第15話:双子の賊との戦い
魔物を傀儡魔法で操る少女リリィと相対するリズは、冷静な眼差しで周囲の様子を伺っていた。リリィの魔力によって傀儡にされているゴブリンの群れが、唸り声を上げながらリズを取り囲んでいる。
「魔物たちを操っているのは傀儡魔法ね。それにしても複数の魔物を同時に操れるのはすごいわね。普通、一体の魔物を支配するだけでもかなりの魔力を消費するはずなのに.....」
リズの問いかけは、単なる感嘆ではなく、相手の能力に対する探りを含んでいた。リリィが操る魔物の数は、彼女の年齢からは想像もつかないほどの高度な技術と、膨大な魔力の裏付けを意味していたからだ。
「ふっふーん。すごいでしょう! この鞭に魔力を流すことで、私の兵隊魔物さんをより正確に操っているの。この魔導の鞭は、一度に多くの対象に魔力を分割して送り込むことができる特殊な魔導具なのよ。分かったら、私の力にひれ伏して死んでちょうだい!」
リリィは自信満々に胸を張り、手にした鞭をひと振りする。鞭の先端からは淡い紫色の魔力が放出され、それが波紋のように周囲のゴブリンをはじめとする魔物たちの体に流れ込み、彼らの動きをより俊敏なものへと変えた。さらに鞭は鋭い風切り音を立て、真っ直ぐにリズの首筋を狙って伸びてくる。
しかし、リズはまるで予期していたかのように、しなやかに身をかわした。さらにゴブリンたちが振りかざした棍棒が、彼女がいた場所の地面に空ぶってめり込む。
「残念、そんな単調な動きじゃ、私には当たらないわ。いくら数で攻めても、動きが一本調子では意味がないわ」
リズは静かにそう言い放ち、手にする杖に魔力を集中させる。彼女の杖の先端に朱色の光が集まり、周囲を取り囲む魔物たちのちょうど中間に向けて、高熱の火炎が放たれた。火炎は地面に到達すると一瞬にして爆発的な炎の渦を発生させた。渦は瞬時に収束し、周囲の酸素を奪いながら、鋭利な炎の球となってリリィへと向かって発射された。
「わっ!熱!」
リリィは舌打ちをし、咄嗟に鞭を振るって最初の炎の球を叩き落とす。しかし、それはリズが放った牽制に過ぎなかった。炎の球が砕け散ると同時に、その破片から大量の黒い煙と火の粉が立ち上り、一気にリリィの周囲の視界を奪う。
リズの狙いは、リリィを直接傷つけることではなく、彼女の得意とする鞭の動きを封じ、視界と冷静さを一瞬でも奪うことだった。炎と煙がリリィを包み込む間に、彼女の足元、すなわちリリィが着地するであろう予測地点に向けて、複数の炎の奔流が地面を這うように一斉に放たれた。それはまるで地の底から噴き出す炎のように、リリィの動きを完全に封じようとする。
「あーもう、めんどくさいわね! 小賢しい魔法ばっかり使ってきてぇ!」
リリィは苛立ちを露わにし、熱を避けるように地面を蹴って高々と飛び退き、炎の包囲網を紙一重で回避した。そのまま近場の太い樹の枝に鞭を巻き付け、リズの炎から逃れる。その瞬間の彼女の動きは、魔物を操る魔術師というよりも、熟練した軽業師のようだった。彼女の鞭は、ただ魔物を操るための道具ではない。それは、敵の攻撃の軌道を瞬時に読み取り、己の体勢を立て直すための支点、あるいは時には防御壁としての役割も担っていることを示していた。
二人の戦いは、派手な魔法の応酬よりも、むしろ互いの魔力の使い方と戦術の読み合いに重きが置かれていた。リズはリリィの傀儡魔法の核である鞭の動きを封じようとし、リリィはリズの多角的な魔法による牽制を警戒しながら、自らの魔物の群れを効果的に動かす機会を伺っていた。
それは、互いの得意とする戦術を否定し、相手の動きを封じるための、高度な心理戦の様相を呈していた。この一瞬の駆け引きが、勝敗を分ける鍵となることを、二人は理解していた。
一方、海里は大鎌を振り回すロロの激しい攻撃を防ぎ続けていた。一撃を受け流したと思ったその瞬間、ロロが口笛を鋭く吹いた。その合図に呼応するように、近くの深い草むらから、血走った目を光らせたゴブリンが五、六匹、唸り声を上げながら海里めがけて一斉に襲い掛かってきた。
俊敏な動きでゴブリンたちの単純な攻撃を躱しながら、海里は攻防の隙間を縫ってロロに質問を投げかけた。
「お前が今、操っている魔物たちのことを兵隊と言っていたな。具体的に、そいつらを使って一体何を企んでいたんだ?」
