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空の鱗と海の翼  作者: 『空の鱗と海の翼』制作委員会
空と海が合わさるところ/173
31/40

空と海が合わさるところ

 空は高く、海は荒れていた。遠く見える水平線が、二つの青を分けている。

 そこを無遠慮に、数隻の艦船が戦隊を成して進んでいる。その先頭を走るのは、ひときわ大きく、白い艦体が優美さを思わせる巡洋艦だ。だがその印象は、近づくにつれ畏怖へと変わる。誰もが鋼鉄と火薬の権化に圧倒されるからだ。


「ずいぶん荒れていますな、艦長」

「そうだね。そろそろかな」


 砕けた飛沫と白波が躍る前甲板に、艦長は涼しい顔で立っていた。白い肌と細い線の風体は、あまり()()を感じさせない。柳のような物腰が、艦の動揺を受け流す。

 隣の副長は、肩幅が広く、浅黒く焼けている。これぞ船乗り、まさに海の男といえる。その剛健な身体を壁に預けて、ようよう立っている有様だ。

 ひときわ大きく、艦が持ち上がる。副長が、ぐっと身体に力を込めた。波に乗り上げた艦体は、次に落ちることを知っているからだ。

 果たして、内臓が浮く感覚とともに、波の底へと吸い込まれる。そこへ高波が覆いかぶさる。水の塊は甲板にぶつかると、真っ白な霧になって視界を奪った。慣れていたはずの、海の匂いを強く感じる。霧の中に影がある。


誰だ(タレカ)!」


 大陸で陸戦隊を率いていた副長は、誰何(すいか)が堂に入っている。艦の動揺を忘れたように、既に拳銃を抜いていた。

 大したものだが、艦長がそれを制する。


「下ろせ」

「しかし」

「おいおい、どういうつもりだ」


 霧の中から、湿っぽい非難の声がする。水を含んだような聞き取りにくさは、けっして霧のせいだけではない。


「彼は客人だ」

「では彼が」

「ああ」


 そこに姿を現したのは、ヒトにサカナの部品を付けたような風体の、魚人だった。尾骶骨(びていこつ)からは鱗に覆われた尾が繋がっており、腕からは薄く(ひれ)の膜が垂れている。顔の造りはヒトのそれだが、いやに眼球がぎょろぎょろとしている。頬が裂けたように大きな口から、尖った歯列が覗く。まばらに見える顎髭は、感覚器を兼ねたものだろうか。


「銃を向けられる謂われはありませんぜ」

「非礼を詫びよう、サカナの士官」


 艦長が深く頭を垂れると、ふんと魚人が笑う。叩き上げの士官と見えて、艦長より一回り以上は年嵩だ。尾との均衡を保つため、ひどく背を丸めている。外界の光量が眩しいのか、半ば下ろした瞼のせいで、ますます陰湿な印象だ。


「なっていないようですな?」

「まったく、お恥ずかしい」


 そのうちに、不思議と波は落ち着いた。しかし、騒ぎを聞きつけた兵たちが、ばたばたと集まってくる。中には小銃を持つ者も数名あって結構なことだ。

 副長が彼らに寄って行くと、今度は鋭い風があった。兵たちと副長は支えあい、さいわい誰も投げ出されなかった。魚人が姿勢を崩すのを、艦長が素早く手を貸した。


「上だ!」

「やーん! そんな怖いもの、下ろしてくださらない?」


 副長の声で、数丁の銃が上を向く。霧の残滓が、空気に形を与えている。風の洋装を身に纏い、翼を生やした少女の姿があった。

 艦長が、再び部下を制止する。


「やめておけ。束になっても敵わないぞ」

「うふふ、試してもいいけどね」


 甲板に降り立って、少女が挑発的に笑う。吊り上がった唇は妙に艶を感じさせるが、大きな茶色の眼は悪戯っぽい幼さを湛えている。風のように透き通った肌に、小さい鼻が空をつんと向いていた。


「ようこそ、トリの将校」

「早く済ませて、早く帰らせてほしいわね」


 将校であるからには、少女ということはないはずだ。しかし、顔立ちも雰囲気も、ずいぶん幼い印象を受ける。

 彼女は、艦長の挨拶を無視して、右手で栗色の髪を遊んでいる。よく見れば、翼は腕から生えていた。手に相当するのは中指までで、薬指と小指は翼を支えるべく下方に長く伸びている。白い軍服は翼を阻害しないよう、腋の下で留める構造だ。短下衣からは、伸びる脚は白磁を思わせながら、みずみずしさを湛えている。長靴は脛の半ばまでを隠しているが、ふくらはぎの辺りに淡黄の鱗が見えていた。


「このフネ、なんか生臭いし?」


 細い顎を少しだけ持ち上げて、視線を艦長の脇へ遣る。魚人が半眼で睨み返すが、背中を丸めた姿勢のせいで妙に卑屈に見えてしまう。


「楽しい研修になりそうだな」


 副長が溜息まじりに独り言ちる。

 波も風も静かになって、艦長は涼しい顔で笑っていた。


 挿絵(By みてみん)


  ◇  ◇  ◇


「研修」と言うのは、そう大したものでもない。魚人と鳥人の自治州軍から数名を招いて見学させるもので、定期的に行われている。現場の意思疎通を図るためというのが建前だが、本音は帝国の権威を示すものとなっている。親分が誰かを確認させる場というわけだ。


