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白雪姫と七人の継母  作者: 東方博
第二章
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気になるあの子

 期末試験の結果は悪くなかった。専攻楽器の課題曲も及第点。文化祭の準備は無論、定期演奏会の練習も先日の喝が効いたのか真面目にやっている。夏休み直前にバイトの時給も上がった。全てが順調で、不足は何もないーーはずだった。


 練習前に二回、休憩ごとに一回は必ず、練習終了後、そして片付けをする前と後にもスマホの着信確認。マメな人間ならばまだしも、メッセージに「既読」がつくまで送信後一日以上かかることで定評のある千歳が何度も何度もスマホを取り出しているとなれば異常さが際立った。

 誰の連絡を待っているのかは明白だった。先々週のステージ練習一件以来、この調子だ。物憂げにため息でもつけば多少同情も買えるだろうが、そこは千歳である。苛立ちを隠そうともせずに舌打ちしてスマホを鞄に押し込むのだから可愛げがまるでない。

「そんなに気になるなら連絡すればいいじゃないですか」

 部員全員の思いを臆面もなく言ってのけたのは、後輩の玲一だった。

「あ?」

 不機嫌丸出しの声。しかし玲一は怯まなかった。

「すげなく突っぱねておきながら今さら気になってるとか、しかも相手からの連絡をひたすら待ってるだけとか、俺だったら格好悪過ぎて顔も上げられないですけどね」

「誰が誰のことを気にしてるって?」

「あんたがあの子のこと」

 容赦なく指摘すれば、千歳は黙り込んだ。自覚はしているらしい。

「適当な理由つけて呼び出せばいいじゃないですか。栄光女子学院なら近いんだから、学校帰りに落ち合うとか」

「連絡先知らねェ」

 ふてくされた態度で千歳は白状した。玲一は元より聞き耳を立てていた他の部員たちも「はあ?」と奇声をあげた。

「センサイ、お前どこであの子と知り合ったんだ」

 由々しき事態と判断したのだろう。響までもが近くのイスに座った。文字通りじっくり腰を据えて聴くつもりらしい。にわかに始まった千歳の恋愛(に発展するかもしれないもの)相談。困惑しながらも千歳はぼそぼそと話し出した。

「フツーに有楽町歩いてたら声掛けられて」

「どうせ吐くならもっと上手い嘘を考えろ。栄光女子の子がお前のような悪人面に自分から声を掛けるはずがない」

「全力で逃げるならまだしも」

「少なくとも近づきはしないだろうなあ」

 三年の面々が好き勝手に言う。響でさえも眉間に皺を寄せて「それは本当なのか?」と確認する始末。千歳は舌打ちした。

「嘘言ってどーすんだよ。現に部活にまで押し掛けてきやがっただろ」

「まあ……たしかにそうだが」

「悪戯なら力を入れ過ぎだし、悪意があるならもっと効果的な方法があるだろうし」

 周囲の部員達は顔を見合わせた。千歳の話と先日の様子を総合すると、あのお嬢様が一方的に千歳に想いを寄せているようにしか見えないーーのだが。

「ありえるか、そんなこと」

「エイジョだぞ。窮地を救ってもらったとかならまだしも、こいつが突っ立ってただけで?」

 信じ難い。その一言に尽きた。

 演奏中ならばまだわかる。ヴァイオリンに限らず楽器を演奏している間は誰もが魅力三割増しになる。

 千歳も然りだ。長調の曲は本人の性格も相まってあまり得意ではないのが、ヴィターリの『シャコンヌ』やクライスラーの『前奏曲とアレグロ』などの短調かつ派手な曲は十八番。特に芸大受験に向けて練習中のラロ作曲の『スペイン交響曲』は、既にピアノ伴奏では物足りなく、オーケストラの伴奏にも対抗できるほどの迫力があった。ヴァイオリン専攻生の中でも実力はトップ。金と練習時間がないため千歳は頑として首を縦に振らないが、ヴァイオリンの講師からはコンクール出場をすすめられているほどだ。

 しかし、それはあくまでもヴァイオリン専攻生としての話だ。

 ヴァイオリンから手を離した千歳は、強面で目つきの悪い高校生。態度は粗忽で口も悪い。おまけに短気ですぐデカイ声で怒鳴る。それゆえに後輩は無論、同級生からも恐れられている。かくいう玲一も入学当初、千歳のことをヤンキーかと本気で思った。

