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輪廻の檻-アステル戦記  作者: あすらりえる
第一章_転生者の原罪
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第2話:因縁の片鱗

海里が次に目を覚ましたのは、意識を失う前とは全く異なる、暗く、狭く、冷たい石造りの倉庫の中だった。身体は後ろ手に荒縄で雁字搦めにされ、猿轡のように布が口に押し込まれていた。冷たい土壁に背中を預けながら、海里は改めて、バルドたち村人からの裏切りを骨身に染みて実感する。


温かく迎え入れてくれた彼らの笑顔が、実は最初から自分を転生者という金になる商品としか見ていなかったという、冷酷な事実に直面し、海里の胸の奥底は氷塊のように凍り付いた。激しい怒りと、利用されたことへの虚しさが胸を支配する。しかし、この絶望的な状況下で、海里は感情に流されることを拒んだ。


(訳が分からないまま、このまま大人しく売られてたまるか……! どんな目に遭うか分からない、教団とやらの手に渡るなんて、絶対に嫌だ……!)


教団なるものに引き渡された後の運命を想像するだけで、身の毛がよだつ。


恐怖を感じるとともに、海里の胸の奥底に、鉛のように重い罪悪感が膨れ上がる。それは、一年前、自分の目の前で命を落とした幼馴染の少女を救えなかったという、拭い難い後悔の念だった。


まるで呼吸をするかのように、その重い罪悪感が海里の心臓を締め付け、息苦しさを覚える。その重さに耐えきれず、彼は無意識に、ただその一点のみを求めて、心の中で切実に呟いた。


(この重さから、解放されたい……)


その瞬間、海里の指先に触れていた荒縄が、まるで何かの見えない力によって、圧縮されたかのような、異常なまでの重さを帯び始めた。


「……っ!?」


海里は、自身の指先が、信じられないほどの重力に引かれ、縄にめり込んでいくような、奇妙で痛々しい感覚に戸惑った。咄嗟にその力から手を引こうとするが、不思議なことに、一度発動したその力は、彼の意思とは無関係に止まらない。


縄は、その異常な重さに耐えきれず、まるで鋼鉄のワイヤーが破断するかのように、ブチッという乾いた音を立てて千切れ、バラバラと無力な切れ端となって冷たい土の上に落ちた。


海里は解放された両手を見つめ、何が起きたのか理解できず、ただ茫然自失とする。しかし、この場から一刻も早く逃げ出すことが最優先だと、本能が叫んでいた。彼は口に押し込まれていた布を荒々しく吐き捨てると、静かに、音を立てないように倉庫の分厚い木製扉に手をかけた。

扉には、鍵がかけられており、固く閉ざされている。脱出を阻む鍵を前に、海里は再び絶望の淵に立たされかける。しかし、彼は先ほど、縄を切断した自身の不思議な力を思い出した。


海里は意を決し、意識を集中して、扉にそっと手のひらをかざした。


「重くなれ……、歪め……」


彼の内なる感情の重さが増すにつれて、扉の鍵部分が、まるで粘土細工のように、不自然に「重力で引き伸ばされた」ように歪み始めた。ギィ、という金属の悲鳴のような音もなく、鍵は物理的な抵抗を失い、静かに、しかし確実に開いた。


(……! これが、バルドが言ってた魔法、なのか?)


海里は、この現象が魔法なのかどうか確信が持てず戸惑う。だが、その力には、炎を出す、風を起こすといった、一般的な魔法に連想されるようなものは感じられない。ただ、自分には重くする、歪ませるという、純粋な物理法則をねじ曲げる性質があることは理解できた。


海里はゆっくりと扉を押し開け、外の様子を細心の注意を払って伺う。

そして、扉を開けた先で丁度やって来たという様子の、泣きはらした顔をした少女、リーファがそこに居た。


「ごめんなさい、海里さん……。私、村長さんとバルドたちが、あなたをこんな目に遭わせてたなんて、知らなかったの」


リーファは、震える声で謝罪しながら、海里を隠れるように倉庫から連れ出した。そして、彼女は小さな包みから、簡素な村人の服と、顔を隠すための深緑色の外套を海里に差し出した。


「これに着替えて。あなたの髪の色は、この村ではあまりにも目立ってしまうから」


「ありがとう、リーファ……」


海里は、彼女の服に急いで着替えながら、複雑な心境に囚われた。金銭のために売ろうとしたことが村の総意ではなかったことに、わずかな安堵を覚えた。


「海里さん……剣を使ったことはある? 少しでも戦える?」


リーファは、村の共同倉庫の隅から、手入れはされているものの、長年使い込まれた様子の簡素なロングソードを一本取り出し、海里に手渡した。


「似たような武器なら、経験がある。扱えると思う」


海里は、その剣の柄をしっかりと、力強く握りしめた。

リーファは、涙ぐみながら、震える声で今後の道筋を海里に示した。


「他の村人たちがあなたの脱走に気づく前に、一刻も早く逃げて。この先には、王都に繋がる街道がある。でも、今はそっちに進んじゃダメ。王都へ向かったバルドが、きっともうすぐ教団の人間を連れて、この街道を通って戻ってくるはずよ。だから、遠回りになってしまうし、魔物が出るって分かっているけど、森を経由して王都方面へ逃げて。人が多い王都に行けば、海里さんの外見の珍しさも隠せるはずだから」


「……わかった。君の忠告に従う。本当にありがとう、リーファ」


海里は、リーファから受け取った、数枚の銀貨が入った小さな革袋と、食料、満たされた水筒を、外套の内側にしっかりと握りしめた。彼は迷いを断ち切り、静かに、そして素早く、村の裏手にある薄暗い森の入り口へと向かった。