「つまんなーい」


 どこまでも青い空に抱かれて、トリの将校が聞こえよがしに文句を言う。甲板に立つ艦長の頭上で、「空気の上に」寝そべっている。

 褒められた態度ではないが、なるほど、短艇訓練などは権威どころか滑稽に見えるらしい。十数名の人間が必死に手漕ぎで船を進めても、鳥人ならば一つ飛びの距離だ。

 一方で、サカナの士官は見えかたが違うようだった。ぞり、と顎の髭を触りながら口を開く。


「見事ですな、艦長」

「光栄だよ。サカナさんにお褒めいただけるとは」


 水を含んだような声は、ともすれば卑屈や嫌味に聞こえそうだ。しかし、艦長はそれを文字通りの賞賛と受け取った。

 遠い空は雲を溶かし、朝の光に海が輝いている。短艇を指揮する副長と、(かい)を動かす兵たちの掛け声が風に乗って聞こえてくる。見た目には、牧歌的な風景だ。

 サカナの士官は、それを睨みながら続ける。


「短艇は、あらゆる基本の集大成と心得ています。操船の技術や技能、心構え、士気やらなんやら、だれか一人、なにか一つ欠けても短艇は動かない。そうでしょう?」

「そうだね。そして、海に生きるための基本でもある」

「しかり、しかり」


 などと艦長と魚人が話に花を咲かせているのが、頭上の鳥人は気に入らないらしい。ばっかみたい、と唇を嘴みたいに尖らせていたが、ふと何かを思いついたようだ。


「あたし、もっと近くで見学してくるね!」


 いいとかだめとか言う暇もなく、既にトリの将校は空中を翔けだしている。


「艦長、あれ」

「ああ、頼むよ」


 合点承知、とサカナの士官が海へ飛び込む。そうする間にも、トリの将校は短艇に追いついて、からかうように旋回を始めた。みるみるうちに白波が立つ。その波間から副長の怒声が聞こえてきて、ついに短艇はひっくり返った。

 そこへサカナの士官が手を貸すが、頭を押さえられていては短艇を起こすのも難行だ。業を煮やした魚人が、口から水の塊を吐く。一部の魚類が見せる捕食行動に似ているが、威力は桁違いだ。

 直撃すれば人体を破壊できる水弾とあって、トリの将校も防戦に回る。鳥人が伸ばした手の先に、風の障壁が発生する。そこで水塊が破裂して、飛沫と霧が周囲を満たす。数発を防いだところで上空へと逃れたが、威力どうこうよりも生理的に嫌悪しているようすだった。

 その隙に、サカナと副長が協力して短艇を起こす。兵たちは互いに這い上がる。

 ふうと魚人が安堵しているところへ、小型の猛禽さながらに、トリの将校が急降下する。首を極めるように吊り上げられては、魚人も得意の水弾を吐き出せない。そのまま上空へ放り出されて、海面に激突してから、ぷかりと浮いた。

 副長の短艇がそれを助けに行こうとして、トリの将校がちょっかいを出す。


 見かねた艦長が主砲を撃たせるまで、からかい合いは続いたのだった。


  ◇  ◇  ◇


 艦長は先の騒ぎを不問とした。軍刀を抜かんばかりの副長に、自治州軍の教育も我らの務めと艦長が説く。なればこそ処分すべきと副長が食い下がる。


「魚人の海賊やら、鳥人の密輸組織やら、最近の自治州はたるんでおります」

「そうかもしれないけどね。それを言えば、帝国にだって人売りの噂があるだろう」

「それはそれ、これはこれです」

「まあ、だからこそ本艦が研修を務めるのさ。帝国が誇る最大最強の戦艦ではなくて、ね」


 魚人も鳥人も、その身体の造りから、あまり手先が器用ではない。精密機械の結晶たる軍艦などは、作り得ないし操れない。ゆえに見せびらかし甲斐があった。

 特に、速力と航続力に優れ、強力な武装を併せ持つ巡洋艦という艦種は、まさに自治州に対する看守であった。ならず者たちへの示威行動でもあると同時に、自治州当局への警告でもある。即座に介入できるんだぞ、という圧力である。

 そう諭された副長は、絶大な努力の末に矛を収めたのだった。


 そして、トリの将校に、反省の色は欠片もなかった。今は応接室で法令関係の座学をしているが、せっせと資料に落書きしている。時おり艦長の顔をじっと見るのも、真面目に聞いているわけではないようだった。


「艦長って、きれいな顔してるよね。鳥人の血でも入ってんじゃないの?」

「そういうことに興味はないんだ。帝国では、生まれがどうでも機会はある」


 魚人と鳥人、二人の耳が、ぴくりと動く。年嵩のサカナはそれを聞き流したが、若いトリはそうしなかった。


「支配してる側がそれ言うの。むかつくよ、素直に」

「支配だなんて大仰な。我々は統治しているのさ。そして、それを乱す者を許さない。それだけだよ」

「へえ。そうだといいね」


 そんなことを話していると、改めて副長が応接室に入ってきた。彼は鳥人を見ないようにしているが、当の彼女は椅子を傾けて遊んでいる。それが余計に怒りを煽るので、副長の身体に力が入る。

 魚人が顔を傾けて、くつと笑う。艦長は涼しい顔で笑っている。


「研修中に失礼します。――発光信号を確認しました。救助要請です」

(おか)は。なんと言っているか」

「通信の範囲外です。司令部とは連絡できません」


 ふむ、と艦長が漏らす。渡された紙片には、信号の方角と距離が記されている。我が戦隊は、まさに急行すべき位置にいた。


「戦隊の針路を当該海域へ向けよ。続報と襲撃に備え、水上と対潜の警戒を厳となせ」

「はい。駆逐隊は、どうなさいますか」

「二隻を伴う。一隻は陸との連絡に当たらせるように」

「了解しました」


 敬礼し、副長が退室する。長机を挟んで、艦長が二人に向き直る。


「すまないが、研修は中断させてもらうよ」

「やった、じゃあ帰れるね」

「……何かお手伝いすることは」


 待ち切れず席を立つ鳥人を横目に、べちゃべちゃと魚人が申し出た。


「ありがたい。二人は先行してほしい」

「えっ、あたしは手伝うなんて言ってないんですけど?」

「そうだね。命令したほうが良ければ、そうするが?」

「やなやつ!」


 帝国の軍人は自治州のそれに対して、階級相応の指揮権がある。逆はない。


「では先行します。いや、おれの場合は潜航ですかね」


 がははと大口で魚人が笑う。鳥人は乱暴に部屋を出る。

 艦長は、涼しい顔で笑っていた。


  ◇  ◇  ◇


「あーあ、かったるいわねー」


 鳥人が滑るように飛ぶ。翼を動かしているものの、それのみで揚力を得ているわけではないらしい。「空気を掴んでいる」という感覚を、理解できるのは彼らだけだ。もとは人間の技術で生み出されたが、技術は失われ、彼らは残った。彼らから技術を抜き出す試みは、ことごとく失敗している。


