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白雪姫と七人の継母  作者: 東方博
第四章
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雪見の復讐

 伊藤雪見は、自分が凡庸な人間だと認識している。

 取り立てて美しくも醜くもない平凡な容姿。平均より低い身長。運動は苦手で、唯一得意なのは長距離走。物覚えも悪く、いつも叔父に怒られていた。

 そんな雪見がある日突然、成政の嫡子として認知され、白羽家に引き取られた。まるでシンデレラのように雪見を取り巻く環境は一変した。勉強に不安な箇所があれば塾に通わせてもらった。風邪をひいたら病院に連れて行ってもらえた。テストでいい点を取ったらご褒美にケーキを買ってもらえた。

 だから、雪見にとって人並みになるための勉強は至極当然のことであり、努力とも呼べないものだった。他人の倍勉強してようやく追いつける。学年で五位以内に入るためにはもっともっと勉強しなければならない。それを辛いと思ったことは一度もなかった。勉強すれば成績は伸びる。絵を上手く描ければ継母が喜んでくれる。単純な雪見はそれで満足していた。

 ーーだから、自分の努力が誰かを傷つけるなんて、雪見は夢にも思っていなかった。




「吉森さんには『部室のロッカー』と伝えました」

 しかしここは部室ではなく展示教室。

「は? え、で……でも、」

「ごめんなさい。先輩に嘘を吐きました。展示教室と部室の二つに偽物を置いたんです」

 そもそも、有紗が犯人である可能性は低かった。まず彼女は雪見の継母がどういう人物であるかを知っている。娘のためならば学校に圧力を掛けたり、盗聴器と発信器を仕掛けて尾行したり、マンションの改装を平気でするような過激で過干渉な母だと知っている。

 そして彼女は雪見と利害関係にない。継母の怒りを買うリスクを負ってまで雪見の絵を手に掛ける理由がなかった。

「部室の絵は無事でした。ここに来る前に確認済みです」

 対して展示教室に置いた絵はこの通り酷い有様だ。先日と同様に何者かが剥離剤を塗ったのは明白。

 何もしなければよかったのに。

 仕掛けておきながら、罠にかかった彩子を雪見は恨めしく思った。この複製画に何もされなければーー被害があの一枚で終わったのなら、事故として目を瞑ることだってできた。それ以上害にならないと確認できたのなら。

「何故吉森さんを陥れようとなさったのですか?」

 彩子はさらに複製画にまで手を掛けた。雪見に対してなおも敵意を持っていると示したのだ。捨ててはおけなかった。

「ち、ちがっ」彩子の顔が蒼白になった「これは、誰かが私をはめようとして」

 自分で放った言葉に彩子は勢いづいた。

「そう、そうよ。きっとあの百合とかいう女が誰かにやらせたのよ! 私を陥れようと……」

「テレピン」

「え?」

「剥離剤は刺激に強い薬品です。ですから扱う際は必ず手袋をしなくてはなりません」

 雪見はゴム手袋を外した。

 油彩画の基礎だ。彩子も知っているはず。何故なら彼女もまた専門的に絵を学んだ経験があるからだ。

「私の絵を素手で先輩は持っていましたね。大量の剥離剤が塗布されたキャンバスを」

「あれは額の中に入れてあったから」

「おっしゃる通りです。隙間がある以上水が入るのは致し方ないとしても、額の上から剥離剤をかけても大して効果はありません。ですから、先輩は一度あのキャンバスを額から取り出したはずです。留め具がありますので手袋をしたまま額から取り出すのは骨が折れるでしょう」

 つまり素手でキャンバスに触っている。

「指紋、ちゃんと拭きましたか? スプリンクラーの水がかかってもそう簡単には消えませんよ」

 彩子は両の手を握り合わせた。無意識の動作だろうが、それが決定打。

「モデルの秋本さんとは先日が初対面ですから違いますよね。私に対して何か思うことがあって、こんなことをなさったのですか」

 彩子は虚を突かれたように目をしばたいた。

「やっぱり気づいてなかったんだ」

「私が把握しているのは、先輩が中学生まで絵画コンクールで何度も入賞されていたことだけです」

 美術部の部長である蘭子と交流があるのも、本格的に絵を学び、コンクールで競い合う仲だったからだ。しかし彩子は高校進学以降ぱったりと入賞しなくなった。出品しなくなったと言った方が正しい。栄光女子学院の普通科に進学し、描画は創作文芸部で嗜む程度になった。

