第一章:彼らの拠点へ
時刻は夕刻に差し掛かり、枝葉の隙間から差し込む陽光が街を黄金色に染めていた。あとで聞いた話によると、この日は世界樹のもとで立春を祝う「若葉祭」が開かれていたらしい。どうりで街中が賑やかに浮き立っているわけだ。祭りが終わるまでは、この喧噪はきっと収まらないだろう。
「いいな〜若葉祭!屋台に行きたかったけど、もう閉まっちゃってる……。」
車窓から身を乗り出すようにして、千織が名残惜しげに通りを覗き込む。
「ひっ!ちょ、ちょっと浅葱さん、あんまり動かないでくださいッ!!」
「えぇ〜でも外、人いっぱいで面白いよ〜?」
俺のすぐ隣では、窮屈な車内で小さく体を縮こめた静香が、湯気を立てるように真っ赤な顔をしていた。千織の自由奔放さに振り回されて、今にもショートしそうな勢いだ。
(……なんで俺はこんな状況にいるんだろうな。)
そう、今の俺はネクサス13の面々と共に、お世辞にも広いとは言えない車にぎゅうぎゅう詰めで移動している。
能力証明を提示し、評議殿での情報交換を終えた後も、これからの予定をどうするかを皆で話し合っていた。そこで千歳がある提案を持ちかけてきたのだ。
「へへ、まさか英雄様と一緒に任務に行けるなんて!わくわくするね!」
千織が嬉しそうに声を弾ませるたび、横の静香がさらに過熱していく。
「俺としても都合がよかったですし、ありがたいです。」
そう口にしつつ、窮屈な後部座席に押し込まれたまま、経緯を振り返る。
千織の提案はこうだ。討魔士の資格だけなら試験を受ければ取得できるが、「能力犯罪者への対応許可」を得るには、GIAに認められるだけの実績が必要になる。ちょうど彼らは今まさに任務の最中で、そこに同行して手を貸せば、資格だけでなく実績まで一度に積み上げられる。
しかも彼らはGIA直属の人間だ。多少の融通が利く分、実績の証明としては格好の機会でもあった。
理にかなった話だし、俺自身もただ試験を受けるより、実際の戦いを通して認められる方が納得できる。そうして、彼らの任務に同行することを決めたのだった。
その後、月影首相たちの厚意で衣服や身分証明書といった生活に必要なもの一式を揃えてもらい、今に至る。
至れり尽くせりとはこのことだ。本当に……ありがたい限りだった。
ただ、住まいに関しては少し事情があった。しばらくはホテルを用意してくれるはずだったが、ちょうど若葉祭の最中で、近場の宿はどこも満室。評議殿での宿泊も提案されたものの、流石に落ち着けそうになくて丁重に辞退した。
──そうして今、俺は彼らネクサス13の拠点へ向かっている。
「それで英雄様はどこで寝てもらう? ベッドで寝てほしいし……鷲尾さん、ソファで寝なよ。」
助手席の涼が、運転中の鷲尾へあっけらかんと投げる。
「はぁ? なんで俺の部屋なんだよ。嫌に決まってるだろ。」
ハンドルを握りながら顔をしかめる鷲尾。言葉の端々に不満が滲む。
「だって鷲尾さん以外は女の子なんですし? それに相手は“英雄様”なんですよ?」
「そこまで気を使わなくて大丈夫ですよ。寝床があるだけでありがたいですから。」
「……ほら、本人がそう言ってんだ。ったく。」
鷲尾は不承不承といった調子で肩を竦め、再び前方に視線を戻す。
「きゅぅ……。」
隣の静香は、とうとう限界を迎えていたらしい。ぐったりとしたまま、完全にエンスト状態だ。
大丈夫だよな、これ。
とんとん拍子で彼らと行動を共にすることになったが、正直に言えば不安の方が大きい…。
三十分ほど車を走らせ、太陽が沈みかけた頃、ようやく目的地へ到着する。
目の前に現れたのは、俺が想像していたような立派な施設ではなく、古びたビルの一角。
いや正直に言ってしまえば、ちょっとボロい。
これが特務班の拠点なのか?
