第18話:空白の歴史
冒険者となって以降、海里は王都にある冒険者用の宿を拠点として、着実に経験を積み重ねていった。最初の依頼を皮切りに、彼は様々な依頼を順当にこなしていった。魔物の討伐や採取依頼といった、大小様々な依頼をこなすうちに、海里の冒険者としての評価は少しずつではあるが、着実に上がっていった。
初めての依頼で彼に薬草採取を頼んだアルベールからも、
「いやぁ、本当に助かるよ海里くん。まさか、あんなに早く質の良い薬草を集めてもらえるとはね。おかげで調合がスムーズに進んだよ。ありがとう、これからも良い付き合いをよろしく頼むよ」
目の下に濃い隈をこさえているアルベールは、疲れた目を細めて、心底感謝している様子で頭を下げた。海里は少し照れながらも、「いえ、当然のことをしたまでです」と謙遜して返した。アルベールは彼の誠実さに、さらに好感を抱いたようだった。
その後も海里は、リズ、レンの二人とともにパーティを組み、複数回にわたって依頼を受けた。リズの的確な情報収集能力と、レンの豪快な戦闘能力は、まだ戦闘経験そのものが浅い海里にとって大きな支えとなった。
そうして一つ一つ実績を積み重ねることで、海里はリグリア王国の中で、一介の新米冒険者から、信頼に足る存在へと、着実にその名を広げていった。
一方で、最初の依頼以降、傀儡となった魔物や賊と遭遇することはなかった。
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ある日のこと、海里は、以前から考えていた王都の図書館へと足を運ぶことにした。リグリアに来て日が浅く、ある程度の情報はルクスから託された記憶で知っているものの、改めてこの国の歴史、そして自身の置かれた状況の根源を知りたいと強く願った。
そして、図書館の重厚な石造りの入り口をくぐろうとした、まさにその時、彼は予期せぬ人物と出くわした。
「リズ、何でここに?」
海里は驚きを隠せずに尋ねた。そこにいたのは冒険者ギルドの先達のリズがいた。彼女は相変わらずの、しかしどこか知的な雰囲気を纏っていた。
リズは海里の問いかけに、ふっと口元を緩めて答えた。
「海里こそ。私は本の虫でもあるから、図書館にはよく来るのよ。それに、色々な調べものをするにも、ここが一番都合がいいでしょう? 海里は何を調べに来たの?」
「俺はリグリアに来てまだ日が浅い。伝え聞いていること以上の、この国の、もっと深い歴史を知りたいんだ」
海里は正直に目的を告げた。彼は、転生者としての自らの素性や、この世界に来た経緯など、口には出せないが、それら全てに繋がるであろう歴史の真実を探求したかった。
するとリズは、得意げな表情に変わり、少し芝居がかった口調で胸を張った。
「そう。ならば、この王都図書館の常連にして、情報通であるこの私が、海里に色々と教えてしんぜよう」
「……何だ、その口調?」
海里は、彼女の突然の情報通ぶりと、古風で大仰な話し方を訝しみながらも、彼女の知識が役立つであろうことを予感した。二人は軽口を交わしつつ、並んで王都の図書館へと足を踏み入れた。
王都の図書館は、その外観の豪奢さだけでなく、内部もまた目を見張るものがあった。広大な空間にはずらりと本棚が幾重にも並び、整然と並べられた膨大な蔵書量が、この国の知識の深さを物語っていた。
受付で手続きを済ませた海里に対し、リズは慣れた様子で図書館の利用方法を説明し始めた。
「まずは、そこの受付横にある巨大な木製目録を頼りに目星をつけるのが基本よ。調べたい言葉で索引を辿れば、目的の本がある区画と棚の番号が書いてあるわ。それと、ここに置いてある小型の羊皮紙のメモと筆を借りて、本の場所や気になる情報を書き留めておくといいわね。膨大な本の中から、目当ての一冊を探すのは、忍耐がいる作業よ」
「分かった。すごい蔵書量だな」
海里は素直に感嘆の声を漏らした。
本来、異世界から来た海里には、この世界の文字を読むことも、書くこともできないはずだった。ここでもルクスの記憶が海里を助けた。彼から託された記憶と知識のおかげで、海里は難なくこの世界の文字を理解することができた。
海里が本当に知りたいのは転生者に関する情報だ。
リズは、海里が目録を眺めている間に、この図書館に関する補足情報を加えた。
「この図書館の蔵書は、今から五十年前に、この国で周知の事実となっている第一転生者を倒すための大きな戦いがあった際、リグリアの建国者である当時の国王が、戦いの終結後にその知識の全てを後世に残すために集めさせたものだそうよ。だから、アステル大陸全土の歴史や地理に関する書籍が、ここには集められていると言われているわ」
「……そうか」
海里の心の中で、一つの重要な事実が結びついた。
(ここで、アステル大陸に悪名を残したという第一転生者の存在が出てくるか。この国の歴史の中心にあるのか。リグリア王国の建国や歴史の情報と合わせて、その第一転生者についても詳しく確認してみるべきか。)
リズは海里の思索を知る由もなく、自らの目的を思い出したように言った。
「じゃあ、色々と気になる言葉で目録を辿ってみるといいわ。わたしは、今の私の研究に役立ちそうな魔法の知識に関する本を漁ってみるから」
そう言い残すと、リズは海里から離れ、専門書が並ぶであろう図書館の別の区画へと、颯爽とした足取りで去っていった。
海里は一人で調べものに没頭できる状況を歓迎した。ルクスの記憶を最大限に活用して深く集中し始めた。彼はまず、この図書館の成立のきっかけとなった第一転生者とアステル大陸の成り立ちという二つの言葉から、歴史の糸口を辿り始めることにした。
海里は五十年経っても悪い意味で名前を残す第一転生者が、どんな人物だったのか知りたかった。彼は巨大な目録を辿り、いくつかの歴史書を突き止めると、それらの場所へ足を運び、分厚い本を何冊も机に運び込んだ。
しかし、その考えは早々に諦めることになった。なぜなら不自然なほどに情報が見つからなかったからだ。
歴史書や公的な記録を載せたと思われる本を読み進めても、得られた情報は全くの空振りで、
— 第一転生者とは、五十年前のアステル大陸で大きな災いとなった悪しき存在 —
という極めて抽象的な、情報ともいえないものが得られただけだった。名前や性別すら分からなかった。
(これじゃ、何も分からないのと大差がない.....)
