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空の鱗と海の翼  作者: 『空の鱗と海の翼』制作委員会
天縛の輝石/橘 紀里
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森で

 一休みして外へ出ると夜はすでに明け、空はいつも通りのくすんだ灰青色をしていた。透き通るような青空とはどんな色だろう。もう少し詳しく聞いてみたいと口を開きかけた時、明るい声が響いた。


「あ、シェン! どこ行ってたんだよ。さっき家に迎えにいったのに」

「ティス、どうしたの? 迎えにって……何か約束してたっけ?」

 ネルクとはまた質の違う茶色の髪に、明るい緑の瞳の少年は呆れたように首を振りながら肩を竦める。

「今日は(はる)()ちの宵祭(よいまつ)りだぞ。みんな総出で準備を手伝うんだから、シェンも早く来いよ!」


 手を差し伸べてきた顔は、シェンが共に行くことを疑ってもいない。見上げると、ネルクはやや苦笑して頷いた。彼女が特別な存在であることを知っているのはネルクと一握りの大人たちだけ。だからこそ、こうして彼女は伸びやかに暮らすことができているのだ。シェンは少年に頷くと、ネルクに手を振った。


「じゃあ、行ってきます」

黄玉(ひる)の刻までには戻るのですよ」

「はーい」

「ネルクは相変わらず心配性だなあ。シェンだってもう十七だぞ。一人で森の奥にだって行けるし、そろそろ仕事を始めたっていい頃だぞ?」

「……そうですね。確かに私は過保護すぎるのかもしれません。でも、シェンは体が弱いので」

「そういえば月に一回は寝込んでるもんな」

「あれは——」

 言いかけたシェンの頭を、ネルクがふわりと撫でた。見上げた顔は静かだったが、それ以上は話すべきでない、という意思は伝わった。

「シェン?」

「あ、何でもない。行こう、ティス」

 怪訝そうな顔をした少年の腕を引き、シェンは森へと続く道を歩き出した。


 春待ちの宵祭りは真夜中から始まる。イチイの葉と実でリースを作り、家の扉や燭台に飾ってまだ遠い春を待ち望んでいることを精霊たちに伝え、一日でも早く春が訪れることを祈るのだ。普段は日が沈めば早々と眠りにつく街が、その日ばかりは夜更かしをする。

「今年は街の広場で(まも)()を焚くらしいぞ」

「守り火?」

「おれも見たことはないんだけどさ、昔は宵祭りは大きな焚き火を焚いて、夜通し音楽を奏でながら踊り明かしたんだってさ。さすがにそこまではやらないけど、一晩中火を焚くくらいなら、もういいんじゃないかって」

「……この街には緋竜が十年現れていない、から?」

「そういうこと。でも、本当に平気なのかなあ」

 ティスは赤い実をつけたイチイの枝を折り取り、籠に入れながら首を傾げた。

「この街には来てないっていっても、カラカの街が滅ぼされたのはたった二年前だろ。おれだって覚えてるくらいなのに」


 カラカはこのオリの街から十日ほどかかる岩の砂漠の中にあった街だ。数少ない交易相手だったが、二年前に緋竜に襲われ、多くの被害が出た。生き残った住民の半分はこのオリの街に移り住み、残りは別の街へと去っていった。後に残ったのは廃墟だけ。

 緋竜は一度襲った街に人間が戻ることを許さない。人の気配があれば必ず滅ぼしにくる。だから、一度でも襲われた街や村は遺棄されるより他ないのだという。


「オリは森の中にあるけど、夜通し火なんか焚いたら絶対目につくだろ。年寄りはもうみんな平和になったって思い込みたいのかもしれないけど、おれはちょっとどうかと思うよ」

 そう言ったティスの顔に影が射した。雨雲でも湧いたのかと二人で顔を見合わせて空を見上げた先にあったのは、もっと巨大な影だった。


 白く厚い皮に覆われた腹。緋色の長い首と、その巨体を支えるにはあまりに薄く見える蝙蝠(こうもり)のような翼。


 どうして、と呟くよりも先に、怒号が聞こえた。

「ボーッと突っ立ってんじゃねえ。どけ、ガキども!」

 同時に二人まとめて突き飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。

「何す——!」

 けれどティスの声も最後までは続かなかった。目と鼻の先を紅蓮の炎と熱波が掠める。

「ティス!」

「来るな、シェン!」

 燃えたつ草の向こう側で、少年が硬い声で叫んだ。ごう、とまた炎が二人の間に高い壁の如く立ちはだかる。同時に金属を擦り合わせるような不快な咆哮(ほうこう)が辺りに響いた。

「本当に、緋竜——⁉︎」

 呟きを聞き咎めたのか、その巨大な生き物はシェンを振り向き、顎を開いて彼女を見据える。縦に長い瞳孔(どうこう)と黄色い虹彩は無感動に彼女を見つめていたが、喉の奥にぼぅっと赤い色が宿る。シェンはただ呆然とそれ見つめる彼女の耳に、怒号が響いた。


「ボーッとしてんなっつってんだろ!」


 苛立ち混じりの低い声と共に、彼女の正面に大きな人影が飛び込んでくる。背の半ばまで届こうかという青みがかった黒い髪。それを首の辺りで赤い紐で括っているのがやけに印象的に目についた。その背には大剣、腰にも長剣を帯びている。

 緋竜を前にして立ちはだかるその男の背丈はシェンを隠してしまうほどに大きい。正面から今しも吹きつけられようとする炎をその身で庇おうとでもするかのように、緋竜を睨み据える。

「逃げて!」

莫迦(ばか)言え、逃げるなんてのは弱い奴のすることだ」

 ほんのわずか振り返り、口の端を上げて笑った精悍なその顔には無精髭。それだけでなく、幾つもの傷があり、よく見れば身体中のあちこちが焼け焦げ、引き裂かれて傷を負っている。

「あんなのと戦うつもり⁉︎ 無茶だよ!」

「うるせえ、こちとらずっとあいつを追ってるんだ。()とせば晴れて竜殺し(・・・)だ。お嬢ちゃんはおとなしく後ろですっこんでろ」


 素早く腰の長剣を抜き放ち、吹きつけた炎を文字通り切り裂いた。鋼の刃が炎を映して真っ赤に染まり、男の前髪を焦がす。それでも男は不敵な笑みを浮かべたまま、優雅とは程遠い、無骨な羽音を立てて舞い降りてきた竜と対峙する。


「さて、舞踏会の始まり(ショータイム)だ」


 不適に笑った男と、目の前に立ちはだかる緋竜と。どちらの方が危険だろうか。シェンはどこか冷静な頭でそんなことを考えていた。

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