第17話:黒髪の男を探す者
冒険者ギルドで受付をしているマーカスは、依頼から戻ったばかりの海里、リズ、レンの三人の疲れた様子を静かに受け止めていた。
海里が森で起きたことの口火を切り、今回の依頼中に、オーガをはじめとした魔物の群れを傀儡にしていた双子の賊についての詳細を報告し始めた。リズとレンがそれを補足し、魔物を操っていたのが傀儡魔法であり、去り際にイザベラと呼ばれた女が口にしたディランと呼ばれた賊の名前を伝えた。報告が進むにつれて、マーカスの顔の皺が一段と深くなったように見えた。
全ての報告を終え、三人は固唾を飲んでマーカスの言葉を待った。
やがて、マーカスは深く息を吐き出し、まるで彼らの心労を慮るように、低く、しかし温かみのある声で告げた。
「……お前ら、本当によくやってくれた。しかし、大変だったな」
その言葉は、彼の心からの労いを含んでいた。
「「「大変だった」」」
三人の声が、重なるようにして響いた。それは本心だった。今回の依頼は、想定外の事態の連続で、肉体的にも精神的にも限界だった。今はただ泥のように眠りたい。三人とも、それだけだった。
マーカスは机の引き出しから、ずっしりとした革袋を三つ取り出し、彼らの前に滑らせた。
「これはお前ら個人個人の依頼の報酬だ」
さらに、彼は続けた。
「それと、オーガを操っていた双子の賊の件は、冒険者ギルドだけでは手に余ることになるだろうな。賊が使っていた傀儡魔法、そして背後にいると思しきディランという名前。これは騎士団にも共有が必要な、重要な情報だ」
マーカスは顎に手をやり、思案するように目を細める。
「お前たちが持ち帰った情報は、非常に貴重だ。情報を知らねぇと、それが原因で命を落とすことにもなるからな。だから、この貴重な情報提供に対しては、ギルドからも追加報酬が出るから期待して待ってろ」
「本当!?」
追加報酬という言葉に、一番に反応したのはリズだった。彼女の疲れ切っていた瞳が、瞬時に宝石のように輝いた。金銭的な報酬は、彼女にとって最高の回復薬だった。
「ああ、本当だ。注意すべき貴重な情報ってのは、それ自体に価値がある。情報を知らねぇでいたら、それが原因で死ぬ奴なんてごまんと見てきたからな。」
マーカスのその言葉には、彼が長年の経験で見てきた、多くの教訓が込められていた。それは三人の胸に響いた。
「ところで、一つ確認したいことがある。お前ら、イザベラって女が言ってた賊の名前はディランで間違いないんだな?」
繰り返し確認するようにマーカスは質問をしてきた。彼の視線は海里を射抜く。
「ディランって奴はその場にいなかったけど、確かにそう呼んでいたぞ」
海里ははっきりと答えた。
「そうか……」
マーカスが難しそうな表情を浮かべる。
レンが、彼のその様子を何事かと尋ねた。
「マーカス、ディランって名前の奴を知ってるのか?」
彼は一度言葉を飲み込むように沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「俺が知ってるのは名前だけだ。もしかしたら、他人と同じ名前なだけかもしれねぇ。だがな、双子の賊が魔物を集団で操っていた。そんなことができるのは、傀儡魔法の才能があっても、教えられる奴がいなけりゃ無理だ。ガキンチョだけで使えるはずがねぇんだ」
彼はギルドの窓の外、薄暗くなった空を見つめた。
「もし、魔物を操る賊の背後にいるのが、俺が知ってるディランと同一人物なら……話は別だ。そいつは、ただの賊じゃねぇ。」
マーカスの声には、明確な警戒の色が滲んでいた。
「その名前の人物には、俺たち冒険者ギルドよりも、騎士団連中のほうがずっと詳しい。もし同一人物なら、騎士団は確実にこの件に黙ってはいねぇだろうな。最優先で動くことになるはずだ」
そうマーカスは締めくくった。彼の言葉は、この事件が単なる討伐依頼の枠を超え、重大事態へと発展していることを示唆していた。
