十一話
「ありがとうございます!」
ブラジェナは頭を下げた。そして、顔を上げると、彼女は続けて言う。本当は自分も付いて行って力になりたいが、一研究者に過ぎない。魔法は多少使えるが、戦闘員ではない。行っても足手纏いであるため、諦めたと彼女は言った。
せめて魔法薬を渡して力になりたかったんです、と彼女が眉を下げると、騎士はふっと目元を和らげる。もし付いて来ると言ったら、気絶させてでも止めるつもりでした、と彼は笑う。口では物騒なことを言っているが、目の光は柔らかい。ブラジェナには手荒いことをせずに済んで男性自身も安堵しているように見えた。
「街の警護は我々騎士の仕事なので。お気持ちだけは受け取っておきます。」
騎士は胸の前に手を当ててお辞儀をした。そして、先程の表情とは打って変わり、彼は目を光らせた。彼は周囲を窺った後、ブラジェナの方に顔を近付ける。そして小声で言った。
「騒ぎを起こしたくないので、この件は内密にしていただけますか?」
それに、ブラジェナは微笑んで頷く。
「分かりました。」
「ありがとうございます。」
騎士は目を細めて笑みをブラジェナに向けた。彼は騎士服を翻して路地裏から出ようとする。そこで、ピタリと足を止める。首だけを彼女に向け、眉を顰めて言った。
「昼間とはいえ、女性が一人で路地裏付近にいるのはお控え下さい。」
魔法薬、ありがとうございました。記録に関しては、善処します。小さく付け加える。そして彼は顎に手を当ててから、名乗らないといけませんね、とため息混じりに呟いた。そしてブラジェナに再び目を向ける。
「私の名前は、クートです。」
名乗るや否や、彼は風のような速さで去って行った。馬に乗って件の街に向かうのであろう。ブラジェナは消えた騎士服を小さく口を開けたまま見送る。
クートさん、ね。ジーノも騎士服着てるから、見慣れたと思っていたけれど。なるべく情報を漏らさないで、こちらを励ましてくれたし。何か格好良いわね。彼女は目と口元が緩むのが分かった。
見回り途中に相談を受け、ブラジェナとジーノは雑貨屋に向かった。相談主はここの男性店主である。ブラジェナ達は店に入り、倉庫に案内された。目に入った光景に彼女達は圧倒された。
「わー……。」
「これは、凄いですね。」
ブラジェナは呆然と口を開け、ジーノは苦笑していた。店の床の上に色取り取りの花束がこんもりと山のように積まれている。様々な花の匂いが鼻を抜ける。彼女は苦笑した。良い匂いだけど、ここまでになると凄いわね。
「殆どが数人の男性店員宛です。彼達の職場に届ける人が多くて。家にも届けられてるみたいですし。本人達も、受け取りきれないとのことで……。幾ら花でも、ここまで来ると……。」
40代くらいの男性店主は眉を下げて山を見た。隣は男女含めた数人の店員。当事者はこの場にいない、とのことである。余程人気の男性がいるのね。しかも数人。ちょっと気になるかも。邪念がブラジェナの頭を掠めたが、頭を振って掻き消した。
それに、と彼女は隣を見る。目が合うと、ジーノは首を傾げた。彼女は首を横に振り、再び前を向く。ジーノも山程貰ってるのよね。見回り中の様子を思い出し、彼女は半目になった。
多分今頃騎士団のところは、他の人の分も合わせて山になっているんでしょうね。彼女は想像して苦笑する。そして、意識を目の前に花束の山に戻した。
当の店員達は恋人ではない人からの、しかもこんなに大量には受け取れないと言うことである。
「どうしたら良いんでしょうか。」
店主は手で頭を掻いた。ブラジェナは目を閉じ、案を考える。話し合いを行った。
・店に飾る
・寄付する
・教会から子供達に配ってもらう
・押し花
・花屋に影響が出ない範囲で服屋に預ける
・何処かに飾る
この他にも幾つかの案が出た。
「ありがとうございます!」
店主は目を輝かす。
「どれかは決められていませんが……。」
眉を下げるブラジェナ。それに店主は首を横に振った。
「それは私共で相談して決めます!ブラジェナさんにジーノさん、案を出して下さってありがとうございました。」
