1話
尋問と授業はいつも通り終わった。チャイムが鳴る。昼食の時間。
「13、早く行こうぜ。」
名前なんてない。研究には不要だから。No.13が俺の名前。俺を急かす彼はNo.06。ピアノの黒鍵みたいに真っ黒な髪とこの世にあるであろう青いものをぎゅうっと詰め込んだみたいな真っ青な瞳は研究所の女の子たちを虜にする。淀んだ醜い青もこの世にはたくさんあるだろうけど、世界はきっと、半分以上は美しいものでできている。表情はよく動くとはいえないが、綺麗な顔だ。横に立つ女性はにこやかにNo.13に手を振る。真っ白な髪に水色の瞳、白い首筋には一本の赤い線が巻き付いている。かつてのフランス王妃、マリー・アントワネット。悲劇の女王様がNo.06の前世だ。彼に言うと頬を膨らますが、No.06と王妃の会話は面白い。
「わかった、すぐ行く!」
同じ班の友人たちも肩を揃える。No.30は金髪に一筋ピンク色のメッシュを入れて二つに結わえた女の子。前世はジェーン・グレイ。焦げ茶色の髪を長く伸ばした寡黙で優しいひとだ。こっちも悲劇の女王様。No.30は最近、元気がない。グレイの人生を思えば仕方がないけれど。No.34は一つ年上のお姉さん。黒い髪を短く切って、組紐をつけている。彼女の横で興味なさげな視線を周りに振り撒き続けるのがNo.34の前世、源義経。No.34も義経も、人好きはするが二人の性格は正反対だ。義経は正直な話、つかみどころがなさすぎるし自信家すぎる。その後ろ、目を覆うほどに前髪を伸ばして茶髪を後ろで纏めているのがNo.100。No.34と同い年のお兄さん。前髪のせいで陰気そうな印象を与えがちだが面倒見は良いし頼りになる。言うなれば穏やかな兄貴肌。他の人のことを語るには俺の語彙は全く足りない。そんな彼の横、腕を組み歩くのがその前世。ローマ建国の神話的英雄アイネイアス。トロイア戦争の生き残りだから多分俺の前世と縁があるかもしれない。アイネイアスは義経とは別のベクトルで難しい。要は堅物。
ペリオンの食堂のテーブルは班ごとに分かれている。俺たちの班は第4班、一番奥のテーブル。入り口から見てもそのテーブルの惨状はよく見えた。No.34とNo.100が大きな溜め息をつく。俺たちのテーブルにはオレンジジュースと中濃ソースがぶち撒けられていて、椅子が何個か積み上げられている。とても食事ができる環境じゃない。第2班の奴等が下卑た笑い声をあげている。他の班の奴等もニヤニヤとこちらを見つめている。よくあること。だって。
「第4班って5人しかいないんだよな?ならこんな広いテーブル要らねえだろ!」
そう。基本的に班は6人で形成される。それに対して第4班は5人体制。そのせいで尋問も早めに終わる。だから恨みを買う。皮肉なことに人数が少ないのでなめられているのだ。授業のコマが他の班より多い時、俺たちは当然食堂に着くのが遅くなる。だからこんな悪戯をされる。
「……片付けるか。」
No.100が呟く。No.30もNo.34も頷いて、布巾を探し始める。俺は横にいる親友……No.06に声をかける。マリー王妃にバレないように。そろそろ限界も近い。片付けに向かう3人の背中からも怒りを感じるし、マリー王妃とグレイさん、義経とアイネイアスも眉間のシワが尋常ではない深さになっている。残念なことに俺の前世、ホメロスは顔を出してくれたことはないけれど多分きっと怒っている。
「なあ、06。」
「……俺もそろそろ、って思ってた。」
ニヤリと笑い合う。隣り合ってズカズカと歩いていく。目指すは勿論、第2班。
「え、ねえNo.100?あの子達なにやってんのぉ?!」
「……あいつら、まさか。」
優等生二人の声が遠くに聞こえる。申し訳ないが聞こえないふりをする。No.30と目が合った。第2班の奴等に指を指し、それから中指をたてる。今日はいつもより元気がある。色々と『諦めた雰囲気』を醸し出している彼女だが、ムカつくものはムカつくらしい。No.06が第2班の代表格……確か番号は53、の胸倉を掴んで顔を殴った。女子たちの悲鳴が聞こえる。黄色い悲鳴。顔が良いというのは本当に羨ましい。