「今日はもう帰っていいぞ。報告ありがとな。追加報酬については、進展があり次第、すぐに連絡させるから。お前らは、しばらくゆっくりと休め」
海里たち三人が出ていき、扉が閉まると、マーカスは一人でディランという名前を、頭の中で反芻していた。彼の脳裏には、過去の国境で発生したリグリア王国にとっての忌まわしい事件の記録が鮮明に蘇っていた。
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冒険者ギルドの扉を開け、海里たちは王都の喧騒の中へと足を踏み出した。夕刻が近づき、オレンジがかった柔らかな光が石畳の上を照らしている。ギルド内の熱気と喧騒から解放され、彼らはほっと息をついた。
「それにしても疲れたなぁ。今日は良く寝れそうだよ。あの双子に遭遇して振り回されたせいで、もうへとへとだ」
レンは大きく伸びをして、全身の凝りをほぐすように肩を回した。その顔には、今日の激しい依頼と、予想外のトラブルに巻き込まれたことによる疲労がありありと浮かんでいた。
「私は採取を終わらせたら、すぐにでも調合に取り掛かりたかったのに、あの双子のせいで貴重な時間を奪われた。許すまじ.....。」
リズは不満を露わにし、眉間に深い皺を刻んでいた。彼女の計画的な生活リズムを崩されたことへの怒りは相当なものらしい。
レンとリズは思い思いに今日の出来事や、今後の予定について話す。その言葉の端々から、冒険者としての日常と、共に乗り越えた依頼への達成感が滲んでいた。
「俺は二人のおかげで、助けられただけじゃない。パーティー戦の大事さが本当によくわかった。今までも複数人で魔物と戦う場面はあったけど、それはあくまで個人個人の戦闘の連携でしかなかった。でも、今日は互いの役割を理解し、補い合う本当の戦いを経験できた。いい経験になったよ」
海里は素直な感想を述べた。ルクスとの別れ以降、様々な経験を積んできたが、リズとレンという確かな実力を持つ二人との共闘は、彼にとって大きな学びとなった。単独行動では得られない安定感と力強さを感じさせた。
冒険者ギルドを出た後、各々が感じたことを話す海里たちだったが、その時、穏やかな声が三人に向かってかけられた。
「そちらの冒険者のお三方、少々お聞きしたいことがあり、お時間をいただけますか?」
海里たちは立ち止まり、声の主を振り向いた。そこに立っていたのは、一人の青年だった。
その青年は、全身を黒で統一した服装を身につけていた。上着は、足首まで届きそうな丈の長い黒いローブ、あるいは神聖な儀式を思わせる司祭服のような形状をしており、生地は上質で微かに光沢を放っていた。首元はしっかりと詰まっており、その下に銀色の十字架のペンダントが、まるで呼吸をするかのように静かに、しかし確かな存在感をもって輝いている。腕元はぴったりとした袖のインナーで覆われ、足元もまた黒い仕立ての良いズボンに、歩きやすそうな黒いブーツを合わせていた。その装いは何らかの組織に属していることを示唆していた。
その言葉遣いは、極めて丁寧で、不気味なほど礼儀正しかった。まるで貴族の作法を学んだかのように洗練されている。柔和な笑みを浮かべており、人当たりの良さそうな、どこか浮世離れした雰囲気を持つ青年だった。髪は手入れが行き届いた金髪を少し伸ばしており、その容姿だけを見れば、一見するとごく普通の、むしろ絵になるような好青年である。
しかし、彼を見たレンは、その顔を露骨に歪め、迷惑そうな、あるいは警戒心を剥き出しにした目を向けた。
「輪廻教団......」
レンの呟きは、その青年が何者であるかを瞬時に示していた。海里とリズの間にも、わずかな緊張が走る。
「勧誘なら間に合っているわ。見ての通り私たちは疲れている。何か質問があるなら、早く言って」
リズは青年が話し出すのを遮るように、苛立ちを隠さずに問いかけた。輪廻教団の人間が冒険者に接触する場合、勧誘であることが多い。彼女はそういった厄介事を一刻も早く終わらせたいという意志を込めて、冷たい視線を投げつけた。
