ダンジョン清掃員の俺、配信事故で未討伐ボスを倒したら、十年分の「清掃記録」が攻略資料になった
ダンジョンを攻略する人ではなく、その「閉館後」を十年間見てきた清掃員の話です。
「真壁さん。まだ一人、中に残ってます」
無線が鳴った時、俺は地下十二階の床にしゃがみ込んでいた。
午後十一時四十七分。
デッキブラシの先では、乾きかけたスライムの粘液が妙な弾力を取り戻している。
「客ですか」
『配信者。閉館アナウンスを無視して十三階に下りたみたいです』
警備員の田所さんの声が、普段より少し低い。
「迎えに行く人、俺なんですか」
『俺が警備室を離れたら、今度は地上が無人になります』
「ですよねえ」
バケツの縁でブラシの水を切った。
『登録者百八十万人だそうですよ』
「それ、今必要な情報です?」
『なんとなく』
今日は東通路まで終わらせれば帰れた。
残っている汚れを見て、時計を見て、もう一度汚れを見る。
たぶん残業だ。
「行ってきます」
俺の名前は真壁修司。二十八歳。
新宿第三ダンジョンの清掃員をしている。
十年前、世界各地にダンジョンが出現した。
その頃、高校を卒業したばかりだった俺は、とにかく家に金を入れたくて新設の管理会社へ入った。三か月くらいで別の仕事を探すつもりだったのに、その三か月が十年になった。
今のダンジョンは随分まともだ。
探索者免許がある。警備もいる。湧き止め装置もある。
浅い階には自販機まで置かれている。
昔は、掃除をしている最中に小型モンスターが出るくらい珍しくなかった。
逃げる。
物陰に入る。
警備が来るまで扉を押さえる。
床に残った魔力を抜く。
そういうことを繰り返しているうちに、仕事に必要なことだけは妙に覚えた。
血の色で洗剤を変えるとか、死んだ魔石に素手で触らないとか、酸性粘液を放っておくと目地から先に傷むとか。
どれも探索者試験には出ない。
清掃員には、わりと大事だ。
◇
十三階から、やけに元気な声が聞こえてきた。
「――ということで! 閉館後の新宿第三ダンジョン、特別に――」
「特別じゃないです」
「ひゃっ!?」
金髪の女性が振り向いた。
自撮り棒。スマートフォン。軽量型の探索装備。
たぶん、この人だ。
「あ、清掃の人?」
「そうです。もう閉館してます」
「あと十分だけいいですか?」
「よくないです」
「じゃあ五分」
「減らせばいい話でもないので」
スマートフォンの画面では、コメントが恐ろしい速さで流れていた。
《ミオちゃん怒られてる》
《正論で草》
《清掃のお兄さん疲れてる》
《これは帰れ》
本人はまるで気にしていない。
「撮影許可、見せてもらえます?」
「ありますよ。ほら」
表示された許可証を覗く。
「二十三時三十分までですね」
彼女も画面を覗いた。
「あ」
「今、四十七分です」
「……十七分くらい」
「その十七分を片付けるの、こっちなので」
少し言い方がきつかったかもしれない。
女性――天宮ミオは口を尖らせたが、反論はしなかった。
「分かりました。今日は終わります」
配信アプリを触り、画面が暗くなる。
「出口まで一緒に行きます」
「清掃員さんって、ずっと夜勤なんですか?」
「基本は」
「モンスターとか怖くない?」
「出ない前提で仕事してますからね」
「前提?」
「湧き止め装置が――」
そこで床が揺れた。
嫌な音だった。
照明が一斉に赤へ変わる。
『警告。十三階層、異常魔力反応』
ミオがこちらを見る。
「……前提?」
「たまに外れます」
『真壁さん!』
田所さんの声が無線から割れた。
『湧き止め停止。すぐ上がってください!』
通路の奥で黒い霧が渦を巻いている。
何かがその中から出てくる。
牛の頭。
四本の腕。
黒い鎧。
太い二本の腕には、人間なら両手でも持てないような斧。
横で、ミオの息が止まった。
「ブラックミノタウロス……」
「有名なんですか」
「三日前にA級パーティーが二組やられた特殊個体です。まだ討伐されてない」
「ああ」
名前は知らなかったが、それなら現場は知っている。
