、魔法結界の維持費の計算、地方領主から届く報告書の確認。


 それに加えて、レグナートの個人的な支出の管理まで。

 私は長年、それらの仕事を一手に引き受けてきた。

 もちろん、正式な担当者は別にいる。

 ただ、彼らが仕事をしないので、私が代わりに処理していただけだ。

 レグナートは、私が帳簿を整理しても、予算の無駄を指摘しても、いつもこう言った。


『そんな細かいことはどうでもいい』


 どうでもいいのなら、ご自分でなさればよろしい。

 私は窓を開け、朝の空気を吸い込んだ。


「ああ、いい天気」


 今日は何をしようか。

 そう考えていると、玄関の扉が勢いよく叩かれた。


「ユノシェ様! いらっしゃいますか!」


 聞き覚えのある声だった。

 王宮の財務官、オルゼンである。

 私はゆっくりと扉を開けた。


「おはようございます」


「お、おはようございます。それどころではありません!」


「何かございましたか?」


「第三王子殿下が、予算のことで大変お困りなのです!」


 私は目を瞬かせた。


「そうですか」


「そうですか、ではありません! 王宮の支払いが止まっているのです!」


「それは大変ですね」


「ユノシェ様が担当していた書類が、どこにあるのかわからないのです!」


 私は少し考えた。


「書類でしたら、すべて所定の場所に保管してありますよ」


「それが、誰も見つけられないのです!」


「……そうですか」


 私は困ったように笑った。


「では、探していただくしかありませんね」


「ユノシェ様!」


「申し訳ありません。私、もう王宮の職員ではありませんので」


「しかし、殿下が……!」


「殿下は昨日、私の代わりはいくらでもいるとおっしゃいました」


 オルゼンは黙り込んだ。


「ですから、きっと大丈夫ですよ」


 私は丁寧に頭を下げ、扉を閉めた。

 その日の午後、私は街へ出かけた。

 久しぶりに買い物をし、喫茶店でお茶を飲み、読みたかった本を買った。

 こんなに自由な一日は、何年ぶりだろう。

 そう思っていたところ、街中で妙な噂を耳にした。


「第三王子殿下が、財務官を三人も怒鳴りつけたらしいぞ」


「予算の計算が合わないんだと」


「そりゃ大変だ」


「なんでも、来週には隣国の使節団が来るらしい。歓迎式典の費用も、まだ決ま

っていないそうだ」


 私は紅茶を飲んだ。

 なるほど。

 それは困ったことでしょう。

 ただし、歓迎式典の予算は先月すでに確定している。

 必要な書類も、決裁済みのものと未決裁のものに分け、目録までつけて保管した。


 誰でも見つけられるように、棚には大きな札もつけてある。

 あれを見つけられないというのなら、もう私にできることはない。


 ***


 それから一週間後。

 私は、王宮からの招待状を受け取った。

 差出人は、レグナートだった。


『至急、王宮に来るように。お前にしかできない仕事がある』


 私は手紙を読み、笑った。

 おやおや。

 代わりはいくらでもいるのではなかったのですか?

