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輪廻の檻-アステル戦記  作者: あすらりえる
第一章_転生者の原罪
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第6話:ルクスという名の残響


「うっ、ぐっうぅ」


騎士ルクスの生命力、力、記憶を託されてしばらく経った後、海里は未だ深い森の中に立ち尽くしていた。彼の身体は、まるで激しい電流に打たれているかのような強烈な異変に襲われ、一歩も動くことができないでいた。


「なんだ、この感覚……俺の中に、ルクスの、人一人分の力と記憶が洪水のように流れ込んでくる。頭が割れそうだ……!」


ついさっきまで、彼の内には存在しなかった膨大な知識と強大な力。


それは、この世界で生きた一人の人間、騎士ルクスが、その生涯で培ってきた経験と能力の奔流そのものだった。海里はそれがルクスが託してくれたものであると理解したものの、その膨大な情報の波の前では、理解が追いつかない。激しい目眩に襲われ、立っていることさえも困難な状態だった。


異世界から転生してきた水無月海里という器に、この世界で生きてきたルクスという魂の残響が流れ込む。それは、二つの異なる人生が強制的に一つに融合しようとしているかのようだった。海里は、その激痛と混乱に、ただ呻き声を上げながら耐え続けるしかなかった。


どれほどの時間が過ぎたのだろうか。太陽の光が木々の葉を透かして差し込む角度がわずかに変わり、静寂が訪れると、海里の身体はようやく落ち着きを取り戻した。


「ふぅ、やっと、おさまったか……。それにしても味わったことのない感覚だった」


海里は自分のこめかみを強く押さえながら、つい先ほどまで知らなかった記憶の断片を反芻した。


(ルクスも言っていた通り、彼はリグリア王国の騎士。このアステル大陸の東部に位置する、第一転生者を倒した者の仲間が五十年前に興した王国か)


脳裏に浮かぶリグリア王国の紋章、騎士団の規律。それらは全て、海里自身の過去とは全く無縁の、鮮烈な記憶だった。


過去に存在したという別の転生者。その者が起こした凄惨な事件が、今日でも人々の深い恐怖として残り、その第一転生者の復活を謳う教団が、この世界で勢力を拡大している。


「転生者、教団、魔物……どういう世界なんだよ、一体。そんな得体の知れない教団に売られそうになって、必死に逃げ出したと思ったら、その先で見たこともない異形の魔物と遭遇して、死にかける。そして、今度はルクスの力と記憶まで……」


わずか数日の間に起きた、常識を遥かに逸脱した濃密すぎる体験は、頭が沸騰しそうなほどの状態を海里に覚えさせていた。


第一転生者の復活を掲げる教団の名は輪廻教団。ルクスの故郷であるリグリア王国にも既に支部を設けている。ルクスの記憶が示す通り、この教団は転生者である海里にとって、極めて危険な存在になり得ることが感じられた。出来れば関わりたくはない。しかし、既にロルカ村の村人であるバルドが、海里を売り払うために教団の人間を呼びに行ったという事実がある。彼の身体的特徴は、教団側に詳しく伝わっていることだろう。


「全く関わらない、なんていうのは、もう無理筋だろうな……。これから、ずっと追われる身になるかもしれないのか」


海里は、今から途方もない億劫さと、逃れられないことへの諦念に近いものを感じていた。


それにしても、ルクスの生命力や記憶を託されたことで、なぜ自分の髪や瞳の色までが変わるという、肉体的な変化まで引き起こされたのだろうか?


