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第30話 決死の戦い



 口の中が鉄の味でいっぱいになる。

 気持ち悪くなり、吐き出す。

 地面に落ちた赤いそれを見て、俺がどれだけ劣勢に立たされているのか改めて知る。


 やっぱり単眼巨人サイクロプスは強い。

 しかもそれが魔人化しているとなると、桁違いだった。

 不意打ちからの攻撃以降、俺が主導権を握ることはなかった。


「っおお」


 薙ぎ払い。

 横一線に振るわれた棍棒が煉瓦の壁を破壊する。

 何度も何度も叩かれ、クレーターのような跡が何個もできていた。

 なにも避けているだけではないが、次の一手を打とうとするもそこからすぐに反対の建物を棍棒で殴って攻撃をやめてくれないためなかなかこちらから仕掛けられずにいた。

 だがずっとそうやって追いつめられていたわけじゃない。


 数瞬のインターバル。

 タイミングはぴったり。

 次の一撃に転じる一瞬の隙を見計らっていた俺は、反撃の狼煙を上げる一撃をお見舞いする。


「もらい」


 腹部を一閃。

 しかし歓喜は秒ももたなかった。

 眼が笑っていた。

 眼で笑っていた。

 余裕のあるそれを俺に見せつけ、棍棒から手を放した右拳が俺を襲った。


「がっ――」


 横殴りにされ、建物に身体をぶつけ、ごろんと地面に落ちる。


 正直言って、手応えはなかった。

 攻撃を当てたけど、当てただけって感じでダメージは与えている感触はなかった。

 先ほどの最初の一撃、あれも偶然深く入っただけで結局俺の攻撃はこんなものなのだ。


「さっさとルエラさんから武器もらうんだった」


 ギルドで買った初心者用の得物を見て、苦々しく言う。

 武器にケチつけるつもりはないが、やはり以前までのものとは違って、威力が格段に下がっている。ああ、こんなことならやっぱりぶっ壊れるまで使うんだった。


 単眼巨人サイクロプスは棍棒を建物から抜き取り、それを肩に担ぐ。

 狙いは――俺ではなく、少女ふたりだ。

 徹頭徹尾あいつはジェイミーとペトラを狙っていて、俺はただのお邪魔虫程度にすぎないということらしい。ふざけやがって。


「よそ見してんじゃねえよ」


 意識をこちらに向けるように吠え、体当たりをかます。

 足が止まり、首だけをこちらに動かして、眼を向けた。

 ぞくり、と背筋が凍るような感覚が俺を襲う。

 余裕の表情からでもわかる。モンスターは俺の弱さを見抜いている。


 ――だからなんだよ。


 自分の弱さなんざ、とっくの昔から自覚してんだよ。


『グア?』


 眼前のモンスターは俺を嘲笑うかのように重い武器を振るった。

 太刀で防ごうとするも全然盾にならず、踏ん張りもきかずに床に叩きつけられる。

 石畳が血に染まる。


 立ち上がってすぐに単眼巨人サイクロプスに攻撃を仕掛ける。

 棍棒が盾替わりとなって防ぎ、そのまま振り下ろされる。


「まだだ!」


 何度も何度もトライする。

 けれど相手にとって俺は虫けらのような存在、簡単にあしらわれる。

 地面と何回接吻したか覚えていない。

 殴られた痛みか、地面に叩きつけられた痛みか、身体がどこもかしこも痛い。

 それでも俺は立ち上がる。

 何度だって立ち向かう。

 守るって決めたから。

 絶対にこれ以上は行かせない。


『クアアッ』


 鬱陶しそうに適当に俺を相手していたからか、左手に持っていた短剣に気づかなかった単眼巨人サイクロプスは体に突き刺さったその痛みに声を上げて後ずさる。


 後退したその時を狙い、突貫する。


『――アアアアアアアアッ!』


 モンスターはご自慢の眼を押さえ、苦しそうに暴れる。

 これだけむき出しの弱点もそうそうない。視界を赤く染められたためか、俺を狙えないでいる。動きは読みにくいが、大振りになったおかげで隙だらけだ。

 すかさず、追撃。

 俺に斬られるたびに巨体が揺れ、激しく暴走を繰り広げる。

 ぷしゅっと傷から血が溢れるたびに苛立ちを募らせ、より動きが雑になる。

 趨勢が傾いた。

 このまま一気に決める。

 俺はもう一度、その大きな眼に標準を合わせる。


「っああ――っ!?」


 刀身が俺の頬を掠め、ぐるぐると回転しながら地面に突き刺さった。

 なにが起きたのか考えるよりもこの状況をどうにかしなければならないが、どう考えてもそんな思考する時間など俺にはなかった。


 空中でほぼ無防備な状態――絶好の狩るタイミングだった。


「――――ぐっ」


 ごすっと、鈍い音をともなって俺の身体が紙ふぶきのように吹き飛ぶ。

 尋常じゃない痛みが俺の身体に訴えかけてくる。

 この機会を窺っていたのか、渾身の一撃、だったように思う。

 立ち上がることもままならない。


 ――かかったな。


 剣先が相手の眼を貫く寸前、その眼が言ったように思えた。

 忘れていた。あいつは魔族化していたのだ。通常の単眼巨人サイクロプスなのではない。魔族化とは単純な力の増加はもちろんのこと、防御力も弱点だって変わる場合もある。もしかしたら悶え苦しんでいたのはほんの最初だけであとは演技だったのかもしれない。見れば、その眼はギラギラと輝いていた。


