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ダンジョン清掃員の俺、配信事故で未討伐ボスを倒したら、十年分の「清掃記録」が攻略資料になった

作者: 空席あり
掲載日:2026/09/20

ダンジョンを攻略する人ではなく、その「閉館後」を十年間見てきた清掃員の話です。

「真壁さん。まだ一人、中に残ってます」


 無線が鳴った時、俺は地下十二階の床にしゃがみ込んでいた。


 午後十一時四十七分。

 デッキブラシの先では、乾きかけたスライムの粘液が妙な弾力を取り戻している。


「客ですか」


『配信者。閉館アナウンスを無視して十三階に下りたみたいです』


 警備員の田所さんの声が、普段より少し低い。


「迎えに行く人、俺なんですか」


『俺が警備室を離れたら、今度は地上が無人になります』


「ですよねえ」


 バケツの縁でブラシの水を切った。


『登録者百八十万人だそうですよ』


「それ、今必要な情報です?」


『なんとなく』


 今日は東通路まで終わらせれば帰れた。

 残っている汚れを見て、時計を見て、もう一度汚れを見る。


 たぶん残業だ。


「行ってきます」


 俺の名前は真壁修司。二十八歳。

 新宿第三ダンジョンの清掃員をしている。


 十年前、世界各地にダンジョンが出現した。


 その頃、高校を卒業したばかりだった俺は、とにかく家に金を入れたくて新設の管理会社へ入った。三か月くらいで別の仕事を探すつもりだったのに、その三か月が十年になった。