元の海里の髪と瞳は、この世界では珍しい黒髪黒目だった。それが今、川面に映る自分の姿は、アッシュブラウンの髪色と、淡く黄褐色ヘーゼルに光る瞳へと変貌していた。


近くを流れる小川の水面に映る、別人のような自分の姿。一瞬、「自分のほかに誰かいるのか?」と驚き、思わず背後を振り返ったが、そこには誰もいなかった。自分の外見に起きたこの変化が何を意味するのか、しばらく理解できなかった。だが、この変化は、彼に一つの希望をもたらした。


(黒髪黒目という、この世界での転生者としての特徴が薄まった。これなら、外見の珍しさからくる目立ちやすさを、少しは誤魔化せるんじゃないか……)


そして、未だに海里自身が最も把握できていないのは、村の監禁場所で拘束から逃れる際に、突如として発現した重さを加えて歪ませる力だった。


「もともとこの世界の人間ではない俺でも、魔法を使えるようになるのか?」


魔物や、海里に害意を抱く人間が存在するこの過酷な世界において、この新たな力は生き延びるための希望とも言えた。そして、その使い方を迅速に把握する必要がある。


海里は、試すように手近な位置に転がっていた小さな石ころに手をかざし、縄を引きちぎった時と同じように、集中して力を込めようとした。


刹那、小石はビシリという乾いた音を立て、内側から圧壊するように砕け散った。


元の世界ではあり得なかった自身の身体の変化と、発現した魔法の力。それらに海里はようやく慣れ始め、改めて森を抜けるために歩き始めようとした、その時だった。


既に離れた距離にあるロルカ村の方角から、空気を震わせるような轟音と、まるで巨大な竜巻が天空へ伸びるかのように見えるすさまじい風が吹き荒れるのが見えた。


「一体なんだ!? 何が起きている? あれは、ロルカ村のある方角じゃないか……!」


正直なところ、自分を騙し、監禁し、教団に売り払おうとした村の人間たちに何が起ころうと、海里にとってはどうでもいいことだった。彼らが自業自得の報いを受けたとしても、それは因果応報だと思えた。


しかし……


(海里さん、気を付けて……)


彼の頭をよぎったのは、そんな悪意に満ちた村の中で、ただ一人、彼を心配し助けてくれた少女、リーファがかけてくれた心からの言葉だった。リーファの安否だけは、どうしてもこの目で確かめたいという、抑えがたい衝動に駆られた。


「あぁもう!俺は、なんでこんなにも人のことが気になって、見て見ぬふりができないんだ!」


海里は、自らの安全を犠牲にしてでも、ロルカ村へ戻ることを決意した。


(何だ、身体が軽い……? 走るのが、こんなにも楽に?)


急いでロルカ村に戻ろうと駆け出した海里は、ルクスと出会う以前の自分と比較して、足が格段に速くなっていることを明確に感じた。これもまた、ルクスから託された力の影響なのか。自身の見た目だけでなく、身体能力までが飛躍的に向上したことに驚きながら、海里は荒れたロルカ村への道のりを急いだ。



想像したよりも遥かに短い時間でロルカ村へと戻ってきた海里だったが、視界のその先にあったのは、彼の知る農村の風景ではなかった。それは、見る影もないほどに徹底的に破壊され、荒れ果てた廃村だった。


「何だこれ……まさか、さっき見えた竜巻みたいな風で、こんなことに? 急に何でこんな現象が……? リーファは、どこにいるんだ……」


家屋は、巨大な力によって吹き飛ばされ、木材の残骸と化し、田畑は耕された土ごと深く抉られて荒れ果てていた。あちらこちらに村人の遺体が転がっているが、魔物に襲われたような獣の噛み傷ではない。まるで、無数の鋭い刃で全身を切り刻まれたかのような、凄惨な有様の死体ばかりだった。


崩壊した村中を、海里は絶望的な思いで歩き回り、そして、ついに探し求めていた少女の存在を見つけた。


「リーファ……!」


リーファは、全身に痛々しい傷を負いながらも、まだ微かに息をしていた。


本来であれば、遠目にも凄まじい竜巻の直撃を受けて、彼女が生きているはずはなかった。彼女が生きていられたのは、彼女を助けようとした一人の男が、覆いかぶさって盾になっていたからだ。


それは、海里を陥れた主犯の一人である、村長エルドリックだった。


エルドリックは、目を見開いたまま絶命していた。海里からすれば、この老人は自身を売ろうとした悪人に他ならない。彼が死の間際に何を思ったのか、海里には知る由もなかった。だが、彼の体がリーファを庇っていたという事実は、彼が最後にリーファを助けようとしたことを疑いようもなく示していた。