三日前、こいつは討伐隊を退けたあと、一定時間で霧みたいに消えた。
安全確認が終わった頃には朝が近く、清掃班がそのまま十三階へ入ったのだ。
「俺、その後ここ掃除してます」
「え?」
「とりあえず走れます?」
「走れますけど――」
「じゃ、上へ」
腕を掴んで走った。
戦う理由はない。
というか、戦いたくない。
「戦わないんですか!?」
「俺、清掃員です」
「あ、はい!」
背後で斧が床を叩いた。
音というより衝撃が背中に来る。
非常口まで百二十メートルほど。
半分を過ぎたところで、前方から重い金属音が響いた。
防護扉が落ちた。
「うそ……」
『真壁さん、防護扉がロックしました!』
「開きます?」
『手動解除します。二分くらい!』
二分。
背後を見る。
どう考えても長い。
ミオが短剣を抜いた。
「私、B級です。少しくらいなら時間を――」
「勝てます?」
「それは無理」
「じゃあ無茶しないでください」
「励ますとかないんですか」
「俺も怖いので」
怪物が踏み込んできた。
最初の斧は避けられた。
二撃目をミオが短剣で逸らしたが、彼女の体ごと横へ飛ばされる。
「大丈夫ですか!」
「手、痺れた……でも動く!」
三撃目が俺に来た。
壁際へ寄ったつもりだった。
足りなかった。
制服の袖が裂け、左腕が熱くなる。
「っ……」
血が垂れた。
十年前なら、もう少し速く動けた気がする。
いや、そんな美化をしている場合じゃない。
『解除、続けてます!』
田所さんの声。
怪物がこちらへ向き直る。
その時、右脇の鎧が目に入った。
留め具。
「……あれ」
見覚えがある。
三日前の十三階。
討伐隊が撤退したあとの床はひどかった。
割れた瓶。
焦げ跡。
壁に残った矢。
血。
それから、黒い鎧の破片。
床へ焼き付いて、普通の剥離剤では取れなかった。
先輩には業者を呼ぼうと言われた。
でも朝の開場まで時間がなくて、自分でやった。
二時間。
洗浄剤を変えて、スクレーパーを差し込み、裏返した。
あの時見た、腐食した留め具。
同じだ。
「ミオさん」
「はい!」
「十五秒だけ、こいつを左に向けられます?」
返事がすぐ来なかった。
彼女は怪物を見て、それから俺を見る。
「……十五秒ね」
「無理ならやめます」
「やる」
短く言って、ミオが右へ走った。
「こっち!」
怪物の頭がそちらを向く。
俺は工具袋へ手を突っ込んだ。
スクレーパー。
床に張り付いた魔物素材を剥がすための道具だ。
少なくとも、人相手に振り回すような物ではない。
脇の金具へ差し込む。
びくともしない。
「真壁さん!」
「今やってます!」
体重をかけた。
ぱきん、と嫌な音がした。
「……あ」
先端が欠けた。
会社の備品だ。
反射的にそこが気になった自分に、あとで少し呆れた。
ただ、金具も半分浮いていた。
もう一度押し込む。
鎧が外れた。
その奥に、赤黒い魔石核が脈打っている。
「核、見えた!」
ミオが叫ぶ。
俺は工具袋の奥から携帯型の魔力放電器を出した。
床に残った魔力汚染を抜くための器具だ。
黄色いラベルには、
『生体へ使用禁止』
と書いてある。
知らなかったことにはできない。
「真壁さん、それ使っていいやつ?」
「たぶん駄目です」
「たぶん!?」
端子を核へ押し当てた。
最大出力。
青白い火花が弾ける。
怪物が暴れた。
肩から壁へ叩きつけられ、肺の空気が全部抜けた。
「ぐっ……」
右腕が上がらない。
放電器が滑る。
ミオが怪物の腕へ短剣を突き立てた。
一瞬だけ止まった。
その一瞬で十分だった。
左手も添えて、端子を押し戻す。
焦げた臭い。
火花。
怪物の脚から力が抜けた。
巨体が傾き、床へ倒れた。
俺もそのまま壁を背に座り込む。
しばらく声が出なかった。
「……これ、仕事の範囲ですか」
ミオが床に座ったまま言う。
「違うと思います」
「ですよね」
ちょうどそこで、防護扉がゆっくり上がった。
『真壁さん! 返事してください!』
「生きてます」
『ボスは!?』
