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輪廻の檻-アステル戦記  作者: あすらりえる
第一章_転生者の原罪
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第3話:騎士ルクスと異形の魔物


「はぁ、はぁ……くそ、きりがないな……」


精緻な装飾が施された銀色の鎧を身に纏い、激しい息遣いを漏らすのは、リグリア王国騎士団の一員であるルクスだった。長身で中性的な美貌を持つ彼の短い茶髪は、剣を振るうたびに汗で額に張り付き、疲労の色を濃くしていた。現在、彼は森の奥深くで次々と襲い来る異形の魔物と対峙していた。


本来、この静謐なはずの森に生息するのは、せいぜい組織だった動きを見せないゴブリンの集団か、貪欲な狼、稀に遭遇する巨躯のオーガ程度のはずだった。しかし、ルクスが直面しているのは、彼の常識を遥かに超えた存在だった。それは、獰猛なサメの頭部と、ハイエナの斑模様を持つ頑強な胴体が不自然に融合した、おぞましい魔物だった。


「何なんだ、この魔物は.....聞いたことすらない」


ルクスは焦燥感を抱きながら悪態をついた。このような魔物の異常発生を王都に報告し、増援を求めるため、彼は他の騎士たちを先行させた。その最中に見たこともない魔物と遭遇した。


だが、彼の予想を遥かに上回る異形の魔物の数は、途切れることのない波状攻撃となってルクスの体力を徐々に、しかし確実に削り取っていった。鎧の隙間からは、無数の切り傷や打撲の痛みが伝わってくる。


思考が鈍り、集中力が散漫になり始めたその瞬間、地面の下で微かな土の振動を感じた。しかし、それはすでに手遅れだった。地中を潜行し、奇襲を仕掛けてきたサメ頭の異形の魔物は、まさにルクスの死角、背後からその巨大な顎を広げようとしていた。


(やられるっ!)


反射的に身構えたとき、彼の視界の端、背にしていた小高い段差の上から、一つの影が凄まじい飛び降りてきた。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


短い叫び声とともに、一人の見知らぬ青年が落下してきた。彼の手に握られた剣は、重力に従って真っ直ぐ下に向けられ、ちょうど土中から突き出し、ルクスに襲いかかろうとした魔物の頭部に深々と突き刺さった。


ぎしゃああああああああッ!!!


予期せぬ上空からの奇襲と、頭部への痛烈な一撃を受けた魔物は、甲高い、金属を擦るようなおぞましい咆哮を上げ、崩れ落ちた。


思いもよらない、間一髪の救援に、ルクスは一瞬呆然としたが、すぐに騎士としての職責が彼を現実に引き戻した。


「誰かは知らないが、助太刀に感謝する! 僕はリグリア王国騎士のルクスだ!」


ルクスは、剣を引き抜き、魔物の血を払いながら立ち上がった青年に対し、礼を述べつつ身分を明かした。


「俺は海里だ」


青年は、短い名乗りを返した。その顔には、どこか自己を嘲笑するような複雑な表情が浮かんでいた。


(何してるんだ、俺は……!何日か前は、ゴブリン相手に隠れてたくせに、今度はこんな見たこともない化け物相手と、本気で戦おうとしている……。本当に、何やってるんだ俺は…)


海里は、内心で渦巻く自嘲と恐怖を深く押し殺し、再び眼前のルクスへと視線を戻した。


ルクスは、海里と名乗った青年と協力し、残りの魔物たちの数を討伐し始めた。海里の戦い方は、騎士であるルクスから見ても異質だった。彼は派手な剣技や魔法を使うわけではなく、むしろ戦いに秀でているようには見えない。しかし、彼は驚くほど冷静沈着だった。襲ってくる魔物の動きを丹念に見極め、攻撃の瞬間にその勢いを利用するかのように、魔物の頭や、急所である胴体へカウンターの一撃を正確に叩きこんでいく。その卓越した相手の動きを見る目と、反射速度にルクスは驚きを覚えた。


さらにルクスを驚かせたのは、海里が剣を振るうその瞬間、まるで周囲の空間が歪んだかのように、魔物たちの動きが一瞬、不自然なほど鈍化して見える現象だった。


(風の魔法か? いや、それとも無意識下で重力の魔法のようなものを操作しているのか? 彼自身にその自覚があるようには見えないが...)


