部下にセクハラされました
この話は前回の鷹藤さん視点です。
「鷹藤、今日の昼は空いてるか?メシ行こうぜ」
朝一の外回りから会社に帰ってくると、入り口では宝条さんが待ち構えていた。
「いいですよ。そろそろお昼ですし、もう出ますか?」
「おぉ。お前が行くところはハズレがないからな」
「仕事柄、良いお店は知っていますからね」
この会社で俺が一番つるんでいるのは、きっとこの宝条さんだ。
同じ営業の奴らとはなんとなく馬が合わない。
おそらく同族嫌悪というやつだと思っている。
「そういえばお前、山門の次回作のキャスティング担当してたよな?」
「…?はい、そうですけど」
山門千鶴。
俺が入社した次の年に入ってきた後輩で、脚本家だ。
初対面の印象は、「救いようがないほど地味で処女臭がプンプンするくせに何でこの業界入ったんだ」というものだった。
しかし、その印象はアイツの脚本を見たときに良い意味で覆された。
かなり少女趣味なところはあるが、緻密で繊細なストーリーと、「ただの欲求解消」ではなく「愛の営み」といえるベットシーンに心を打たれた。
本人には絶対に言ってやらないが。
それからというものの、アイツには仕事面でもそれ以外でも、何かとちょっかいをかけていた。
故に、「山門千鶴に関する営業の仕事は全部鷹藤にまわしとけ」という営業部内の暗黙の了解のようなものが出来上がっており、次回作もそのはずだった。
しかし通常の流れでは、ある程度脚本が完成してからそれを持って演者に打診しにいく、というものだ。
山門はまだそこまで脚本を書きあげていなかった気がするが。
「次回作の男優は来栖湊でいくぞ。理由はよく分からないが本人から”ぜひ出演したい”と逆指名されてな。だから来栖湊と脚本に合いそうな女優見つけてこいよ」
「………は?」
あの、来栖湊が?
彼の人気は相当なもので、出演オファーが後を絶たないことから、彼の出演をもぎとるためにどこの営業のやつらも必死になっている。
その多忙な彼が自ら出演したいだと?
しかも山門の作品に?
「宝条さんは彼とその話をしたんですか」
「あぁ。俺も理由を訊いたんだが、”彼女、良いですよね。スタイル良いくせに顔が驚くほど地味とか逆にそそります”とか”女優だったらヤれたのになぁ”とか言ってたから、アイツに気があるんじゃねぇの?」
なんだ、それは。
スタイル良いくせに顔が驚くほど地味とか逆にそそる?
そんなことは絶対俺の方が先に思ってた。
気がある?来栖湊が?あの山門に?
「…すいません宝条さん、用事ができたのでお昼はまた今度ご一緒しましょう」
「お、おう…」
「お前、山門のこととなるとホント忙しいな…」
去り際に宝条さんが何か言ったような気がするが、よく聞こえなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
デスクにいる奴から山門が給湯室に行ったという情報を得た俺は、早足で給湯室に向かい、苛立ちをぶつけるように扉を思い切り開けた。
「た、鷹藤さん…?」
情報通り、山門はそこにいた。
いきなり扉が開いたからか、俺が睨んでいるからか、びっくりして固まっている。
あるいはその両方か。
山門が逃げるようにして一歩下がった。
その態度にさらに苛立った俺は、山門が隙を見て逃げ出さないように後ろ手に鍵を閉めた。
「…山門、俺が何言いたいか分かるか?」
「い、いえ、さっぱり」
「そうか、なら教えてやる。…お前、次の作品あの来栖湊に逆指名されたらしいな」
「あぁ、そのことなら私も今朝監督に聞いて、少し脚本の内容を修正しようと」
「どうやって取り入った?」
「…はい?」
来栖湊がこいつの見た目だけを気に入って指名してきたとは考えにくい。
なぜなら、見ただけではこいつの魅力など分からないからである。
というか普通の奴では、空気のように地味なこいつの存在に気付くことはない。
何かあったはずだ。
来栖湊がこいつを意識するような、何かが。
「取り入った、とは?私は特に何もしていないのですが…、そもそもこの間の撮影見学の日に来栖さんに初めてお会いしましたし」
「嘘をつけ。あの西村の作品への出演だって、ようやくこぎ着けたんだぞ。オファーが殺到しているのに、それを押しやってまでお前の作品に出ると奴は言っている」
「何をおかしなことを」と言った目で、山門は俺を見る。
涼しい顔してエロい話を書くくせに、こいつの芯の部分は純粋そのものだ。
それになぜか、「男の人は私に興味がない」という絶対的な自信を持っている。
聞けば彼氏がいたこともあるし処女でもないらしいが、一体どういう付き合い方をしたらそんな自信がつくのだろうか。
俺なら絶対、そんなことを感じる暇がないくらい愛してやるのに。
「お前、あいつに枕営業したんじゃないだろうな?」
考え得る最悪のケースを、気づけば俺は言葉にしていた。
これでもし、山門が肯定してしまったら、俺はどうするのだろう。
腹の底に熱いものが溜まっていくのに、頭はやけにすっきりと冷えていた。
もし、そうなら。
この場でこいつを衝動のままに押し倒して、全て上書きしてしまいたい。