「…………はは」


 ちらりと後ろを見やってから俺は、笑う。

 諦めの笑みではない。

 ゆっくりと立ち上がって、折れた武器を構える。

 こんなもん、屁でもない。

 何度だって立ち上がってやる。


「後ろのふたりには指一本触れさせねえよ」



☆☆☆☆



 叩きつけられるたびに目を閉じたくなる。

 殴りつけられるたびに目を閉じたくなる。

 血を吐くたびに目を閉じたくなる。

 傷を負うたびに目を閉じたくなる。


 けれど、そのたびに立ち上がる彼を見て、目を閉じることなんてできなかった。


 あの時の約束を。

 あの時の決意を。


 あの時、憧れたあの人が――目の前にいたから。


(ダレン……)


 固唾を飲んで見守る。

 彼が助けに来てくれてからどれくらい経っただろうか。

 とても長く感じるけれど、それでもジェイミーとペトラに一切攻撃は来ていなかった。時々、建物の破片や風圧など発生しているが、それすらもすべて彼が受けてくれる。

 まるで目の前に大きな壁があるかのようだった。

 強固で頑強なものに守られている。


 しかし。

 なにも彼が優位に立っているというわけではないのが現状だ。

 必死に食らいついているが、ダメージを負っているのは彼のほう。


「――――」


 また、立ち上がる。

 尋常ではない痛みがダレンに蓄積されているはずなのに、彼はそんな姿を見せない。きっと安心させるためだ、不安にさせないためだ。


(私たちのために)


 だというのに、自分たちはなにもできていない。


 唇を噛みしめ、手放してしまった大剣を拾い上げる。


「ペトラ、動ける?」

「大丈夫」


 ジェイミーの行動の意図を汲み取ったペトラの手にはすでに杖があった。


 いま現在の状況を見るに、戦闘経験のある者からすればダレンが押されているとだれもが答えるだろう。

 ふたりは顔を見合わせてどちらからともなく頷き合うと、援護をすべく動く。


 しかし子供の小細工など魔族化したモンスターの足元にも及ばない。

 まったくの意識外からの強襲をさらりと避け、遠方からの魔法も消し飛ばす。


「ジェイミー!」


 攻撃をするために接近していたジェイミーに焦点を合わせられる。

 ダレンの声が間近で聞こえたかと思えば、衝撃がジェイミーの身体に襲う。


「うぐっ」


 地面に激突したジェイミーはなにかに包まれているような感覚がした。

 見上げれば、ダレンが苦痛の表情で覆いかぶさっていた。

 考えなくてもわかる――自分がダレンに守られたのだということを。

 ほんの少しの衝撃程度で済んだのは他でもない、彼が代わりに受けたからだ。


「ダレン。ごめんなさい、私――」

「……謝らなくていい。助けようとしてくれたんだろ?」

「でも、私のせいで」

「ありがとな。でも危ないから下がっててくれ」


 気に病まないようにと笑顔で言ってくれるが、彼の負担になってしまったのには変わりない。それはペトラも同じように感じているのか、もう援護しようとはしていなかった。


「大丈夫だ、もうちょっとの辛抱だから……きっともうすぐ応援がくる」


 どこまでも自分たちを安心させるように立ち上がる。

 満身創痍であるのは一目でわかった。


(そうだ、ポーション)


 それでもなにか自分にできることはないかと考えて辿り着き、『アイテムボックス』に手を伸ばそうとしてあることを思いだす。

 忘れていた。

 こんな大事なものがあるのを、頭から抜けてしまっていた。


「ダレン、これ」

「ん、どうした、まだなにか――」


 振り返ったダレンの瞳が静かに揺れた。

 ジェイミーが持っているのは鈍色の刀だった。

 光に反射し、刀身が輝きを増す。

 馴染み深いであろうその弯刀をジェイミーは鞘に収め、ダレンに手渡す。


「よかったら、使って」

「どうしたんだよ、これ」

「それはその……ダレンにお世話になっているから、そのお礼にってペトラと」


 初めてクエストを達成し、お金をもらった時。

 なにに使おうかとふたりは悩んで、ダレンへのプレゼントに決めた。

 彼の武器がだめになったのは知っていたのでなにかないかと店に行き、そこで優しい店主と出会い、借金という形ではあるものの、とにかく強いものをとオーダーして作ってもらったのだ。モンスターと遭遇してしまったために、すっかりその存在を忘れてしまっていた。


「なんだかなあ、やっぱりお前らって……いや、なんでもない。これ、ありがとな」


 なにかを言いかけてやめ、ダレンは鞘から新たな武器を取り出す。


「なんかいけそうな気がしてきた」


 にっと微笑んだダレンを見て、ジェイミーはなぜだか安心していた。






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