表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輪廻の檻-アステル戦記  作者: あすらりえる
第一章_転生者の原罪
8/22

第7話:銀髪の女騎士


発光していた形見のペンダントの光が収束し、静寂が戻ると、リーファの身体に負っていた痛ましい傷はその大半が、まるで時間が巻き戻されたかのように治癒されていた。苦しそうだった呼吸が僅かに緩やかになっていた。海里は安堵と同時に、この惨状を引き起こした原因への問いを抑えられなかった。


「リーファ、いったい何があったんだ? どうして村が、こんなにも無残な有様になってしまったんだ?」


リーファは瞼を僅かに持ち上げ、虚ろな視線を宙に彷徨わせながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「バルドが連れてきた、……教団の女幹部の…逆鱗に触れてしまったの……」


海里は全身に冷水を浴びせられたような衝撃を受けた。顔から血の気が引いていくのが分かった。


「それって、まさか……俺が逃げたからなのか? じゃあ、この村の惨状は……俺の、せいなのか……?」


自責の念が海里の心を支配する。自分が逃げ出した代償としてリーファがこれほどの苦しみを負ったのだとしたら、彼はどう償えばいいのか分からなかった。


リーファは微かな力で海里の手を握り返し、その震える手を宥めるように優しく撫でた。


「自分を責めないで、海里さん。あなたを助けるという選択をしたのは、他の誰でもない、私自身の意志よ。それに……私たち村人全員が、大きな勘違いをしていたの。王国に協力している輪廻教団が、まさか、その王国の民である私たちを害するとは思ってもいなかったから……」


その言葉は、海里の心に新たな疑問の波紋を広げた。


「輪廻教団は本当に何がしたいんだ?」


「私も、正直、教団を詳しく知っているわけじゃないの。ただ、彼らの活動はここ一年で急激に活発になっているのは確かだわ。その教団の歴史を紐解く手がかりがあるとしたら……王都の資料が集積されている図書館でなら、もっと詳細なことがわかるかもしれないわ。うっ……」


話すことに集中した反動で、リーファの顔に痛みが走り、微かに呻き声が漏れた。


「悪い、リーファ。喋らないでと言ったのに……無理をさせてしまった。もういい、詮索するのは後だ。俺が抱えていくから、とにかく早くここを離れて、王都へ向かおう」


海里は決意を固め、リーファの身体を抱き上げようとする。しかし、リーファは首を横に振り、か細い声で制した。


「無茶よ、海里さん。私をこのまま抱えて、王都まで辿り着けるわけがないわ。ここから王都までは、歩けば数日以上かかる道のりよ。街道だって、魔物が出ない保証なんてないし、馬たちも、吹き飛ばされてしまって……もういない。私は、足手まといになるわ。お願い、私を、置いていって……」


その弱々しい懇願に、海里は即座に反論した。


「嫌だ」


その声には、一切の迷いがなかった。だが、リーファの言うこともまた事実だと認識せざるを得なかった。確かに、負傷した人間を一人抱え、不慣れな道のりを王都まで進むのは、現実的に考えて、あまりにも無謀だろう。しかし、だからといって、この場所でリーファを見捨てていくという選択肢は、海里には存在しなかった。


意識を朦朧とさせていたリーファは、海里の腕の中で、深い消耗からか意識を失っていった。海里はリーファの頬に触れ、その温かさを確かめる。彼は、この状況を打開する方法を、必死に頭の中で巡らせ始めた。王都へ向かうこと自体は変わらない。問題は、どうやってリーファを安全に連れて行くかだ。


(何か、何かないのか……この状況を切り抜けるための手段が……)


リーファを背負い、海里がこれからどう動くべきか考え始めた、まさにその矢先だった。


乾いた土を蹴る、複数の蹄の音が響いてきた。その音は次第に近づき、やがて海里の視界に、ルクスが身につけていた鎧に酷似した銀の甲冑を纏った騎士の一団が飛び込んできた。彼らは村の惨状を見て、一様に驚きと困惑の表情を浮かべていた。


「皆、止まって!」


騎士たちの集団の先頭にいたのは、銀色の鎧に身を包んだ一人の女性騎士だった。彼女の凛とした声が、周囲の静寂を切り裂いた。彼女は海里と背負われたリーファに気づくと、馬上から素早く降りて近づいてきた。


その女性騎士はまだ若いが、その顔立ちには既に確固たる意志と品格が宿っていた。長く、まるで月光を溶かし込んだかのような柔らかな銀色の髪は、活動の邪魔にならぬよう、きっちりとポニーテールに結ばれている。澄んだ青い瞳の奥には、国と人々を守るという強い使命感が燃えているのが見て取れた。彼女の表情は、強さと優しさが絶妙に同居しており、海里は一目で彼女が心優しい、真摯な騎士であるという印象を受けた。


「あなたたちは、この村の人かしら?この村に一体何があったの? わたしたちは白銀騎士団の者よ。仲間の所へ向かう予定だったけど、この場所に突如として風が渦巻くのを見て、急遽こちらへやって来たの。魔物の仕業、ではないようだけど……」


