第二章:再び討魔士組合へ
常磐の中心──エルンテリアからそれほど離れていない場所に、俺は宿を取ってもらっていた。
「一人にしては、かなり広いな……。」
整然とした調度品、白を基調とした壁、ふかふかすぎるベッド。
どこからどう見ても高級ホテルの一室だ。
……正直、やりすぎでは? こんな柔らかい寝具、人生で初めてだ。
「これから、どうしようかな。」
千歳たちとの任務を終え、ようやく一区切りがついた。
討魔士としての登録も済んだし、今日からは正式に依頼を受けられるはずだ。
「昨日は登録しか出来なかったし……今日は、依頼を見に行ってみるか。」
気づけば、クローゼットには着替えまで用意されていた。
サイズまでぴったり──いや、ここまで来ると怖いな…。そんなことを思いながら、俺はホテルを後にした。
この宿を手配してくれたのは、月影麗華さんだ。
チャットで定期的にやり取りをしているが、彼女はいつも、こちらの希望を軽々と超えてくる。
「適当でいい」と言っても、必ず「上等なもの」を返してくる人だ。
ありがたいけれど……その完璧さに、どこか落ち着かない。
静香に教わった方法で自動運転キャビンを呼び出し、待つ間にスマートチャットを開く。
画面を眺めながら、自然と指がスクロールを始めた。
やり取りの履歴には、丁寧すぎる文面が並ぶ。
──まだ麗華さんしかいない。
大学時代、女の子とこうしてやり取りする機会なんて、ほとんど無かったな……。
そう思うと、胸の奥が少しだけ浮く。お嬢様だけど。
「ん? 知らない人から……?」
ポンッ、と小さな通知音が鳴る。
迷惑メッセージかと思いきや、表示された名前に目を見張った。
「……涼からか。」
▶︎真壁 涼
おはよう、よく眠れた?
静香がこっそり連絡先追加してたみたいだから、問い詰めて私も追加しちゃった。
今度からはここで連絡取れるから、何かあったら連絡してね。
用がなくても大歓迎だからね。
既読がつく。
……静香め。キャビンの操作をしてくれたときか。
あの落ち着いた顔の裏で、そんなことをしていたとは。
意外と悪戯好きだな。
「既読ついちゃったし……今返すか。」
短くお礼を打ち込み、送信ボタンを押す。
画面が淡く光り、また静けさが戻った。
窓の外、キャビンは街を滑るように進んでいく。
通り過ぎる霊脈灯の光がガラスに流れ、心の奥まで照らすようだった。
少しだけ浮き立つ気持ちを押さえ込みながら、俺は次の行き先、討魔士組合のことを考える。
再び訪れた討魔士組合は、昨日よりもずっと静かだった。
ざわめきも行列もなく、廊下を吹き抜ける風の音がやけに澄んでいる。
そういえば今日は〈若葉祭〉の最終日だったか。
みんな、街の方で祭りを楽しんでいるのだろう。
「おはようございます。あの、依頼を受けたいのですが……どうすればいいでしょうか?」
いつもの調子で声をかけると、受付の女性が顔を上げ───
「はい! おはようごっ……!! こ、高坂様ですね!?!?」
「えっ!? は、はいっ!!!」
びっくりした……!
勢いよく身を乗り出された拍子に、思わず一歩下がってしまう。
先日、登録の手続きをしてくれた彼女だが、今日はやけにテンションが高い。
「そ、そのっ! すぐに支部長をお呼びいたしますので、少々お待ちください!!!」
「支部長……?」
鹿島さん、か。
確かに機会があれば話すつもりだったが、まさか受付がここまで焦るとは思わなかった。
受付が奥へ駆け込んでから数十秒。
ドタドタドタ、とまるでバイソンでも突進してきたような足音が響いた。
「おぉっ! えいゆ……高坂殿!! お待ちしておりました!!!」
「は、はい。二日前はお世話になりました。昨日も伺ったんですが、お会いできなかったので……。」
「ああっ、本来なら常に待機しているつもりだったのだが、丁度外勤でな。
あとから君が来たと聞いてな……申し訳なくて、もう穴があったら入りたい気分だったんだ!」
テンションが急上昇したかと思えば、急降下。
この人、感情の振れ幅がすごいな……。
「そうそう。昨日ぶりだね、高坂氏。」
奥から現れたのは面接長の神宮寺さんだった。
落ち着いた口調に微笑みを浮かべながら、鹿島さんの肩を軽く叩く。
「支部長は普段、威厳ある重鎮って感じなんだけどね。お前の話をした途端、しゅんとしちまってさ。うちの連中は家族みたいなもんだから、心配してしょうがなかったんだよ。」
「なるほど……。にしても、受付さん焦りすぎでは?」
「あぁ、あいつか。……まぁ、受付には受付なりの“理由”があるんだよ。知らない方がいい。」
神宮寺さんの視線の先で、件の受付がこちらを見ていた。
笑顔なのに、目がバキバキだ。
……うん、関わらないでおこう。
「騒がしくてすまないな。どうだ、高坂殿。今から少し、話せるだろうか?」
「はい。いらっしゃったら、そのつもりでした。こちらも確かめたいことがいくつかありますので。」
「感謝する。神宮寺、職員を落ち着かせておいてくれ。」
「はいはい、了解。」
鹿島支部長が踵を返し、重い靴音を響かせながら奥の廊下を進む。
その背中は、まるで岩壁のように大きかった。
俺はその背に続き、静かな組合の奥へと足を踏み入れる。
人の気配が薄れ、遠くで霊脈灯の明かりだけが淡く瞬いていた。
◇◇◇◇◇
「……さて。まず、あれをどう思いますか?」
沈黙を破ったのは、冷静さを装う受付の1人。
だがその瞳はすでに、熱に浮かされていた。
「はい。大型犬を調教するバチくそイケメンのことですね!? ええ、はい、それはそれは!! 眼福でございました!!」
受付らの早口が止まらない。椅子の上で小刻みに足を揺らす様は、もはや職務放棄の域である。
「ああもう、私……どうにかなりそうで……!
あの支部長が“しゅん”としてた辺りから、何か匂ってはいましたが……あの高坂さんが、あんな……ビジュ……へへ……。」
頬を真っ赤に染めて語る…。
理性が溶けていく音が聞こえそうだった。
「ふふふふふ……。ですから言ったでしょう? “とんでもない”と。」
彼女の笑うその顔は達観した僧のようでもあり、沼に沈む者のようでもあった。
外は若葉祭の最終日。
討魔士たちは警備や観光の依頼で出払っており、今この場に残っているのは、彼女ら受付陣だけ。
つまり、いまは彼女たちにとっての“休憩時間”である。
「大圭……いや、圭大ですね……。ふへ、悪く、ないですね。」
受付Eが手帳に何かを書きながら、うっとりとつぶやく。
もはや議事録ではない。妄想の記録である。
「ここはやっぱり……支部長が“受け”ですよね、はい。」
受付Dが真顔で言い放つと、場がざわついた。
「ちょっと待ちなさい。受けは圭さんでしょ。あの感じで、獣のような愛を受け止めるのがいいんだってば。」
「おおっと? 論戦勃発か?」
「来いよ!」
「上等だ!!」
デスクをはさんで繰り広げられる、“白熱の討論”。
彼女たちの「話し合い」は、まるで戦場のような熱を帯びていく。
外の祭り囃子が、遠くで鳴っていた。
それでも彼女たちの声は、それを悠々と上回るほどに、賑やかだった。
今日もこの支部は、平和である。