収穫といえたのは、第一転生者を倒すために尽力したのがリグリア王国の建国者とその仲間たちであり、ともに戦った仲間の中に第二転生者と呼ばれる人物が存在したことは記録に残っていた。しかし第一転生者同様に情報といえるほどの記載はなく、名前や性別も分からなかった。
(転生者が転生者を倒した......。それにしても、何でここまで過去に存在した転生者の情報が少ないんだ!?)
海里は頭を抱えて、過去に存在した転生者の情報集めを断念した。
海里は次にアステル大陸全体の情報を調べ始めた。ルクスの持つ記憶と自身の記憶の齟齬を埋めるためだ。しかし、いざ調べ始めると今度は情報量の多さに眩暈が襲ってきた。
現在のアステル大陸は、五十年前に起きた第一転生者をめぐる戦いの後、四つの国が建国されている。
■ アステル大陸東部:リグリア王国
肥沃な土地を有し、第一転生者の討伐に尽力した男が建国者。建国者自身は存命であるものの、無理がたたり寝たきりとなっている。
王国内には異なる二つの騎士団が存在しており、白銀騎士団と黒曜騎士団と呼称されている。また、十年前までは三つの騎士団が存在していたが、十年前のグランドヴェルク連邦との国境で生じた事件で壊滅。僅かに生き残った生存者は国を出奔し事件の詳細は不明。一連の事件の責任を追及され、当時の王は失脚。現在は宰相が補佐を務めるかたちで失脚した王の親族が国王となっている。
リグリア王国とアリーナポリス自由都市連合との中間に位置する大陸東南にエルフ族の聖地となる広大なアウロラの森が存在している。エルフ族は、白銀騎士団団長の『雷針』ゼファー個人と友好関係を結んでいる。
■ アステル大陸北部: グランドヴェルク連邦
北の山間地域に、魔法を使えないことで第一転生者に迫害、奴隷として酷使された者たちが興した国。
リグリア王国との国境付近に重要な採掘拠点が存在しているが、十年前に発生した事件の折、件の採掘拠点にも被害が発生。以来、リグリア王国との関係性に緊張性が危ぶまれており、国境の砦に守備隊が配置されている。過去の経緯から第一転生者の復活を謳うヴァルハイト聖国関係者、輪廻教団の入国を固く禁じている。
■ アステル大陸南部: アリーナポリス自由都市連合
海に面した南の商業都市。複数の商業都市が連携しており、情報や多様な人々が集まる交易を重視している。商才に長けた者、自由な気風、活気、情報網、富と娯楽要素が合わさり、海洋貿易も盛んである。最も人気があるのは、所属国家関係なく出場可能な闘技場での戦い。
■ アステル大陸西部: ヴァルハイト聖国
第一転生者討伐を果たした第二転生者が建国した法国で、輪廻教団の総本山。存命している第二転生者が教皇を務めている。聖女が教義を各地で喧伝し、七元徳と呼ばれる幹部連が存在し、各々が裁量を持って各地で活動している。
■ アステル大陸の中心:星蝕の地
かつて第一転生者の手で繁栄を極めた王国の跡地。五十年前の大戦が起きた場所で、現在は瘴気が吹き荒れ、何人たりとも近づくことが叶わない魔境。
ここまでアステル大陸の情報を一気に見て、海里は再び頭を抱えて机に突っ伏した。
(今度は、情報量が……情報量が多すぎる。膨大な知識が、まるで嵐のように脳内を駆け巡り、ルクスから継承した記憶の断片と混ざり合うみたいだ。しかし、それだけじゃない……)
海里は、ルクスの記憶と符合する部分も多いことに安堵しつつも、自分の頭が沸騰しそうな感覚に襲われた。
(気になる点が多すぎるッ!!!頭を落ち着かせるために宿に帰ったら今日は早く寝よう)
そう思い、海里は調べた点を簡潔にまとめようとした。
すると、
「海里、まだ調べてるんだね。すごく熱心ね」
「.....リズ?」
いつの間にか横にリズが、音もなく立っていた。