ロロは、海里の問いかけに対し、まるで今日の天気の話でもするかのように、あっけらかんとした調子で答える。
「別に何も? 大したことじゃないよ。ただ、僕らにとって、必要な時に僕らの隠れ家の付近を警備するパトロールをさせたり、食料になりそうな獲物を調達させたりしているだけさ。もちろん、この兵隊たちのご飯まで僕らが用意してあげる義理はないからね。そこはちゃんと、兵隊としての彼らの自己を尊重して、自力で探してもらうことにしているよ」
何の悪気も、他者への配慮もないように話すロロの態度に、海里の内心には徐々に、抑えがたい苛立ちが募り始めた。
「その兵隊の自己の尊重とやらのおかげで、街道を旅する何の罪もない人間たちが、お前たちの操る魔物に襲われて犠牲になっているんだぞ! それに対する責任は、お前たちは一体どう取るつもりなんだ?」
海里の強い口調にも、ロロは肩をすくめて涼しい顔を崩さない。
「責任? それって僕たちに全く関係ある話かな? 森や、その周辺の街道を通る人間が、魔物に襲われるなんて、僕たちがわざわざ魔物を操ってなくても日常茶飯事で起きることじゃないか。自然の摂理だよ」
「ッ! 身勝手な言い草を……!」
海里の怒りなど意に介さず、ロロは再び大鎌を大きく振り回し、その禍々しい刃から放たれる、緑がかった魔力の斬撃を海里目掛けて連続で飛ばした。
(相手は見た目こそ幼い子供だけど、強力な魔物使いだ)
見た目からは想像もつかないほどの怪力で振るわれるロロの鎌を、海里は持ち前の卓越した身体能力と剣技で、紙一重の動きで避け、あるいは剣で的確に弾き返して応戦していた。しかし、悉く攻撃が海里に命中しないことに、ロロの方もまた、次第に苛立ちを募らせていった。
「うざいんだよ、このお兄さん! さっさと僕の鎌にぶった切られて地面に転がってよ!」
ロロの激情のこもった叫びに対し、海里は冷静に返す。
「それは謹んで遠慮させてもらう! 」
海里は全身の力を込めて、勢いよく剣をロロの頭上目掛けて振り下ろした。ロロはとっさに鎌でその一撃を受け止めるも、海里の剣が予想以上に重く、強烈な一撃であったようで、「ぐっ」と呻き声を上げながら防ぎきれずに数歩後ずさった。
「 見た目以上に力が強くて、本当に厄介なお兄さんだなぁ!」
(よし、ちゃんと剣の重さが増したな……成功だ!)
海里は、先ほどゴブリンの体を負荷をかけた感覚を思い出し、今度は意識的に、そして慎重に重力の魔力を自身の剣の切っ先に込めてみたのだ。彼が再び剣を振るうと、剣の刃から放たれる、肉眼では捉えにくい微かな魔力の波動がロロの全身をそっと包み込んだ。ロロの身体は、次の瞬間、一瞬だけ鉛のように重くなり、急な重さに耐えきれず足元がぐらついた。海里はその隙を見逃さなかった。彼は一歩深く踏み込み、ロロの鎌の細い柄の部分に、自身の剣の峰を、渾身の力で強く叩きつけた。
「なっ……!?」
激しい衝撃と共に、ロロの大鎌が彼の細い手から弾き飛ばされ、近くの地面に深く突き刺さる。彼は予想外の展開と、得物を失った事実に驚愕し、海里から慌てて数歩、後ずさった。
「くそっ! 僕の鎌がっ!」
慌てふためき、地面に突き刺さった鎌を拾おうと手を伸ばすロロに対し、海里はこの戦いを通して自身の持つ力を、もう少し時間をかけて確認していこうと静かに考えていた。ロロが鎌を拾おうと焦る間に、海里は今度は重力の魔力をロロが呼び出したゴブリンたちの群れに向かって放った。急に体が何倍も重くなり、動きの鈍くなったゴブリンたちは、海里の重力の魔力と、彼の高い身体能力が合わさった素早い剣戟によって、次々と仕留められていった。
(リズとレンもまだ、あちらの戦いで余裕があるように見える。大丈夫そうだ。もう少し、この重力の魔力を使う訓練に付き合ってもらうぞ、魔物使いのロロ)
海里は、その意志を、内心で静かにロロに告げた。
そして、怪力を持つ魔物であるオーガと対峙するレンは、軽やかなフットワークでその巨体を翻弄していた。
「うぉ、わっ、ちょっと待って」
レンの焦ったような声とは裏腹に、その動きには一切の乱れがない。一方、オーガは野太い咆哮を上げながら、攻撃が当たらない苛立ちを募らせていく。
うがああああああああああああああ!!!
