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空の鱗と海の翼  作者: 『空の鱗と海の翼』制作委員会
天縛の輝石/橘 紀里
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守り石

 白い石造りの壁は、仄かに淡く光を放っている。ちょうど、図書灯のシェード越しの光のように柔らかく包み込むような。人が二人並んで歩けるくらいの細い廊下を、ネルクに()いて進む。

 しばらく進んだ先には開けた空間がある。通路とは異なり、真っ暗な部屋の中心に、白く輝くものが長方形の台座の上に浮いていた。


 それは、腕の長さほどの細く透明な結晶だった。縦に長く、刃のように触れれば手が切れそうなほど鋭利な断面を見せている。

 万が一落下した時に傷つくことのないようにと、厚みのあるクッションの上に浮くそれは、ときおりくるりと回りながらふわふわと浮遊し、微かに明滅している。

「シェン」

 振り返ったネルクの表情は穏やかだ。それでも、この部屋に入るといつもひやりと背筋が冷えるような気がする。シェンは微かに目を(すが)めた彼に内心を知られぬよう慌てて頷いて、台座に近づきそっとその結晶に触れた。


 途端、ふわりと結晶がシェンの手の中に下りてくる。ぴたりと吸いつくように彼女の指先に触れた結晶は、一瞬暗くなったかと思うとすぐに強く輝き始める。柔らかく、部屋全体を照らすように。同時にすうっと何かが体の中から抜け出ていくような感触がして、ぞくりと背筋が冷えた。


 もう慣れたその感触に、ふらついた体をネルクが抱き留める。ひどく冷え切った体に触れた温もりが心地よかった。

「大丈夫ですか?」

 心配そうなネルクの声に頷きながら視線を結晶に向ければ、シェンの手を離れたそれは、再びふわりとその場に浮いていた。先ほどより強く明滅する光と、あたりを包む温かな空気のおかげで、ほわほわとした眠気が襲ってくる。大きな欠伸を漏らしたシェンに、青年が表情を和らげてくすりと笑った。

「少し休みますか?」

「ここで?」

「クッションを重ねればゆっくり休めますよ」

 笑った視線の先には確かに柔らかそうなクッションが積み上げられていた。この部屋は、祈りの間と呼ばれている。月に一度、人々がこの部屋を訪れ、祈りを捧げるのだ。色鮮やかな織物で包まれたそれらは祈りを捧げる人々が膝に敷くためのものだと聞いていた。

「どうして、一緒に祈りを捧げるのではダメなの?」

「あなたが守り石に選ばれた、(とうと)い身だからですよ」

 部屋の隅に腰を下ろし、ネルクはシェンを手招きする。素直に身を寄せ、促されるままに並べたクッションに横たわり、彼の膝に頭を預けた。

 ネルクの大きな手がシェンの緩く波打つ細い金糸のような髪をゆっくりと撫で、幾度も繰り返した昔話を始める。 低く耳に心地よく響く声で、緩やかに歌うように。


 かつて、空は穏やかに晴れて澄み渡り、どこまでも青かったのだ、と。


 人々は畑を耕し、家畜を育て、魚を(すなど)り、森では茸や木の実を得て、時には嵐や日照り、洪水といった自然の厳しい洗礼を浴びながらも、大地と海の恵みに感謝し、日々の営みを繰り返していた。


 最初にそれ(・・)が人々の前に姿を現したのは、西の大国の王都だった。


 胴体はそれ自体が燃えているかのような鮮やかな緋色で、びっしりと硬い(うろこ)に覆われている。長い首には背の方には胴と同じ鱗が、胸側は真珠のように煌めく硬質な皮に覆われている。尖った耳に、ねじれた黒い角が二本。

 そして、空を覆うような蝙蝠(こうもり)に似た(まく)のある緋色の翼は、どうやって自重を支え飛ぶことができるのかと疑問を抱かずにはいられぬほど薄い。


 竜——中でも翼を持ち空を翔ける飛竜は(がい)して優美で美しい生き物だ。東方では神として崇められることもあるというその存在を初めて目にし、畏敬の念を抱いた者も多かったという。

