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お見舞いです



上司にセクハラをしてしまった翌日。

これほどまでに憂鬱な気分で出社したことが、未だかつてあっただろうか。

(いや、ない。たぶん。)


深呼吸してからオフィスのあるビルに入り、いつも通りエレベーターのボタンを押す。

そもそも、通常であれば鷹藤さんと出くわすことはまずない。

営業と脚本家は、それほど仕事をする上で接点がないからである。

どちらかといえば監督や、演者さんたちとの打ち合わせの方が多い。

それなのに鷹藤さんと毎日のように顔を合わすのは、彼が足しげく私と和歌子さんのデスクまわりに現れるから。

さすがに昨日あんなことがあって、いつものように話しかけてくることはないだろう。


万が一合ってしまったら、潔く謝ろう。

そして許してもらっていつも通りに戻ろう。

許してもらえるはずだ。

だっていつものセクハラが通常運転である鷹藤さんからの仕打ちを積算すれば、あれくらい大したことない…はずだ。


そう考えながら何事もなく平和にデスクにたどり着くと、少し先に出社したらしい和歌子さんがいた。

の、だが。

様子がおかしい。


「…おはようございます、和歌子さん。あの…顔色が何と言いますか…ドス黒いんですけど」


そう声をかけると、スマホを眺めていた和歌子さんはびくっと肩を揺らしてこちらを見た。

そして気まずそうに目を逸らす。


「あ、あぁ、おはよう」

「何かありましたね、和歌子さん。大丈夫ですか?」

「…無理かも…、ちょっと現実が受け入れられなくて…」

「あの…私が聞ける話でしたら聞きますけど」

「アンタの話だから言えないわね…」

「え、私何かやらかしましたか?」


不安になってそう聞くと、和歌子さんは般若のごとく、くわっと目をむいて机を叩いた。

こわい。


「違う!千鶴のせいじゃないわ、悪いのは全部アイツなのよ…!」

「は、はぁ…?」


アイツとは一体誰なのか。

そして和歌子さんの頭の中はいま一体どうなっているのか皆目見当がつかない。


すると、和歌子さんの手に握られていたスマホが震え出した。

こちらにも画面が見えてしまっている。

そこには着信で「鷹藤」と表示されていた。

しかし和歌子さんにまったく出る気配はなく、苦虫を数十匹噛み潰したような顔でディスプレイを見つめている。


「和歌子さん、ほら、仕事の用件かもしれませんし…」


私からの催促に、和歌子さんは「うぅ」と唸りながら画面をタップした。


「…もしもし。…は?休む?私は責任取らないわよ。………そんなの許すわけないでしょ、実際にやったら殺すから覚悟しなさい。…ちっ、しょうがないわね、定時で上がって行ってやるわ」


何やら不穏な単語が聞こえた通話が終わると、和歌子さんはがしっと私の肩を掴んだ。


「…千鶴、今日定時で上がって。付き合ってほしいところがあるの」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「…和歌子さん、なんで私まで来る必要が?」

「千鶴がいればアイツが大人しくなるからよ。私だけで行ったら”奉仕しろ”だのなんだの言って面倒事押し付けてくるに決まってるわ」


現在、私と和歌子さんは鷹藤さんの住んでいるマンションの前にいる。

大量の買い物袋をぶら下げて。


事の発端は、数時間前の鷹藤さんの電話だった。

いや元を辿れば、昨日和歌子さんが鷹藤さんを酔い潰したところから始まるのかもしれない。

二日酔いと風邪のダブルパンチをくらったらしい鷹藤さんは、今日会社を休んでいた。

そして朝の電話は、「体調不良の原因のお前が世話をしろ」という内容だったらしい。


今回の件に何ら関係ないはずの私は、定時になった瞬間、和歌子さんに拉致されここまで連行されたという訳だ。

まぁ、セクハラの件の謝罪の意を込めて看病するのもいいかもしれないと思ってついてきてしまったが。


鷹藤さんの住むマンションは入り口にインターホンがあり、住人がロック解除をしてくれないとエレベーターにすらたどり着けないというセキュリティばっちりのマンションである。

