第16話:戦いの後に.....
黒焦げになって動かなくなったオーガに対してリズが呟く。
「はぁ、高威力の魔法は疲れる……。オーガを一撃で仕留めるのは骨が折れるわね」
リズが魔法を放った後の疲労感から、肩で息をしながら呟く。そして、真っ先に焦りの表情を浮かべたのは、リリィだった。
「ちょっ! オーガちゃん! あんな黒焦げになっちゃって、どうしよう!?」
リリィが感情的に叫ぶが、その横で海里の剣を鎌でどうにか受け止め、劣勢に立たされていたロロが、苛立ちを隠せない様子でリリィに怒鳴りつけた。
「リリィ、向こうの人数のほうが多くなっちゃったじゃないか! しかも、戦力として一番期待していたオーガが一発退場だぞ! あの状況で不用意にオーガを呼んだのがまずかったんだろ!」
「え? わたしのせいなの!? ロロだって、もうちょっとうまく戦えれば、オーガちゃんもやられなかったでしょ!」
ロロがリリィに向かって叫ぶと、負けじとリリィが言い返し、緊迫した戦場の最中で兄弟喧嘩のような口論が始まってしまう。
海里は、ロロを押さえ込んでいた剣を少し引き、絡み合った鎌を弾いて一歩後ろに下がった。数の上で有利になった今、焦って仕掛ける必要はないと判断したのだ。彼は、口論する双子に静かに問いかける。
「まだやるのか? 君たちの戦力はすでに半減している。これ以上続けても、勝ち目はないと思うけど」
海里が冷静な声で状況を分析する。
「賊だというなら捕まえたいわね。特に、複数の魔物を操れる傀儡魔法を使うのなら、放置は危険よ」
リズは、魔力回復のためか、静かに呼吸を整えながら、意見を伝える。
「俺らにあいつら捕まえて王都に連れ帰るそんな余裕があるか? 」
と、三者三様のそれぞれが思ったことを口にしていく。冒険者としての役割と、現実的な戦力の限界。二つの意見が交錯する。
一方、一番戦力としてあてにしていたオーガが、真っ先に戦場から退場したことで、リリィとロロの焦りは深刻なものだった。二人は、次の行動をどうするか、お互いに出方を伺いながら、戦場は一瞬の静寂を保っていた。
その時だった。海里たちとリリィたちの中間位置、ちょうど視界を遮るような場所に、何かが投げ込まれた。
「何だ!?」
海里が警戒して叫ぶ。
「煙幕?」
レンが投げ込まれた物体を目で追うが、遅かった。白い煙があっという間に周囲を覆い尽くし、視界を奪う。
「吸うな! この煙、吸うと痺れるぞ! ただの目眩ましじゃない!」
レンが、その煙の匂いから危険を察知し、二人に警告する。海里とリズは反射的に息を止め、煙から顔を背けた。
その混乱に乗じて、リリィとロロのいる方向から、大人と思われる女の声が響いた。
「リリィ、ロロ、何やってる?撤退するよ!」
その声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「待ってよイザベラ! あいつらにオーガちゃんがぁ! オーガちゃんは、私たちが苦労して手に入れた戦力なのよ!このまま逃げるのはヤダ!」
リリィが、まだオーガの損失に拘って抵抗しようとする。
「待たないよ! こっちが劣勢なんだから、さっさと逃げるよ! ディランがあんたたちを心配してるんだからね。ここで捕まるわけにはいかないだろう!」
「ディランパパが? クッソぉ! 覚えてろよ、お前ら! 次に会ったらただじゃ済まさないからな!」
煙幕が徐々に薄れ、晴れたとき、三人の視界に入ったのは、驚くべき光景だった。通常の狼よりも遥かに大きい白い狼の背にまたがった赤髪の女が、両脇にリリィとロロを抱え、猛スピードで森の奥へと走り去っていくところだった。
「あんたたち!覚えてなさいよぉ!」
最後にリリィの叫び声が響き、賊三人の姿が完全に森の木々に隠れて見えなくなってから、海里たちはようやく大きく安堵の息をついた。全身から力が抜けるような感覚に襲われる。
「ここまでかな。あれには追いつけない」
海里は、剣を鞘に納めながら言った。
「そうね。深追いは危険だわ。あの狼に乗った女のほうが強そうだった」
リズが、疲れた声で同意する。
「レン、リズ。二人とも付いて来てくれて、本当にありがとう。とんだ初依頼になったけど、一人では対処できなかった。助かったよ」
海里は、心からの感謝を伝えた。
