婚約者のいる殿方に近寄るな
貴重な治癒魔法が使えるということでリリティアリスという女性が学園に編入してきた。もとは平民なので貴族のマナーなどを知らない、ということは事前に聞かされていた。
彼女は天真爛漫で純粋無垢…といった様子だった。見目も麗しく、彼女が微笑めば見惚れてしまうほどに。ただ、軽率に男子生徒に接するため女子生徒からは反感を買っていた。距離が近く、馴れ馴れしいと。
学園でもっとも身分の高い、公爵令嬢のセレスは周りの不満を汲み取って注意した。
「リリティアリス様、殿方との距離が近いのではなくて?」
「でも、私は皆さんと仲良くなりたくて…」
「いけません。特に婚約者のいる殿方との距離を考えるように」
リリティアリスは美しい顔を悲し気に歪ませて、その場でぽろぽろと泣き出した。
「酷いです、セレス様!」
「リリティアリス様のことを思って言っているのですよ?後悔してからでは遅いのです。貴方の人生を大切にするように」
セレスは厳しく注意する。そこに男子生徒達が飛び出してきた。
「止めてください!リリティアリス様は平民だったんですよ、もっと優しくしてください!」
数人がセレスに立ち向かい、残った数人がリリティアリスを連れて去っていく。セレスは深々と溜息をついて男子生徒達を睨んだ。
「そのようにリリティアリス様を甘やかすと大変なことになってしまいますよ。私は忠告しました」
セレスは彼らにそう告げて去っていった。
数日後、リリティアリスは死にかけの状態で発見された。
治癒魔法のおかげでギリギリ命は繋いだものの、美しかった顔は元に戻らず、腕も足もろくに動かなくなってしまった。他にも内臓などに傷があり…一生オムツが脱げない体になってしまった。今も顔面に包帯を巻き、辛うじて見えているのは目ぐらいだ。
「だから言ったでしょう。婚約者のいる殿方に近寄らないように、と」
「フー…フー…」
セレスは変わり果てたリリティアリスを見て可哀想だと思う。けれど、どうしようもならない。セレスは治癒魔法など使えないのだから。
「自分はここまでされるような悪いことをしたのか、と思っている?そうね、これが罰であったのならば重すぎる。だから、これは罰ではないの。貴方はただの被害者。埋まっている罠に気付かずに歩いてしまっただけ」
セレスは「けれど、避けられる罠でもあった」と思う。文字が読めなかったばかりに看板を無視して地雷原に入ってしまう人に咎があるとすれば、張り巡らされた柵を乗り越えてしまったことだろう。
可哀想な子。けれど、もう時は戻らない。あれだけいた男達も彼女の変わり果てた姿を見て全員いなくなってしまったのだから。
とある伯爵の一人娘、ミレスミレイユはある意味でとても有名な女性だった。
彼女の父は商才に溢れており莫大な富を築いた。その一人娘となれば当然狙われる。まっとうに口説かれるのならばマシなほうで、何度も乱暴にされそうになったミレスミレイユは酷い男性恐怖症を患っていた。女性の護衛がいなければ部屋から出ることも嫌がるほど。
そんなミレスミレイユが唯一心を許した男性が、婚約者のラファールだった。線が細く大人しい彼だが、とても勇敢でミレスミレイユが襲われそうだった時に身を挺して庇ったことがある。そこから縁が繋がり、婚約に至った。
ミレスミレイユは最初こそお金目当てではないかとラファールを疑うこともあり、試し行動をしたこともあった。けれど穏やかなラファールはただ寄り添い続けた。実は借金ができてしまったと嘘をついた時も、協力するとまで言ってくれた。
必然的にミレスミレイユはラファールに依存するようになる。
彼女は普段こそ善良で、友達が困っている時には全力で助ける。しかし、ラファールが絡めば別だ。ラファールは子爵家の三男坊で、地位もお金も持っていないけれど顔立ちは美しい。悪い女から目を付けられることもあった。そして、ミレスミレイユはその女達全員に地獄を見せた。
リリティアリスはそれを知らなかった。美しい顔立ちの男がいたので普段のように近付き、その体に触れた。そして甘く囁いて誘惑しようとしただけだ。それが誰の婚約者かを知らずに。
いつもならば女が喚き、騒ぎ、泣き寝入りするだけ。リリティアリスは悔しそうな女の顔を見て優越感に浸る。報復されたことがなかった彼女は思いもしなかったのだ。婚約者に触れただけで、容易く人生を奪ってしまえる女がいるということを。
ラファールは泣きじゃくるミレスミレイユを撫でながら、緩む口元を引き締めた。
「ごめんね、不安にさせちゃったね」
「ううん。ラファールはちゃんと嫌だって言ってた…」
「ありがとう」
あの女が体をべたべたと触ってきたとき、ラファールはきっぱりと「止めてください」と言った。それでもリリティアリスは「いいじゃない」と言って止めなかったのだ。あの時にちゃんと止めていれば、まだ五体満足でいられたのに。
しかし、ラファールは同情しない。彼もミレスミレイユ以外の人間は基本的に嫌いだからだ。
「今日はずっと一緒にいようか」
「うん…」
ラファールは愛情に飢えている。自分に依存するほどに愛してくれる人を求めており、ミレスミレイユはその条件を満たしてくれる唯一の女性だった。
他の男を求めて彷徨う女など大嫌いだ。ラファールだけを見てくれないから。だからこそ、そういう女の目に触れるようわざと視界の端にチラチラと姿を現す…自分の美貌を理解していたから。
悪質な罠だと気付かずにかかった女はミレスミレイユが地獄に落とす。ラファールは彼女の異常ともいえる行動を見るたびに、自分は愛されていると満たされる気持ちになるのだ。
「僕はミレスミレイユだけが好きだよ」
リリティアリスは知らなかった。全ての男は自分の虜になると妄信していた女は、そういう女を選んで地獄に落とす男がいることなど知らなかった。
それは運が悪かっただけ。山の中にいくつか仕掛けられていた罠の1つにたまたま足をとられてしまっただけ。けれど、罠だらけの山に入らなければ問題なかったのに…。
ミレスミレイユとラファールは幸せそうに笑う。二人は、今にも死にそうな女のことなど数秒後には忘れてしまっていた。




