地球の貴族、異世界に行く
目を覚ましたら美女がいた。
人生何が奏功するかつくづくわからないものだ。
数日前の自分に、ネタで買ったジョークアイテムに命を救われることになるぞと教えたら、酔ってんのかこの馬鹿は、と呆れかえったことだろう。
仔細は省くが、ある日俺は転移した。
日本の地方都市から王都郊外の神殿の内陣に忽然と現れた……らしい。
一昔前なら、オズの魔法使いが云々と解説の一つも必要としたのだろうが、今は一言、異世界転移で事足りる。
らしいというのは、俺がその時意識を失っていたからだ。
突如降ってわいた不審者だが、ほどなくして目を覚ましたという。
不審者。つまり俺の事だな。
ところでさっき美女と言っただろう。
すまん嘘だ。
いたのはバーコード禿のおっさんだ。目を覚ました俺の眼に最初に飛び込んできたのはおっさんのすだれ頭だった。
おっさんは俺が起きたことを目ざとく見つけると、奇妙にうやうやしい態度で話しかけてきた。
「お目覚めのようですね。御気分はいかがですか」
意識はしっかりしているか、どこか痛い所はないか、意識を失う前後のことをどれくらい覚えているか云々、丁寧ながら、有無を言わせぬ調子で問いただされた。
俺は最初、このおっさんは看護師なんだと思った。
茶色い看護師っぽい服を着ていたからもあるだろう。これは後で神殿に奉仕する使用人の着る作務衣的な作業着だと知った。
おっさんはひとしきり俺の覚醒状況を確かめると、人を呼んでくるので待っていてほしいと断って、部屋から出て行った。
その頃には俺も、あのおっさんが看護師ではないことは気づいていたので、呼ばれるのが担当の医者ではないのも分かっていた。
正直言って誰が来るのか、ここはどこなのか、俺の身に何が起こったのか、なにもかもが不安でしかたがなかったが、闇雲に動き回るのもはばかられ、消極的に人物の到来を待ち受けた。
そしてやって来たのは。
「美人だ」
嘘から出たなんとやら。さっきおどけて口にした、脳内美女を数段上回る美貌の持ち主が現れた。
眼福と言いたいところだが、まばゆいばかりの美人に過ぎて、おっさんの半分まばゆい頭の方が目に優しかった。
「公爵様」
と美女は俺を呼んだ。
彼女はこの神殿の長の巫女だと名乗った。
曰く。俺は朝課のさなかに突然虚空から現れたのだという。そして彼女の指示で介抱された。人の善意とは素晴らしいもんだね。よくもまあそんな意味不明の不審者を客間に運んで寝かせてくれたものだ。
「助かりました。ありがとうございます」
ありがとう。どういたしまして。
ひとくさり、お定まりの感謝と謙遜を交わし合う。
実際、照れくさく茶化してみたが、感謝しかない。
とはいえ、しかし、謎なのは公爵である。
誰が? 俺が。
何で? 分からん。
もしや転移ではなく憑依か転生だったかと早合点をしかけたが、鏡を見れば二十年来の見慣れた顔だ。おっと俺が二十歳の青少年って意味じゃないぞ。二次性徴も終わりきってから早二十年のおっさんってことさ。
「ところで、巫女さんは、なぜ私を公爵だと?」
俺は否定も肯定もせず、どうしてそう思うのか尋ねた。
「保有されている称号にちゃんと書かれていましたよ」
あらまあと巫女は奇妙なことを聞かれたという顔をした。
どうして、そんな当たり前のことを聞くのだろうか。そんな風に考えているのかもしれない。
しばし、お互いの常識の食い違いから起因する、頓珍漢なコントめいたやりとりの後、俺もようやくピンと来た。
「あ。もしかしてステータス閲覧的な?」
にこりと巫女は微笑んだ。
当たりらしい。ちょっと嬉しくなったが、疑問の解答には何もなっていない。