「やかましいな。嫌なら帰ればいいだろう」


 魚人が滑るように泳ぐ。こちらは尾を推進力としているので、常人にも理解は容易い。だが、その速度は見た目以上に速い。彼らもまた、失われた技術の申し子だ。


「なんで手伝うなんて言ったのよ。得点稼ぎ?」

「わからねえよ、羽の嬢ちゃんには」


 魚人が鳥人と異なるのは、簡潔に言えば、その見た目だった。なにか高貴なものを感じさせる鳥人に比べて、魚人のそれは、人間の美的感覚に好ましく映らない。鳥人が人間に上手く取り入るいっぽうで、魚人は陰に陽に蔑ろにされてきた。

 言うだけ言って、魚人は海面の下へ姿を消した。鳥人の罵声が空しく響く。


「なによ、尾っぽのおじさんのくせに!」


  ◇  ◇  ◇


「こりゃあ、ひでえな」

「どこが? なにもないじゃん」

「なにもないからさ」


 現場は凄惨を極めていた。なにもないのだ。浮いている油や木片、残骸などから察するに、数隻の船舶がいたはずだ。僅かな痕跡のほかは、沈められたか、奪われたか。いずれにせよ、ここにはなかった。


「そういうもんなの?」

「そういうもんなの」

「ふーん。でもさあ、人間って、いっつも偉そうにしてるけど、こうなっちゃったら何にもならないよねえ」

「嬢ちゃんも、たいがい偉そうに見えるけどな」


 ふわふわと浮かぶ鳥人に、残骸を調べながら魚人が答える。船名の入った破片などがあればわかりやすいが、そう都合がいいことはない。色合いや曲面から、どんな大きさの船だったか、何隻いたかを類推する。また、壊れかたが襲撃者の手がかりになることもある。


「あたしはいいの! ってか、おじさんたちこそ、なんでそんなにへこへこしてんの? 人間なんかより、よっぽど強いんじゃないの?」

「力だけが、強さの基準じゃないからな。嬢ちゃんたちこそ、そうだろうが」


 鳥人こそ、人間より遥かに強大な力を持っている。なるほど、生身の喧嘩であれば、一〇人が相手でも勝てるだろう。だが、力というものは、それだけではない。だからこそ鳥人はその容姿によって、自らよりも弱く強い存在に取り入らねばならない。それを勝利とするか否かは、鳥人らにとっても意見の分かれるところだった。


「むかつく」

「まあ、どうあれ。おれたちは、こうすることでしか生きてこらんなかったのさ」


 魚人の言う「おれたち」が誰を指すのか、鳥人には分かりかねたので、ますます苛立ちが募るのだった。


  ◇  ◇  ◇


 艦橋からは水平線が見える。太陽は高く、海は穏やかで、空は広い。空と海は互いに青色を写しあいながら、遠く隔てられていた。


「艦長、先行した二人から連絡です」

「どうやって」


 紙片を持った副長が艦橋へ駆け込んでくる。伝令を走らせてもいいだろうに、副長は自分の足で動くのを好んでいた。上下意識の強い海軍にあっては異質だが、それゆえ特に下からの信頼が厚かった。


「警戒していた水測班が、妙な音を拾いましてね。魚人が打った信号でしょう」

「便利だな。で、内容は」

「船舶数隻が襲撃されたもよう、生存者なし」

「そうか、残念だ。当該海域を航行する船舶の情報は?」

「ありません。――密輸組織か、海賊でしょうか」

「どうだろうね」


 襲ったのか、襲われたのか。犯罪者同士ご自由に、とはいかないのが法治国家というやつだ。裁くのは法であり、その代行者でなくてはいけない。

 副長は自治州の犯罪組織を疑っているようだが、航行予定のない船舶というのも怪しいものだ。そして魚人や鳥人は、あまり船を使わない。いずれにせよ、現場を見る必要はある。


「我が戦隊は針路維持、現場の後処理は駆逐隊に任せてしまおう」

「本艦は、どうするんで」

「決まってるだろう。賊を追うのさ」


  ◇  ◇  ◇


 第一報に触れたときから、いやな予感がしていた。果たして襲撃された船舶の破片には、熱の痕跡が乏しかった。あれは魚人の水弾ではないか。

 魚人の海賊という噂は、既に帝国でも広まっている。自治州も警戒を強めているが、当局は結果を出せていない。このままでは帝国の介入を許すことになる。

 現場を見れば、おそらく艦長たちも同じ結論に達するだろう。人間に――帝国に任せれば、自治州に反発の気運が高まりかねない。心情としては理解するが、それは混乱を招く。

 ならば自分が先んじて、と飛び出した。しばらくして目標らしきものを発見したが、それになかなか近づかない。それほど巨大なフネだと気づいて、おのれの軽率を自認した。


「空と海が合わさるところ、か。趣味の悪いこった」


 人間には発音できない言葉で、船尾にそう書かれていた。軍艦、それも戦艦だ。帝国の巡洋艦より二回りは大きい船体に、長大な主砲を積んでいる。古代船の櫂のように突き出しているのも、一本一本が副砲だ。それが水棲生物の鰭にも見えて、奇妙な親近感を抱いた。

 戦艦は微速で進んでいる。船体が作る海流は複雑で、巻き込まれないよう注意が必要だ。顎髭で海流の強さや向きを読み取りながら、フネの側面に取りついた。ずるずるべたべたと貼りついて、副砲の隙間から内部へ潜入する。艦内に装備や調度の類はなく、沈没船を浮揚したような趣がある。ぬめぬめと湿度が高く、妙に居心地がいい。