「気をつけて、海里さん……!」


背後から聞こえるリーファの切実な言葉に、海里は「あぁ」と応え、振り返らずに森の深い闇の中へと走り込んだ。ちらりと背後を振り返ると、リーファがまだその場に立ち尽くし、こちらを見ていた。彼女の表情は、助けることが出来た安堵安堵に満ちていた。最後に海里は彼女に一礼して森の中へ舞い戻った。


森の中に、ゴブリンのような魔物が潜んでいることは分かった。しかし、今の海里にとって、エルドリックやバルドといった、裏切りと打算に満ちた人間の方が、魔物よりも遥かに恐ろしかった。それでも、村人たちの思惑に反して、危険を顧みず自分を助けてくれたリーファへの、深い恩義には必ず報いたいと思っていた。


                             □■□■□■□



どれくらいの時間が経過しただろうか。森の中をひたすら進み続けた海里は、リーファが手渡してくれた食料を少しずつ口にしながら、休息も最小限にして歩を進めた。


午前か午後かも判別しにくい、薄暗い森の奥深く。彼の耳に、突然、金属と金属が激しくぶつかり合うような音と、それに混じる獣のような微かな唸り声が届いてきた。


(何だ? ゴブリンのような魔物と、誰かが戦っているのか? こんな森の奥で……)


海里は警戒心から、剣を構えながら慎重に音の元へと近づき、視界が開ける直前の、太い樹の陰に身を隠して音の正体を覗き見た。


海里が立っているのは、小高い段差の上だった。正面に視線を向けると、森の木々が一部伐採されたかのように開けた場所があり、そこで一人の若い男性騎士が、複数体の魔物と激しく戦闘を繰り広げていた。


男性騎士は細身ながら、鍛え上げられた高身長の体格をしていた。短く整えられた茶髪が端正な顔立ちを際立たせ、重厚な銀色の全身鎧を、まるで軽装であるかのように難なく着こなしている。白い胸当ては彼の厚い胸板を強調し、片手で大型のブロードソードを構える姿からは、並外れた腕力と、長い戦いで培われた騎士としての経験が感じられた。


しかし、その男性騎士が戦っている相手は、数日前に見たような矮小なゴブリンではなかった。


それは、鋭い牙と獰猛な目を備えたサメのような頭部と、ハイエナの持つ筋肉質な斑模様の身体が合わさった、およそ自然界の法則を無視したかのような異形の魔物だった。背中に複数生えた赤黒い背びれは、乾いた鱗に覆われ、獲物を捉えるという本能的な恐怖を赤い光を放つ目から感じさせた。その異形の魔物が群れを為して、騎士を執拗に襲っていた。


挿絵(By みてみん)


(なんだ、あの魔物!? サメとハイエナが合体したような……。何日か前に見たゴブリンのほうが、まだ可愛らしく思える……)


海里が思わず怖気づいたその魔物は、凶悪な姿をしていた。異形の魔物は、サメのような巨大な頭部を左右に振り回し、その鋭利な牙を剥き出しにして騎士に噛み付こうと襲いかかる。ハイエナのような四肢は、見た目の重々しさに反して驚くほど俊敏で、獲物である騎士の動きを巧妙に翻弄していた。


男性騎士は、既に限界を迎えている様子だった。剣を構える腕は細かく震え、その呼吸は肺から絞り出すように荒い。鎧の隙間からは、既に深々とした傷から滲み出た鮮血が滴り落ちていた。それでも、彼は騎士の矜持をもって必死に剣を振るい、異形の魔物の波状攻撃をどうにか捌いていた。彼の剣さばきは、海里が知る日本の剣道とは根本的に異なる、しかし、洗練され尽くした剣術の極みのようなものだった。


だが、異形の魔物の数は多く、騎士は明らかに不利な状況で次第に追い詰められていく。


(助けるのか……? 俺が、あの騎士を……?)


海里の脳裏に、ロルカ村で監禁され、モノとして扱われた時の、あの冷たい倉庫の恐怖が鮮明に蘇る。この異世界の人間を助けたことで、再び自分が転生者だと知られてしまえば、また同じように裏切られ、金銭目的で売られるかもしれない。いや、それどころか、この凶悪な異形の魔物に襲われれば、今度こそ本当に命を落とすかもしれない。


(でも……このまま、見て見ぬふりをして、見殺しにするのか……?)


彼の視線の先で、騎士が一体の異形の魔物の体当たりを受け、大きく体勢を崩した。重厚な鎧が地面に叩きつけられる、その鈍い衝撃音が、海里の胸の奥深くに響いた。

その光景が、海里の心を強く、激しく揺さぶった。


(また、だ……!俺の目の前で、人が、死の危機に瀕している)


彼の胸の奥底で、一年前の事件以来、常に存在し続けた鉛のように重い痛みが、激しく疼き始めた。一年前に守れなかった幼馴染の少女の、絶望に歪む顔が脳裏をよぎる。あの時と、状況は違えど、本質は同じだ。


(違う! 俺はもう、二度と、あの時の後悔を繰り返さない……!見殺しにはしない!)


海里は、リーファから手渡された使い古しの剣の柄を、血が滲むほど強く握りしめた。その手は、恐怖でかすかに震えていたが、彼の青い瞳には、迷いを断ち切った、確固たる決意の炎が宿っていた。

海里は、目の前の騎士を救いたいと願い、隠れていた樹から身を乗り出した。




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