第13話:冒険者ギルドの喧騒
冒険者ギルドは、賑やかな市場や商店街の近くに位置しており、騎士団本部とは逆側の、庶民の活気が満ちる地区にあった。海里はその地域で一際目を引く、重厚な石造りの建物の前に立つ。
入り口の大きな木製の扉を開くと、そこはまるで別世界だった。驚きのあまり、海里は入り口で足を止めた。
内部は広いホールになっており、多くの人々がひしめき合っていた。屈強な戦士、知的な魔術師風の者、軽装の斥候の姿も見受けられる。冒険者たちが、掲示板に張り出された任務の報告をし、新しい依頼を探し、また、ホールの片隅にある酒場では、酒を飲み交わしながら情報交換や自慢話に興じている。彼らのざわめきと、熱気溢れる活気は、海里の心に、この世界で生きていくための確かな希望の光を灯した。
(ここが、俺の新しい一歩を踏み出す場所だ)
海里は驚きもそこそこに、酒と汗と、そして微かな薬草の匂いが混ざり合った、いかにも冒険者たちの集う場所といった空気が満ちる中、受付へと向かう。
受付には、強面の中年男性が一人で対応していた。彼の体躯は圧倒的な筋肉で覆われ、頑丈な革鎧の上に青い紋章のマントを纏っている。カウンターに置かれた分厚い名簿の上に広げられたその太い腕と、褐色の肌に走る無数の傷跡は、彼が歴戦の戦士であることを物語る。鋭い眼差しはホールの喧騒を見据え、その威圧的な存在感は、このギルドの確固たる秩序を体現していた。
「すいません、冒険者になりたいのですが」
受付カウンターの中年男性は、海里の風貌を上から下まで、じろじろと値踏みするように観察した。海里のアッシュブラウンの髪色、淡く黄褐色に光る、どこか遠くを見つめているような瞳。そして、動きやすさを重視した旅人のような質素な服装。男性の眼差しは、初めてこの冒険者ギルドに来た新参者への関心がありありと感じられた。
「ふぅん、最近王都に来た旅人ってところか。冒険者ギルドへようこそ。俺はマーカスだ。ここじゃリーダー兼受付をやっている」
マーカスと名乗る男は、荒々しい外見とは裏腹に、鋭い観察眼を持っていた。その眼差しは、まるで海里の表面的な旅人の姿ではなく、その内面に秘められた目的を見透かそうとしているかのようだった。
マーカスは、ごつごつした指先でカウンターを軽く叩きながら、簡潔にギルドのルールと依頼の仕組みを説明した。
「名前は海里か。いいか、初心者にはまず慣れが必要だ。今、手頃なのがゴブリン討伐の依頼がある。まずはそれをこなして、お前の実力を見せてみな」
マーカスから、羊皮紙で作られた依頼書を受け取る。騎士団とは異なる形でリグリア王国の平和と経済活動を支える冒険者たちの活発な活動を物語っていた。
海里が依頼書の内容を確認していると、その隣から明るく元気な声がかけられた。
「よっ!ゴブリンの討伐か! 人手が必要なら、俺も手伝おうか?」
話しかけてきたのは、レンという名の青年だった。
海里と同じ年齢ほどに見える彼は、鍛えられた体躯と、冒険者として相応の経験を積んでいることを伺わせる装備を身につけていた。まだ若さが残る素直そうな顔立ちでありながら、冒険者としての真剣な眼差しをしていた。短く整えられた茶髪は活発な印象を与え、簡素なTシャツの上に長袖のインナーを重ね、幅広のベルトを締めた装いは、彼の身軽さと、実用性を重視した生活信条を物語っているようだった。
レンの隣には、対照的な雰囲気を纏った小柄な少女、リズが立っていた。彼女は、王都中の表裏の情報に精通していると語った。艶やかな金髪のロングヘアは丁寧に手入れされており、額には魔術的な光沢を放つ宝石が埋め込まれたカチューシャをつけている。魔導士らしいゆったりとした袖口のロンググローブを着用し、横には彼女の力の源であろう魔導士用の杖が立てかけられていた。涼しげな表情と細身の体型は、どこか知的で神秘的な雰囲気を醸し出している。
リズは、薄手のグラスを優雅に傾け、琥珀色の芳醇な酒を一息に飲み干した。喉を通り過ぎる灼熱の感覚に「ふぅ」と満足げな吐息が漏れる。その仕草は、彼女の知的な外見や、纏う上品な雰囲気とは裏腹に、極めて自然で豪快だった。その意外な、しかし飾らない酒好きという一面が、彼女の持つ独特の個性を際立たせている。