 艦内は、驚くほど人気(ひとけ)がない。見つからないのは結構だが、とっちめる相手がいないのも問題だ。そこで船倉を探すことにした。船団から奪った物なり人なりが、見つかるかもしれないと思ったからだ。

 廊下は海底のような匂いがして、日中なのに薄暗い。ごんごんと響く機関の振動が、まるで鼓動を思わせる。そうすれば、船体を叩く波音は、さながら血流といったところか。

 ふと、壁や天井、あるいは床を走る無数の管に気づく。環形動物を思わせるそれは、よじれたり絡まったり、癒合しながら、一つのところへ向かっていた。果たして一本になったそれが船倉へと入っていき、再び無数の管へと分かれる。繋がっている先は、刺胞動物にも似た土台だった。その触腕に抱かれているのは〈たまご〉としか形容できないものだ。それがこの空間に林立している。

 近づいてみると、その卵殻を透かして人影が見える。翼も尾もない、ヒトの影だ。その隣には、翼がある。さらに隣には、尾がある。それをどこから手に入れて、なにをしようとしているのか。想像するだけで吐き気がした。


「見つけたぞ!」「こっちだ!」


 どこから現れたのか、賊が姿を現す。やはり魚人だ。全く気配はなかったはずだが、なんらかの警報装置が発動したのか。

 艦内、それも〈たまご〉の近くで火器や水弾は躊躇われたか、棒切れを持った賊が迫る。こちらは遠慮することもない。水弾を二つ吐き出すと、なにかが折れた音とともに賊の影が倒れ伏す。そうする間にも追手は増える。何人いるかは不明だが、この調子だと一人での制圧は不可能だろう。退路を塞がれて、逃げ場はない。じりじりと賊が迫る。くっと上を向くと、何人かが釣られて上を向く。水弾を引き絞り、圧力を上げて撃ち込んでやる。それは弾丸というより線条になって、天井を丸く切り抜いた。呆気に取られる賊の上に、ごんと天井が落下する。その悲鳴を聞きながら、ぬるぬると甲板へ脱出する。

 鱗を撫でる潮風が、やけに乾いて感じられる。眩しい陽光に瞼を下ろすと、ふっと甲板を影が覆う。ひらひらと何かが舞い落ちる。ぎょろりと眼を剥いている自覚があった。


「ばかな」

「虐げられている者同士、と言うわけさ」


 挿絵(By みてみん)


  ◇  ◇  ◇


 戦隊が海難現場に到着すると、一艘の小舟が海面に、一人の鳥人が空中に浮いていた。短艇を出して寄っていくと、トリの将校は嘴のように唇を尖らせた。


「艦長、おっそーい」

「サカナさんは?」

「先に行っちゃったよ。後は任せるとか何とか言って」


 見れば小舟は、みすぼらしい筏だった。現場の証拠保全として、サカナの士官が木片や残骸で作ったと見える。なるほど、トリの将校が乗りたがるとは思えなかった。

 彼女は相変わらずふわふわとして、栗色の髪を触っている。そんな態度が気に入らなかったのだろう、副長が声を荒げる。短艇が大きく揺れる。


「なぜ引き止めなかった!」

「はあ? なんであたしが、あんたたちの思うように動かなきゃいけないわけ?」

「おまえ、今は艦長の指揮で動いているんだろう!」

「そうよ。艦長の指揮でね。副長のアンタじゃないわ!」

「なんだとこの小娘そこに直れ」


 副長が軍刀に手を掛けたとき、別の短艇から声が上がった。溺者発見の声と、それを受けて救助の号令がかかる。軍艦の到着で海水が掻き混ぜられて、沈みかけていた溺者が浮かび上がったものらしかった。息はなかった。

 血の気がないのは当然として、目は窪んで頬と唇が痩せている。おそらく中年男性だろうが、もはや悪鬼か幽霊という風体だった。

 艦長が、短艇を乗り換えて、合掌する。一見して、痩せた唇の奥が気になった。溺者が歯を食いしばるものだろうか。懐から抜いた小刀を突き立てて、その口を開かせる。海水と唾液と、血に汚れたそれを、ずるりと引き抜く。


「艦長、それは」

「ん。羽だ」


 トリの将校が、大きな目を更に見開いた。心なしか頬を引き攣らせながら、海水で洗われる羽を凝視している。

 副長や兵たち、二隻の短艇に乗った全員が、トリの将校を見た。それに気づいて、彼女は声を裏返らせた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。あたしじゃないって!」

「どうだか。おまえじゃなくとも、おまえの仲間かもしれんだろう」

「なにを、やるか?」


 副長の糾弾に、彼女が右の手指に力を入れる。そこを中心に彼女の苛立ちが空気を動かし、短艇を揺らす。焦燥を湛えたトリと目が合う。


「やらないよ。きみは賢いからね」

「は?」

「反抗的なことを言ってはいるが、口だけだ。なにかを企んで、それがなにをもたらすか、わからないほど愚かではない。それに、これは――きみのものではないね」

「うざいし、それを一目で見抜くのも、まあ、きもいんだけど」


 毒気が抜けたように、風が治まっていく。平常の色を取り戻した彼女の目は、しかし、いまだ揺れる短艇のように泳いでいる。そうさせる彼女の心は、おそれか、怯えか。


「光栄だね。だが、なにか心当たりはありそうだ」

「わからない。でも、」

「でも?」

「尾っぽのおじさんは、きっと危ないよ」


 空と海を遠くに見つめて、はっきりと彼女は言った。


  ◇  ◇  ◇


 鳥人の誇りを忘れるな、と父に言われて育った。ずっと、うざいと思っていた。

 父の固執か、それとも母が出ていったのか、どちらが先かは、わからない。少なくとも父は、母を恨んでいたし、憎んでいた。母は帝国で、誰かの妾になったらしい。

 それはそれとして、あたしは空を飛ぶのが好きだ。それは見た目ほど自由じゃないし、誇りとかも、どうでもいい。けれど、自分の翼で飛びたいと思った。だから、軍人の道を選んだのだ。


