第一章:把握
服を着て、人としての尊厳を取り戻したところで、ようやく彼女たちと向き合うことになった。
あまりにも長い眠りだった。目を閉じたあの日から今日までで、世界はきっと大きく変わってしまったのだろう。
俺の知っていた常識など、とっくに色褪せた過去の断片にすぎないのかもしれない。
さっきまで騒がしかった少女たちは、気づけばきちんと名乗りを済ませていた。
黒髪ショートの元気な子は浅葱 千歳。
眼鏡をかけた小柄な長髪の少女は小鳥遊 静香。
黒髪で片目を隠した大柄な男が、鷲尾剛志。
そして軍服姿で無駄のない動きをする青髪ショートの女性が真壁 涼。
彼らは雰囲気も性格も違うが、奇妙に調和しているように見えた。
そんな思考をよそに、テーブル越しに黒髪ショートの少女が身を乗り出してきた。
「で!お兄さんが、本当にあの“英雄”なんですか?」
声そのものには違和感はない。だが、その瞳の奥に宿っているのは疑念よりも、子どものような無邪気な好奇心だった。
「ちょ、ちょっと浅葱さん!あまりに失礼です!!」
慌てて静香が彼女を押さえつける。その仕草は咄嗟のものなのに、妙に板についている…。きっと何度もこうして彼女を止めてきたのだろう。
場所はエルンテリアの一角、整えられた庭園に面したテラス。まるで物語に出てくるお嬢様が優雅にお茶会を開いているかのような場所だ。
先ほどまで膝を折っていた金髪のご令嬢と赤髪の武人は、すぐにこの場を辞し、急いでどこかに報告へと向かってしまった。
残されたのはこの四人。そして、俺。
「……正直なところ、あなたたちが言う“英雄”が、俺のことなのかどうかは、わからないです。」
紡いだ言葉は、偽りのない心情だった。
眠りから目覚めて以来、何度も“英雄”と呼ばれてきた。けれど、それが果たして本当に自分を指しているのかどうか、確証など持てるはずもない。
だからこそ、取り繕うより正直に、ありのままを話そうと決めた。
「間違いなく……絶対に英雄様です!」
意外にも声を荒らげたのは静香だった。
「まず、春の亡骸からお出ましになった瞬間をこの目で見ていましたし……それに、さっきの能力ですよ!!まるで、記録に残されている……!」
言葉を重ねるうち、我に返ったのか、彼女の頬が見る見る赤く染まっていく。
「……ファンだもんね、確か。」
涼はからかい半分の視線を投げかけながら、静香の肩を軽く叩いた。
「あああっ!なんで今それ言うの!もう無理!死ぬ……!」
両手で顔を覆い、椅子に沈み込む静香。
その横で千歳はケラケラ笑い、鷲尾は「やれやれ」とでも言いたげに煙草を取り出しかけ──だが静香の鋭い視線に気づき、気まずそうに懐へ戻した。
……どうやら、俺が最初に出会った人間は、揃いも揃って変人ばかりらしい。
神のごとく仰ぐ者もいれば、子どもみたいに騒ぐ者もいる。
せめて──この先、もう少し普通の人間に出会えますように。
俺は胸の内でひそかに祈った…。
一抹の不安を抱えながらも、なぜだか居心地の悪くない彼らに、とりあえず今一番気になっていることを口にした。
「えっと、まず……今って、西暦何年なんでしょうか?」
「え、あ、今は……西暦2548年の、2月4日です。」
静香が少し緊張気味に答える。
2548年──。
数字の響きだけで、胸の奥がずしりと重くなる。
俺が眠りについたのは2027年。
つまり……およそ五世紀半、521年という途方もない時が流れ去ったことになる。
あちらで過ごした時間も、ほぼ五百年。
思い返せば長い歳月だが、不思議とズレは小さい。二つの世界の時間が、妙に歩調を合わせていたようにさえ思えた。
「なるほど……。」
小さくつぶやき、額に手をあてる。
「正直、何から聞けばいいのか……。」
見渡せば、ここは俺の知る日本とはまるで違う。
涼の鮮やかな青髪は、染料の産物などではなく、まるで生まれながらの色彩のように自然だ。
それに先程の赤髪の女性も、武器を隠しもせず堂々と携えていた。
千歳は興味津々に俺を覗き込む。
「でもさ、英雄様が現れたのって何百年も前でしょ?」
再度、千歳が椅子の背からぐっと身を乗り出し、悪戯っぽい目で俺を射抜く。
「ずっと意識がなかったなら──記憶も空白ってことになるんじゃないですか?」
「まあ、都合よく全部知ってましたって方がおかしいけどな。」
鷲尾が煙を吐くように淡々と告げる。
確かにその通りだ。
だが、だからといって状況が楽になるわけでもない。
目覚めれば見知らぬ世界。何故か英雄と呼ばれ、身に覚えのない期待を押しつけられ、何も知らぬままに歩かされる…。
それは思っていた以上に難儀なものだった。
とはいえ、ひとりきりで荒野に投げ出されるよりは、よほど幸運なのかもしれない。
そんな思考をめぐらせていた時だった。
少し離れた場所から、再びあのご令嬢と赤髪の女性、そして──初めて目にする一人の老紳士が、ゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。
「あ、さっきの……。」
思わず声が漏れる。
俺の呟きに気づいた仲間たちも、一斉に視線をそちらへと向ける。
「……驚いたな。大物が来たもんだ。」
鷲尾がわずかに目を細め、低くつぶやいた。
確かに、自然と視線が集まるその姿は、威圧というより圧倒的な風格に満ちていた。
先頭に立つご令嬢が、俺の前に進み出ると、ふたたび膝を折った。
「お待たせいたしました、英雄様。──差し支えなければ、これより我らと共に【星界評議殿】へお運びいただけますでしょうか?」
彼女の声は震えを隠せぬながらも、凛としてよく通る。
その傍らで、老紳士が一歩前に出て、優雅な所作で深々と頭を下げた。
「初めまして、英雄殿。
わたくしは扶桑連邦国にて首相の任を預かっております──月影 悠然と申します。
要件は今しがた娘が申し上げた通り。どうか落ち着いた場にて、あなた様のお言葉を賜りたく存じます。
この身、直々にお迎えにあがった次第にございます。」
老紳士の言葉には、無理に飾り立てたものではない、本物の重みがあった。




