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第二十八話

「ブラジェナ様、こちらを向いて下さい。」


 ブラジェナは横に顔を背けた。知らないわよ。


「弱りましたね。」


 小声で落とされるジーノの声。珍しく悲しげな声色が気になり、ブラジェナは思わず顔を向けてしまった。


 次の瞬間、ブラジェナの頰が大きな手に引き寄せられ、青紫の髪が彼女の頰を撫でた。視界がジーノ一色になる。細められた青紫色の瞳にブラジェナの驚いた顔が映り込む。唇に温かく柔らかい物が重なった。


 え?


 ブラジェナの思考が停止し、時間が止まったように感じた。体が石の様にピシリと固まる。一瞬置いてから、彼女はジーノに口付けられたと言うことを理解した。彼女の心臓がドラムを叩いているかの様に脈打つ。頰はこれ以上ない程の熱を持っていた。


 ジーノは一度整った顔を離した。彼の頰は紅潮していた。


「顔が真っ赤ですね。」


 ジーノは柔らかく微笑むと、もう一度顔を近付けようとする。ブラジェナはハッと我に返り、彼の体を押し返す。ジーノは素直に彼女を離した。彼女は両腕で自分の体を抱き締めた。そして赤くなっているであろう顔で、彼を睨んだ。


「いきなり何するの!?」 


 いえ、いきなりとか言う問題じゃないわ!ジーノが私にこんなことをするなんて!ブラジェナの心の中は嵐の様に荒れていた。先程まで重なっていた唇に目が行きそうになり、彼女はジーノの目に視線を固定した。


 ジーノは目を伏せ、赤い舌で自分の唇を舐め、甘いですね、と呟いた。ブラジェナの顔が更に熱を帯びる。彼女は口を開閉させたが、言葉になることはなかった。ジーノは熱の籠った瞳を彼女に向け、吐息混じりで話した。


「ブラジェナ……、ずっと貴方のことが好きでした。」


 ブラジェナは目を見開いてジーノを見つめる。宝石のような青紫色の瞳は、彼女一人だけを見ている。彼女は目を逸らしたくても逸せない。ジーノが私のことを好きなんて……、そんなこと。ないとは思うことは出来なかった。こんな時だけ名前で呼ぶなんて、狡いわ。


「ブラジェナ様は研究などに対して一生懸命ですよね。努力家ですし。尊敬しています。」


 そんなの、魔導騎士団に勤めてるジーノも同じじゃない。私は仕事だし、好きでやっていることだもの。


「人のために行動する優しい方ですよね。」


 それはジーノのことじゃないの?


「男性の方がブラジェナに視線を向けている時や、告白されたと聞いた時。クートさんに笑顔を向けて話していた時……。心中で暗い炎が燃えました。」


 ……嫉妬したってこと?


「甘い物を食べている時、可愛らしいですよね。」


 そんな風に見ていたのね……。


 畳み掛けるようにブラジェナを褒めるジーノ。ブラジェナは彼から目を離せなかった。


「ブラジェナは美しいです。私に対して素直でないところも……、猫のようで可愛いらしいです。」


 ジーノは目を細め、悪戯っぽく笑った。ね、猫!?猫って動物の猫よね!?ブラジェナの頭の中で、茶色いふわふわの毛並みの猫がニャーン、と可愛らしく鳴く光景が頭に浮かんだ。目の色は自分と似た緑。彼女は頭の中で想像を掻き消す。