ルクスは疑問を抱きながらも、その現象が海里の防御と攻撃を助けていることを理解し、連携の精度を高めていった。


「はぁ、しかし、数が多いな」


海里は額の汗を拭いながら、冷静に現状を評した。


「海里といったね。こんな危険な魔物だらけの森で、一人で一体何をしていたんだ?」


ルクスは、海里の装備が、剣一本という、あまりにもこの状況にそぐわないことに改めて気づき、尋ねた。


「成り行きでこうなったとしか言いようがない……それより、何なんだこの頭だけサメの異常な化け物は」


海里は曖昧に答えをはぐらかし、再び魔物へと話題を戻した。


「僕が聞きたいくらいだ。このリグリア王国では、今まで一度も見たことがない種類の魔物だよ」


「そうか、じゃあ、このまま数を減らして何の問題もないんだな」


「そうしてくれると非常に助かるよ。この魔物が森の外へ出るのは防がなければならない」


魔物の咆哮が飛び交うこの場には場違いなほど冷静な会話の応酬を続けながら、二人は着実に魔物の数を減らしていった。ルクスは海里の助けを得て、先ほどよりも遥かに余裕を取り戻し、騎士としての戦闘技術を最大限に発揮し始めた。一方の海里は、この極限状態の中で、かつて培った剣道の経験と、そこで磨き上げられた集中力が、否応なしに、そして驚くべき速度で蘇ってくるのを感じ入っていた。彼の剣は、無意識の内に、この異世界での戦闘に適応し始めていた。


だからこそ、彼らの心に油断が生まれたのは、現在の状況から見ても、間違いのない事実だった。連続する激戦の中で、一瞬の安堵と疲労が混ざり合った結果、隙が生まれたのだ。


その一瞬を打ち破るかのように、轟音とともに森の大地を揺るがす、凄まじい質量を持った気配が急速に近づいてきた。その地響きは、まるで大地そのものが悲鳴を上げているかのようだった。海里とルクスが反射的にその方向へと視線を向けると、木々の間をなぎ倒しながら、一際巨大で異様な威圧感を放つ魔物が地上に姿を現したところだった。


その魔物は、これまでに遭遇したサメ頭の異形の魔物たちの群れとは一線を画していた。大きさは比較にならないほど巨大で、その質量が移動するたびに、周囲の空気までが圧縮されるかのような錯覚を覚える。さらに目を引くのは、その体躯の色だった。通常のサメ頭の魔物が持つ灰色がかった皮膚ではなく、赤黒く、まるで血と溶岩を混ぜたような禍々しい色に染まっていた。


四足歩行の巨大な獣には、圧倒的な重量感があった。地面を踏みしめるたびに、震えるような圧力が二人にまで伝わってくる。ルクスの疲弊した身体には特に堪える重圧だった。サメのような頭部こそ、周囲を包囲している異形の魔物たちと同じ形状に見えるが、その頭部に刻まれた無数の傷跡と、深紅に光る眼は、もはや別の生命体、あるいは上位種と呼ぶべき存在に見えた。全身は黒に近い暗色の硬質な鱗にびっしりと覆われており、その鱗の間からは、硬質で刺々しさを感じさせる、鋭利なスパイクが、甲冑のように整然と並び立っていた。それは触れるもの全てを切り裂くための武器のように見えた。


ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!


赤黒い巨大な魔物は、その威容に見合う、天地を揺るがすほどの凄まじい咆哮を上げた。その音波は単なる叫びではなく、強力な威嚇であり、物理的な衝撃波を伴って二人に襲いかかった。


突如として放たれたこの咆哮に、海里とルクスの二人は動きを止めることを余儀なくされた。海里は咄嗟の判断で、リーファから譲り受けたぼろぼろの外套で両耳を覆い塞いだため、辛うじて咆哮の直接的な影響を抑えることができた。


しかし、ルクスは違った。彼は限界が近い状態で、既に自身の魔力を最大限まで絞り出しながら戦っていたため、咄嗟の防御行動を取る余裕がなかった。咆哮をまともに浴びてしまい、その強力な音圧と魔力の波動の影響を受けて、彼の身体は一瞬硬直したかのように、未だ動き出せずにいた。


