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輪廻の檻-アステル戦記  作者: あすらりえる
第一章_転生者の原罪
12/22

第11話:何処にもいない患者


リグリアの王都に到着した海里は、道中行動を共にした騎士たちと別れを告げた後、ジュノアの背中を追って石畳の道を歩いていた。彼の目的地は、ロルカ村跡地を出発する際にジュノアから聞かされたアルベールという医者が開いている医院だった。


リグリア王国の王都は、海里の事前の想像を遥かに超える活気に満ちていた。磨かれた石畳の道には、様々な身なりの人々が行き交い、大通りには木材や石材で造られた趣のある商店が軒を連ねていた。


王都全体は、分厚く、苔むした堅牢な石壁によって厳重に囲まれていた。壁の内側には、赤い瓦屋根を持つ石造りの建築物が密集し、壮厳な街並みを形成している。中心には、目を見張るほど高くそびえる王城があり、その尖塔や塔はまるで空を突き刺すかのように天に向かって立ち並んでいた。街全体からは、計算され尽くした秩序と、揺るぎない威厳が感じられ、外縁部には整備された緑豊かな自然が広がっている。


この活気あふれる街中にあって、海里の目に異質な風景が飛び込んできた。街角の随所で、白い外套のようなローブを纏った者たちが、道行く人々に熱心に何かを語りかけている場面を何度も見かけたのだ。彼らは輪廻教団の信徒たちだった。人々の反応は千差万別で、彼らの言葉に熱心に耳を傾ける者もいれば、煩わしそうに顔をしかめ、足早に立ち去る者もいた。


海里の視線が、布教活動を行う教団の信徒に釘付けになっていることに気づいたジュノアは、すぐに声をかけた。


「あれは王国内の教団支部に駐留している、輪廻教団の信徒たちの布教活動よ。あまり彼らのほうを見ないで、海里」


ジュノアはそう言いながら、海里の腕をそっと掴み、彼らを避けるように誘導し、早足で歩き始めた。


「彼らはリグリアで非常に熱心に布教活動を行っているの。もし彼らの前で、あなたのペンダントが光ったりしたら、目をつけられかねないわ。彼らの中には不思議な力を持つ魔道具を見るだけで、妙な感繰りをしてくるかもしれないのよ」


「分かった。十分に気を付けるよ」


海里にとって、ジュノアの懸念は単なる杞憂ではなかった。なぜなら、海里自身が、この世界とは異なる場所からの転生者という、紛れもない事実を抱えているからだ。彼の首に掛けられた形見のペンダントが発光する際、不可思議な現象が起こる理由については、未だに分からない。しかし、その現象を理由に輪廻教団に目をつけられることは、海里にとって避けたい事態だった。この短いやり取りで、輪廻教団に関する会話は終わった。ジュノアもまた、それ以上教団の話をしたくないという様子を滲ませていた。


二人の間にそれから会話はなく、海里は引き続き、ジュノアの少し後を歩き続けていた。しばらくして、ジュノアがふと立ち止まり、静かに口を開いた。


「ここがリグリアで名を知られた医師、アルベール先生の医院よ。彼は医師としての腕が確かなだけでなく、それ以上に、かつてこの王国を興した仲間の子孫なの」


二人が辿り着いたその場所は、賑やかな大通りから一本脇に入った、静寂に包まれた路地裏にあった。建物は清潔感が際立つ石造りで、窓からは煎じた薬草の、かすかに苦味を帯びた匂いが漂ってきていた。


ジュノアの案内に、海里は内省を巡らせた。


(王国を興した仲間の子孫、か。ただの医者というだけでなく、この国の歴史に深く関わる血筋の人物ということだな。近いうちに、この世界や、このリグリア王国がどのように成り立ってきたのかについて、改めて情報収集をする必要があるな。ルクスが託してくれた断片的な記憶だけに頼っていると、周囲の人たちとの間で認識の齟齬が生じてしまうかもしれない。気を付けないといけない)


海里は、己の置かれた状況を再認識し、慎重に行動する必要性を改めて胸に刻んだ。


ジュノアが医院の扉をノックしてほどなくすると、ガチャリという音と共にドアが開く。海里はそこに立っていた人物の姿に目を奪われた。


彼は清潔な白いロングコートを羽織り、その下には引き締まった黒のシャツを着こなしている。首元には、精密な細工の施された神秘的なペンダントが光を反射し、彼がただの医者ではなく、深い学識を持つ研究者のように海里には見えたからだ。


整った顔立ちには、相手を安心させるような柔和な笑みが浮かんでいる。彼の瞳は静かに輝き、知性的な光を放っていた。しかし、同時に彼からは隠しようのない疲弊も見て取れた。