(俺と同じで異変を見て駆けつけたのか……)


女性騎士の真摯な問いかけに、海里は嘘偽りなく答えることにした。彼女たちの表情には、この惨事への純粋な驚きと、事態を解明しようという意志が見えたからだ。


「俺もあなた達と同じで、あの渦巻く風を見てここに来た。だから、直接何が起こったのかは見ていない。ただ、今俺が背負っているこの女性、リーファが言っていたんだ。輪廻教団の女幹部の仕業だと……」


「教団の女幹部……。最近、リグリアの王都に来たっていう……」


女性騎士は、自身の内部にある情報を照らし合わせるかのように、一瞬深く考え事に耽った。しかし、時間がないと感じた海里は、その思考を遮るように話しかけた。


「考え事をしているところ申し訳ない。俺は彼女を連れて、一刻も早く王国の医者の元で治療を受けさせたい。だが、この状態で王都まで歩いていくのは困難で……あなた方の馬を、借りることは出来ないだろうか?」


海里の焦燥感に満ちた訴えに、女性騎士はすぐに顔を上げ、冷静な判断を下した。


「あ、ごめんなさい。考え込んでしまって。ええ、もちろんよ。それは全く問題ないわ。私たちも、もし仲間が負傷していた場合を想定して、馬車を用意しているの。馬車でなら、この道でも揺れを最小限に抑えて、安全に彼女を王都へ運ぶことができるわ」


彼女は周囲を見回し、指示を出した。


「それに、用意している馬車は一台ではないわ。先にその、リーファさんを王都へ運ばせましょう。誰か、負傷した彼女を抱えて、馬車に乗せてあげて! そして、すぐにアルベール先生の医院へ搬送をお願いできるかしら?」


その女性騎士の声に応じ、屈強な体躯を持つ別の騎士が、丁重にリーファを抱き上げた。彼はそっと、用意されていた頑丈な馬車に乗せていく。やがて、リーファを乗せた馬車は、荒れた道をものともせず、一足先に王都を目指して走り去っていった。


「ありがとう。本当に助かった……感謝する」


海里は心からの安堵とともに、改めて女性騎士に礼を述べた。彼女が馬車を使わせてくれたおかげで、リーファの命はひとまず安心してよいと思えた。


「構わないわ、騎士として当然のことをしたまでよ。ところで、あなたは何者かしら? 話を聞く限り、この村の人ではないみたいだけど……」


女性騎士は、安堵した海里に改めて、その素性を尋ねた。


「俺の名前は海里、旅人だ」


旅人と名乗るには、自分のいで立ちも、持っている剣も、あまりにも場違いではないかと、海里は自問自答した。しかし、咄嗟に口をついて出たのが旅人という言葉だった。だが、海里の不安は杞憂に終わったようだ。目の前の女性騎士は、海里の曖昧な名乗りを特に気にする様子もなく、穏やかに微笑んだ。


「海里ね。私の名前はジュノアよ。よろしくね」


ジュノアという名前。その響きが、海里の脳裏に、森の中で力尽きたルクスの最後の言葉を鮮烈に蘇らせた。


―(兄さん、ジュノア……ごめんよ)―


(ッ!ジュノア……間違いない。ルクスが最後に名を呼んだ人物だ!)


海里の表情が一瞬硬くなる。


「君が、ジュノア、さん?」


「? ええ、名乗った通りよ。どこかで会ったかしら? 私とあなたは、今が初対面だと思うんだけど……」


ジュノアは戸惑いを隠せない。彼女の視線は海里の腰に下げられた剣を認めると、それに釘付けになった。それは、ルクスから託された剣だった。


海里は意を決した。ルクスから託されたこの剣こそが、信じてもらうための唯一の証拠だ。海里は、その剣の柄を強く掴み、真っ直ぐにジュノアの瞳を見つめて尋ねた。


「君は、この剣の持ち主である、ルクスという名の騎士を知っているか?」


「ッ!?!?」


ルクスの名を聞き、ジュノアの端正な顔が驚愕に染まった。


「どうして、あなたがルクスの名を……? それに、その剣……ルクスがいつも使っていた剣じゃない! ねぇ、ルクスに会ったの!? 彼は今、どこにいるの!? 私たちは、ルクスからの異常事態発生の知らせが届いたから、増援に来たのよ!」


彼女は、それまでの冷静沈着な態度を完全に失った。矢継ぎ早に質問を重ね、海里に詰め寄る。その目の奥には不安が渦巻いていた。


海里は、その切実な問いかけに対し、俯いて、痛切な事実を告げた。


「……死んだ。ルクスは……森の中で、自分の命を顧みず、俺を助けてくれたんだ。でも、ルクスは俺と出会った時点ですでに、致命傷を負っていたんだ……」


一拍、二拍……沈黙が場を支配した。ジュノアの反応がないことを訝しんだ海里が、恐る恐る顔を上げると、ジュノアの顔は、白い仮面を被ったかのように蒼白になっていた。彼女の身体は、カタカタと音を立てるのが分かるほど激しく震え始めていた。