青年はリズの露骨な態度にも動じることなく、優雅に微笑んだ。
「それは大変失礼をいたしました。お疲れのところを誠に申し訳ございません。それと、勧誘ではございません。お聞きしたいのは、最近、この王都、あるいは周辺で、黒髪の男がやって来たという情報をご存知ありませんか?冒険者の方々であれば、酒場やギルドで、色々な方と接する機会が多いと思いまして」
「......ッ!?」
その質問を聞いた海里は、心臓が跳ね上がるのを感じた。内心で激しい焦燥感が彼を襲う。ロルカ村で海里を教団に売ろうとしたバルドは、海里の黒髪黒目という特徴がこの世界では極めて珍しいと口にしていた。
今の自分は、ルクスから力を託された影響で、髪は黒から茶色に変化している。そのため、教団が探している「黒髪の男」という特徴には合致しない。
しかし、この質問は、彼が予想していた最悪の事態が既に進行していることを示していた。バルドによって、彼の外見的な特徴や存在が既に教団に伝えられており、知らぬ間に教団の捜索の対象となっていたことを理解し、背筋に冷たい戦慄が走った。
同時に、海里は「黒髪の男」という限定的な言葉に、わずかながら安堵も覚えた。茶色がかった髪色のおかげで、少なくとも今は、教団の目を欺くことができるかもしれない、と。彼は焦燥と安堵が外からは見えないよう、必死に平静を装った。
「知らないわ。そんな珍しい人がいるなら、私たち冒険者じゃなくても、酒場や街の噂で、なにかしら話題に上がるはずよ。私たちは見知らぬ人探しにこれ以上協力している暇はないわ」
リズは教団の関わる面倒事に巻き込まれたくないという強い意思から、きっぱりと拒否した。
「なぁ、もう行っていいよな?俺たちは本当に疲れているんだ」
レンもまた、教団の人間と長話をするのを嫌がり、早く立ち去りたいという思いで声音を尖らせた。
青年は、一切の不快感を表情に出さなかった。
「ええ、勿論です。貴重なお時間を取らせてしまい、大変申し訳ありませんでした。冒険者の皆様のご活躍をお祈りしております」
そういって、輪廻教団の金髪の男は、深々と頭を下げ、それから優雅に海里たちに背を向けて、人混みの中へと静かに去っていった。その去り際には、次の行動へと移ろうとする意思のようなものが感じられた。
三人は、その場から動けずに、青年の姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
「.......何だったんだ一体?」
レンは、まだ警戒を解けない様子で、去っていった方向を睨みながら話す。
「言葉通り、人探ししてるんだろうけど、輪廻教団が注目するとなると、やっぱりそれは転生者ってことかしら?......」
リズは、顎に手を当てて、静かに考察を巡らせた。輪廻教団が転生者に尋常ではない関心を示していることは、疑いの余地はなかった。
「もし新しい転生者が現れたら、この世界にどういう変化が起きるんだろうな?」
外見が変わったおかげで、先ほどの教団の男の質問から一時的に逃れることができた海里は、自分が転生者であることを伏せたまま、それとなく質問してみた。この世界の転生者に対する見解を探るための、切実な質問だった。
リズは首を横に振った。
「分からないわ。私だって、転生者に会ったことはないし。でも、教団が動いている以上、彼ら自身の教義に関わる何かがあるのだと思うわ」
「.....そうか」
海里は短く答えた。数日前、ジュノアからも、輪廻教団に目を付けられるとまずいと忠告されていた。彼は、自分が知らず知らずのうちに、巨大な組織のターゲットになっていることを改めて実感し、改めて危機感を感じた。答えの出ない疑問を、これ以上口にするのは危険だと判断し、彼はそれ以上の詮索をやめた。
三人は、無言のまま再び歩き出し、王都の雑踏の中へと紛れていった。海里の心の中では、教団が探す「黒髪の男」という言葉が、不気味な影を落とし続けていた。