「よし、わたしも行こう」

「艦長、そりゃ危険です」

「危険だから行くのさ」


 艦長と副長が押し問答をしている。ちょうどさっき、サカナのおじさんが、〈海賊〉の位置を信号してきた。戦艦がいるとか言うのは、なにかの間違いのような気もするけれど、確かめる方法はない。

 あたしは行きたくない。行きたくないけれど、行かないわけにはいかなくなった。

 サカナのおじさんは、襲ったやつを〈魚人の海賊〉だと思ったから、魚人の手で片を付けるために行ったんだろう。サカナとトリとは違うけれど、自治州ってのは、そういう感覚でやっている。帝国とか、人間にやられるくらいなら、自分で、自分たちでやる。気持ちは、わかる。


「先の溺者ですが、どうやら人売り業者で間違いないようです。帝国と自治州の犯罪組織が関与しているなら、準備が必要です」

「ならばなおさら、行かねばならん。魚人と鳥人の代表を預かっているんだ、わたしは、彼らと彼らの社会に対して責任がある」


 押し問答は、艦長優勢だった。どうせ艦長は、行くと決めたら変えないだろう。同行することになるだろうとも、諦めている。


「それに、二人がわたしを守ってくれるさ」

「はあ? なんであたしが、あんたを守んなきゃなんないの?」


 同行するのは仕方なくても、用心棒みたいに言われるのは気に入らない。考えるより先に悪態が口を吐く。大体からして、行かずに済むなら行きたくないのだ。


「同じことだよ。鳥人の代表が居合わせた場で、帝国の高級将校をみすみす死なせれば、どうなるか――きみや、きみの社会がどういう扱いを受けるか、少し考えたらわかるだろう?」

「ほんっと、やなやつ!」


 わかっている。わかっているから腹が立つ。だけど艦長に腹を立てているうちは、おそれも怯えも忘れていられる。だから余計に、腹が立つ。


「それじゃあ、ひとつ頼むよ」


 涼しい笑顔で艦長が言う。鳥人の脚部は、見た目こそ人間と変わらない。だがやはり特殊化しており、脚部全体で鳥の〈足〉としての機能を持っている。ものを掴むとか、吊り上げるのは得意だった。それはそれとして、


「な、ん、で、あ、た、し、が! あんたを抱えて飛ばなきゃいけないのよ!」

「できないんなら、やめてもいいよ」

「くっそー! ほんとむかつくー!」


 このむかつく男を抱えて、「空気を掴んで」「後ろへ投げる」。風が海面で大暴れして、ひとつの短艇がひっくり返る。副長が何か怒鳴っていたが、急速に高度を上げる二人には、その声はもう聞こえなかった。


 白い一筋の軌跡を遺して、青い空を翔けてゆく。


  ◇  ◇  ◇


 戦艦の甲板上空に現れたのは、鳥人だった。羽の嬢ちゃんの、倍はあろうかという偉丈夫だ。大きく広げた翼は、くすんで汚れ、捻じれて曲がっている。纏っているのは長い腰布一枚だが、みすぼらしさを感じさせない。露わになった上半身に、彫刻を思わせる筋肉が漲っている。精悍で彫りの深い顔には諦めが、その双眸には憎しみが宿っている。

 甲板を、どす黒い闇が覆っている。それは鳥人が落とす影のはずだが、瘴気とも呼ぶべき不快さに満ちている。鱗の間に、()()が立つ。


「おまえら、なにを」

「なにも。あるいは、なにもかもを」


 じり、と足をにじらせる。宙空を漂う白い眼が、それを追う。隙がない。すぐに追手も集まってくるだろう。一か八か、水弾を撃ち込んで――そう覚悟を決めたときだった。きらりと上空で何かが光る。空気を裂いて、聞こえてきたのは絶叫だった。


「ああああああああ!!」


 それは甲板の張り板を叩き割って落着した。トリの将校と艦長だった。


「大丈夫か、サカナさん」

「か、艦長たちこそ」


 ぎゃあぎゃあと文句を言う将校を尻目に、軍服の埃を叩いて艦長が涼しげに笑う。鳥人と人間を頼もしく思ったのは、これが初めてのことだった。


「察するに、こいつが首魁と言うところかな」

「お縄をくれてやりましょう」


 ねぎらいだろうか、艦長に肩を叩かれる。その左手を濡らしてしまうが、艦長は手を拭わなかった。返事をしながら、首魁の鳥人を睨めつける。

 すると再び、空から何かが落ちてきた。合計、五つ。ヒトの形をしていながら、鳥の翼と魚の尻尾を持っている。


「ああ、かわいい〈こどもたち〉」


 魚人も鳥人も、ヒトから作られている。生物種としては同一のため、交雑はできる。ただ、両方の形質が同時に発生することはない。生殖能力や生体資源の限界とか、互いの情報が作用するためとか言われている。理論も技術も失われたが、得られる結果だけは認識されていた。

 だが、目の前に現れた――首魁が〈こどもたち〉と呼んだ五つの生きものは、魚人と鳥人の形質を有している。空の鱗と海の翼を合わせ持つ、異形のヒトだ。船倉の〈たまご〉が育てていたのは、これなのだろう。


「禁忌に手を出したか。神をも恐れぬと言うわけだ」

「始めたのは人間だ。だから我々が終わらせる」

「違うな。終わらせられるのは人間だけだ。そして、それゆえに、終わりはない」


 艦長は静かに、だが強く言い切った。その潔さに、言っていることの傲慢さを聞き逃してしまうほどだった。話にならぬとばかり、首魁が首を振る。


「そこの娘なら解するだろう」


 びく、と鳥の将校が肩を竦める。落着してからというもの、彼女の大きな態度は鳴りを潜め、小鳥のように震えていた。

 彼女を抱いていた彼女の両手に、ひときわ強く力が入る。


「人を超える力を持ちながら人に頭を垂れる、その辱めを雪ぐ意味を」

「――艦長のことは、むかつくし、尾っぽのおじさんは、生臭いけど、」


 かつ、と彼女の両足が甲板を踏む。

 はっきりと、よく通る声だ。しっかりと、その目で見据えている。


「今のお父さまは――おまえは、ほんとうに、気持ち悪い」


  ◇  ◇  ◇


 トリの将校の決別を合図としたように、水平線上で四つの光が輝いた。実際それは、彼女が送った合図だった。魚人が水で信号できるように、空気の扱いに長ける鳥人ならではの通信だ。巡洋艦が砲撃を開始したのだ。

