部下に突撃訪問されました
この話は前々回と前回の鷹藤さん視点です。
朝、いつもの目覚ましのアラームで目が覚めた俺が最初に感じたのは、壮絶な頭痛と体の重さだった。
起き上がることにさえ大量の気力を使わなければならないほどに。
これでは仕事にならない。
溜息をついてから、アラームを止めた際に持ちっ放しだったスマホで会社に病欠の連絡を入れる。
そしてそのまま、こんなことになってしまった原因でもある同期に電話をかけた。
もう出社しているはずだ。
というかつい数時間前まで飲んでいたので、一度家に帰る余裕があったか怪しいものだが。
「…もしもし」
数コール後、西村は電話に出はしたがその声は不機嫌そのものだった。
「今日、会社休むことにした」
「は?休む?」
「誰かさんのせいで体調不良だからな」
「…私は責任取らないわよ」
「いいのか?お前がそんな態度ならこっちは”昨日言ったこと”を実行するが」
「昨日言ったこと」。
先日、来栖湊が山門の書いた脚本を演ると聞いてムカついた俺が山門に迫り、そのせいで山門が暴走した事件について、西村から事情徴収を受けたのが昨日のことだ。
遊びで私のかわいい後輩にちょっかいかけないで、と言った西村に、本気ならいいんだな?と俺は返した。
そう、俺は本気だ。
俺の表情から嘘はついていないと判断したのか、西村は絶望に溢れた目でこちらを見てきた。
信じられないと呟いた西村は呆然としていた。
西村のその反応は当然のことだと言える。
彼女は、入社したての俺を知っているからだ。
当時、意地でも成績を伸ばしたかった俺は、女優やら関係者やらを片っ端から口説いて営業に利用していた。
さすがに一線を越えるようなことはなかったものの、かなりスレスレのラインまでいっていた。
そんな俺を、営業部の奴らはセコい手を使って契約を取って来る意地汚い奴と思っていたし、西村にも「下半身ゲス男」「遊び人」などの烙印を押されていた。
けれど、あいつは違った。
「鷹藤さんキレイな顔していますし、いいんじゃないですか。使えるものは使っておけば。…あぁでも、刺されないようにしてくださいね」
山門は、成績を伸ばすためにセコい手を使ってきた俺を理解し、頭ごなしに否定しなかった。
(俺に興味がなかった故の反応かもしれないが。)
思えば、あのときからだ。
山門を「そういう目」で見るようになったのは。
だから俺は、隙あらばあいつを抱きしめて、キスして、押し倒して、なめてかじって、ぐちゃぐちゃにしてやりたいと思っている。
アルコールのせいでだいぶ正直になっていた俺は、西村にそう告げてしまった。
山門を溺愛している西村は俺の言葉にわなわなと震え出し、そこから浴びせるように酒を飲ませてきたのである。
「千鶴がアンタを好きじゃなきゃ認めないから!その前に手を出したらぶっとばす」と叫びながら。
「………そんなの許すわけないでしょ、実際にやったら殺すから覚悟しなさい」
すっかり回想に浸っていた俺は、スマホの向こうから聞こえた殺気立った声に引き戻された。
おぉ、こわいこわい。
「そうか、なら帰りに何か買ってきてくれ。冷蔵庫の中身がすっからかんでな」
「…ちっ、しょうがないわね、定時で上がって行ってやるわ」
レスキューの約束を取り付けた俺は、スマホを放り出して心ゆくまで寝ようと再びベッドに体を沈めた。
西村が爆弾を抱えてやってくるとも知らずに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二度寝から夕方ごろ目覚めた俺は、重い体を引きずりながらなんとかシャワーを浴びた。
着替えてソファにぼすっと体を投げ出す。
熱でも測ろうと思ったが、体温計なんてこの家に置いていなかったことを思い出した。
独り暮らしの部屋に体温計がある方が珍しいのではないか。
顔だけ傾けて時計を見ると、針は十八時を過ぎたところで止まっていた。
本当に定時で上がっているとすればそろそろ西村が来る頃合いだが。
そう思った矢先、部屋にチャイムの音が響いた。
このマンションは、マンションの入り口と部屋の前のインターホンと二回押す必要がある。
今のはマンションの入り口のロック解除の要請だ。
「…おー、来たか」
「来てやったわよ。気前良くお土産つきでね」
「…?まぁいい、さっさと上がって来い」
インターホン越しに西村と会話して、ロック解除のボタンを押す。
これであと二、三分もすれば部屋の前のチャイムが鳴るはずだ。
そういえばお土産がどうのこうのと言っていたが、何のことだ?
