第8話 一夜明け
重い。
それが朝目覚めて思ったことだった。
昨日はあれから、ふたりが出たあとに俺もシャワーだけ浴びた。
それからレッドジャイアントとかいうなかなかの難敵との戦闘やフィルムルトさんたちに裏切られたということが精神的にも来ていたらしく、すぐに寝てしまった。
ただそこは男の俺。
ジェイミーとペトラには俺が普段使っているベッドで寝てもらい、俺はソファで寝た。案の定ともいうべきか、ふたりは自分たちがソファを使うからと言って聞かなかった。まあ最終的には俺がソファを占拠して寝始めてしまったので、彼女たちは渋々ベッドを使ってくれたようだ。
……そのはずだよな?
「……んっ」
小さな寝息が俺のすぐ耳元で聞こえる。
寝ぼけ眼をこすり、視界がクリアになる。
するとそこには――ふたりの幼女が俺の上に乗っかって寝ていた。
おいおい、本格的にぼけたか俺は。
いやそんな歳ではないと、自分自身に突っ込みを入れる。
「まじかよ」
ご丁寧にジェイミーは俺の右側に、ペトラは左側にいた。
しかも俺のほうに向いているものだから、気持ち良く寝ているのがわかり。
俺にはこんな状態の彼女たちをどかして、起きるなんてことはできなかった。
「……んあ? ダレン?」
もぞもぞと動いたことでジェイミーが起きたらしい。
「おはよう。……あれ、でもなんでダレンがいるの?」
「こっちが聞きたい」
まだ寝ぼけているジェイミーは「はえ?」とかなんとか言ってまるで状況を理解してはいないようだ。もしや、俺の部屋にいることも忘れているんじゃなかろうな。
「ん、ジェイミー? もう朝……?」
俺たちの会話で目を覚ましたペトラは横にいるジェイミーに話しかける。
「おはようペトラ。朝だよペトラ」
「おはよう。……そっか、朝かあ。起きなきゃだねえ――ん?」
眼前で言葉が交わされる。
だがようやくペトラもこちらに気づいたのか、視線が合った。
「あれ、ダレンさん? ……ん? わたしなんでダレンさんの上に?」
「俺が聞きたい」
「――あわわっ! ごめんなさい!」
がばっと起きたペトラだったがそこがどこなのかわからなかったらしく、身体が左側に傾き――ソファから落ちてしまう。
「あ、おい」
ずどん、とソファから転がり落ちた俺は見事ペトラの下敷きとなった。
「ええ!? ダレンさん!? 大丈夫ですか!?」
「ああ、うん。ペトラは?」
「わたしは、だいじょぶ、です」
「そか。ならよかった。……あと、できればそこからどいてくれるとありがたい」
「すぐどきます!」
言うとおりに俺の上からどいてくれた。
いやしかし、朝からこれはなんの罰ゲーム? それともご褒美か?
そんなふうに頭が回らない俺がのそのそと起き上がると――
「ダレンさーん、今日は朝食どうします…………か?」
元気のいい声とともに現れた女の子が俺たちのことを見て、固まってしまった。
……説明させてくれ。
――――
「なんだあ。わたしはてっきり、ダレンさんが年端もいかない女の子を連れ込んであんなことやこんなことをしたのかと」
「レオノーラから見て、俺ってそんなふうに見られてたの!?」
「はい」
衝撃の事実に俺はがっくしと肩を落とした。
レオノーラ・クリープランド。
ここ『クリープハウス』を経営するクリープランド夫妻の娘さんだ。
ほんわかとした雰囲気を醸し出す愛らしい相貌。
小動物のような瞳に、ぷにっとした唇。
見ているだけで疲れが吹き飛ぶかのように可愛らしい彼女は、俺よりもひとつ下なのだがもうこの宿屋には欠かせなくなっている存在だ。料理も家事もお客様対応も完璧で、いつも疲れて帰ってくる冒険者の癒しになっている。
「もう冗談ですよー」
「びっくりさせないでくれよ」
「半分くらい思ってますけど」
「結構思っているね!」
ずーんと再び沈み込む俺。
レオノーラはそんな俺を見て、ふふっと笑い、朝食を置いてくれる。
「なーんて。冗談ですって。むしろダレンさんはそういうの苦手そうですから」
「はは、それはそれで悲しいな。……ありがとな」
「いえいえー」
そして俺の隣に座るジェイミーとペトラにも同じ朝食を運んできてくれる。
今日の朝食はパンにスクランブルエッグ、サラダだった。
「どうぞ。ジェイミーさんもペトラさんも食べてくださいねー」
「ありがとー」
「ありがとうございます」
「どういたしましてー」
分け隔てなく接し、レオノーラは厨房のほうに戻る。
ここ『クリープハウス』は一階が酒場となっており、二階が宿泊場所というよくある宿泊施設だ。この一階ではお金を払えば朝食をもらえることになっている。安いし、美味しいしで俺はいつも利用している。
「美味しい」
「美味しいです」
「よかったあ」
子供の素直な感想に朝食を用意したレオノーラはほっとしたように息を吐いた。
小さい子のお客さんなどほとんどいないため、口に合うかどうか不安だったのかもしれない。けど俺はまったくそんな心配はしていなかった。だってめちゃくちゃ美味いからな。
「……それにしたってダレンさん。一二歳とはいえ、女の子ですよ。一緒のソファで寝るだなんて」
「いやだから違うからな。もともと俺だけソファで寝てたんだ。ふたりはベッドで寝ていた……はず。だよな?」
「うん。ベッドで寝てたよ」
「ベッドで寝ていました」
だよな。俺は間違っていないよな。