 けれど、私は招待に応じることにした。

 最後に、きちんとお話ししておこうと思ったのだ。


 王宮に着くと、レグナートは執務室で待ち構えていた。


「遅いぞ!」


「招待状に記載された時刻どおりですが」


「そんなことはどうでもいい! とにかく、歓迎式典の予算を組み直せ!」


「なぜですか?」


「金が足りないのだ!」


「……予算は確定しているはずですが」


「だから、その計算をやり直せと言っている!」


 私は机の上に置かれた書類を見た。

 予算書。

 支出一覧。

 そして、何枚もの請求書。

 私は一枚目をめくった。


 なるほど。

 二枚目をめくる。

 なるほどなるほど。

 三枚目をめくったところで、私は顔を上げた。


「殿下。こちらの馬車は、何に使われたのでしょうか?」


「私が買ったものだ」


「歓迎式典の予算から、ですか?」


「必要だったのだ!」


「こちらの宝石は?」


「ミュレアへの贈り物だ!」


「こちらの別荘の改修費は?」


「私の休養に必要だった!」


 私は書類を机に置いた。


「……これらは、すべて王宮の予算から支出されていますね」


「それがどうした!」


「歓迎式典の予算が不足するのは当然です」


「なっ……!」


 レグナートが立ち上がった。


「お前がきちんと管理していれば、こんなことにはならなかったのだ!」


「いいえ」


 私は静かに答えた。


「私が管理していた間は、このような支出を認めておりませんでした」


「何だと?」


「殿下が私の承認を飛ばして、独断で支払いを命じたのです。記録も残っています」


 私は鞄から、一冊の帳簿を取り出した。

 そこには、レグナートが指示した支出と、その日時、金額、承認者がすべて記録されていた。


「こちらが控えです。必要であれば、監査官にも提出できます」


 レグナートの顔から、みるみる血の気が引いていった。


「お、お前……!」


「ご安心ください。私は、殿下を陥れるつもりなどございません」


 私は微笑んだ。


「ただ、事実を記録しただけです」


 そのとき、執務室の扉が開いた。


「殿下! 隣国の使節団が到着されました!」


 レグナートが振り返る。


「な、何だと!? 歓迎式典の準備は!」


「それが……会場の手配が済んでおりません!」


「料理は!?」


「料理長が、支払いが確認できないため準備を止めております!」


「花はどうした!」


「発注書が見つかりません!」


 私は思わず目を閉じた。

 花の発注書なら、予算書の隣にあるはずだ。

 料理長への支払いも、手続きをすれば今日中に間に合う。

 会場だって、先月から予約してある。

 全部、私が準備した。


 ただし、私が準備したものは、すべて私の机を経由していた。

 そして私は、もうそこにいない。


「ユノシェ! 何とかしろ!」


 レグナートが叫んだ。


「お前ならできるだろう!」


「いいえ、殿下」


 私は首を横に振った。


「私には、もう関係のない仕事です」


「ふざけるな! お前は私の婚約者だったんだぞ!」


「昨日、婚約を破棄なさいました」


「それは……!」


「それに、殿下はおっしゃいましたよね。私の代わりはいくらでもいると」


 私は深々と頭を下げた。


「どうぞ、その方々にお任せくださいませ」


 そして、私は執務室を出た。

 廊下の向こうから、レグナートの怒鳴り声が聞こえてきた。

 私は振り返らなかった。


 ***


 その後、歓迎式典は予定より大幅に遅れて始まった。

 会場には花がなく、料理も十分に用意できず、王族が使うはずだった馬車は、なぜか隣国の使節団の到着に間に合わなかった。

 さらに、監査官による調査で、レグナートの私的な支出が次々と明らかになった。


 彼は王族としての予算管理権限を一部停止され、私的支出の返還を命じられた。

 ミュレア嬢もまた、彼から贈られた品々の出所を知り、静かに距離を置いたという。


 そして私はというと。


 王宮を辞めたあと、商業都市で小さな会計事務所を開いた。

 私の仕事ぶりを知っていた商人たちが、次々と依頼を持ち込んでくれたおかげで、生活には困らなかった。

 むしろ、王宮にいたころより収入が増えた。

 ある日、店の扉が開いた。


「……ユノシェ」


 そこに立っていたのは、レグナートだった。

 以前よりもずいぶん疲れた顔をしている。


「頼む。王宮に戻ってきてくれないか」


「お断りいたします」


「まだ何も言っていないだろう!」


「戻ってきてほしい、というお話でしょう?」


「そうだ! お前がいれば、すべてうまくいくのだ!」


 私は帳簿から顔を上げた。


「殿下」


「何だ?」


「私は、あなたの代わりはいくらでもいると聞かされました」


「……あれは、言いすぎた」


「そうですか」


「だから、もう一度やり直そう。婚約だって、考え直してもいい!」


 私は少しだけ考えた。

 そして、笑顔で答えた。


「殿下。私、今の生活がとても気に入っているんです」


「……何?」


「朝は好きな時間に起きられますし、仕事の成果はきちんと報酬になります。何より、自分の仕事をどうでもいいと言う方のために、夜遅くまで働かなくて済みます」


「ユノシェ……!」


「それでは、お帰りくださいませ。次のお客様がお待ちですので」


 私は店の扉を開けた。

 レグナートは何か言いたそうにしていたが、結局、何も言わずに出ていった。

 その背中を見送り、私は扉を閉めた。

 さて。


 次のお客様は、どんな方だろう。

 少なくとも、私の仕事を当然だと思わない方だといい。

 私は新しい帳簿を開き、ペンを手に取った。

 今日も、私の仕事が始まる。

 今度は、私自身のために。

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