「くっ!」


巨大な魔物は、ルクスを獲物にと瞬時に見極めていた。動けないルクスに狙いを定め、巨体を揺るがしながら、信じられない速度で距離を詰めてきた。その鋭い牙がルクスの身体に到達する――まさにその直前、海里は反射的に、ほとんど無意識のうちに身体を滑り込ませていた。ルクスを庇うという行動は、もはや彼にとって考えるまでもない、当然の選択となっていた。


ルクスを覆い隠すように割り込んだ海里の身体を、赤黒い巨大な魔物の鋭い牙が、深々と抉った。海里は咄嗟に、リーファから渡された剣で身を守ろうとしたが、その剣は、上位種の持つ鋭い牙の前には、あまりにも無力だった。甲高い金属音と共に、剣は乾いた音を立てて砕け散った。剣を砕かれ、さらに脇腹に裂傷を負った海里は、その衝撃で地面を跳ねながら、まるで軽い木の葉のように吹き飛ばされた。


意識が遠のく中で、海里は必死に身体を起こそうとした。湧き上がる激痛と、どうしようもない状況に、彼は自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。


「がぁ!あぁ、子供を庇った次は、鎧を着た騎士を庇うのか俺は。異世界に来たと思ったら、すぐに監禁されて、脱出した先でサメ頭の魔物にやられてまたすぐに死にそうになるなんて……。本当に、なんの冗談なんだか……」


自嘲と、そして自身の運命に対する諦念にも似た呟きが、血の混じった唾とともに漏れた。

攻撃を食らい、吹き飛ばされた海里の姿を見たルクスは、一瞬の硬直から解放された。彼の瞳に、海里への申し訳なさと、魔物に対する激しい怒りが灯った。彼は全ての意識を目の前に悠然と佇む巨大な魔物へと向けた。


「やってくれたな、魔物。これ以上は、断じてやらせない」


ルクスがそう言い放つと同時に、彼の右手に握られた剣に、周囲の光を吸い込むかのように魔力が集まり始めた。やがて、その光は剣全体を覆い尽くし、薄暗い森を照らすかのような、眩い光を放つようになった。それはただの光ではなく、神聖な力を帯びた、純粋な魔力の塊だった。


強烈な光を放つ剣に、目の前の赤黒い巨大な魔物は、一瞬たじろいだ。その上位種であるにもかかわらず、本能的にその光の力を危険だと察知したのだろう、眩しそうに目線を反らした瞬間を、ルクスは見逃さなかった。騎士としての経験と、限界を超えた集中力が、彼にこの一瞬の隙を捉えさせた。


魔物との距離を一息の間に詰めたルクスは、地面を力強く蹴りつけ、そのまま跳躍した。彼の身体は光を帯びた剣の軌跡に合わせて宙を舞い、大きく振りかぶられた剣は、太陽の光そのものを具現化したかのように輝き、赤黒い巨大な魔物の頭部、特に弱点であろう眼窩を目掛けて斬りつけた。


「くらえええええッ!!!!」


ルクスは、そ騎士としての誇りと、海里を倒された怒りを込めた叫びとともに、剣に集めた膨大な光の魔力を一気に放出した。


光の奔流が魔物に直撃した瞬間、まるで太陽が地上で爆発したかのような閃光が放たれた。その光は、周囲の深い森の木々を、昼間のように白く照らし出し、一瞬にして影を消し去った。

ルクスの放ったその一撃は、赤黒い巨大な魔物の右目を、抉り取るように深く傷つけた。硬質な鱗に守られた頭部から、血飛沫が飛び散った。


ぐおおおおおおおおおおおおおっ!


右目を潰された魔物は、これまでの咆哮とは異なる、痛みと怒りが混ざったような咆哮を上げた。残った左目でルクスを睨みつけた赤黒い巨大な魔物は、現れた時と同じく、その巨大な身体を土中へと潜航させ、急速に2人の前から離脱していき、その気配は信じられない速度で遠ざかっていった。上位種の魔物の撤退に伴い、周囲を包囲していたサメ頭の異形の魔物たちも、まるで糸が切れたかのように、一斉に土に潜って後を追うように撤退していった。


森に再び訪れたのは、魔物たちが去った後の、血と土の臭いが混じった、重苦しい静寂だけが残された。



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