彼は頭を下げる。ジーノはいえ、と会釈をした。良いのかしら……。ブラジェナは眉を下げたまま曖昧に微笑む。
「はい。」
ブラジェナは店主に、同じような状態の店などがあれば先程の提案をするようにお願いする。店主は快く頷いた。更に幾つか魔法薬を試させて貰い、記録を行った。
そこから何件か同じような相談が持ちかけられる。雑貨屋と同じような提案をすると、喜ばれた。
ブラジェナは見回りのついでに教会や服屋などに話を持ちかけておいた。彼女は頭上から視線が降り注いでいるのに気付いていたが、黙殺した。暫くして、落ち着かずに横に視線を向ける。どうせ生温い目で見てるに違いないわ。
ブラジェナの予想は外れた。ジーノは微笑を浮かべ、柔和な眼差しを彼女に向けていたのである。ブラジェナは取り込んだばかりの毛布で包まれているような気分になる。同時に今すぐにジーノの視線から逃れたい気持ちにもなった。彼女は顔を背けると、歩みを速めた。
バレンタインの行事に参加してる人の中は40~50代の人もいた。微笑ましいわね。ブラジェナは花束を贈る夫婦を見て、笑顔が溢れた。
そんな中。
「ふふふ……あははは。」
ブラジェナは隣の姿に我慢することが出来なかった。彼女は口に手を当てて笑った。
彼女の隣を歩くジーノ。彼の頭上には、大きな透明な球体が浮かんでいる。その中には、数多くの花束がゆらゆらと漂っていた。
これらは全て、彼がバレンタインで女性達から貰った花束である。
「ジーノ。確かに私は、貴方が何人に花束を贈ることになるかしら、とは言ったわ。でも、まさか逆にこんなに沢山の花束を、それも投げられることになるなんて……。」
ブラジェナは笑いで途切れ途切れに言った。これに笑いを我慢しろ、と言う方が無理でしょ。
ジーノは何回も10~30代前後くらいの女性に囲まれた。職場に送った、と言う人も多い。彼は女性達から期待に輝く瞳を向けられた。あわよくば恋人になれるかも、と考えていることが誰の目にも分かる。流石のジーノも困ったように笑ってるのが見えたわ。
最初は数人が彼に投げたが、そのうち何人にも同時に投げられることが多くなった。彼は最初に投げられた時に魔法で球体を作り、投げられた花束はそこに向かうようにした。女性達は不満の目を向けたが、彼が何かを言ったようで、納得したように頷いていた。
ブラジェナは後でジーノに花が何故渡されなくなったかを気になって聞いた。すると彼は何と言ったかを彼女に教えた。
女性達には申し訳ない。しかし自分は騎士団として王宮に仕える身である。このような行事で不特定多数の大勢から例え花束でも安易に受け取るわけにはいかない、と言ったそうである。後で騎士団で確認し、安全と分かったら受け取る、と言ったとのことである。
まあそう言われちゃしょうがないわね。何人もいたし。ブラジェナは彼の周りに何人もいたのを思い出し、遠い目になった。それにあんなに大勢の人から恋人になって、と言われても困るでしょう。
「ブラジェナさんとは……。」
ブラジェナは不意に女性達の方から自分の名前が聞こえた気がして、そちらを見る。彼女は視線が集中していることに気付き、たじろいだ。ジーノが何か言ったようで、視線が散り、彼女はため息をついた。びっくりしたわ……。
私にもチャンスが!と言う声が聞こえ、何となく内容が想像出来て、彼女は苦笑いをした。ジーノが手伝ってくれてるから、尚更注目を集めたのかもしれないわね。
ジーノは一人一人に、とは行かなくとも、まとめてお礼を言っている。そう言うところが女性に囲まれる理由だって分かってないのかしら。そこまで考えて、ブラジェナは首を横に振った。
そう言うわけにはいかないんでしょうね。律儀なのは騎士の、と言うより、ジーノの性分なんでしょうね。
ちなみにブラジェナはジーノが数人に囲まれた辺りで離れた。嫌な予感がしたのよね。何人かから勝ち誇ったような目を向けられたけど。と言うかさっきまで一緒だったし……。いやこれは関係ないわね。