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白雪姫と七人の継母  作者: 東方博
第三章
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単純な人

「綾瀬ェッ!」

 不機嫌丸出しの声に玲一のみならず、二年六組のクラスメイトまでもが一様に身を竦めた。学年は違えど同じ音楽科。管弦楽部のコンサートマスターとなれば誰もが知っている。その数々の武勇伝も。

 玲一は読みかけの文庫を閉じた。教室の入り口に立っている千歳に、これ見よがしにため息をついた。

「朝から何の用です?」

「ちょっと来い」

 言いたいことだけ言って千歳は踵を返した。嫌な予感しかしない。何の気なしに周囲を見回すと、皆一斉に目を逸らした。触らぬ神に祟りなし。哀れな犠牲者を助ける気はないようだ。

 千歳を追いかけて教室を出ると、彼は階段へと続く角を曲がっていた。玲一はついて来ると信じて疑っていないのだろう。背後を気にすることなくどんどん人気のない方へと行ってしまう。

 ようやく千歳が立ち止まったのは、屋上に続く階段の中腹だった。鍵がかかって扉が開かない屋上へは誰も寄り付かない。

 千歳はずいっと万年筆を差し出した。突きつけた、と言った方が的確かもしれない。黒塗りの万年筆。入学祝いに親戚からもらったものだ。

「おめーのだろ」

「気づきました?」

 千歳は舌打ちした。まんまと騙されても怒鳴らないところを見ると、件の子には会えたようだ。玲一は受け取った万年筆を手でくるくる回した。

「で、結局引き受けたんですか」

「仕方ねェだろ」

 拗ねたように千歳は呟いた。普段は唯我独尊を地でゆくくせに律儀だ。

「まあ部活に支障がなければ俺は構わないんで」

 完成した暁にはぜひともその絵を拝ませていただきたいが、千歳がモデルでは無理だろう。

(モデル、ねぇ……)

 玲一は千歳の顔を盗み見た。

 不細工ではないが絵になるほど美形では決してない。人間としてはーー横暴だし理不尽だし最悪だと思ったことは何度も何度もあるとはいえ、大事な点は外さないしひたむきさは尊敬できる。信頼できる先輩だ。わかりやすい性格も好感が持てる。

 しかし、人間性は絵に関係ない。人の心や性格は、見ただけではわからないのだから。

 となれば、千歳をわざわざ口説き落としてまで描こうとする『あの子』のセンスが、玲一にはいまいち理解できなかった。

「その部活の件なんだけど」千歳は事もなげに言った「今日休むから、あとよろしく」

「え、パート練ですよ」

「合奏の時に休むよかマシだろ」

 たしかにそうだが、弦楽器を先導すべきコンサートマスターが不在なのはいかがなものか。

「次からは部活と重なんねェようにするから」

「ならいいですけど」

 ふに落ちない。察するにやむなくモデルの約束を優先させたのだろう。しかしこの変わり身の早さ。導き出される可能性はたった一つ。

「……いくらで引き受けたんですか?」

「時給千円。晩飯と練習室無料貸し付き」

 寝返るわけだ。玲一は納得した。

 本人はおくびにも出さないが、千歳の家は裕福ではない。公立高校ならばまだしも、私立の、しかも音楽科に通うのは金銭面で相当な負担がかかっているだろう。これから音大に進学するなら尚更だ。国外留学だって視野に入ってくる。情熱だけでは夢は追えないのだ。

 放課後に千歳がアルバイトをしていることも玲一は知っていた。勉学、ヴァイオリン、管弦楽団のコンサートマスターをこなしつつのアルバイト。千歳にしてみれば金の心配をする必要もないくせに「忙しくて練習する時間がない」などとほざく奴は、殴り倒したくなるほど呑気で幸せな人間だろう。千歳が練習不足の部員に対して厳しいのも頷けた。

「金持ちは違うねェ」

 そう口にする千歳からは負の感情は読み取れなかった。当然だ。自分がそうでないからといって裕福な家をいちいち妬んでいたら、音楽科全員を憎まなくてはならなくなる。

「いつまで、そもそも期限はあるんですか?」

「文化祭までっつってたから、二ヶ月とちょい。そんな迷惑掛けねーって」

 部活ではなく仮にも受験生である千歳の心配をしているのだが。言ったところで素直に忠告を聞き入れるような先輩ではないことは、よく知っている。

「なんつったっけ。アブラだかユサイ……」

「油彩画」

「そう、それ。絵の具が乾くのに時間がかかるから期間も長くなんだってさ」

「本格的ですね。美術科なんですか」

 栄光女子学院にはたしか普通科の他に音楽科と美術科、書道科があったはずだ。しかし、千歳は首を横に振った。

「普通科で創作文芸部。普段はイラスト描いてんだとよ」

 意外だ。モデルにこだわるくらいだから本格的に美術を学んでいると思っていた。まさか『お嬢様のたしなみ』程度だったとは。

「ま、俺には関係ねェことだ」

 千歳はあっさりと結論付けた

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