「車、停めてくる。お前らは先に行ってろ。ほら。」
鷲尾が鍵を放り投げて寄越す。
「うん! 運転ありがと!」
千歳が軽快にそれを受け取り、先に立つ。
俺は彼女に続くが、後ろでは涼がぐったりした静香をお姫様抱っこのように担いでいた。
え、息してるよね?
年季の入った階段を上り、古びたドアの前で立ち止まる。
これが……ネクサス13の拠点? 本当に?
「ふふ、やっぱり分かりやすいね。顔に出てるよ、英雄様。思ったよりボロくて落胆した?」
からかうように涼が笑みを浮かべる。
「えっ、いや! すみません……思ってたのとはちょっと違ってて……。」
慌てて言い訳する自分が、余計に図星を突かれたようで気まずかった。
中に入ると──サイバー空間が広がっていた!なんてこともなく。
玄関で靴を脱ぎ、案内されたのは拍子抜けするほど「普通の」リビングだった。
「はあぁぁ……疲れたぁ……。」
千織が椅子に身を投げるようにして声を上げる。
「ほら、英雄様も座りなよ。色々、知りたいことあるんでしょ?」
静香を抱えたままの涼が、軽く顎で示す。
「私は静香を寝かせてくるから、千織に色々聞いておきな。」
「任せて〜。今日は寝かさないゼ……。」
千織は脱力した体勢のまま、妙に頼りないサムズアップをしてみせた。
……まぁ何にせよ、こちらとしては気になることだらけだ。遠慮する理由もない。
「はい、それじゃあ遠慮なく。」
席に腰を落ち着け、周囲を見渡しながら切り出す。
「……えっと。まず、ネクサス13って具体的に、何をする組織なんでしょうか?」
「まぁ、そこだよねぇ。英雄様からすれば、“世界規模の組織の特務班が、なんでこんなボロ家に!?”って感じだろうし……。」
机に肘をつき、千織がこちらを見上げる。その口調は軽いが、どこか核心を突いていた。
俺の表情、そんなに分かりやすかったか……?
「私たちさ、組織の“厄介者”の集まりなんだよね。」
「厄介者……ですか?」
「うん。事情はそれぞれだから詳しくは言えないけど…。任務の大半は雑務とか荒事ばっか。それも、情報もあやふやな状態での、危険なやつ。……他にも色々あるけど、まだ言えないかな。」
拍子抜けする。特務班と聞いて、もっと精鋭のエリート集団を想像していたのだが──どうやらそれとはだいぶ違うらしい。
「今日の任務だってそうだよ!職員緊急招集とかで、定期調査に行く第8課の代わりを私たちが押し付けられて!ほんとにもうっ!」
「お、落ち着いて……。」
慌ててなだめる俺の前で、彼女はさらに言葉を重ねた。
「私たちがその緊急招集に招集されなかったのはまだいいとしてもさ!雑用みたいなことばっか押しつけられて……もうっ!」
テーブルに額を打ち付ける勢いで不満をぶつける千織。
……どうやら、俺が想像していた以上に“ネクサス13”という班には複雑な事情があるらしい。
「はぁ……。でもまぁ、おかげで英雄様の復活だなんて場面に立ち会えたし、よく考えたら幸運だったかも……!ざまぁみろ、第8課ぁッ!」
千歳が机をドンと叩き、声を張り上げる。
……この人、シラフでこれなのか? だが言っていること自体は確かに正しい。こうして彼らと縁を結べたのも、その“第8課”とやらが任務を譲ったからこそだ。
「おー、荒れてるねえ。」
涼が苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「涼さん。静香さんは大丈夫でしたか?」
気になって問いかけると、彼女は落ち着いた声で頷いた。
「全然問題ないよ。今はぐっすり眠ってる。喋り疲れたのもあるだろうね。」
そう言って自然な仕草で隣の席に腰を下ろす。落ち着いた雰囲気が部屋の空気を少し和らげた。
「で──私から続けるけど。ネクサス13の任務は、基本的に危険な仕事か、あるいは雑用みたいな調査ばっかり。で、明日一緒に行くやつは……おそらく前者の方かな。」