 今のダンジョンは随分まともだ。


 探索者免許がある。警備もいる。湧き止め装置もある。

 浅い階には自販機まで置かれている。


 昔は、掃除をしている最中に小型モンスターが出るくらい珍しくなかった。


 逃げる。

 物陰に入る。

 警備が来るまで扉を押さえる。

 床に残った魔力を抜く。


 そういうことを繰り返しているうちに、仕事に必要なことだけは妙に覚えた。


 血の色で洗剤を変えるとか、死んだ魔石に素手で触らないとか、酸性粘液を放っておくと目地から先に傷むとか。


 どれも探索者試験には出ない。

 清掃員には、わりと大事だ。


     ◇


 十三階から、やけに元気な声が聞こえてきた。


「――ということで! 閉館後の新宿第三ダンジョン、特別に――」


「特別じゃないです」


「ひゃっ!?」


 金髪の女性が振り向いた。


 自撮り棒。スマートフォン。軽量型の探索装備。


 たぶん、この人だ。


「あ、清掃の人?」


「そうです。もう閉館してます」


「あと十分だけいいですか?」


「よくないです」


「じゃあ五分」


「減らせばいい話でもないので」


 スマートフォンの画面では、コメントが恐ろしい速さで流れていた。


《ミオちゃん怒られてる》

《正論で草》

《清掃のお兄さん疲れてる》

《これは帰れ》


 本人はまるで気にしていない。


「撮影許可、見せてもらえます?」


「ありますよ。ほら」


 表示された許可証を覗く。


「二十三時三十分までですね」


 彼女も画面を覗いた。


「あ」


「今、四十七分です」


「……十七分くらい」


「その十七分を片付けるの、こっちなので」


 少し言い方がきつかったかもしれない。


 女性――天宮ミオは口を尖らせたが、反論はしなかった。


「分かりました。今日は終わります」


 配信アプリを触り、画面が暗くなる。


「出口まで一緒に行きます」


「清掃員さんって、ずっと夜勤なんですか?」


「基本は」


「モンスターとか怖くない?」


「出ない前提で仕事してますからね」


「前提?」


「湧き止め装置が――」


 そこで床が揺れた。


 嫌な音だった。


 照明が一斉に赤へ変わる。


『警告。十三階層、異常魔力反応』


 ミオがこちらを見る。


「……前提?」


「たまに外れます」


『真壁さん!』


 田所さんの声が無線から割れた。


『湧き止め停止。すぐ上がってください!』


 通路の奥で黒い霧が渦を巻いている。


 何かがその中から出てくる。


 牛の頭。

 四本の腕。

 黒い鎧。

 太い二本の腕には、人間なら両手でも持てないような斧。


 横で、ミオの息が止まった。


「ブラックミノタウロス……」


「有名なんですか」


「三日前にA級パーティーが二組やられた特殊個体です。まだ討伐されてない」


「ああ」


 名前は知らなかったが、それなら現場は知っている。


 三日前、こいつは討伐隊を退けたあと、一定時間で霧みたいに消えた。

 安全確認が終わった頃には朝が近く、清掃班がそのまま十三階へ入ったのだ。


「俺、その後ここ掃除してます」


「え?」


「とりあえず走れます?」


「走れますけど――」


「じゃ、上へ」


 腕を掴んで走った。


 戦う理由はない。

 というか、戦いたくない。


「戦わないんですか!?」


「俺、清掃員です」


「あ、はい!」


 背後で斧が床を叩いた。


 音というより衝撃が背中に来る。


 非常口まで百二十メートルほど。

 半分を過ぎたところで、前方から重い金属音が響いた。


 防護扉が落ちた。


「うそ……」


『真壁さん、防護扉がロックしました!』


「開きます?」


『手動解除します。二分くらい!』


 二分。


 背後を見る。


 どう考えても長い。


 ミオが短剣を抜いた。


「私、B級です。少しくらいなら時間を――」


「勝てます?」


「それは無理」


「じゃあ無茶しないでください」


「励ますとかないんですか」


「俺も怖いので」


 怪物が踏み込んできた。


 最初の斧は避けられた。


 二撃目をミオが短剣で逸らしたが、彼女の体ごと横へ飛ばされる。


「大丈夫ですか!」


「手、痺れた……でも動く!」


 三撃目が俺に来た。


 壁際へ寄ったつもりだった。


 足りなかった。


 制服の袖が裂け、左腕が熱くなる。


「っ……」


 血が垂れた。


 十年前なら、もう少し速く動けた気がする。


 いや、そんな美化をしている場合じゃない。


『解除、続けてます!』


 田所さんの声。


 怪物がこちらへ向き直る。


 その時、右脇の鎧が目に入った。


 留め具。


「……あれ」


 見覚えがある。


 三日前の十三階。


 討伐隊が撤退したあとの床はひどかった。


 割れた瓶。

 焦げ跡。

 壁に残った矢。

 血。


 それから、黒い鎧の破片。


 床へ焼き付いて、普通の剥離剤では取れなかった。


 先輩には業者を呼ぼうと言われた。

 でも朝の開場まで時間がなくて、自分でやった。


 二時間。


 洗浄剤を変えて、スクレーパーを差し込み、裏返した。


 あの時見た、腐食した留め具。


 同じだ。


「ミオさん」


「はい!」


「十五秒だけ、こいつを左に向けられます?」


 返事がすぐ来なかった。


 彼女は怪物を見て、それから俺を見る。


「……十五秒ね」


