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白雪姫と七人の継母  作者: 東方博
第三章
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 弓を構えた瞬間に千歳の表情が変わる。勝負前のような緊迫感。一瞬にして張り詰めた空気に、雪見の背筋が無意識の内に伸びた。

 定期演奏会の演目『メサイア』を弾くのかと思いきや、千歳は全く違う曲を奏で始めた。

 一音一音ぶった斬るような出だし。特徴的な冒頭に、専門でない雪見でさえもすぐさま曲の名が思い浮かんだ。

 エドゥアール=ラロ作曲の『スペイン交響曲』だ。真弓曰く「ツッコミ所しかない名前の曲」。フランスの作曲家が『スペイン』交響曲を作った点ーーは、よくあることなのでいいとして、最大のツッコミポイントは後ろに添えられた『交響曲シンフォニー』の単語。

 交響曲なのにヴァイオリンの独奏がある。一ヶ所、二ヶ所どころではない。五楽章に全てのヴァイオリン独奏がある。完全にヴァイオリンソロが主役でオーケストラは伴奏だ。しかも奏でるのは南欧スペインを彷彿とさせる情熱的なメロディー。大変派手で格好いいヴァイオリンソロ。交響曲なのに演奏する際はヴァイオリンのソリストを用意しなければならない。いやこれヴァイオリン協奏曲コンチェルトでしょう、と音楽家なら誰でも一度は思うらしい。

 これがただの名曲だったのならちょっと変なヴァイオリン協奏曲もどきで終わっただろう。しかし、どういうわけかこの『スペイン交響曲』はラロの代表作で、音楽史に残る超名曲だった。ツッコミと共に後世に継がれ、現在に至る。

「おい」

 第一楽章を二回さらったところで千歳は弓を止めた。

「手、止まってんぞ」 

 自分に話し掛けているのだと気づくのに数秒を要した。雪見は我に返って、真っ白のスケッチブックを見下ろした。線の一つも描けていなかった。

「……あ、はい」

 握ったままの鉛筆を構える。演奏を再開した千歳をじっくり観察。一度ヴァイオリンを弾き始めたら傍に誰がいようと全く気にならないらしく、千歳は真っ直ぐ前を向いていた。

 一回目の本番さながらな演奏とは違って、今度はいくぶんか落ち着いた、悪く言えば緊迫感のない演奏だった。とはいえ、ぎこちない箇所は何度も執拗なくらいさらったり、楽譜に何やら書き込んだりと余念はない。運指を確認しながら、正確に、滑らかに。反復練習を飽きることなく丁寧に続ける様は、アスリートを彷彿とさせた。

「あの……できればなのですが、お願いが」

「ンだよ」

 面倒くさそうにしながらも千歳は演奏を止めた。

「もっと穏やかと言いますか、あまり激しくない曲を弾いていただけますと……大変助かるのですが」

「のんびりまったり『G線上のアリア』とか『愛の挨拶』でも優雅に弾けってか。課題でもねェのに」

「そういう意味ではなく、この前拝見した管弦楽団の皆さんと演奏していたような、感じの……」

 尻すぼみになる。雪見自身もよくわからなかった。ただ、今日の千歳は先日見学した時とは違う。何がどう違うとは明確に言えないが、何かが違った。

「『メサイア』と『アルルの女』だってそんなゆっくりな曲じゃねェよな。変わんなくねーか?」

 たしかに。一概に曲のせいとも言えなかった。『メサイア』も『アルルの女』も短調かつテンポの早い曲だ。

 違いは曲ではないーー強いて言えば、雰囲気だ。

「先日はすごく安定感があって、どっしりと構えていた感じでした。だから私も集中してスケッチすることができました。でも今の秋本さんだと落ち着かなくて、その……剥き出しと言いますか、荒っぽいと言いますか」

「意味わかんねェ」

 眉を寄せた千歳だったが、不意に思い当たったらしく「あー……そーゆーことか」とひとりごちた。

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