目の前で、ブラックミノタウロスの体が光の粒に変わっていく。
巨大な魔石と、砕けた鎧だけが残った。
その周りには血と焦げ跡。床も欠けている。
「……倒れました」
『倒したんですか!?』
「たぶん」
床を見回す。
「でも、こっちは全然片付いてないです」
◇
警備員と救護班が来た。
田所さんは現場を見て、俺を見て、また現場を見た。
「何したんです?」
「逃げ道が開くまで、なんとか」
「ボスいないですけど」
「そうですね」
「医務室行きましょう」
「道具だけ回収して――」
「今」
「はい」
左腕は三針。
右肩は打撲。
ミオは手首の軽い捻挫だった。
大事にはならなかった。
それだけは本当に良かった。
「真壁さん」
処置が終わる頃、隣の椅子にいたミオが言った。
「その……ごめんなさい」
「閉館時間のことですか」
「それも」
「それも?」
嫌な言い方だった。
案の定、彼女はスマートフォンを差し出した。
配信中。
「終わらせたんじゃ」
「終了の隣にある移動モードを押してました」
「何です、それ」
「自分の画面だけ暗くして、カメラとマイクは配信したままにする機能で……外歩く時とかに……」
だんだん声が小さくなる。
「つまり?」
「ほぼ全部、流れてました」
しばらく何も言えなかった。
コメントが目に入る。
《生きてた》
《病院行けって》
《鎧の留め具狙ってたよな?》
《なんで分かったんだ》
《始末書とか言ってたの草》
《ミオ反省しろ》
ミオが頭を下げた。
「本当にすみません」
「……次からは、閉館時間と終了ボタン、両方確認してください」
「はい」
腹は立っていた。
ただ、彼女も一緒に怪物の前へ出た。
それも事実だった。
その夜は、それ以上何も言わなかった。
◇
翌朝。
肩の痛みで目が覚めたのか、会社からの電話で起きたのか分からない。
『真壁君、体は?』
「痛いです」
『今日は休め』
「元々休みです」
『……そうか』
部長が少し黙った。
『昨日の映像、かなり広がってる』
「消せませんか」
『天宮さん側でアーカイブは非公開にした。ただ、切り抜きまでは止められない』
「でしょうね」
『探索者協会も話を聞きたいそうだ』
「俺に?」
『ほかに誰がいる』
スマートフォンを見る。
通知は昨夜のうちに切ってあった。
そこだけは自分を褒めた。
◇
午後、会社へ行った。
本当は休みだった。
会議室には部長と探索者協会の職員、それからミオがいた。
ミオは俺が入るとすぐ立った。
「昨日は、本当にすみませんでした」
「もういいです。次やらなければ」
「やりません。終了も指差しします」
「そこまでしなくても」
「します」
昨日よりだいぶ大人しい。
協会の職員が資料をめくった。
俺の年齢。
F級免許。
十年前、制度が始まった頃に取った暫定資格。
「戦闘訓練の記録がないんですが」
「受けてないです」
「昨夜の動きは、どこで?」
質問の意味がよく分からず、少し考えた。
「現場で、ですかね」
「清掃現場?」
「昔は湧き止めがよく止まったので。逃げたり、追い払ったり」
職員は何かを書き留めた。
「ブラックミノタウロスの弱点は?」
「知らなかったです」
「では、なぜ鎧の留め具を?」
「前に落ちてた鎧を掃除したからです」
俺が三日前の清掃について話すと、職員のペンが止まった。
「その鎧片、記録は残っていますか」
「異物除去報告書に写真を付けてます」
部長が顔を上げた。
「ああ、保全サーバーにあるな」
「見せてもらえますか」
「手続きが通れば」
そこでミオが小さく笑った。
「攻略者が見てなかったものを、清掃の人が残してたんですね」
「回収指定がなければ、清掃班ではゴミです」
「それ、たぶんゴミじゃなかったです」
「あとからなら何とでも言えます」
協会職員が顔を上げる。
「こういう報告書、ほかにも?」
「あります」
「どのくらい」
「さあ。十年分なので」
部長と職員が、ほぼ同時に黙った。
◇
その後、面倒な連絡が増えた。
テレビ。
配信番組。