事前に部屋の番号を教えてもらっていた和歌子さんがインターホンを押し、鷹藤さんが応答したらしく目の前の自動ドアが開いた。


そこで。


突如として、和歌子さんのスマホが着信音を奏でた。

とても嫌な予感がする。

それは和歌子さんも同じだったようで、眉をしかめながら電話に出た。


「…お疲れさまです、西村です。…え?今はちょっと…。……はい。…はい。…分かりました、今から向かいます…」


電話を切った和歌子さんは、この世の終わりのような顔をして、私に頭を下げた。


「ごめん千鶴!脚本に直しが出て、今すぐ会社戻らなきゃいけなくなった…」

「大丈夫ですよ。残業、無理しないでくださいね」

「うぅ…。千鶴、その荷物をアイツに渡したら速攻で帰るのよ?部屋に上がっちゃダメよ?」

「は、はい」


鬼気迫る勢いで私に忠告をして、和歌子さんは風の如く去っていった。

和歌子さんは売れっ子脚本家なので、二人で飲みに出かけてもこんなことはしょっちゅうあった。

忙しすぎると心配になるのだが、同じ脚本家として仕事をもらえるありがたみというのは分かるので、せいぜい「無理しないでください」くらいしか言えない。

もっと踏み込んだところまで心配してくれる人がいればいいのだが。

たとえば彼氏とか。

何かと世話を焼いてくれている先輩のために、実はこっそりと優良物件を見つけていたりする。

いつかくっついてくれないかなーと考えながら、先ほど和歌子さんが言っていた部屋を目指していた。


しかしいざ扉の前に立つと、昨日のことが頭をよぎりいたたまれなくなる。

どうしよう。

いやここまできたらもうやるしかない。


思い切って扉の前のインターホンを押すと、あまり間をあけずに扉が開いた。


「遅せぇな、下からここまで来るのに何分かかっ…て…」


苛立ちを隠さない鷹藤さんとバッチリ目が合って、彼は一瞬フリーズした。

動きを止めてしまった鷹藤さんを、上から下まで見てみる。

部屋着に、無精ヒゲ。おまけに顔色が悪い。

いつもスーツをかっちりと着こんでいる鷹藤さんからは想像のつかない恰好だ。


うわぁ、完全にオフだ。

それでも不思議と嫌な感じがしないから、顔面偏差値が高いってずるい。


感心してまじまじ見ていると、はっとした様子の鷹藤さんが扉をバタンと閉めてしまった。


「えっ!?ちょ、ちょっと鷹藤さん?開けてください!」


もしかして、私とはもう顔を合わせたくないとか!?

どうしようとオロオロしていると、もう一度扉がゆっくり開いて、鷹藤さんが隙間から顔だけのぞかせた。

なんかちょっとかわいい。


「…なんでお前がいるんだ。西村はどうした」

「下までは一緒に来てたんですけど、急な仕事で会社に戻ってしまいまして…」

「……お前まで一緒に来るなんて聞いてないぞ」


ジト目で鷹藤さんが睨んでくる。

やっぱりちょっとかわいい。

じゃなくて!


「そんなに私とは会いたくなかったですか?昨日のことなら謝ります、すいませんでした!」

「ばっ、ちがっ…!そうじゃない、会いたくなかった訳じゃなくて、ただ心の準備がだな…」


もごもごと口ごもる鷹藤さん。

これってかなりレアなんじゃないかと思う。

「会いたくなかった訳じゃない」という言葉に安堵した私は、ほっと一息ついて持っていた買い物袋を差し出した。


「あの、これ…和歌子さんと買ってきたんです。お大事にしてください、それでは!」


扉を無理矢理開けて、鷹藤さんに買い物袋を握らせると、そう捨て台詞を残して私はこの場を立ち去ろうとした。

昨日の件は謝ったし、ちゃんと和解(?)できたし、お見舞いも済んだし、大丈夫なはずだ。


しかし。


「は!?おい、待てって…!」


ぐるりと扉に背を向けたところで、がしっと鷹藤さんに腕をつかまれた。

そしてあれよあれよという間に引っ張られて。

バタンと扉の閉まる音がする。


「…えーと」



すみません、和歌子さん。

鷹藤さんの住居スペースに、侵入してしまいました。






西村「はっ!いま千鶴の身に何か起こったような気が…!」

宝条「バカ言ってないで仕事しろ」

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