会社の誰かの有給休暇のお土産か?
―――十分後。
遅い。
エレベーターが混んでいたとしてもここまでかからないはずだ。
あいつは何をやっている。
外に出て様子を見るか、電話をかけてみるか。
ダメだ。
体が重くてどうしてもそんな気になれない。
「………遅い」
そう呟くと、ピンポーンという音が耳に届く。
やっと来たか。
よいしょと声に出しながら重い腰を上げて、玄関に向かう。
そして俺はドアスコープも覗かずにドアを開けてしまった。
ドアの前に立っているのは西村だろうと思っていたから。
「遅せぇな、下からここまで来るのに何分かかっ…て…」
目の前の光景に、びしりと音を立てて全身が硬直した。
そこに立っていたのは、両手いっぱいに買い物袋を持った山門だった。
なんでこいつがここにいる。
先ほどマンションの入り口で会話したときは、間違いなく西村だったはずなのに。
互いに見つめ合うこと数秒。
とりあえず落ち着くために、俺はドアを閉めて再び引きこもった。
「えっ!?ちょ、ちょっと鷹藤さん?開けてください!」
向こう側から、ちゃんと山門の声がする。
ドアスコープを恐る恐る覗いてみても、そこに映っていたのは山門だった。
西村が言っていた「お土産」とはこれか?
あいつがそんな気前の良いことはするだろうか。
独り暮らしの俺の家に、好いている女をたった一人で置いていくなどと。
―――断じて、ない。
だが目の前で起こっていることは現実だった。
ドアの前でオロオロする山門がかわい…じゃなくて、哀れに思えたので少しだけドアを開けて様子を窺う。
「…なんでお前がいるんだ。西村はどうした」
「下までは一緒に来てたんですけど、急な仕事で会社に戻ってしまいまして…」
なるほど。
それならいくらか納得がいく。
西村のことだから、どうせ山門を盾にして俺の言うことをろくに聞かないつもりだったんだろう。
けど。
「……お前まで一緒に来るなんて聞いてないぞ」
少し睨みをきかせながらそう言えば、山門は目を潤ませた。
「そんなに私とは会いたくなかったですか?昨日のことなら謝ります、すいませんでした!」
「ばっ、ちがっ…!そうじゃない、会いたくなかった訳じゃなくて、ただ心の準備がだな…」
全力で頭を下げてきた山門に、俺は慌てて弁解した。
そんな顔をさせるつもりじゃなかった。
ただ昨日のアレの衝撃が凄まじかっただけで、まだ山門と平然と向き合える気がしなかっただけだ。
俺の弁明に少しほっとした様子の山門は、手に持っていた買い物袋を差し出した。
「あの、これ…和歌子さんと買ってきたんです。お大事にしてください、それでは!」
無理矢理握らされた買い物袋と「それでは」というの言葉の意味を、先ほどまで鈍行で回転していた俺の頭が一瞬で理解した。
そして無意識下の反射だと言わんばかりに口と体が勝手に動いた。
「は!?おい、待てって…!」
踵を返して帰ろうとしていた山門の腕を掴み、ぐいと引っ張って玄関に引きずり込んだ。
まだ帰したくない、その一心で。
しかし、衝動でそうしたは良いものの、次に起こすべき行動については、何のプランも思い浮かばなかった。
「あ、の…」
困惑したような、怯えたような、山門の目とかち合う。
何か、言わないと。
どうすればいい?
ストレートに「まだ帰るな」か?