 同じヴァイオリン専攻生として千歳と一年共に過ごして、玲一は慣れたし扱い方も大体把握したものの、他の後輩にはまだ恐れられている。どう考えても千歳はとっつきやすい人間ではなかった。

「……で、絵のモデルになってくれと頼まれたのをすげなく断ったと」

「ああ。でもまさかここまで押し掛けてくるとは」

「よほど先輩のことを描きたいんでしょうね」

 玲一は腕を組んで片眉を上げた。

「それであんたは勝負を持ちかけてあの子を期待させ、まんまと会場設営をやらせた挙句、難癖つけて約束を反故にしたと。さすがは我らがコンマス。演奏者以外の人間を人とも思わない鬼畜の所業です」

「人聞きの悪ィこと言うんじゃねェ!」

「相違点がありますか?」

 うぐっとわかりやすく千歳は声を詰まらせた。言い方に悪意を込めてはいるが、間違ったことは言っていない。他の部員からも視線で咎められ、追い込まれた千歳に響が助け舟を出した。

「謝罪して可能な範囲で引き受けてやったらどうだ」

「ハァッ!? なんで俺がモデルなんかやんなきゃなんねーんだよ。それとこれとは話が別だろ」

 どこまでも往生際の悪い。不細工な面を描きたがる物好きな女子がいるだけでもありがたく思うべきなのに。

「せめて謝罪はするべきだ。連絡先がわからないなら学校に行ってみるとか」

「いやエイジョに秋本行ったら通報されるって」

 酷い言い草だがまったくもってその通りだ。栄光女子学院はその名の通り女子校で、しかも良家の子女が通う名門高校。千歳のようなヤンキーまがいの男が校門前に立っていたら三秒ともたずに警備員が飛び出してくるだろう。

「俺は行かねェ」

 千歳はどっかりとイスに腰を下ろした。

「何駄々こねているんですか」

「いーや、絶対行かねェ。あいつが来るならまだしもなんで俺が」

「『二度と来るな』と言われて来るわけないでしょうが」

 玲一が突っ込むも聞く耳持たず。千歳はそっぽを向いた。意地っ張りもここまで拗らせたら害悪でしかない。

(めんどくせー……)

 内心ぼやいていると、渋い顔をしている響と目が合う。次期コンマスと現部長。駄々っ子現コンマスの頭上で行き交う視線で、二人の意思は固まった。

「わかった。お前がそこまで言うなら好きにすればいい」

 会話の終了を示すかのように響は立ち上がった。

「あ、そう言えば部長」玲一はさりげなさを装って少しだけ声のトーンを大きくした「例の忘れ物ですがヴァイオリン隊は全員心当たりがないそうです」

 一瞬だけ怪訝な顔をした響だったが、すぐさま小さく頷いた。

「そうか」

「俺から神崎先生に預けておきますよ。結構高そうな『万年筆』でしたし」

 顔を背けていた千歳が一瞥した。つまりは反応した。

「……万年筆?」

「じゃあ俺は今から準備室に届けてきますね」

「ちょ、待て綾瀬」

 掛かった。にやけそうになった口元を表情筋を駆使して引き締める。

「なんですか」

「万年筆って何だよ」

 玲一はこれ見よがしに肩を竦めた。

「音楽室に誰かが忘れたらしくて。先々週の金曜に見つけたんですよ」

「ンだよ、それ。聞いてねェぞ」

「スミマセン。先輩のとはとても思えなくて」

 ポケットから黒漆の万年筆を取り出す。黒く艶やかな光沢が特徴の高級万年筆だ。千歳は喰い入るように万年筆を見つめた。

「もしかして先輩のでした?」

 しばらくの沈黙の後、千歳は「ん」と肯定とも否定ともつかない返答をして右手を差し出した。寄越せと言いたいらしい。玲一が万年筆を手のひらに乗せてやると、それをいそいそと鞄にしまった。

「俺、疲れたから帰るわ」

 そう言って立ち上がった千歳の背中を他の部員達が生温かい目で見てしまったのは、致し方ないことだった。何ぶんこの先輩は、とてもわかりやすい。それが美徳でもあるのだが。

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