 誰もが空を舞うその姿に見惚れた。だが、その憧憬の眼差しは瞬時に恐怖に変わった。轟々と鳴ったのが、緋色の翼が震わす風だったのか、はたまた口から吐き出された紅蓮の炎だったのかは、今となっては知る者とてない。


 飛竜の炎の熱は、一瞬で石をも溶かすと伝説に語られたほどは高くはなかった。けれど彼らは執拗に王都に炎を浴びせ続けた——その機能が全て破壊されるまで。

 さらに赤い飛竜は一頭に止まらず、世界各地に姿を現し、多くの都や街を焼いた。どんな鋭い鋼の剣も黒曜石の(やじり)もその硬い鱗を貫くことはできず、容赦無く吐かれる炎の前に、人々はなす術もなかった。

 世界の主だった都や街がほとんど焼き尽くされ、残ったのは山間や地下に逃げ込んだ人々の小さな集落のみ。

 やがて、人間の住処のみをひたすらに焼き尽くす竜は恐怖の象徴となり、かつて空を駆けていた飛竜たちとは区別して、()(りゅう)と呼ばれるようになった。


 そして、今に至る。


「緋竜はいつから現れたの?」

「そう古い話ではありませんよ、確か十年かそれくらい。子供が大人になるくらいの間の話ですね」

「そんなものなんだ……。何かきっかけでもあったのかな?」

 クッションを抱いたままそう尋ねると、ネルクはわずかに眉根を寄せる。

「緋竜を調査しにいった人々はほとんど戻ってきません。ですから、その生態さえもあやふやなままですが、一つ、まことしやかに語られている噂話があります」

「噂?」

「ええ。かつて、空を駆け、天を(つかさど)った白竜たち。そして海を治め、水を(つかさど)った黒竜たち。ある王国の王がその力を手にせんとして、竜が(つが)うために訪れる地の神殿へと攻め入った。竜は害され、けれど神の怒りに触れて王の軍勢もろとも焼き尽くされた、と。竜を(うしな)い、天と海は荒れるようになった。人への罰として、神が創りたもうたのが緋竜。故に彼らは人のみを襲うのだと」

「白竜と黒竜……緋竜以外にも竜がいたの?」

「ええ。白竜が晴れ渡った空を駆ける様子は、それはそれは美しかったのですよ」

「見たことがあるの?」

「この国の大人たちなら誰でも。けれど——」

 そう言ったネルクは何か痛みを感じたかのように、眉根を寄せて口をつぐんだ。


 シェンが物心ついた時には空はいつもくすみ(かげ)っていた。真っ青などこまでも透き通る青空というものは、話に聞くばかりで実際には想像もつかない——はずなのに。


「青い、空……」

 小さくそう呟くと、シェンの胸の奥で何か暖かな火が灯ったような気がした。同時に、部屋の真ん中に置かれた結晶が、わずかに強く光を放つ。とくんとくんと心臓の音が部屋中に響くように感じられて、思わず胸元でぎゅっと右手を握る。

「もう過去の話です」

 不意に冷ややかな、氷のような声と共に肩をつかまれる。目を上げると、恐ろしいほど真剣な光を浮かべた瞳がすぐそばにあった。

「白竜も黒竜も姿を消しました。緋竜はなお世界中を焼き払い続けていますが、この街は安全です。あの『守護の浮遊石』と愛し子のあなたのおかげで」

 肩を掴む力のあまりの強さにシェンが顔を顰めると、青年は慌てて手を緩めた。それからそうっと、本当に大切な宝物を包み込むようにシェンの背中に腕を回して抱き寄せる。

「恐れることはありません。あなたは何に替えても私が守ります。何よりもかけがえのない、森の愛し子(フォルヴィ)


 どこか苦悩するような声に不安がないわけではなかった。それでも、幼い頃から彼女をずっとそうやって包み込んでくれた腕の中は、どこよりも安心できる場所だった。

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