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白雪姫と七人の継母  作者: 東方博
第四章
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続々・千歳の秘密

 駅前にあるファストフード店で千歳と待ち合わせた。早めの夕食を取る千歳にならって、雪見もハンバーガーのセットを頼んで席に着く。

「文化祭の準備はいかがですか?」

「順調なんじゃねーの。いつも通り演奏するだけだし」

 ポテトをかじりつつ千歳は空いた手で鞄の中を漁った。

「コレ、響達から」

 差し出されたのは少しよれた招待券。それも十枚。『第四十八回黎陵祭』と書かれた文字と千歳の顔を雪見は見比べた。

「時間があるなら来てほしいんだとさ」

「ありがとうございます。母と一緒にまいりますね」

 雪見は招待券を手帳に挟んだ。有紗も誘ってみようと思った。

「あの、もしかしてこれを渡すために?」

「違ェよ。ただのついで」

 千歳は指についた塩を払って、手拭きで落とした。

「それよりおめーは? 俺になんか用があんだろ」

 そうだった。雪見は薄い茶封筒を内ポケットから取り出して、千歳に差し出した。

「些少ですがお納めください」

 約束したモデル代だ。千歳は封筒を受け取った。

「この金、どーしたの」

「アルバイトをいたしました。塾の模試と合宿のお手伝いです」

 小学生の時に通っていた塾なので継母達の許可も簡単におりた。三日間という短期間なのも雪見には都合が良かった。

「あと母から臨時でお小遣いをいただいたので」

「でも絵、結局できなかったよな」

「完成はしました。千歳さんのおかげです」

「絵具が完全に乾いてはじめて『完成』なんじゃねェの?」

 雪見は苦笑した。その理屈だと世の油絵の大半は未完成だ。

「描いた本人がそこまでと思ったら完成ですよ」

 なおも物言いたげな千歳に、雪見は便箋を渡した。

「これはオマケです」

 無地の便箋に描いたのは、千歳の後ろ姿だ。

「ペンで描いたのか?」

「万年筆です。以前、秋本さんに洗浄していただいた万年筆に黒インクを入れまして」

 油彩画の構図を考えている間に制作した素描の一つだった。最後まで候補に残った構図案でもあった。

 ヴァイオリンを小脇に抱えて出番を待つ千歳。これから始まる演奏に対する緊張感と高揚感。高まり張り詰めた一瞬を、雪見なりに描いた。

「知ってたのか」

 千歳は脇から覗くヴァイオリンを指で軽く突いた。黒いヴァイオリンの裏面には、フリーデブルグが残した『遊び』がある。知ってしまった以上、写実画家としては描かないわけにもいかなかった。

「そのつもりはなかったのですが……見えてしまいまして」

 何しろ夏休み中は、ほぼ毎日千歳の姿を見ていたのだ。背板にだって気づく。

「俺は全然気づかなかった」

 千歳は傍のヴァイオリンケースに手を置いた。

「あの楽器屋の親父、背板を肩当てと布で隠して俺に渡しやがった。で、散々弾かせて俺が気に入ったところでーー」

 あとは聞かなくても大体わかる。

 背板に描かれた大輪のバラを見た千歳の衝撃はいかほどだろう。音色を聴く前ならば、あるいはあきらめたかもしれない。しかし千歳はこの黒いヴァイオリンに天啓を受けた。一度これと定めてしまったら本人にもどうしようもできないのだ。

 何故よりにもよって華麗な花をフリーデブルグ氏は転写したのだろう。少なくとも数百年後に強面のヴァイオリニストがこの楽器を手に取るとは想像していなかったに違いない。

「……他の連中に言うじゃねーぞ」

「ええ、言いませんとも」

 そもそも言う機会がもうない。コンサートに足を運ぶことはあっても、黎陵高校管弦楽部の練習を見学することはもうない。千歳と個人的に会う理由もなくなった。

「絵は残念なことになりましたが、秋本さんを描かせていただいて、本当に良かったです」

 まっすぐと伸びた背中は雪見の憧れだった。肩で風を切るような姿を、進んでいくその先を、いつまでも見ていたかった。

 想いを込めて描いた絵を、千歳は受け取ってくれた。

「ところであの油絵、今どこにあんの?」

「……処分しました」

 雪見は努めて感情を込めずに答えた。

「母達が画像を撮っておいてくれましたし、文化祭も滞りなく終わりました。創作文芸部も辞めます」

 文化祭の後片付けも終わってひと段落ついた頃に退部届を出すつもりだ。元々幽霊部員の多い部活なので支障はないだろう。大団円とまではいかないが、それで全てが丸く収まる。

「そりゃ部活やめんのはおめーの勝手だけどさァ」

 千歳は天井を仰いだ。

「ゴールデンウィーク明けぐらいだったよな。おめーが文具店に通い出したの」

「そうですね。梅雨入り前でした」

「二ヶ月近く俺のこと見てたワケ?」

「すみません」

「ンで、モデル依頼して、俺が断ったら学校にまで押し掛けてきて」

「その節は失礼いたしました」

「七十人編成のオーケストラの設営を一人でやった時は正直ビビった」

 そんなこともあった。今ではずいぶんと懐かしかった。

「夏休みもほぼ毎日練習の見学に来るし」

「ご迷惑を掛けました」

「モデル代稼ぐためにバイトまでして」

 深いため息が千歳の口から漏れた。

「そーゆーのってさ、捨てていいもんなのか」

「終わったことですから」

 なおも言いたげな千歳に言い聞かせるように、雪見は告げた。あるいは未練がましい自分に言い聞かせるためだったのかもしれない。

「もう終わったんです」

「あっそ」

 呆れたのか興味を失ったのか、千歳は封筒の中身を改めた。

「おい。コレ足んねェぞ」

「え」

「一時間分。初日の分が少ねェ」

 モデルアルバイトの時間を記録したシートを取り出して指差す。十七時からと記載されていた。

「実際は十六時からだろ。授業が終わって直行した」

「どうして……あ」

 思い出した。集結した継母達に千歳は一時間近く尋問と説教をされたのだ。その間、絵を描いていないのでうっかり入れ忘れてしまったが、拘束時間として換算すべきだった。

 雪見は財布を取り出した。五百円玉と百円玉一つずつ。今食べているハンバーガーセットの代金分足りなかった。

「……分割でもよろしいでしょうか」

「よくねェよ、バァカ」

 千歳は盛大に舌打ちした。

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