涼の声音は静かだが、その奥に緊張感が滲んでいた。
「危険な任務……。やっぱり、戦闘になるのでしょうか?」
思わず問い返す。心臓が小さく跳ねる。
「多分ね。もし相手が素直に投降してくれればそこで終わり。でも──なかなか、ね。」
涼の言葉は淡々としていたが、どこか冷たい現実を突きつけられたようで、胸の奥に重く沈んでいく。
「内容としては、能力を偽装して不当に利益をかさ増ししている集団へのガサ入れだよ。十中八九、抵抗してくるだろうね。」
凉が淡々と告げる。その口調は落ち着いているが、裏には確かな緊張が含まれていた。
「たくさん悪い噂も流れてるしね〜。ろくな奴らじゃないよ、絶対。」
「なるほど……。俺もできる限りのお手伝いはさせていただきます。」
頷きながら答える。
この世界での初めての戦闘。今の身体でどこまで戦えるのか──その具合を確かめる、いい機会になるはずだ。
「おぉー!まさか教科書に載るような英雄様と一緒にお仕事できるなんて!第8課もたまには役に立つね!」
千歳が子供のように両手を上げてはしゃぐ。その姿に思わず苦笑が漏れた。
「明日は私たちも一緒だし、能力の使用も許可されてるからね!」
「はは……。期待に添えるように頑張ります。」
言葉を返すと、千歳はますます目を輝かせる。
──こうして夜は更けていった。
いつの間にか鷲尾も戻ってきていて、俺がトイレから戻ると、リビングのソファには丁寧に畳まれた布団が添えられていた。ああ見えて、実は面倒見がいいのだろうか。
「ふふ、まぁ自分の部屋を譲る気はないみたいだけどね。」
涼がからかうように囁く。
結局、寝かさないなんて豪語していた千歳は疲れて自室へ引き上げ、リビングに残ったのは涼ひとりだった。
「……また顔に出てた?鷲尾さんのことは、まだよく掴めないんですよね。」
「うん、英雄様は分かりやすいよ。鷲尾のことはまぁ、後々だね。……ほら、少しお姉さんと話そうか。」
ぽん、とソファを叩き、涼が座るよう促す。
「歳そんなに変わらなそうですけど……。」
冗談を返しながら、言われるままに隣へ腰を下ろした。
「勝手な憶測だけどさ……周りから英雄だなんて持ち上げられて、疲れてるんじゃない?」
「……はい、正直に言えば。でも、自分のしたことがこうして皆の役に立ってるのは……嬉しいです。」
ひとえに俺だけの功績ではない。ここまで人類が生き延び、発展できたのは、彼ら自身の努力の賜物だ。それでも、その一助になれたのなら──俺の判断は間違っていなかったのだろう。
「……すごいね。まだ実感は薄いけど、やっぱり英雄なんだね。」
「いえ、そんな……。それに、凉さんにはお礼を言いたかったんです。」
「お礼?私に?」
「はい。月影首相に初めて会った時、困惑している俺を気遣ってくれましたよね。あれ、実はすごく助かったんです。」
ほんの少し前の場面を思い返す。
困惑や緊張に押し潰されそうだった自分を和らげてくれたのは、彼女だった。
「なんというか、そのおかげで接しやすいというか。堅苦しい場は得意じゃないので……千歳さんや凉さんには感謝してます。」
「んー……面と向かって言われると、ちょっと照れるね。……じゃあ感謝ついでに、ひとつお願いしていい?」
「お願いですか?……難しいことでなければ。」
「ふふ、そんな無茶は言わないよ。」
涼は青髪を揺らしながら隣に身を寄せ、真っ直ぐに見つめてきた。
「良かったら、私と話す時は敬語じゃなくて、もっと楽に話してくれないかな。どう?」
意外な提案に思わず瞬きをした。つまりタメ口で……。慣れないが、それくらいなら。
「……まぁ、それくらいなら。変でも笑わないでね。それと──」
今度は俺の方から覗き込む。
「…凉も、俺のことは英雄様じゃなくて、圭って呼んでよ。」
「はは……嬉しいこと言ってくれるね。」
二人して小さく笑い合う。
そのまま取り留めのない会話を重ねるうちに、夜はさらに深まっていった。