「お金はある。実績もある。実力も磨いてきた。でも私は夢を捨てなきゃいけなかった」

「どうして、ですか?」

「これでもそこそこの企業家なわけですよ、ウチの父は」

 冗談めかして彩子は言う。彼女の父親は起業し一代で財を成した。彩子はその恩恵に預かり、幼い頃から家庭教師や楽器演奏、ゴルフや水泳などあらゆる英才教育を施された。中でも彩子は絵を描くことに適性があり、本人の努力もあって数々のコンクールで入賞するほどの実力を身につけたーーのだが。

「『趣味としては許すが、絵で食べていけるとは思うな』ですって。通わせるだけの金はあるくせに私の夢には一円も投資してくれなかった」

 彩子は吐き捨てた。

「父は自分の会社を継ぐ子が欲しかっただけ。養われている手前、私も逆らうわけにもいかないしね。大人しく普通科に入ってオママゴトみたいな部活でひっそり絵を描いていたわ」

 しかし今年の春に伊藤雪見が入学した。後輩として創作文芸部に入部した。自分と同じ油彩画を得意として、何の制約もなく、誰に咎められることもなく、それどころか描いた絵を当然のように一番いい場所で掲示される。

「正直に言うと、ずっとあんたが目障りだったわ」

 悪意に唇を歪ませて彩子は嗤った。

「同級生にイジられても馬鹿にされても怒らない。蒸留水みたいな顔で良い子ぶってるところが。当然よね? 生粋のオジョウサマにしてみれば、下々の人間なんて相手にするだけ時間の無駄だもの」

 つまりは腹いせ。企業家の娘で普通科所属で絵を描くことが好き。似ている境遇であるにもかかわらず、自分は親の理解を得られず夢をあきらめ、雪見はのびのびと絵を描いている。

「百合さんから絵を盗むように頼まれた時はホントに……心底、馬鹿馬鹿しくなったわ。たかが素人の高校生が描いた絵じゃない。それを大の大人が目の色変えて奪おうとするなんてホント、馬鹿みたい!」

 それが彩子の言い分。雪見はドロドロにされた絵を見下ろした。

「そうですか」

 彩子は気づいていない。『たかが』となじる絵は、他人とはいえ同じ高校生が描いたもの。彩子は自分の夢を自分で貶めたのだ。

「どうする? お母様に報告する?」

「最初に言った通り、誰にも言うつもりはありません」

「へーお優しいことで。ありがと」

「誤解されているようですが、私は先輩を赦すつもりはありませんし、絵に関しても趣味で終わらせはしません。きっちり復讐はさせていただきます」

 小馬鹿にしたような彩子の笑みが消える。

「私は画家になります。白羽家の立派な後継者にもなります。先輩があきらめたものを、どちらも成し遂げてみせます」

 前例はある。写実画家として名を残すディエゴ=ベラスケスは宮廷配室長という激務をこなしながらも『ラス=メニーナス』などの見事な作品を描いた。画家に限らず生まれや環境が芸術家の将来を左右するのは事実だが、最後に決めるのは自分自身だ。

「私自身が先輩が壊した作品の価値を高めましょう。あの肖像画は素人が描いた絵ではなく、偉大な画家が若い日に描いて何者かに台無しにされた悲劇の絵になるのです」

 雪見は宣言した。決意と、そして決別の意味を込めて。

「それが私の復讐です」

 呆気に取れられる彩子に「あともう一つ」と雪見は付け足した。

「私のことをどう思おうが言おうが構いませんが、母を侮辱するのはやめてください。娘として大変不愉快です」

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