第66話「俺はアストレアを好きだったのか――」
「やれやれ。これだけ言ってもまだ覚悟を決められんとは、底なしの間抜けだなお前は。とても見てられん、心底がっかりだ」
そう言うと、サイガは刀を鞘に納めた。
同時に、猛烈な『気』が剣気となって鞘の中で激烈に圧縮されていく。
「その構え、まさか――」
「どこまでも甘く、迷いも捨てられず、覚悟を決められないお前に、剣だけを頼りに生きる剣士の道は無理だ。もはや生きている価値すらない。今ここで師であるオレがこの手で引導を渡してやろう。せめてもの手向けとして、神明流の相伝奥義でな」
「やはり神明流・相伝奥義・『紫電一閃』――!!」
リュージはサイガから発せられる圧倒的な剣気に、完全に飲まれてしまっていた。
「どうした? ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなったのか? ならばさっきお前のこのことを一流と言ったが、訂正だ。どうやらお前は一流にすらなりきれない、どこまでも見掛け倒しの、ちょっとばかし戦闘技術が優れているだけの二流の小者だったようだ。やれやれ、オレとしたことが育て方を間違えたか」
「こ、これが師匠の本気……なんて『気』の高まりなんだ……」
それはまさに絶対強者の在りようだった。
今までサイガの本気だとリュージが勝手に思っていたものは、本気でもなんでもなかったのだ。
(俺とは格が違う。違いすぎる。これが覚悟を決めて超一流へと登り詰めた神明流の剣士なのか。こんなもの、勝てるわけがない)
リュージは己の敗北の予感を――つまりは死の予感をひしひしと感じ取っていた。
「事ここに至ってなお、ぬるま湯な考えから抜け出せないか。ならばそのままぬるい幻想にまみれて、なにも為せずに惨めに死にゆくがいい」
殺気、闘気、剣気、鋭気、覇気――もろもろサイガの本気がビリビリとリュージに伝わってくる。
神明流の最終奥義が放つ力の余波の前に、
「俺は、死ぬのか――」
リュージはついに己の死を確信した。
そして自らの死を前にしたリュージの心には、あと一歩のところで復讐を為し遂げられなかった悔恨が満ち溢れていた。
もうすぐ手が届くところに、大好きな姉ユリーシャと大切な義兄パウロの命を奪った怨敵がいるというのに、どうしても届かないその距離。
それがどうしようもなく悔しかった。
しかしそんな悔しさとともに、リュージの脳裏にはアストレアの顔が浮かんでいた。
出会ってから数か月。
ぜんぜんちっともたいした期間ではないが、時にリュージが行う復讐という名の殺人に心を痛め。
時に優しくリュージを慰めてくれ。
顔を合わせるたびに軽口をたたき合ったアストレアとの思い出が、今際の際になってリュージの心に溢れ出してきたのだ。
「そうか――俺はアストレアを好きだったのか――」
今さらになって、リュージは自分の心のうちにある思いに気が付いていた。
アストレアへの思いに気が付いてしまった。
最愛の姉と死に別れたように、死という形でアストレアと離れ離れになるのが、どうしようもなく嫌だった。
もっとアストレアと話しておくべきだった。
もっとアストレアに思いを伝えておくべきだった。
もっと、もっと、もっと――いいや、違う!
「まだ俺は、なにも為しちゃいない……姉さんとパウロ兄の復讐も、アストレアのこともなにもかも、俺はまだなんにも為しちゃいないんだ! なのにこんなところで、中途半端なままに終わっていいはずがないだろうが――!」
強い決意とともにリュージが吠えた。
するとさっきまでは怯えるしかなかったその身体に、溢れんばかりの猛烈な力が湧き上がってきた――!