「無理ならやめます」


「やる」


 短く言って、ミオが右へ走った。


「こっち!」


 怪物の頭がそちらを向く。


 俺は工具袋へ手を突っ込んだ。


 スクレーパー。


 床に張り付いた魔物素材を剥がすための道具だ。

 少なくとも、人相手に振り回すような物ではない。


 脇の金具へ差し込む。


 びくともしない。


「真壁さん!」


「今やってます!」


 体重をかけた。


 ぱきん、と嫌な音がした。


「……あ」


 先端が欠けた。


 会社の備品だ。


 反射的にそこが気になった自分に、あとで少し呆れた。


 ただ、金具も半分浮いていた。


 もう一度押し込む。


 鎧が外れた。


 その奥に、赤黒い魔石核が脈打っている。


「核、見えた!」


 ミオが叫ぶ。


 俺は工具袋の奥から携帯型の魔力放電器を出した。


 床に残った魔力汚染を抜くための器具だ。


 黄色いラベルには、


『生体へ使用禁止』


 と書いてある。


 知らなかったことにはできない。


「真壁さん、それ使っていいやつ?」


「たぶん駄目です」


「たぶん!?」


 端子を核へ押し当てた。


 最大出力。


 青白い火花が弾ける。


 怪物が暴れた。


 肩から壁へ叩きつけられ、肺の空気が全部抜けた。


「ぐっ……」


 右腕が上がらない。


 放電器が滑る。


 ミオが怪物の腕へ短剣を突き立てた。


 一瞬だけ止まった。


 その一瞬で十分だった。


 左手も添えて、端子を押し戻す。


 焦げた臭い。


 火花。


 怪物の脚から力が抜けた。


 巨体が傾き、床へ倒れた。


 俺もそのまま壁を背に座り込む。


 しばらく声が出なかった。


「……これ、仕事の範囲ですか」


 ミオが床に座ったまま言う。


「違うと思います」


「ですよね」


 ちょうどそこで、防護扉がゆっくり上がった。


『真壁さん! 返事してください!』


「生きてます」


『ボスは!?』


 目の前で、ブラックミノタウロスの体が光の粒に変わっていく。


 巨大な魔石と、砕けた鎧だけが残った。


 その周りには血と焦げ跡。床も欠けている。


「……倒れました」


『倒したんですか!?』


「たぶん」


 床を見回す。


「でも、こっちは全然片付いてないです」


     ◇


 警備員と救護班が来た。


 田所さんは現場を見て、俺を見て、また現場を見た。


「何したんです?」


「逃げ道が開くまで、なんとか」


「ボスいないですけど」


「そうですね」


「医務室行きましょう」


「道具だけ回収して――」


「今」


「はい」


 左腕は三針。

 右肩は打撲。


 ミオは手首の軽い捻挫だった。


 大事にはならなかった。

 それだけは本当に良かった。


「真壁さん」


 処置が終わる頃、隣の椅子にいたミオが言った。


「その……ごめんなさい」


「閉館時間のことですか」


「それも」


「それも?」


 嫌な言い方だった。


 案の定、彼女はスマートフォンを差し出した。


 配信中。


「終わらせたんじゃ」


「終了の隣にある移動モードを押してました」


「何です、それ」


「自分の画面だけ暗くして、カメラとマイクは配信したままにする機能で……外歩く時とかに……」


 だんだん声が小さくなる。


「つまり?」


「ほぼ全部、流れてました」


 しばらく何も言えなかった。


 コメントが目に入る。


《生きてた》

《病院行けって》

《鎧の留め具狙ってたよな?》

《なんで分かったんだ》

《始末書とか言ってたの草》

《ミオ反省しろ》


 ミオが頭を下げた。


「本当にすみません」


「……次からは、閉館時間と終了ボタン、両方確認してください」


「はい」


 腹は立っていた。


 ただ、彼女も一緒に怪物の前へ出た。

 それも事実だった。


 その夜は、それ以上何も言わなかった。


     ◇


 翌朝。


 肩の痛みで目が覚めたのか、会社からの電話で起きたのか分からない。


『真壁君、体は?』


「痛いです」


『今日は休め』


「元々休みです」


『……そうか』


 部長が少し黙った。


『昨日の映像、かなり広がってる』


「消せませんか」


『天宮さん側でアーカイブは非公開にした。ただ、切り抜きまでは止められない』


「でしょうね」


『探索者協会も話を聞きたいそうだ』


「俺に?」


『ほかに誰がいる』


 スマートフォンを見る。


 通知は昨夜のうちに切ってあった。


 そこだけは自分を褒めた。


     ◇


 午後、会社へ行った。


 本当は休みだった。


 会議室には部長と探索者協会の職員、それからミオがいた。


 ミオは俺が入るとすぐ立った。


「昨日は、本当にすみませんでした」


「もういいです。次やらなければ」


「やりません。終了も指差しします」


「そこまでしなくても」


「します」


 昨日よりだいぶ大人しい。


 協会の職員が資料をめくった。


 俺の年齢。

 F級免許。

 十年前、制度が始まった頃に取った暫定資格。


「戦闘訓練の記録がないんですが」


「受けてないです」


「昨夜の動きは、どこで?」


 質問の意味がよく分からず、少し考えた。


「現場で、ですかね」


「清掃現場?」


「昔は湧き止めがよく止まったので。逃げたり、追い払ったり」