複雑な感情の渦に囚われた海里だったが、今は感傷に浸っている場合ではない。リーファの救助が最優先だった。


重そうに見えた崩れた木の柱も、ルクスの力を得た海里にとっては、なんの障害にもならなかった。彼の脚の速さだけでなく、腕力も桁違いに向上していたのだ。


崩れた家屋の残骸と、覆いかぶさっていたエルドリックの遺体の下から、リーファの身体を慎重に引きずり出すと、彼女は小さな苦悶の呻き声をあげた。


「うっ……だ、誰……?」


髪の色が大きく変わった海里を見て、リーファは目の前にいる人物が咄嗟に誰なのか判別できなかったようだ。


「俺だ、海里だ。村に異常な竜巻が見えて、心配で戻ってきたんだ」


「海里さん……? どうして、戻ってきたんですか? それに、その髪の色は一体……」


「俺にも分からない。だけど、今はもう喋らないでくれ。動かない方がいい」


そうリーファに告げたものの、海里は彼女を瓦礫から引きずり出すことこそできたが、致命的な傷を治癒させる術を持っていなかった。


(ルクスが精霊たちに頼んだみたいに生命力を分け与えることが出来れば……!)


そう願ったが、ルクスが行ったのは、己の命を海里に分け与えるという、唯一無二の献身的な行為に過ぎない。海里自身に、同じ奇跡を起こせる力があるとは思えなかった。


「ふふ」


その時、リーファが、か細い声で不意に笑った。


「リーファ?」


海里は怪訝な声を上げた。


「ここは、あなたを裏切り、騙して監禁した村人たちの村なのよ。そんな場所を、海里さんが気にして、戻ってくる必要なんてなかったのに……ごほっ」


リーファの口から血が吐き出され、海里の心は焦燥感に焼かれた。


(どうすればいい? このままじゃ、リーファの命が……助けたいんだ!助けたいんだよッ!)


自分を助けてくれた人間が、ルクスに続いてまた、彼の目の前で命の危機に瀕している。苦しそうなリーファの呼吸を聞き、自身の無力感に苛まれる海里だった。


その瞬間、彼の服の襟元に忍ばせていた、鏡花の形見であるペンダントが、突然、鈍い光を放ち始めた。


(なんで光ったんだ!?)


海里がその現象に疑問を抱いたとき、ペンダントから放たれた光は、まるで意思を持っているかのように海里の腕を伝い、彼の掌へと集中していく。海里は、その温かい光に導かれるように、無意識に掌をリーファの深く傷ついた傷口にかざした。


「治ってくれ……!頼む、治ってくれ……!」


突然の発光に動揺しながらも、海里はただ、心の底から「治れ」と念じ続けた。


すると、彼の頭の中に、ルクスから託された記憶の断片が、鮮明な映像として浮かび上がってきた。それは、ルクスが負傷した騎士を治癒する際の、知識と手順だった。


痛覚を一時的に麻痺させる、血流を操作して出血を抑える、そして、一時的に生命力を活性化させる……


ルクスが持っていた治癒の知識が、まるでペンダントから放たれた光と混ざり合っていくかのように感じられた。それは、単なる知識ではなく、実践的な技術として、海里の肉体に流れ込んでいくようだった。


彼の掌から放射される光は、リーファの身体を温かく包み込み、傷ついた細胞を急速に活性化させ、治癒を促した。光に包まれた鋭利な風の刃による傷は、瞬く間に塞がっていく。


リーファの傷は、全快とまではいかなかったものの、命に関わる出血は止まり、呼吸も徐々に緩やかで安定したものへと変化していった。


「あれ?私の傷……。まだ、死にたくないって、強く思ったから……?」


この異世界に来てから、海里の周りでは不可思議な現象ばかりが起きている。彼は、リーファの傷を癒す現象を起こした発光するペンダントと、そのペンダントの本来の持ち主である亡き幼馴染に想いを馳せた。


(鏡花、今はもういない君が、もしペンダントを通じて、リーファを助けようとしてくれたのだとしたら……本当に、ありがとう……)



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