だから否定してくれと思うのに、山門は一瞬迷うような素振りを見せた。
心臓が跳ねる。
「…鷹藤さん、つかぬことをお聞きしますが」
「あ゛?」
「壁ドンや顎クイは枕営業に含まれるのでしょうか」
「…は?」
彼女の口から飛び出た予想外の言葉に、俺は一瞬フリーズした。
壁ドン…。顎クイ…。
それは、知っている。この間ニュースで見た。
「…じゃあお前は、来栖湊に壁ドンや顎クイとやらをしたってことか?」
「は、はい。”男に抱かれて興奮しない”と相談されたので、”じゃあ女の子の気持ちになってみましょう”という流れになりまして」
「ほーう。それはまた親切なことだな」
「それで…これは枕営業になるのでしょうか…」
ほら見ろ。
こういうところが純粋で危うくて、放っておけない。
先ほど渦巻いていたドス黒い感情は消え去ったものの、苛立ちはまだ残っていた。
つまり、山門は来栖湊にしたわけだ。
まだ俺にもしていないようなことを。
「その程度じゃ枕営業とは言わないな」
「そうですか…よかっ」
「だがそうだな…セクハラにはなるかもしれない」
このイライラを鎮めるためにはどうしたら良いのか。
俺はその方法を知っている。
その先のことを想像して思わず顔が緩んで、我ながら相当意地の悪い顔をしているんだろうなと思った。
「セクハラは良くないよな、山門?」
「それは、そうですね…。いや、鷹藤さんには言われたくな」
「あ゛?」
「なんでもないです」
「で、だ。来栖湊にやったものと同じのを今俺にもやってみろ。それでセクハラかどうか判断してやる」
「へ…?」
あまりの突拍子のない展開に、山門が呆けた面になった。
我ながら、苦しい誘導だとは思う。
だがこの苛立ちは、彼女にそうしてもらわないと消えてはくれないのだ。
「なんだ?処女だからできないとでも言うつもりか?…はっ、本当に来栖湊にそんなことやったのか怪しいもんだな」
更に煽れば、山門は一気に不機嫌なオーラを発した。
こいつに「処女」という言葉は禁句なようで、言えば反抗心で動いてくれるのではと期待した。
しかし。
「できません」
「………」
むすっとした表情のままそう言い切った山門を、じっと見つめた。
どうやら引っかかってくれなかったらしい。
それなら別の方法をと考えていたとき。
「来栖さんと同じくらいじゃ、足りない」
「は?…っ」
いきなり山門に突き飛ばされて、背中が壁に当たり軽い衝撃が走る。
その衝撃に息をつめていると、山門が膝を俺の足の間に割り入れた。
元々息をつめていた俺は、今度は完全に呼吸を停止することとなる。
なぜなら。
山門の膝が、当たっているからだ。
しかも心なしかぐりぐり押し付けられているような気がする。
必死に意識しないようにしていると、意図せず視界が急にブレた。
「おわっ…、お、お前なにして…!」
情けない声を出したことを恥じている暇はなかった。
山門が俺のネクタイを引っ張ったことで、ぐんと彼女との距離が近づく。
シャンプーの良い香りがぶわっと広がって、くらくらした。
山門の目が、睨むように俺を真っすぐ貫いた。
「あまり、私を甘く見ないでください」
そう言って、何を思ったか山門は俺のネクタイにキスをした。
ちゅっというリップ音も、伏せられた瞳も、震えるまつ毛も、全部確認できる距離で。
「………っ」
俺は声にならない呻きをあげて、体を震わせた。
短く息を吐いて気を紛らわそうとするが、もう遅い。
欲情の火が灯って、じわじわと全身を侵蝕し広がっていく。
山門に押されてから宙を彷徨っていた両手が、意思を持って彼女に近づいた。
早く。
早く離れてくれ。でないと。
「ちょっと!なんで鍵がかかってんのよ!」
そのとき、この雰囲気を叩き割るような声と、ガチャガチャと給湯室の扉のドアノブが空回りする音がした。
瞬間、山門が俺から離れて一目散に扉に駆け寄り、慌てて給湯室から出ていった。
助かった。
そう思った瞬間に体から力が抜けて、その場にへたり込む。
しかし灯ってしまった欲情の火は中々消えてはくれない。
果てには先ほどの出来事を何度も反芻してしまう自分がいて、それを追いやるようにがしがしと頭をかいた。
「ちょっと、なんで鍵のかかった密室にアンタと千鶴がいて、しかも千鶴が逃げたわけ?」
いつも顔を合わせれば互いに喧嘩腰になってしまう同期が、入り口に不機嫌丸出しで立っていた。
それが救世主に見えてしまうくらいには、山門の不意打ちにしてやられたらしい。
「アンタまさか、千鶴にいかがわしいことしたんじゃないでしょうね?」
うるさい。
どちらかというとされた方だ俺は。
「なぁ、西村。お前のかわいいかわいい後輩って実は清楚系ビッチだったりすんの?」
「………殺すわよ?」
だよな。
そんなの俺もよく分かってるわ。
西村「ちょっと鷹藤、千鶴がアンタにセクハラしたとか言ってたんだけど!?」
鷹藤「ぶっ(飲んでいたお茶を噴き出す」
西村「どうせアンタが悪いんでしょう。今日飲みに行くわよ、全力で潰してあげるわ」
鷹藤「っああそうだよ、俺が悪いんだよくそったれ!」