 砲口炎に気づいたのか、戦艦の主砲が旋回する。反応が早すぎる気もするが、それを確かめる余裕はない。

 戦艦が主砲を撃てば、甲板上にいる人間は――艦長は爆圧で消し飛ぶだろう。トリの将校は、ぐっと身体に力を込めて、二人を掴んで飛び上がる。サカナの士官と艦長を脚に抱えて、なお、その飛行能力は鈍らなかった。


 ずらりと並んだ戦艦側面の副砲が、うねうねと波を作る。三人を捉えるべく次々と火を噴く。ひらりと身をかわすトリの将校が、海面めがけて二人を投げる。

 砲弾の雨に、海が白く泡立つ。それを頭上に見ながら、サカナの士官が艦長を曳く。

 そこへ巡洋艦の弾着があり、海面が奔騰する。硝煙で灰色に沸き立って、砲弾の威力を見せつける。突き上げる激流に頭から突っ込んで、鳥人が、きいきいと喚いている。

 海中では魚人が障壁を展開し、爆圧を軽減する。そそり立つ水柱の中を引きずって、艦長を再び空へと投げ出した。

 それを鳥人が舌打ちしながら受け止めて、三人は巡洋艦へと帰還した。


「艦長! ご無事ですか!?」

「もちろんだ。ありがとう、みんな」


 前部甲板へ集まってきた副長以下の数人に、いつもの調子で艦長が言う。


「あいつのほうが、よっぽど化け物じゃないか」


 完全に息を上げて、ぜえぜえとサカナの士官が言った。トリの将校も甲板上に座り込んで俯いている。艦長は、二人を見ない聞かないふりをして、襟を正した。


「さあ、諸君。来るぞ」

「上だ! 撃て!!」


 首魁が五人の〈こどもたち〉を伴って接近していた。副長の号令で、兵たちが機関銃を上に向ける。破壊と殺戮を撒き散らすはずの銃弾は、しかし、すべて風に絡め取られた。音を立てて甲板に、あるいは海面に落ちる。

 お返しとばかり、首魁が暴風を巻き起こす。海へ投げ出された兵は、まだ()()だったかもしれない。構造物に叩きつけられた者は、悲鳴と同時に骨が砕ける音を上げ、それすら風に浚われる。数名がかりで操るはずの機関銃も、兵とお互いに支えあっている有様だ。


「ほんっと、やりたくないのに!」


 罵声とともに、先頭に立ったのはトリの将校だった。艦長と副長以下の兵を背に、彼女の風が対抗している。だが、首魁の力は強大で、徐々に押し負けていく。


「羽の嬢ちゃん、手を貸すぜ」


 暴風で生まれた高波を、サカナの士官が操っている。その海水が、彼女の風に質量を与えた。ぶつかり合った二つの風が掻き消える。一拍ののち、それらに揉まれた海水が、大粒の雨となって艦上へ降り注ぐ。


「もー、また濡れたじゃん! ほんと最悪なんだけど!」

「だけど助かっただろう?」

「うるさい! むかつく!」


 二人に〈こどもたち〉が迫る。互いに撃ち合った水と風が、跳ね返され、反発し、砕け散り、雨と霧になって周囲を満たす。その霧を機関銃が引き裂いて、猛射に一体が吞み込まれる。

 後部の主砲が砲身を動かして、次弾の発射体制に入る。それに気づいた首魁が、艦尾側へと回り込む。これを素早く迎え撃った機関銃小隊は、無謀だが勇敢だった。砲身をへし折る豪脚を目の当たりにして、なお兵たちは務めを果たそうとした。だが彼らが受けたのは、すでに暴風とか烈風とかいうものではなかった。人体を引き裂き、破砕する、透明なだけの暴力だった。

 さらに迫る〈こどもたち〉を、士官の水弾が撃ち落とす。そこへ将校が空気の塊で横殴りにする。一体が海面に飛沫を上げ、逃げようとしたところを副砲が滅茶苦茶に叩く。鳥人の健脚が一体の頭蓋を砕き、魚人の高圧水条が別の一体の胸を貫く。

 甲板上に吹き飛ばされた一体が、一人ただ立っている艦長を狙う。誤射の危険を冒せず、だれもが動けなかった。

 だから艦長は自ら軍刀を抜いた。刀身は紫電を閃かせ、迫る暴風を斬り裂いた。頸動脈から噴き出す血が、残った風に乗って、千切れてゆく。

 ひゅうひゅうと笛の音を鳴らせながら、最後の〈こども〉が艦首方向へ這っていく。戻ってきた首魁が甲板へ降り立ち、それを抱き寄せる。憎悪を孕んだ双翼が、かつてない暴力を湛えていた。

 副長が、退避退避と声を張り上げ、兵を艦内へ急がせる。たとえ艦内に逃れたとても、あれが解放されれば本艦は浮かんでいられないだろう。


「撃て!」


 艦長の肉声が艦橋に聞こえるはずはない。鳥人の合図を仲介として、伝言の果てに命令が実行される。だが、既に各人が、艦長の命令を予期していた。ゆえに艦長が引き金を絞るが如く、凄まじい爆風が甲板上を吹き荒れる。トリの、サカナの展開する障壁が、かろうじて三人ぶんの無風地帯を作り出した。