そんな言い方すればこいつは「何で?」と返してくるに決まっている。
もっとそれらしい理由をつけて明確に言わねばならない。
「看病をしてほしい」。
西村ならともかく、俺の体調不良に何ら関係していないこいつを巻き込むのはいかがなものか。
それに、山門に看病してもらうなんてシチュエーションは、色々と問題がある。
山門が俺の部屋にいるという事実だけで少し息がしづらいというのに。
火照った俺の体温と比べると山門の腕は少しひんやりしているように感じられて、心地良くて離しがたい。
自分でも、いまどんな目を山門に向けているのか分かるくらいには、やばい。
「…鷹藤さん、ちょっと失礼しますね」
「………っ」
ずいと身を乗り出して距離を縮めてきた山門に驚いて、息をつめた。
そしてひんやりとした手が俺の額を撫でて、ぴたりと吸い付いた。
「これ、結構熱高いんじゃないですか?」
「…平熱からして人より高い方だし、そんな大げさなことじゃない」
やばい。
そんなに無防備に近づかれると、俺より低く心地良い体温を思う存分に堪能したくなってくる。
行動に移してしまう前にと思って、山門の手を俺の額からゆっくりと取り払った。
早く離れて欲しい、なんて、笑えるよな。
「…じゃあ、この手は一体何なんですか?」
そう。
山門が言うように、俺はこいつを玄関まで引きずり込んでから、この腕を離せないままでいる。
だって、この手を離したら、すぐにでも帰ろうとするのではないか。
俺から逃げ出すんじゃないか。
そんな不安が消えない。
「………悪い」
悪いとは思いつつも、この手を離す気は更々ない。
そんな俺の気持ちを見透かしたのか、山門は眉間にシワを寄せて俺を睨んだ。
「ひどいですね、部屋に引きずり込んでおいて」
「…人聞きの悪いことを言うな」
「事実でしょう。責任取ってください」
…は?
責任を取る?
部屋に引きずり込んだ責任とは、一体何になるんだ?
「俺を煽った責任取れよ」やら「私をこんなにえっちにした責任取ってよね」などAVでよくあるベタベタな展開が俺の頭の中を駆け巡る。
いかん、職業病だ。
「…は!?ちょ、ちょっと待て、お前それどういう意味…」
「ご飯作れとか、掃除しろとか、和歌子さんにやらせようとしたこと、私に言えばいいじゃないですか。そのために引きずり込んだんでしょう?」
あぁ、うん、そうだな。
お前がそういう色気のカケラもない奴だってことは分かってる。
分かってはいたが、やはりそれでも期待してしまうというのが男というもので。
俺はうなだれて盛大に溜息をついた。
「そういう意味かよ…」
「…?」
「何でそんなに落ち込んでいるんですか?」と山門の目が語っている。
もういい。
せっかく山門が提案してくれたので、その案に乗っかることにする。
そうすればもう少し一緒にいられるはずだ。
「いや、何でもない。…お前、料理できるか?」
「はい、人並に」
「そうか」
山門が逃げるかもしれないという不安が解消されると、すんなりと掴んでいた手を離すことができた。
山門から受け取って玄関に放置していた買い物袋を持ち上げる。
何をこんなに買い込んだんだか。
「来い」
短くそれだけ言って、俺はキッチンへと向かう。
少ししてからパタパタという足音が聞こえ、山門が追いついてきた。
「調理器具はこっちの棚と引き出し、調味料はこの戸棚、食器は後ろの棚に入ってるから自由に使ってくれ」
「へぇ…意外と揃っているんですね」
「たまに作るからな。接待で外食が多いから本当にたまに、だが。…それと、俺は具合悪くてもメシはがっつり食べるタイプだからよろしく」
調理器具は揃っていて、たまに作るといっても一品ものだけだが。
がっつり食べたいという俺のリクエストに少し考える素振りを見せた山門は、何かを思い出したかのように「あ」と短く呟いた。
「どうした?」
「すみません、風邪をひいたときの我が家の定番メニューを思い出してしまって」
「ちなみに何だ?」
「ハンバーグです」
「…ハンバーグ?」
具合が悪くても、胃腸炎とかでない限りはいつも通りの食事をするという俺も俺だが、なぜ風邪のときによりによってハンバーグなのか。
山門家への謎が深まる。
「はい。我が家もがっつり食べるタイプだったもので…。この材料だったら作れそうなんですけど、いかがですか?」
まぁでも、こいつが作るハンバーグは…食べてみたい。
「じゃあそれで頼む。…二人分作れよ、お前も食うんだからな」
「えっ…」
当然一緒にメシを食う予定だった俺だが、山門の方はそうではなかったようで、驚いたように声を上げていた。
せっかく山門がメシを作ってくれるのに、それを一人で食べなきゃならないのは悲しいだろ。
「…いいんですか?」
「一人で食べるよりマシだろう」
「ありがとうございます。一時間くらいで出来ると思うので、横になって休んでいてください」
「そうだな。悪いけどそうさせてもらう。何かあったら隣の部屋にいるから呼べよ」
そう山門に告げてリビングのソファに横になった俺は、想定外のことが起きすぎて疲れたのか、すぐに眠りについた…らしい。
鷹藤「…冷静に考えてこの状況やべぇ」