「気にするなよ新人。むしろ、久々に手ごたえのある戦闘で、少し楽しめたくらいだ」
「気にしないで新人。新人にしては、よくやっていたわ。特に、冷静な判断力は評価できる」
二人の返事が、まるで打ち合わせでもしたかのように、全く同じタイミングで発せられたので、三人は張り詰めていた空気が緩み、思わず笑いあった。
「傀儡魔法でオーガまで従える賊って、かなり脅威ね。放置すると、王都の治安にも関わる。冒険者ギルドとして無視できないレベルだわ」
リズは、事態の深刻さを改めて認識していた。
「本来の依頼は、もう達成している。ギルドに戻って、賊の襲撃にあった件も、マーカスを通して正式に報告しようぜ」
レンはそう提案をした。
「そうだな。さっきの女はイザベラって呼ばれてたけど、ディランって奴が別にいるみたいだし、あの賊はもっと多くの人間で構成されている可能性が高い。それも全て報告しよう。証拠として、黒焦げだけどオーガの耳も討伐証明として持って帰ろう」
海里たちは、冷静に情報を整理し、今後の行動を決めた。
消耗しきった冒険者の三人は、意図せず発生した戦闘場所から森を抜け、王都の冒険者ギルドへと戻っていった。
帰り道の途中、海里は、対人戦という魔物との戦闘とは全く異なる状況で、思った以上に自分の身体が動いたことに驚いていた。同時に、彼は自分の剣が人間を殺めるに至らなかったことに安堵を感じていた。簡単に人間の命が失われる世界。再び、あの日の罪悪感に苛まれるのではないかと、彼は心の中で激しく葛藤していた。
(それにしても、この形見のペンダントが時折光るのは何故なんだ?今回は光らなかったし、別に重力魔法とは関係ないみたいだ。どういう仕組みで発光するのか、全く分からないな....。)
心のうちで思いを巡らせる海里は、時折自分を助けてくれる不可解な形見のペンダントの力が、未だに謎に包まれたままであることに、改めて意識を向けていた。彼は、自分の持つ不可解な力に答えを見つけられずにいた。
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海里たちと賊の激しい戦闘が繰り広げられたその場所にはゴブリンや狼、そして黒焦げになったオーガの死体が残された。
戦いの名残を示すように、地面は抉られ、周囲の木々はなぎ倒され、焦げた臭いが辺り一面に立ち込めていた。戦った者たちの姿は既になく、森は再び静寂を取り戻していたが、その静寂は長くは続かなかった。
しばらくすると、血の匂いと、微かに残る魔力の残滓に釣られたかのように、異様な気配を纏った魔物の群れが森の奥から現れ始めた。
それは、忌まわしい異形の魔物の群れだった。その姿は、おぞましいほどに歪んでいる。サメのように鋭い歯と獰猛な面構えを持つ頭部と、ハイエナの斑模様を持つ不規則に隆起した身体が組み合わさっており、自然界の摂理を無視したかのような冒涜的な生命体だった。
その身体からは、鼻を突くような不快な湿った匂いが立ち込めていた。それは、水と血と、そして腐敗の臭いが混ざり合ったような、耐え難い悪臭だった。
背中には赤黒く、まるで肉が病的に腐敗したかのように見える不揃いな背びれが並び、不気味な脈動を繰り返していた。闇の中で爛々と光る赤い目は、獲物を見定める冷酷な捕食者のそれであり、まるで肉を食らうことを至上の喜びとするかのように、その場に残されたオーガをはじめとする魔物の死体を見つめていた。
異形の魔物の群れは、一斉に魔物たちの死体へと群がり始めた。一切の躊躇なく、その鋭い牙を死体に突き立て、貪欲に食らいつく。ガツガツと肉を引きちぎる咀嚼音と、オーガの硬質な骨が砕け散る鈍い音が、静寂を取り戻した森に不気味に響き渡った。群れの飢えた唸り声と、肉を貪る音が、まるで地獄の宴のように続いた。
その凄まじい食欲は、瞬く間にオーガを含む魔物たちの死体を跡形もなく消し去った。ほどなく異形の魔物の群れが去った後には、もはやそこに魔物たちの死体があったことを示す痕跡は何も残されていなかった。
ただ残されたのは、血と体液で汚れた黒ずんだ地面と、そして異形の魔物が放つおぞましい、不純な魔力の粘りついた残滓だけだった。
その場は、禍々しい気配に満ち、再びこの森で何かが起こることを予感させる、暗い静けさに包まれた。