「やぁ、ジュノアちゃん、来ると思っていたよ。無事で良かった。ルクス君は居ないのかい?ん?そちらの君は…?」


アルベールはジュノアの無事を確認し、心底安堵した様子だった。しかし、すぐに彼女の隣に立つ見慣れない青年と、ルクスがいないことに気づき、わずかに眉を寄せた。


「アルベール先生、ルクスは森で異形の魔物と戦い死亡しました。彼は道中で出会った海里です。ルクスを最期まで看取ってくれた人ですが、彼の身体の調子を診ていただきたくて」


ジュノアは唇をきつく結び、震える声で告げた。その言葉は、彼女自身にとっても受け入れがたい現実を再認識させるものだったのだろう。


ルクスが死んだという言葉を聞いたアルベールは、驚きに目を見開いた。


「ルクス君が!?ジュノアちゃん、君には、辛いだろう。本当に、とても残念だよ。あんなに優しい若者が……。君もルクス君をよく看取ってくれたんだね。……彼の知る者として、心から感謝するよ、ありがとう。海里くんだったね、私はアルベール、見ての通りの医者だ。どうぞ、こちらへ」


アルベールは深く息を吐き、すぐに気を取り直すと、海里に向き直った。彼は、ルクスの死を悼むとともに、最後まで看取った海里に対して心からの謝意を述べた。そして、診察室の奥へと二人を招き入れた。


「はい、よろしくお願いします」


海里は深々と頭を下げた。アルベールの温かい言葉にわずかながら救われた気がした。

アルベールは二人の話を静かに、そして注意深く聞き終えると、診察台に座った海里の身体を診察した。その手つきは驚くほどに丁寧で、経験豊かな医者特有の確かな技術を感じさせた。聴診器を当て、脈を取り、海里の体全体をくまなく調べていく。


海里は内心で、ルクスの力が自身の体に宿ったことで心身に影響がないかを気にしていた。自分の肉体に何らかの異変をもたらしていないか、不安でならなかった。しかし、転生者とみだりに他言してはならないというルクスの忠告があるため、そのことは一切口にするつもりはない。代わりに、異形の魔物に吹き飛ばされた時の衝撃で負った傷の後遺症の有無や、その後の体調についてアルベールに尋ねた。


「魔物に吹き飛ばされた時、身体を強く打ったんですが、後遺症とかは大丈夫でしょうか?」


アルベールは、海里の身体に一切の傷跡や異常がないことを確認すると、疲労に満ちた表情を少し和らげて言った。


「ん。心配ないよ。君の身体は、驚くほど健康だ。傷一つ残っていないし、内臓の損傷もない。後遺症の心配もなさそうだ。ただ…」


アルベールは顎に手を当て、考え込むように海里の顔を見つめた。


「ただ、脈の強さや筋肉の反応が、普通の人間とは少し違う。いや、かなり違うな。驚くほど強い生命力と、極度に発達した運動能力の片鱗を感じる。身体能力が極めて高そうで、まるで鍛え抜かれた騎士のようだ。個人的には羨ましいよ。何か特別な訓練でも受けていたのかい?」


アルベールの鋭い指摘に、海里は内心で冷や汗をかいた。ルクスの力が影響していることは明白だが、それを認めるわけにはいかない。


「いえ、特にこれといった訓練は…ただ、小さい頃から駆け回るのが好きで、丈夫な体になっただけです」


海里は曖昧に答えることで、その話題を切り上げようとした。

その時、奥の部屋からコツコツと規則的な足音が聞こえてきた。アルベールの助手が姿を現し、診察を終えた二人に向かって声をかけた。


「ジュノアさん、海里さん。先に運び込まれたリーファさんの容態ですが、呼吸音はとても落ち着いていらっしゃいます。脈も安定しており、傷も深くはないようです。暫くは意識が戻らないでしょうが、今のところ命に別状はありません」


その言葉はは、その場の空気を安堵に包ませた。


「そう、良かったわ……」


ジュノアは安堵の表情を浮かべ、優しい声音で呟いた。海里もまた、自分を助けるために傷を負い意識を失ってしまった少女、リーファが生きていてくれたことに、深く安堵した。


「ひとまず海里の身体に異常がなくて良かったわ。アルベール先生、ありがとうございます。私は白銀騎士団に、ルクスのことと、異形の魔物の件を報告しないといけないことも多いから、先に失礼します。海里、またね」


ジュノアはアルベールに深々と頭を下げ、そして海里に柔らかい笑顔を向けた。彼女の瞳はまだ悲しみに揺れていたが、責任感の強さが彼女を動かしていた。報告を終えれば、ルクスの死をゆっくり悼む時間ができるだろう。海里もまた、彼女を静かに見送った。