探索者ランクの再試験。
一応、話だけ聞いたものもある。
でも結局、全部断った。
昨夜の勝ち方をもう一度やれと言われても困る。
鎧のことを知っていた。
ミオが時間を作った。
放電器がたまたま核に効いた。
逃げ道が閉じていたから、やるしかなかった。
どれか一つ欠けていたら、たぶん違う結果になっている。
それより、協会から来た別の話の方が気になった。
「清掃記録を攻略部門でも見たい?」
部長が机の上の書類を叩く。
「そういうことらしい。鎧片だけじゃない。抜け殻、粘液、焦げ跡、魔力残滓。毎日の記録に、攻略側が拾ってない情報があるかもしれないって」
「今まで見てなかったんですか」
「施設管理の資料だからな」
「同じ会社の中なのに?」
「部署が違うと、まあ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだよ」
納得はしていないが、ありそうではある。
「現場側から一人、窓口を出してくれって」
「田所さんは」
「警備」
「山下さん」
「来月定年」
「……俺ですか」
部長が条件の紙を出した。
業務時間。
追加手当。
責任範囲。
一通り読む。
思ったより悪くない。
「これならやります」
「断ると思ってた」
「仕事増えるなら条件見ますよ」
「十年いて、そこはちゃんとしてるんだな」
「十年いたからです」
◇
事故から一週間後。
ミオがまた来た。
今度は受付で止められていない。
「ちゃんと許可取りました」
紙を見せる。
「今日は二十二時まで」
「二十一時五十分には上がってください」
「十分も前?」
「着替えとかあるでしょう」
「ああ……そういうこと」
今回の企画は、ボス攻略ではなかった。
『閉館後のダンジョンを支える仕事』
清掃員。
警備員。
設備技師。
魔石回収員。
補修業者。
救護班。
ミオは一人ずつ取材していった。
田所さんはカメラを向けられた途端、普段使わないような敬語になった。
設備班の山下さんは湧き止め装置について二十分以上しゃべった。
俺は途中で掃除へ戻った。
しばらくしてミオが来る。
「撮っていいですか」
「普通に掃除してるだけですよ」
「それが撮りたいので」
「じゃあ、どうぞ」
モップでスライム跡を擦る。
たぶん絵としては地味だ。
「この前より安心して見られる」
「毎回あれなら辞めます」
「真壁さんでも?」
「そりゃそうですよ。肩まだ痛いし」
右肩を回す。
ミオの表情が少し曇った。
「……ほんと、ごめんなさい」
「もう聞きました」
「でも」
「時間、大丈夫です?」
時計を見る。
二十一時五十分。
「あ」
「今日はちゃんと帰りましょう」
「はい」
今度は素直に、自分の足で出口へ向かった。
◇
その二日後、動画が公開された。
夜勤の休憩中、田所さんがスマートフォンを差し出してくる。
「見ました?」
「まだ」
「かなり伸びてますよ」
「そうですか」
「興味ないなあ」
「自分が映ってる動画を家で見るの、ちょっと嫌じゃないですか」
「それは分かる」
田所さんが画面をスクロールした。
「じゃあコメント一個だけ」
「一個?」
「これ」
《ダンジョン行ったらゴミ捨てないようにする》
思わず少し笑った。
「いいですね」
「でしょ」
休憩を終えて十二階へ戻った。
少し歩いたところで、床に黒いものが見えた。
ガムだった。
たぶん営業時間中に誰かが落としたのだろう。
「……まあ、そんなもんか」
工具袋からスクレーパーを出す。
今度のは新品だ。
しゃがみ込んで、端を探した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「攻略者が見落としたものを、毎晩その場所を掃除している人だけが覚えていたら」
という発想から書いた現代ダンジョン短編です。
楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると、今後の作品づくりの参考になります。
空席あり