「で、なんでまたソファで寝てたんだ?」
問うと、ふたりは見つめ合い、首を捻った。
「なんでだろ」
「おい」
「あ、わかった」
手を挙げてジェイミーは言う。
「ダレンが寂しそうにしていたから」
「……は?」
「それで私がダレンのほうに行っちゃったからペトラが寂しくなってついてきちゃったんだと思う」
絶対そうだと言い切るジェイミーにペトラが「勝手に言わないでよ。寂しいだなんて思ってないよぉ」と反論していた。
「なにこの女の子たち可愛い」
レオノーラはふたりの姦しい姿を見て、目をとろんとさせていた。
「寂しがり屋のダレンさんよかったですね」
「だれがだよ。言っておくけど、俺は寂しくなんかないからな」
変に勘違いされたままだと嫌だったので、俺は訂正しておく。
「そうなの? でもなんだかダレンが寂しそうに見えたから」
「それはあれだな。ジェイミーの勘違いだ」
「えぇ……うーん、そうなのかな」
「そうなんだ。つーか本人が言っているんだから、そうなんだよ。わかったか?」
「……うん」
説き伏せるように言うとジェイミーはしゅんとなってしまう。
向かい側にいたレオノーラからはじろりと睨まれてしまった。
俺が悪いのかよ……。
「あー、あれだぞ。少し……すこーしだけ、寂しかったかもしれないな。うん」
「やっぱり!」
もうすでに近いというのにさらに身体をくっつけてくるジェイミー。
「どうだった? 寂しくなくなった?」
「はあ、まあなったんじゃないかな」
「よかったあ。やっぱりお姉ちゃんのやり方は効くんだねー」
「お姉ちゃん?」
言葉の中に、気になる部分があったため、自然と聞いていた。
「うん。私とペトラのお姉ちゃん。そのお姉ちゃんがね、嫌なことがあったり悲しいことがあったりするといつもやってくれたんだ。するとね、そんな嫌な気持ちがなくなるんだあ」
自慢げに語るジェイミーにペトラも誇らしげだった。
どうやらふたりには自慢のお姉ちゃんがいたようだ。
けど、ジェイミーとペトラって確か家名が違ったような。
うーむ、あれか。ふたりにとってお姉ちゃん的な存在がいたとかそんなところだろうか。あまりこういう込み入ったことを聞くとあれだからやめておこう。
「ペトラもよくしてもらってたよね」
「そんないっぱいしてもらってないよぉ。……でも、うん。あれをお姉ちゃんにしてもらえるとすごく心が落ち着く」
だから俺にしたってか?
いや、つーか俺はべつに寂しくなんざ思ってないんだが……。
どんだけひとりで寝たり起きたりしてきたと思っているんだよ。
「すごい効果のあるものだってことはわかった。けどな、そんなやたらめったらやるもんじゃねえぞ」
「どうして?」
「だって、それはほら。……そういうのってやりすぎると効力が薄れるって言うか……。そもそも俺は寂しくなかったし――いや俺は男だからさ。お前たちが思っているほど寂しく思ってないんだよ。だからな? 寂しそうだと思ってもスルーしてくれて構わないから」
「うーん……わかった。じゃあ、今度からはあんまりやらないね」
「そうしてくれると助かる」
とりあえずなんとか言いくるめられた。
こんなのしょっちゅうされたらたまったもんじゃねえぞ。
食事の手が止まっていたので、再開させると、不意に視線が向けられていることに気づく。
「どうかしたか、レオノーラ?」
「ううん、なんでもないです」
視線を切り、レオノーラは他の客のほうに行ってしまう。
仕事もしっかりとこなす彼女に感心したように見ていると、ジェイミーが自分の皿に乗っているサラダを指差す。
「ダレン、この赤いピーマン食べて」
「なんだ苦手なのか?」
「うん、不味い」
素直だなあ。
まだ子供だし、苦手な食べ物くらいそりゃあるよな。サラダは特に。
「オッケー、これだな」
「ダレンさん、いいですよ。こら、ジェイミー、好き嫌いしちゃだめでしょ」
甘やかす俺だったが、ペトラはそれを由としなかった。
「むう、いいじゃん。ダレン食べてくれるって言ってくれたよ」
「お姉ちゃんがいつも言ってたじゃん。好き嫌いしてたら大きくなれないって」
「いいもーん。私ペトラより大きいし」
「わ、わたしのほうが大きいよ!」
「ぜーったい私のほうが大きいよーだ! この前測ったら私のほうが一センチ高かったもん」
「あれはジェイミーが背伸びしてずるしたでしょ。無効だよ無効」
「してないよーだ。私に抜かれたからってそんな負け惜しみ言っちゃって」
「負け惜しみじゃないもん。ジェイミー、絶対ずるした」
「落ち着けお前ら」
好き嫌いの問題から身長って、なんか子供みたいな喧嘩だな。
「じゃあダレンに見てもらおう」
「いいよ。はい、ダレンさんどっちが大きいですか?」
立ち上がって背比べをするふたり。
……いや、どっちもどっちだなあ。正直全然わからん。
「私だよね!?」
「わたしですよね!?」
ふたりに迫られた俺は彼女たちのとある部分に目が行く。
女性としてそれは誇るべきものであり、将来有望すぎるそれを見て――
「好き嫌いはしないほうがいいぞ、ジェイミー」
「ええ!? なんでえ!?」
「ほら、やっぱりわたしのほうが大きい!」
嘆くジェイミーと勝ち誇ったようにするペトラ。
……なるほど、大きくなる、か。
ふたりのお姉さんの言葉はあながち間違っていないのかもしれないな。