レンとオーガの戦いは、一見すると、力任せでありながら機敏な動きを繰り返すオーガに、レンがただ追い回されているように見えた。巨大な棍棒を軽々と振り回すオーガの攻撃は、一撃が直撃すればレンの身体を容易に粉砕するだろう。しかし、その危機一髪の状況こそが、レンの狙った動きだった。
彼は、自身の持つメイスを攻撃に使うことなく、常に攻撃の起動を予測し、紙一重でその巨躯をかわし続ける。そして、オーガの攻撃が頬をかすめる度に、その巨大な体躯を巧みに誘導していく。レンは決して正面からオーガに力勝負を挑まない。それは、オーガと自身の体格差を理解した上で、最も効率の良い戦法を選択しているからだ。オーガの単純な行動パターン―――目の前の敵を叩き潰すという本能的な動き―――を最大限に利用し、ヘイトを自分一人に集めているのだ。
「オーガの動き、操られているにしたって、ちょっと単純すぎねぇか?」
レンは心の中で呟き、勝利への確信を深めていた。しかし、その余裕とは裏腹に、オーガを遠隔操作するリリィの焦燥は募る一方だった。当初のリリィの「やっちゃえオーガちゃん!」という威勢の良い命令は既に破綻していた。
「ちょっと、いつまで追いかけまわしてるの? オーガちゃん!さっさとあの男を潰しなさいよ!それにロロも早く手伝ってよ!」
苛立ちを隠せないリリィの声が、戦場に響き渡る。その声は、海里に苦戦しつつも懸命に抵抗しているロロに届く。
「無理だよリリィ!このお兄さん、力が強い上に何だか戦いづらいんだよ!なんか攻撃しようとすると、身体が重くなるんだ!」
ロロが叫び返したその瞬間、オーガの意識が僅かにリリィの声のする方に逸れた。それは一瞬の、本当に微細な反応だったが、レンはその一瞬を見逃さなかった。
「隙が出来るのを待ってたぜ!」
レンが手に持つメイスが、彼の魔力を取り込み始めた。メイスの先端から、土塊が這い上がるように覆い被さっていく。土塊に覆われたメイスは、元のメイスよりも遥かに長大で、まるで巨大な金槌のような形状へと変貌した。彼は即座に身体強化魔法を併用し、その増強された筋力をもって、高く跳躍する。そして魔力によって強化された土塊の長大なメイスに全ての力を乗せて、オーガの頭上に痛烈な一撃を叩き込んだ。
空気が震えるような鈍い打撃音が響き渡る。オーガの巨大な体躯が、その一撃を受けて大きくよろめき、堪えきれずに膝をついた。それは、レンが持てる全ての力を注ぎ込んだ、渾身の一撃だった。
そのオーガが体勢を崩した絶好の隙を狙い、リリィと対峙していたリズの声が、戦場を貫いて届く。
「レン、下がって!」
「おぅ!」
レンは即座にオーガから距離を取る。直後、リズの杖から強大な魔力が噴き出し、彼女は詠唱を始める。彼女の杖の先端に、赤々と燃える炎の塊が収束していくのが見て取れた。
その光景をリリィが見逃すはずもなく、彼女は奥歯を噛みしめる。
「そんな威力高そうな魔法使わせるわけないでしょ!」
と、リズの詠唱を妨害しようと、リズに向かって鞭を振りかぶる。しかし、リリィの行動は、既にレンによって予測されていた。
「邪魔させないってなら、そりゃこっちのセリフだ!鞭女!」
レンは再び土魔法を発動させる。しかし、今度はメイスを強化するのではなく、地面から無数の礫を生成し、弾丸のようにリリィめがけて放った。
「誰が鞭女よ!あたしの名前はリリィ......うひゃあっ!」
反論しようとするリリィの真横を、レンの土魔法で作られた礫が凄まじい勢いで通り抜けていく。その礫の嵐に驚いたリリィは、詠唱妨害どころではなくなり、思わず地べたに尻餅をついた。
そして、その間にリズの詠唱が完了する。彼女の纏う魔力は、先程とは比較にならないほど増大していた。
「爆ぜろ!」
リズの声とともに、杖の先端から収束された強力な火球が放たれた。それはまるで小型の太陽のように煌めき、真っ直ぐに飛んでゆく。そして、膝をついたままのオーガに直撃し、凄まじい爆音と共に爆散した。
ぐおおおおおおおおおおおおおお!!!
断末魔のようなオーガの咆哮が、爆炎の轟音にかき消される。爆煙が晴れた後に残ったのは、ぶすぶすと黒煙を立ち昇らせて黒焦げになったオーガの巨体だけだった。そのまま地面に倒れたオーガは、二度と動くことはなかった。