グラスをテーブルに置いたリズは、冒険者ギルドの喧騒の中で静かに立つ海里の全身を、品定めするように、あるいは何かを探るように、じっくりと見つめた。その視線は鋭く、海里の纏う空気を測るようだった。
「あなた、なんだか不思議な雰囲気ね。……妙に落ち着いているし。」
リズはそう言って、少し首を傾げた。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべ、海里を試すように続ける。
「でも、もし次にこのグラスを満たしてくれるなら、この王都リグリアで、どんな情報に困った時でも、特別に融通してあげるわよ。私の情報網は、そこらの冒険者よりずっと広いのよ?」
その言葉に、それまで静かに様子を見ていたレンが、慌てた様子で二人の間に割って入ってきた。
「おい、頼むからやめろリズ。 冒険者を希望する新人に、いきなり酒を奢らせようとするのはやめろ。悪い、海里、リズの言うことは気にしなくていいぞ。リズはいつもこんな調子なんだ」
レンの真面目な謝罪に対し、リズは肩をすくめ、可愛らしく舌を出して見せた。
「冗談だってば、レン。それに、彼がどう反応するのか、少し見てみたかっただけよ。……まぁ、酒の話題については、私が言うと冗談に聞こえないのは分かってるけどね」
リズは、おかしそうに笑ったが、その瞳の奥には、海里への変わらぬ興味が宿っていた。
海里は、突然の二人のテンポの良い掛け合いに、思わず苦笑いを浮かべた。レンの気遣いには真摯に感謝しつつも、自分の状況を正直に伝えた。
「ありがとうレン。ただ、ゴブリン討伐の件だけど、実は王都に来る道中ですでに倒しているから、討伐の手伝いは心配いらないよ。それに、リズ、知りたい情報ができたら、是非頼らせてもらうよ。これからよろしく」
「なんだ、すでにゴブリンは倒してたのか! やるじゃねぇか、海里! 」
海里のその言葉を聞きつけたのは、受付カウンターで他の冒険者と話していたマーカスだった。マーカスは話の途中でこちらの会話に耳を傾けていたようで、その強面を崩して、にやりと口の端を上げた。
マーカスの声には、冒険者になろうとする海里に対して隠しきれない賞賛の色が混じっていた。
レンは海里の言葉に、まるで自分のことのように目を輝かせた。
「すごいな! 海里! 冒険者になるための登録をする前から、もうゴブリンを倒してるなんて! よっぽど強いんだな!」
レンのまっすぐで曇りのない賞賛の言葉を受け、海里は再び、困ったような苦笑いを浮かべた。自分はただ道中で遭遇した危機を乗り越えただけであり、特に強いという自覚はなかった。それなのに、この冒険者ギルドに入った途端、自分にこれほど強い興味を抱くのか、その理由が理解できずにいた。
ふと、海里の頭の中に、数日間、世話になったアルベールの姿が浮かんだ。
「そういえば、このギルドには、薬草の採取依頼とかもあるんですか? お世話になったアルベール先生が、最近、医療活動に必要な素材の調達に困っているようだったので……」
海里の脳裏に浮かぶアルベールは、王国の情勢が不安定になるにつれ、医療活動に必要な素材の調達が困難になり、その心労から、顔には深い疲労の色が刻まれていた。海里は、少しでも彼の助けになりたいと強く思っていた。
マーカスは、海里の質問を聞き、髭を撫でながら頷く。
「おぉ、もうアルベール先生と知り合いだったか。先生は、このギルドだけじゃなく騎士団にとっても大切な人だからな。あるぞ、ご本人からの依頼で、薬草の採取依頼も。ゴブリン討伐と同時進行で受けられる余裕があるなら、受けてかまわねぇぞ。薬草は森の中で手に入るものがほとんどだ」
「ありがとう。じゃあ、ゴブリン討伐と薬草採取、両方一緒に受けます」
海里は、マーカスに改めて、すでにゴブリン討伐の依頼と、新たに薬草採取の依頼を受けることを告げた。マーカスから渡された二つの依頼書をしっかりと握りしめた海里は、入り口に向かって踵を返した。
冒険者ギルドの重厚な扉を外へと押し開け、王都リグリアの眩い光の中へと一歩踏み出す。リグリアでの生活を確立し、冒険者として歩むための、海里の新たな生活が今まさに始まろうとしていた。
冒険者ギルド マーカス