 甲板の張り板は捲れ上がり、主砲の砲身は折れ曲がっている。もはや次弾を撃てる状態ではない。だが、首魁は、いまだ宙にあった。


「まだやるのか」


 魚人の呻く声が風の隙間に漏れる。

 そのさまは、炎と煙が、暴風に形を与えているようだった。羽の一つ一つが、燃えながら渦巻いている。業火の竜巻が主砲塔を歪めて、張り板の裂け目に火を着ける。


「いい?」「ああ」


 トリの将校と艦長が、短く交わす。あっと声を出す暇もなく、彼女は艦長の軍刀を抜き、残った張り板を踏み抜いていた。猛然、燃え盛る暴風へ突き進む。

 くそったれ、こんなときばっか信頼しやがって。そんな悪態の代わりに、魚人が口から吐いたのは水弾だった。複数のそれが蒸発し、炎の熱を幾らか奪う。嬢ちゃんの口の端が僅かに上がった、ように見えた。なるほど、()()()()ぜ。更に水弾の圧力を上げる。光線にも似た線条の水が、炎を穿つ。その空間へ吸い込まれるように、軍刀が突き立った。

 炎に抱かれた大小の鳥が海面へ落ちる。じゅう、と音を立て、爆ぜるように海面が沸き上がる。一陣の潮風が蒸気の霧をきれいに払うと、そこには小さい影が浮いていた。


「ほんと、さいあく」


  ◇  ◇  ◇


 ほっとしたのも束の間だった。海底火山を思わせる爆発が、巡洋艦を激しく突き上げた。海面が擾乱(じょうらん)し、騰沸する。そびえ立った水柱が、艦橋の窓を洗う。

「いかん」とサカナの士官が、投げ出されがてら海へ飛び込む。トリの将校を助けに行ったようだが、うっとうしそうにされている。

 戦艦が放つ豪雨を浴びては、帝国の誇る巡洋艦も、激流に翻弄される笹船だった。撹拌機と化した艦内では、腕を折ったり頭を割ったりした者がいるかもしれない。

 甲板に副長が現れる。彼も額が裂けていて、それを拭った赤い筋が顔の模様になっている。


「艦長、危険です」

「損害は」

「先の戦闘も併せて複数の死傷者が出ております。また、主砲と魚雷発射管が使用不能です」

「機関は無事か」

「やや減速しておりますが、()よりは優速を保っております。避退は可能です」


 副長は、見るからに苛立っていた。おそらく艦内は、自分が思うよりひどい状況なのだろう。そうでなければ聞いてもいないことを「可能です」などとは言わないからだ。だからこそ、はっきりと命令する。


「よし。敵艦へ向首、突撃する」

「艦長!」


 掴みかからんばかりの副長を、艦の動揺が押しとどめる。


「あれを逃すことは、帝国の沽券に関わることだ」

「しかし、本艦に戦闘能力は……」


 なるほど、副長の言うとおりだ。巡洋艦が戦艦に勝てないのは、海戦の常識だ。主砲と魚雷発射管を喪失した本艦では、なおさらだろう。本艦だけでは、確かにそうだ。

 だから仲間に呼びかけるのだ。背を向けたまま、だがそこにいる、仲間に向けて。


「手伝ってくれるな?」

「いやって言っても、命令するんでしょ?」

「これが本当の、乗りかかった船というやつですね」


 艦上に戻ってきた、鳥人と魚人が口々に言う。


「ありがたい」


 では、作戦はこうだ――と説明する。聞いていた副長が天を仰ぐ。こういうときの彼は、考え直してほしいと思って、言葉を探している。そして、ようやく絞り出すように言った。


「気でも違えましたか」

「わたしは正気だよ」

「ですよね。だから困るんです」


 諦めて、副長が笑う。こういうときの彼は、とても頼もしい。トリの将校が似たような笑顔を作って、副長に右の拳を突き出した。


「こんな艦長で、あんたたちも大変ね?」

「うるせえよ。こっちだ」


 副長は数秒だけ逡巡して、彼女と拳を合わせる。トリとサカナを艦内へ招く、その浅黒い横顔が朱く見える。いよいよ太陽は傾きつつあった。


  ◇  ◇  ◇


「な、ん、で、あ、た、し、が!」

「そう言いながら、今度は素直だったじゃないか」

「うるさいうるさいうるさい!!」

「おおこわ」

「むかつく! みんなむかつく!!」

「おいおい、おれが先行する作戦だろう」

「だったら早く潜航しなさいよ!」

「言うようになったじゃねえか。それでいい」


 がははと笑って、サカナの士官が海へと潜る。波が陽光を反射して、きらきらと踊る。彼の姿は全く見えないが、ぐんぐんと敵艦へ向かっている。向かっているはずだよな、と心配になったころ、戦艦が巨体を左へ向ける。火力の優勢を頼みとして、わが巡洋艦の頭を押さえにかかっているのだ。あえて側面を大きく晒す、そのさまは城郭か、要塞か、それとも霊峰か。兵のなかには圧倒される者もあり、それを副長が叱咤する。

 前後四門の巨砲が咆哮する。大質量の砲弾が海面を大きく抉り、水の塔が天を衝く。わが巡洋艦は突き上げられ、あるいは引き込まれながら、なおその優速が全てを置き去りにする。

 だが、本艦が韋駄天を誇ればこそ、彼我の距離は急速に近づいている。至近弾が錨鎖(びょうさ)を引きちぎり、爆風が檣楼(しょうろう)をなぎ倒す。眼前に立った海水の巨木を、構わず艦首が突き崩す。降り注ぐ瀑布が、荒れ狂う洪水となって艦上を駆け抜ける。艦橋を軋ませ、煙突を捻じ曲げる。すでに優美な艦体は消え失せていた。あらゆるものが裂けて折れて、砕けて煤けている。それでも心臓は、いまだ強く鼓動していた。

 そして敵艦の主砲が発射体制に入る。次は直撃されるだろう。誰かが息を呑む。


 そのときだった。なんの前触れもなく、少なくともそれを感じさせることなく、敵艦の右側面で海が爆ぜた。それも、二つ。滝が天地を間違えたように噴き上がり、その水柱が轟々たる火柱へと変わる。敵艦は急速に傾斜しつつあり、恐るべき砲弾はあらぬほうへと落着する。海上に建った楼閣が、力なく崩れゆく。