「貴方の一番が私であったら、と何度思ったことか分かりません。」


 ジーノ……、そんなに私のことが好きなの?本当に?困るわ。ずっとジーノのことは友人としか考えて来なかったし……。


 ジーノは顔を近付けてブラジェナの顔を覗き込むと、彼はクスリと笑う。


「その顔は……、脈ありですか?」


「知らないわ!」


 ブラジェナは顔を背ける。しかし数秒後、眉を下げながら顔を上げた。そして小声で呟く。


「と言うより、分からないのよ。今までずっと友人と思って来たんだもの。私のことが好き……とか言われても、困るわ。……悪いけれど、貴方の気持ちには応えられないわ。」


 言い終わった後、ブラジェナは顔を伏せた。痛い程の沈黙が流れる。ジーノはどんな顔をしてるのかしら。傷付いた顔?悲しそうな顔?それとも。


 数秒後、彼女は顔を上げた。ジーノは、優しい眼差しで彼女を見ていた。彼女は内心安堵する。彼は目を細めて呟く。


「分からない……ですか。」


「ええ、そうよ。それに貴方が私のことを好きってのも、信じられないわ。」


 ブラジェナは苦笑いした。


「ジーノも知ってるでしょ?私、良くて友達止まりとか言われるし。」


 見て来る人はいるけれど、それまでだもの。ブラジェナの言葉に、ジーノは首を横に振った。


「私はそのようなことを言った覚えはありません。」


 そう……かも?どうだったかしら?ブラジェナは首を横に傾けた。言わないだけで思ったことはありそうね。


「私、音痴だし。」


「今更ですね。」


 ジーノは即答した。否定しない辺りは……、この前も言われたしね。


 ブラジェナの瞳が揺らいだ。まだ他にもあるはずよ。彼女は目を伏せ、再び頭を回そうとした。


 そこで、ブラジェナの頰に何かが触れた。


 何?ブラジェナは前を見て、目を見開いた。ジーノが彼女の頰を大きな手を添えていたのである。


 まさか、また?彼女の心臓が早くなり、体温が上がる。身体が強張った。目の前の綺麗な顔と雪に見惚れそうになる自分がいたけれど、頭の隅に追い遣った。ジーノは目を細める。


「もう何もしません。……今日は。」


 今日は、って。ブラジェナは頰が赤くなるのが分かった。


「さっきはいきなり、だったじゃない!紳士なんじゃないの!?」


 改めて言うのは恥ずかしいので、私は濁して言った。ジーノは首を横に振って謝る。


「申し訳ありません……。想い人なので、我慢出来ず。」


 頰を赤く染めるジーノ。ブラジェナは身体が硬直した。我慢出来なかったって……。


 唐突に、ブラジェナを鍛えられた身体が包んだ。何!?身体が石のように硬直する。服越しに感じる体温に、彼女の心臓が高鳴る。彼女はジーノの鼓動が速いことに気付き、ますます身体が熱を持った。


 彼女は彼の体を押し返そうとしたが、ゆっくりと手を下ろした。嫌悪感は感じなかった。ジーノはブラジェナの身体を抱きしめながら、彼女の顔を覗き込む。


「分からないと言うことですが……。今すぐ恋人になって欲しいとは言いません。ですが、すぐに私のことしか考えられなくさせてあげます。覚悟して下さいね。」


 赤い顔で目を細めブラジェナを見つめる彼の瞳は、いつもの穏やかな物や揶揄いの色の籠ったものでもなく、捕食者のような瞳だった。そこから感じる恋情、そして執着に、私は知らず識らずのうちに身体が震えていた。



◇◇◇



 あの後。暫くして。頭が回るようになり、ブラジェナはジーノを押し退け、茶色い鞄を掴んで立ち上がった。


「今日はありがとう!じゃあね!」


 そう言って早足で去った。ジーノは引き留めることはしなかった。彼女は自分の顔が燃えるように赤いのが分かった。


◆◆◆


 バレンタイン以降、ジーノは以前よりも物理的に距離が近くなった。ブラジェナは友人達に生暖かい目で見られるのが気に喰わなかった。


 ジーノは二人の時はブラジェナで呼ぶようになった。たまたま見ていたジュデイットに聞かれた時は詰め寄られた。大変だったわ……。


◆◆◆


 後日、ブラジェナはふと考えた。何だかんだで、ジーノが直接受け取った花束ってないわよね。


 ジーノに会った時にブラジェナが尋ねると、彼は目を細めた。


「ええ、そうですね。ですが、欲しいものは頂いたので……。」


 笑顔で自分を見るジーノ。まさか、私の渡したクッキーのこと?ブラジェナの頰が熱を持った。更に、彼はブラジェナの目を見たまま言った。


「本当に欲しい物は、そのうち貰うつもりです。」


 どう言うこと?ブラジェナは首を横に傾けたが、ジーノは微笑を浮かべたまま答えなかった。

 


◆◆◆



 バレンタイン後。


「本当ですか!?」


 ブラジェナが大きな声で聞き返す。アルフォンスは笑顔で頷いた。


 ブラジェナは思い付いた新薬に関するレポートを書いた。クートから送られた来た記録も含め、騒動の際のレポートを書き、まとめて提出したのである。


 それ達が評価されたのである。


「上は褒めていたよ。……新薬も今度実践しようか。」


「はい!」


 ブラジェナは勢い良く笑顔で首を縦に振った。



◆◆◆



 結局、あの夢は何だったのかしら。それに、あれ以降、不思議な夢を見たことはないのよね。予知夢だったのかしら?本当に別の世界だったりして。



◆◆◆


 バレンタインは、来年から普通に甘味や花を渡すようになった。


 トマトに関する文化は残った。秋にトマトや食材を一つ持ち寄り、料理を行って振る舞う祭りが行われた。


 ……もう何でも良いわ。

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