もっとも、こんな謎でいつまでも引っ張るつもりはない。答えはすぐに明らかになった。
「本当は無断で拝見するのは無作法も良いところなのですが」
緊急事態でしたと巫女は侘びながら、自分が読み取った内容を書き出した書類を、俺にくれた。巫女が鑑定した、倒れ伏す男のプロファイルの末尾、保有する称号の欄には以下のように記載されていた。
称号:日本国市民にしてゼ―ランティア大公国公爵及び成功の入り江1エーカーの地権者
※ ※ ※ ※ ※
後で聞いた話だが、俺の処遇をめぐって議論は紛糾したそうだ。
額面通りに受け取るならば、押しも押されもせぬ大貴族である。
実際にはゼーランティア大公国こと遺棄された大戦中の海上要塞を不法占拠した面白集団が発行する爵位っぽい何かに国際的な権威など寸毫もないのだが、そんなことはこの世界の人間に分かるはずがない。
巫女の口から、俺が公爵(この国で王に次ぐ身分の貴族が保有する称号に相当するもの)であると証言された時点で、ゼーランティア大公国の公爵位は俄かに現実の権威を帯びるに至ったのだ。
王宮にまで飛び火した。
諸侯、官吏は騒然とした。
巫女の読み取った称号を疑う者はいない。つまり男は日本なる国の国政に参与する権利を有する特権身分であり、かつまた別の国の爵位と土地を領する高位貴族なのだ。
誰しもがそのように受け取った。
ある貴族は言った。異界の蛮族もとい異民族とはいえ貴族を平民や農奴と同じように扱うのは具合が悪いのではないか。貴族なりの道徳心で俺を擁護してくれる人間が少なからず現れた。
一方、異世界から着の身着のまま、土地家屋に家臣団すべて置いて来た時点でもはや、断絶した貴族家の末裔を自称する山師にも劣ると訴える者たちも存在した。まあ当然だろう。
だから、この派閥の人間たちすら、口ではなんのかんのと言いながら、俺の事を同じ尊い血を引く人間として、この国の平民に対するよりもよっぽど親身に接して来たので驚いた。
平民に対する貴族の冷淡さにドン引きだよ。
別に特別残忍ってこともない。ジル・ド・レやバートリ・エルジェーベトのような趣向の持ち主も探せば何処かにいるだろうが、少なくとも俺の知り合った範囲にはいない。おおっぴらに語るれるような上等な趣味ともみなされていない。
むしろ、善良で慈悲深い貴族の方が数としては多いくらいだ。
ただ。ただそうだな。その慈悲の種類が環境保護や動物愛護の精神と一緒ってことかな。こいつらマジで平民のこと同じ人間だと認識してない。
基本的人権なんて概念自体存在しない封建社会怖い。
ネタで購入した自称国家の爵位(ネット通販で500ユーロ。普通に高い。二日酔いの頭ですごい後悔した)が無ければ即死だった。
最終的に俺の立ち位置は王による鶴の一声で裁定された。
なんと驚きの枢密院議員である。領地はないが公邸と(貴族としては)少額ながらも年金付きだ。
仕事は王の諮問に答えること。異世界人に特有の見識を見込まれた形だ。言うなれば知識チート(弱)ってところだう。実際にやってる仕事は、紐がついてない愚痴聞き役だがな。
「公爵閣下。王のお召しです」
おっと。早速きなすったか。はいはい、今行きますよっと。
Q.元ネタのシーランドは公国(Principality)では?
A.はい。しかし一般に日本語では同国の君主号でもあるPrinceとDukeとを共に公爵とし訳し分けることをしません。そのため公国の公爵では紛らわしいと判断し大公国(Grand principality)に変更しました。
Q.成功の入り江って何?
A.地球の衛星である月の表面に存在する入り江の一つです。
つまり主人公は月の土地をも購入していました。ネタで。勢いで生きてますね。