そういってジュノアは騎士団への報告のため、先に医院を出ていった。



ジュノアが去った後、部屋には再び静寂が戻った。アルベールは静かに立ち上がると、棚から上等な茶葉を取り出した。彼は海里にお茶を淹れながら、張り詰めていた気を緩め、ゆっくりと話を始めた。窓の外には、夕暮れが迫り、王都の喧騒が遠い波のように聞こえる。


「さあ、温かいものでも飲んで。少し、私の愚痴を聞いてもらっても構わないかな」


アルベールが淹れたお茶は、香りが高く、疲れた心に染み入るようだった。海里が一口飲むのを確認してから、アルベールは疲れ切った顔で、現在の状況を語り始めた。彼の疲労の原因は多岐にわたった。


「最近、魔物の活動が活発化している。被害報告は増える一方で、騎士団や冒険者の討伐も手が足りていない状況だ。それに、王都の外に一歩外に出れば生活の困窮から賊に堕ちた者たちが徘徊している。そのため、回復薬の材料となる薬草の素材採集すら、危険でままならないんだ。薬の備蓄も心許ない」


薬師としての使命と、厳しい現実の板挟みになっている彼の苦悩が滲み出る。彼はカップを握りしめ、遠い目をして呟いた。


「この国は、先代たちが築き上げたリグリア王国の栄光という名の大きな建物の陰で、そのツケを払わされているのかもしれない……」


その言葉には、医師という立場を超えた、国政への深い憂いが込められていた。


「宰相様が進める、王都中心の富の集中政策と、それに伴う極端な税制の歪み。それが、王都での貧富の差を劇的に広げている。貧しい者たちは、今日明日を生きるための糧にも事欠き、その絶望的な不満が、社会の底辺を深く蝕んでいるんだ。嫌気がさして王都を離れて暮らす者も居る。路頭に迷い、犯罪に手を染める孤児や賊となる者たちが後を絶たない。医者として、病気や怪我だけでなく、こういった社会が生み出した病も診て、治療しなければならないとはね……」


アルベールの生々しい言葉は、海里の記憶と強く結びついた。ロルカ村。王都を離れ、辺境で細々と暮らしていた村人たち。彼らがなぜああした生活を選ばざるを得なかったのか、その根源的な理由が、アルベールの言葉によって鮮明になった。


(彼らは単なる悪か? 自分を陥れた村人たち。斬り殺された賊。彼らの中にも、きっと、この社会の病によって、そうならざるを得なかった者がいたのだろう)


海里の心に王国の深い闇は重くのしかかった。アルベールはさらに話を続けた。


「そして、もう一つ、私が深く憂慮している問題がある。それは、リグリア内でも信徒の数を増やしている輪廻教団の存在だ。彼らは、貧困や病、あるいは絶望に打ちひしがれた人々の心の隙に、巧みにつけ込み、救済を謳って信者を増やしている。表向きは、王国の戦力として魔物討伐などに協力的な姿勢を見せているが、リグリアで活動する本音は別にあるのだろうね」


医師としての激務に加え、こうした王国の政治的・社会的な情勢そのものが、彼の精神を著しくすり減らしている。さらに、彼が背負う王国を興したものたちの子孫という、先代から受け継いだ看板の重圧も、また、アルベールを疲弊させている一因だった。彼はただの医者ではなく、この国の良心の一つであろうとして、もがき苦しんでいるのだ。


「……と、国の現状ばかり話してしまったが、実は、もう一つ困ったことがあってね。リーファさんとは別の男性の患者さんが困り種でね」


アルベールは、話を変えるように、少し困ったように笑った。


「と言うと?」


海里は、アルベールの話に引き込まれていた。


「重い怪我を負って、突然、駆け込んできた男性が居るんだ。刀剣による深い傷を負っていた。安静が必須の状態なのだが、どうも言うことを聞かなくて困っている。ふらりと姿を消しては、また知らぬ間に戻ってくる。まるで、夜の散歩でも楽しんでいるかのように。私は医者として、傷の治りを遅らせるから安静にしてくれと、何度も説得しているんだが……、まったく、手に負えない人だ」


アルベールは心底困り果てたように肩をすくめた。その患者は、治療以外でアルベール以外と接点を持とうとしないため、医院の他の者もその彼のことをほとんど知らないという。


その男性患者の話を聞きながら、海里の胸の奥に、微かな、しかし無視できない胸騒ぎのような複雑な感覚が広がった。その感覚が何に由来するのか、海里には分からなかった。ただ、遠からず関わることになるような、漠然とした予感がした。


「愚痴ばかり聞かせてしまって悪かったね。君には関係ない、私の個人的な悩みの話だ。」


そう言って心から笑うアルベールに、海里もまた、どこか安堵感を覚えた。この疲弊した医師が、この先、自分に深く関わっていくことになるだろうことを、海里は漠然と感じていた。






挿絵(By みてみん)

リグリア王国 医師アルベール


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