「……そろそろ限界なんだけど。」
そう言ってやる。第2班の奴等の顔が真っ赤になっていく。
「ここで喧嘩するのは他の人の迷惑になる。やるならそう、ちゃんとやろう。所長の許可をとってさ。それで俺たちが勝ったらこういうのをやめろ。謝罪を要求する。お前らが勝ったら……俺たちも我慢する。」
ペリオン内は基本的に私闘は禁じられている。しかし、所長から認められるような理由、というかお互いを傷つけ合って救護スタッフを何人も動員させるほどの理由があるとするのならその問題の解消の為に殴り合い、いわば試合ができる。第4班に対する陰湿な、ペリオン内の秩序を乱しうる行為の解消の為、といえばきっと印は押される。
「俺たちが申し込んでおく。班員総出。逃げるなら今のうちだぞナメクジ共。」
No.06が言う。すると第2班の奴等も頷いた。そしてニヤリと笑う。まるで勝利を確信したかのように。
「私は別にいいけど。どうせ一年以内に死ぬんだし、死ぬ前にあいつら殴りたい。」
No.30が言う。No.06が大きく頷く。食堂での一件で自分のファンが増えたと思っている彼は機嫌がいい。事実、ファンは増えた。だが彼女たちはNo.06のこのクールとは程遠い本性を知らない。かわいそうに。とはいえNo.06の観察は面白いので黙っておく。
「あたしたちもね、確かにムカつくよ?でも班員総出ともなると6人対5人は厳しいよ。もし負けたら嫌がらせは今以上に悪化するに決まってる!」
No.34は冷や汗をだらだらと流しながら頭を抱えている。普段は能天気でほわほわしている彼女だけど、今回ばかりは深刻そうだ。横にいる義経は「面白そうだし僕は賛成だけどねぇ」とけらけらと笑っている。
「……でも、ここで逃げても結果は一緒。僕たちは勝つしかない。」
唇を噛み締めて、No.100が言う。
「つまらぬ意地で戦いに身を乗り出すな。後悔するぞ。」
アイネイアスが小さく呟く。
「つまらぬ意地なんかじゃないよ。こんな狭いペリオンでさえ胸を張って歩けなくなるのは俺は嫌だよ。だから戦う。」
俺は宣言する。母さんとの朧気な記憶。外の世界。柔らかい草の上を、いつか裸足で駆け回りたい。こんなところで嫌がらせばかり受けている場合じゃない。
「そんなこと言ったって避けられない戦いもあるものです……。それに私たちは見ているしかできないのですし、彼らに任せましょう?」
グレイが言う。彼女の声はあまり聞かないけれど、透き通っていて綺麗だ。妖精たちが住む森の中の空気をそのまま吸って、そのまま吐いたみたいな声だ。マリー王妃はというと、No.06が吐いた『ナメクジ共』という言葉に対して憤慨している。話し合いが終わったら間違いなくお説教だ。マリー王妃は怒ると怖いけれど、俺の親友は先程の言葉たちに後悔はしていない。
「その、勝手に喧嘩売ったことは謝るよ。ほんとにごめん。でも俺たちは俺たちだけでも試合に出る。……これも本当。」
No.34の琥珀の瞳を見つめて言う。No.30は息を呑んで見つめていたし、No.100の前髪の下の目もきっとNo.34に向いていたのだと思う。
「……わかったわかったわかりましたぁ!出ればいいんでしょぉ出ればぁ!」
張り負けたら詰めた空気に痺れを切らしたNo.34が叫ぶ。その声が、真っ白な部屋の真っ白な壁に反響する。義経の口角がさらに上がったのが見えた。
「親友。今までの分までこてんぱんにしちまおうぜ、な。」
No.06が言う。
「……死ぬ前に一回殴り殺してやる。」
No.30がぼそりと呟く。
「は~、なんでこんなことに……。」
No.34は嘆く。
「まあまあ、僕だって一度は殴りたいと思ってたよ。君もだろ?」
No.100が諭す。
俺が、No.13が言う。
「試合は明後日。絶対負けないよ。」
あまりに微かな叛逆の狼煙。皆が頷く。
午後8時。この小さな『教室』で、名を轟かせるまで残り36時間。
読んでくださり誠に感謝です