 サカナの士官が、巡洋艦に搭載していた魚雷を撃ち込んだのだ。ふつう魚雷は自走するときに気泡を発生させるため、容易に視認され、対処されてしまう。だが魚人が牽引していって、必中の距離から発射すれば、どうか。果たして魚雷は見つかることなく、敵艦に直撃し、行き足を止めた。転覆から逃れんと必死に耐えているさまは、妙に有機的というか、動物的だ。


 そこへ、トリの将校が雲から飛び出して急降下する。上空で待機していた彼女の足は、巡洋艦の主砲弾を吊り下げていた。こちらも、二つ。巡洋艦の火力では、戦艦の装甲を破れないのが常識だ。だが、その砲弾を直接ぶつければ、どうか。落下する砲弾に、降下の速度が加算される。さらに彼女の作る追い風に乗り、滑るように加速して、狙ったところへ吸い込まれていく。二つの砲弾は前後の甲板に突き刺さり、それぞれの砲塔を土台から破滅させた。

 傾斜と復元で悶えるさまが、のたうつ巨獣を連想させる。なにかに引火し、あるいは誘爆したのか。もうもうたる煙の中で、炎の舌がゆらめいている。稲光のする黒雲のようだ。

 その様子を双眼鏡で見ていた副長が、口を開けている。その喉から絞り出すように、漏らす。


「本当に、やりやがった」

「これからの帝国は、こうでなくちゃいかん」

「艦長、あなたは」

「身内で争っては、いられないということさ」


 自然と口の端が上がる。目の色を隠すように、鉄帽をかぶり直して手すりを握る。


「さあ、われわれも仕事を果たすぞ。各員――衝撃に備えろ」


 衝撃、つまり衝角突撃である。艦首の水線下に生やした角で、敵船の腹を衝き破るのだ。火砲の発達に伴って、この原始的な体当たりは、今や過去の遺物になっていた。だが、すべての新しいものは古くなる。古いものは古くならない。科学万能の当代だとて、投石に当たれば痛いし死ぬこともある。衝角突撃は、原始的であるゆえに、その効能を保証されていた。

 敵艦の副砲が、喘ぐように火を噴きはじめる。それは攻撃とか反撃というよりも、咳き込みながら吐血するのに似ていた。一発の砲弾が艦体を掠める。浅い角度で当たったそれが、装甲に弾かれて遠く後ろで波に呑まれる。

 視界いっぱいに敵艦が映る。だがその城とも山とも見える黒い影から、すっかり威容は喪われていた。死期を悟り、なお生にしがみつく鯨だった。

 それでいい、と思う。すべての生は、そうあるべきだ。そのうえで、われわれが勝つ。

 衝撃が起こり、果たされる。鋼鉄が擦れあい、火花を散らす。軋んで歪み、崩れて沈む、巨獣の断末魔が聴覚を満たす。巡洋艦が後進をかけると、鯨の脇腹に虚ろな傷口が開く。その破孔が、がぶがぶと海水を呑みはじめる。ついに戦艦は復元不能となって、ごろりとその身を横たえた。流れ込む水圧が、松明と化していた戦艦を切り裂く。二つの鉄塊が四つの残骸になり、沈んでいく。あらゆる火の手が海に没する。水中で、小さな爆発が幾つか起こる。そして、そのあとは静かになった。

 夕陽だけが、海面を照らしている。


  ◇  ◇  ◇


 横殴りの陽光が、世界を金色に染め上げる。時おり跳ねる小さな飛沫が、砂金のように輝いている。

 海面には、二つの影が浮いていた。いっぱいに翼を広げて、鳥人の将校が脱力している。その隣では、魚人の士官も力なく寝そべっていた。


「ああ、もう、疲れた」

「ようやく意見の一致を見たな」

「うるさい。むかつく」


 鳥人の吐き出す悪態にも力がない。

 魚人が海面で寝返りを打つ。顔を拭った左手が、じょり、と顎髭に触れる。紫色の空を仰いで、独り言のように話し始めた。


「――おふくろは苦労人でな。おやじは早くに死んだし、ほら、魚人は多産だろう」

「いや、しらんけど」

「おれが軍に入ったあたりで、おふくろは鳥人の自治州へ出稼ぎに行って、帰ってこなかった」

「だからなんなの。意味あんの、この話」

「いや、まあ、なんていうか。さっきの戦艦が、おふくろだった気がしてな」

「まさか、そんなこと――」


 あるわけない、と言いかけて、トリの将校は続く言葉を呑み込んだ。あるわけないことが、今日一日で幾つも起こった。そして、自分の肉親が、だれかの肉親を巻き込んだかもしれないことに気づく。さっと顔が青ざめる。


「ご、ごめ――」

「ああ、いや、そうじゃなくて。親殺しなんて、お互い面倒なもんを背負ったなって、それだけよ」

「――一緒にしないで。むかつく」


 すると、ぽつ、ぽつ、と何かが海面へ浮かぶ。沈む戦艦から脱け出したのか、一〇ほどの〈こどもたち〉だった。二人は慌てて身体を起こし、鳥人などは沈みかけるが、〈こどもたち〉からは見向きもされなかった。


「どこ行くんだろ」

「さあな」


 あるものは翼で泳ぎ、あるものは鰭で飛んでいる。背中を茜色に染めながら、どこかへ向けて去っていく。彼らの生は苦しいものになるだろう。それでも彼らは、生にしがみつくことを決めたのだ。その姿が、闇に消える。

 余燼(よじん)のように水平線が燃え残っている。それも今や消えそうだ。()(がれ)どきに相応しく、もはや二人は互いの顔も見えてはいない。


「――ねえ。むかーしむかし、空と海はひとつだったんだって」

「へえ。それじゃあ、なんで分かれたんだ?」

「あたしが、おじさんとは、違うからかな」

「なるほどね」


 空は暗く、海は穏やかだ。遠くに見えた水平線は、二つの狭間で揺れていた。


「空と海が合わさるところ、か」

「なにそれ、趣味わる」

「だよな」


 そして日が沈む。そうすると、もう、その境目は分からなくなった。


―了―

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