 職員は何かを書き留めた。


「ブラックミノタウロスの弱点は?」


「知らなかったです」


「では、なぜ鎧の留め具を?」


「前に落ちてた鎧を掃除したからです」


 俺が三日前の清掃について話すと、職員のペンが止まった。


「その鎧片、記録は残っていますか」


「異物除去報告書に写真を付けてます」


 部長が顔を上げた。


「ああ、保全サーバーにあるな」


「見せてもらえますか」


「手続きが通れば」


 そこでミオが小さく笑った。


「攻略者が見てなかったものを、清掃の人が残してたんですね」


「回収指定がなければ、清掃班ではゴミです」


「それ、たぶんゴミじゃなかったです」


「あとからなら何とでも言えます」


 協会職員が顔を上げる。


「こういう報告書、ほかにも?」


「あります」


「どのくらい」


「さあ。十年分なので」


 部長と職員が、ほぼ同時に黙った。


     ◇


 その後、面倒な連絡が増えた。


 テレビ。

 配信番組。

 探索者ランクの再試験。


 一応、話だけ聞いたものもある。


 でも結局、全部断った。


 昨夜の勝ち方をもう一度やれと言われても困る。


 鎧のことを知っていた。

 ミオが時間を作った。

 放電器がたまたま核に効いた。

 逃げ道が閉じていたから、やるしかなかった。


 どれか一つ欠けていたら、たぶん違う結果になっている。


 それより、協会から来た別の話の方が気になった。


「清掃記録を攻略部門でも見たい?」


 部長が机の上の書類を叩く。


「そういうことらしい。鎧片だけじゃない。抜け殻、粘液、焦げ跡、魔力残滓。毎日の記録に、攻略側が拾ってない情報があるかもしれないって」


「今まで見てなかったんですか」


「施設管理の資料だからな」


「同じ会社の中なのに?」


「部署が違うと、まあ」


「そんなもんですかね」


「そんなもんだよ」


 納得はしていないが、ありそうではある。


「現場側から一人、窓口を出してくれって」


「田所さんは」


「警備」


「山下さん」


「来月定年」


「……俺ですか」


 部長が条件の紙を出した。


 業務時間。

 追加手当。

 責任範囲。


 一通り読む。


 思ったより悪くない。


「これならやります」


「断ると思ってた」


「仕事増えるなら条件見ますよ」


「十年いて、そこはちゃんとしてるんだな」


「十年いたからです」


     ◇


 事故から一週間後。


 ミオがまた来た。


 今度は受付で止められていない。


「ちゃんと許可取りました」


 紙を見せる。


「今日は二十二時まで」


「二十一時五十分には上がってください」


「十分も前?」


「着替えとかあるでしょう」


「ああ……そういうこと」


 今回の企画は、ボス攻略ではなかった。


『閉館後のダンジョンを支える仕事』


 清掃員。

 警備員。

 設備技師。

 魔石回収員。

 補修業者。

 救護班。


 ミオは一人ずつ取材していった。


 田所さんはカメラを向けられた途端、普段使わないような敬語になった。

 設備班の山下さんは湧き止め装置について二十分以上しゃべった。


 俺は途中で掃除へ戻った。


 しばらくしてミオが来る。


「撮っていいですか」


「普通に掃除してるだけですよ」


「それが撮りたいので」


「じゃあ、どうぞ」


 モップでスライム跡を擦る。


 たぶん絵としては地味だ。


「この前より安心して見られる」


「毎回あれなら辞めます」


「真壁さんでも?」


「そりゃそうですよ。肩まだ痛いし」


 右肩を回す。


 ミオの表情が少し曇った。


「……ほんと、ごめんなさい」


「もう聞きました」


「でも」


「時間、大丈夫です?」


 時計を見る。


 二十一時五十分。


「あ」


「今日はちゃんと帰りましょう」


「はい」


 今度は素直に、自分の足で出口へ向かった。


     ◇


 その二日後、動画が公開された。


 夜勤の休憩中、田所さんがスマートフォンを差し出してくる。


「見ました?」


「まだ」


「かなり伸びてますよ」


「そうですか」


「興味ないなあ」


「自分が映ってる動画を家で見るの、ちょっと嫌じゃないですか」


「それは分かる」


 田所さんが画面をスクロールした。


「じゃあコメント一個だけ」


「一個?」


「これ」


《ダンジョン行ったらゴミ捨てないようにする》


 思わず少し笑った。


「いいですね」


「でしょ」


 休憩を終えて十二階へ戻った。


 少し歩いたところで、床に黒いものが見えた。


 ガムだった。


 たぶん営業時間中に誰かが落としたのだろう。


「……まあ、そんなもんか」


 工具袋からスクレーパーを出す。


 今度のは新品だ。


 しゃがみ込んで、端を探した。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「攻略者が見落としたものを、毎晩その場所を掃除している人だけが覚えていたら」

という発想から書いた現代ダンジョン短編です。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると、今後の作品づくりの参考になります。


空席あり

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