「え?……死ん、だ? 誰が?……ルクスが……死んだ……?」


彼女の声は、まるで遠くの出来事を口にしているかのように、現実味のない響きを帯びていた。


「おい、ジュノア!しっかりしろ!」


ショックでジュノアの身体が大きくふらついた。周囲にいた他の騎士たちが、その異変に気づき、慌てて彼女の身体を支えた。


他の騎士に両側から身体を支えられたジュノアは、動揺を隠せないまま、深い悲しみを押し殺すように、絞り出すような声で海里に向かって言った。その声には、騎士としての矜持と、一人の人間としての深い哀しみが滲んでいた。


「海里……詳しく……。ルクスに、何があったのか……聞かせて……」


「……分かった」


海里は、目の前にいるジュノアの悲痛な表情と、胸中に渦巻く複雑な思いを押し込め、森の中でのルクスとの出会い、そして別れまでの一連の出来事を語った。


ただし、ルクスからの転生者であること、村で監禁されていた事実は伏せるようにという忠告を固く守った。


話を聞き終えたジュノアは、険しい表情で考え込むように言った。


「私たちもこれまで聞いたことのない、異形の魔物……。この件は改めて、王国に詳細な報告をしないといけないわね。それにしても、あなたは南の……アリーナポリスから来たのね」


海里は、自身が旅人という設定を補強するため、即座に話を続けた。


「旅をしていたけれど、途中で荷物ごと、その異形の魔物に襲われてしまったんだ」


「そうだったのね……」


ジュノアは、その言葉に同情を滲ませた。


(アリーナポリスか……)


海里は、ルクスの記憶から引き出したその都市国家の名を反芻した。アステル大陸の南部、豊かな水源に囲まれ、海に面した都市。正式名称はアリーナポリス自由都市連合。ルクスの記憶によれば、この世界における海の幸が豊富で、活気に満ちた場所らしく、ルクス自身も立ち寄ったことがあるようだった。


一瞬、意識がアリーナポリスの情景に引っ張られそうになったが、海里はすぐに思考を切り替え、改めてジュノアたちに向き直った。


「ジュノアさん、それに騎士の皆さん。俺の判断で、あなた達の仲間であるルクスの遺体を、その場で葬ってしまったことを、心から謝罪します……。本来なら、あなた方の手で丁重に弔いたかったはずだ……」


ジュノアは、海里の真摯な謝罪に対し、先ほどの動揺から幾分持ち直した様子で、気丈に答えた。


「ジュノアでいいわ。あなたの言う通り、私たちの手で弔えなかったことは残念だけど、状況的に致し方なかったのでしょう。海里、あなたが言った通り、ルクスの遺体をそのまま放置していれば、必ず魔物の餌になっていた。それは、私にとっては絶対に受け入れ難いことだわ。だから……ルクスを、彼を弔ってくれて、ありがとう」


ジュノアの言葉は、悲しみを乗り越えようとする強い意志を感じさせた。そして、彼女は海里をまっすぐに見つめた。


「海里、あなたはこれからどうするつもりかしら?」


「俺は、リグリアの王都へ行こうと思っている。王都の図書館で調べたいことがあるから。それに、先に王都に送ってもらったリーファの様子も気になるから」


海里は正直に目的を伝えた。


「それなら、私たちと一緒に来るといいわ」


ジュノアは即決した。


「アリーナポリスから来たことを証明できるものは、その異形の魔物に襲われて、何も残っていない、わよね?」


「残念ながら……全て」


海里は力なく答えた。


「そう。それでも、王都の一般区域であれば、それで何の問題もないわ。念のため、王都に着いたら、あなたもアルベール先生の医院に案内するわ。長旅の疲れと、魔物に襲われたことによる傷も診てもらうべきよ。今夜はここで野営をするけれど、その前に……この村人たちの遺体を、弔ってあげたいわ」


「「「おぅ」」」


ジュノアの言葉に、残りの騎士たちも声を揃えて応じた。


「わかった、俺も手伝う」


海里もまた、彼らに同意した。


海里を輪廻教団に売り渡そうとした村人たち。彼らの最期はあまりにも凄惨なものだったが、彼らにもまた、村を、生活を守るためのやむにやまない事情があったのだろうと、海里は思うことにした。


海里は、目を見開いたまま事切れている村長エルドリックの目を、静かに閉じた。そして、他の騎士たちと同じように、村の広場へ村人たちの遺体を丁寧に集める作業を手伝い始めた。静寂の中、騎士たちと海里の動きだけが、失われた命への敬意を示すかのように、重響いていた。夜の帳が降りる前に、せめて安らかな眠りにつかせてやりたい。誰もが、その一心で作業に没頭した。







挿絵(By みてみん)

リグリア王国騎士ジュノア


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