侵入しちゃいました
私が次に取るべきであろう行動を整理してみよう。
まず何か適当に理由をつけて帰ることを宣言する。
次に鷹藤さんの手を何とかして振り払う。
迅速に玄関を開けて。
一度も振り返らずに猛ダッシュ。
完璧だ。
しかも鷹藤さんはいま弱っている。
隙をついて逃げ出すことなど簡単なことだ。
「あ、の…」
用事があるので帰ります。
そう言って先ほど考えたことを実行すればいいだけなのに、予想以上に喉がかわいて上手く声が出ない。
私の腕を掴んでいる手がすごく熱いこととか、私を見る目が熱で潤んでいるとか、そんなのは決して気にしていない。
―――熱い。
ん?熱い?
「…鷹藤さん、ちょっと失礼しますね」
「………っ」
私は少し身を乗り出して鷹藤さんの額に手を当てた。
そこはとても熱くて、ゆうに「人肌」の域を超えていた。
「これ、結構熱高いんじゃないですか?」
「…平熱からして人より高い方だし、そんな大げさなことじゃない」
鷹藤さんはそう言って、私の手をゆっくりと振り払った。
そのまま顔をふいと背けられてしまう。
けれど。
「…じゃあ、この手は一体何なんですか?」
外から私をこの玄関まで引きずり込んだその手は、未だに私の腕を掴んだまま。
「………悪い」
少々ばつが悪そうにそう呟いたものの、鷹藤さんの手が離れる気配は全くない。
だから。
一体何だと言うんですか。
「ひどいですね、部屋に引きずり込んでおいて」
「…人聞きの悪いことを言うな」
「事実でしょう。責任取ってください」
「…は!?ちょ、ちょっと待て、お前それどういう意味…」
「ご飯作れとか、掃除しろとか、和歌子さんにやらせようとしたこと、私に言えばいいじゃないですか。そのために引きずり込んだんでしょう?」
きっとプライドの高い鷹藤さんは、同期である和歌子さんになら言えたものを、年下の後輩である私には頼みづらかったのだ。
普通に言えばいいのに。
やっぱり弱っているところを後輩に見せたくないとか?
というか、なんで鷹藤さんはうなだれているんだろう。
「そういう意味かよ…」
「…?」
「いや、何でもない。…お前、料理できるか?」
「はい、人並に」
現在、私は独り暮らしだが、以前はとある同居人と二人で住んでいた。
その同居人から料理の腕はよく褒められていたので、自分が料理下手だとは思ったことがない。
鷹藤さんは「そうか」と答えて、やっと私の腕から手を離してくれた。
そして私が押し付けた大量の買い物袋を持ち上げると、「来い」と一言だけ言って廊下をずんずん進んでいってしまった。
私は慌てて靴を脱いでそろえ、鷹藤さんの後を追う。
案内されたのはキッチンだった。
「調理器具はこっちの棚と引き出し、調味料はこの戸棚、食器は後ろの棚に入ってるから自由に使ってくれ」
「へぇ…意外と揃っているんですね」
「たまに作るからな。接待で外食が多いから本当にたまに、だが。…それと、俺は具合悪くてもメシはがっつり食べるタイプだからよろしく」
頭の中ですっかり消化の良い献立を組み立てていた私は、面食らった。
それならばともう一度買ってきた食材たちを見渡し、あることを思い出して「あ」と声を出してしまった。
「どうした?」
「すみません、風邪をひいたときの我が家の定番メニューを思い出してしまって」
「ちなみに何だ?」
「ハンバーグです」
「…ハンバーグ?」
鷹藤さんが「なんでハンバーグ?」という顔になるのも無理はない。
そもそも、最初から風邪=ハンバーグだったわけではなく、風邪のときくらいワガママいって好きなものをリクエストして良いという方針のもと、家族全員に共通した好物がハンバーグだったのでそうなってしまったという訳だ。
「はい。我が家もがっつり食べるタイプだったもので…。この材料だったら作れそうなんですけど、いかがですか?」
「じゃあそれで頼む。…二人分作れよ、お前も食うんだからな」
「えっ…」
それは、考えてなかった。
だって私と和歌子さんは鷹藤さんの看病をしにきた訳で。
(予定が狂って私だけになってしまったけれども。)
でも確かにご飯の準備ができる頃には夕飯時だし、きっとお腹も空いているはず。
「…いいんですか?」
「一人で食べるよりマシだろう」
「ありがとうございます。一時間くらいで出来ると思うので、横になって休んでいてください」
「そうだな。悪いけどそうさせてもらう。何かあったら隣の部屋にいるから呼べよ」
鷹藤さんが隣の部屋に消えていったのを確認して、私は腕まくりをした。
手を洗って換気扇をつけ、使いそうな調理器具を探して並べる。
誰かのためにご飯を作るのは久しぶりなので、ちょっとワクワクする。
鷹藤さん、おいしいって言ってくれるだろうか。
風邪のときは味覚が変わるので、少し濃い目に味付けした方が良いかもしれない。
そして唐突に思い出したのだ。
「部屋に上がっちゃダメよ?」という和歌子さんの言いつけを。
すっかりこの状況を楽しんでしまっていた私は、心の中で和歌子さんに謝罪する。
「…いやでもご飯作るだけだし。食べたらすぐに帰るし」
そういえば何で「部屋に上がっちゃダメ」なんだろう?
西村「はっ!千鶴に鷹藤の魔の手が…!」
宝条「お前いま寝てたぞ。つかどんな夢だ、それ」