熱が上がると顔がかゆくなるんですか?
二人分の夕飯が並んだ食卓。
ハンバーグ、サラダ、味噌汁、そして。
「…山門、ひとつ聞いていいか」
「はい、なんでしょう」
「何で、おかゆなんだ?」
その他のラインナップと比べると少し異質な主食・おかゆである。
「ハンバーグにおかゆって変ですよね。少しでも病人気分を味わう最後の足掻きということで、いつものご飯をせめておかゆにするというのがうちの定番なんです。嫌いでしたか?」
体調が悪いときはハンバーグという我が家。
けれどせっかく病気なのでご飯をおかゆにしましょうというのが定石だった。
「いや、変わっていると思っただけで嫌いじゃない」
「よかった。どうぞ、お召し上がりください」
「…いただきます」
鷹藤さんが手を合わせたのを見て、少し遅れてから私も「いただきます」と言って手を合わす。
まずはサラダから食べよう。
うん、大丈夫、普通に話せている。
先ほどの寝惚けた鷹藤さん暴走事件は私が「気にしない」と言ったのだ。
言ってしまったからには絶対に気にしてはならない。
平常心、平常心。
ちらりと鷹藤さんの方を盗み見ると、まずおかゆから手をつけていた。
よほど珍しかったのだろうか。
「…うまい、何だこれ。おかゆってご飯煮るだけじゃないのか?」
鷹藤さんの目が心なしか輝いている。
やっぱり、作ったご飯をおいしいと褒めてもらうのは嬉しい。
「ダシと一緒に煮たので、その味ですかね?」
「これ、ハンバーグもめっちゃうまい」
「それは…隠し味でちょっと醤油が入ってます」
そうやって料理の解説をひとつひとつしていくと、鷹藤さんは「すごいな」と感心しながらご飯を平らげていく。
しかし品数もそう多くはないので、ほどなくして会話が途切れてしまった。
沈黙が続くのは気まずい。
いつもならそれほど気にならなくても、先ほどあんなことがあった後だ。
何か話題を探そう。
仕事の話とか?
いや、職業柄こういった食事の場面にふさわしくないことが多い。
何か鷹藤さんに聞きたいことはなかっただろうか。
そういえば、和歌子さんは何で鷹藤さんに呼び出されたんだろう。
二人の話から察するに、昨日二人は飲んでいて、そしてなぜか「私の話」になり、和歌子さんが憤慨し鷹藤さんを潰したということらしいが。
「あの、鷹藤さん。昨日和歌子さんと何の話をしていたんですか?和歌子さん教えてくれなかったんですけど」
「え?いや、それはその…」
鷹藤さんの箸が止まり、気まずそうにこちらから視線を逸らした。
珍しい。
共通の話題で、この二人がどちらも黙秘することが。
大概和歌子さんと鷹藤さんは口を開けば口論に発展し、どちらかが論破されるまで延々と続く。
昨晩、よほど二人にとって他人には言い難い何かがあったのだろうか。
待てよ。
鷹藤さんはおそらく昨晩からそれなりに体調を崩していたはずだ。
そしてお酒が入って酔っている。
和歌子さんにもさっきの私と同じようなことを…。
いや、あの和歌子さんがあれくらいのことで動揺して次の日まで持ち越すことはない。
となればそれ以上の―――。
「た、鷹藤さん、まさか和歌子さんとヤッちゃいました!?」
「ごふっ」
友達だと思っていた奴と酔った勢いで…みたいな展開の漫画やドラマはよくある。
互いに気まずくなっているとすればそういうことなのでは、と考えて口にした私だったが、丁度お茶を飲もうとしていた鷹藤さんが盛大に咳をし始めたので慌てた。
どうやら気管に入ったらしい。
「す、すみません、大丈夫ですか?」
徐々に落ち着きを取り戻した鷹藤さんは、息を荒げながらこちらを涙目で睨んだ。
「お、おおお前、なんでそういうことになる!?」
「いや、飲み会の後で互いに気まずくなるのってそういうことかな、と…」
「ない。断じてない。俺には好…きな奴いるから」
こういったとき、普段の鷹藤さんなら「さぁ?」とか「どう思う?」とかニヤニヤしながらからかってくるところだが、こんなに必死に否定しているということはきっと本当にそうなのだろう。
それに、鷹藤さんには好きな人がいるらしい。
そういえば以前は「枕営業の鷹藤」と呼ばれていた時期があったが、最近はそういう体を張った営業をしているというウワサを聞いていない。
その「好きな人」のおかげだろうか。
「そうなんですね。…よかった」
「…なんで良かったんだよ」
そう聞いてくる鷹藤さんの顔が赤い。
私が変なことを聞いたし、先ほどの咳で少し熱が上がってしまったかもしれない。
「だって、私いま和歌子さんと宝条監督をくっつけようと計画を立てていまして…。鷹藤さんが入ってきて三角関係に発展したらどうしようかと思ったんです」
「…はぁ?」
何を言っているのか分からない、という顔だ。
無理もない。
これは私の中で秘密裏に進めてきた計画だ。
いっそここで鷹藤さんにも協力を仰ぐというのはどうだろう。
「お世話になっている後輩としては、和歌子さんの”彼氏が欲しい”という願いに協力したいところなのです。そこで個人的に候補を考えたところ、宝条さんなんてピッタリじゃないかなぁと」
「………あ、そう」
鷹藤さんがぐったりとして、溜息をつく。
どうしよう。
何かまずいことでもしてしまっただろうか。
「あの…やっぱり見当違いですか?それとも具合悪くなりました?」
私が覗き込むように様子を窺うと、鷹藤さんは「何でもない」と言ってきちんとイスに座り直した。
「…で?宝条さんにした理由は?」
おぉ。
犬猿の仲と言われる和歌子さんのことなのに、ちょっと協力的だ。
私からすればケンカップルのようにも見える二人だけれども。
「和歌子さんのタイプって、極論でいうと体の相性が良い人なんですよ。でも中々あの和歌子さんの性癖についていける人はいないので…。けど、宝条さんは和歌子さんの作品も本人も気に入ってるし、一回寝ちゃえばもしかしたらあるんじゃないかなーと」
和歌子さんは仕事熱心だ。
それに加えて「百聞は一見に如かず」をモットーにしている和歌子さんは、自分の脚本をより良いものにするために様々なプレイをする。らしい。
趣味と実益を兼ねて。
対して、私は自分の実体験は脚本にしないタイプだ。
(と言っても処女なので体験がないからそうするしかないのだが。)
私の話を聞いていた鷹藤さんはと言うと、黙ったままこちらをじっと見ていた。
「あの、何か?」
「…いや、そういえばお前って腐ってもAV脚本家だったなーと」
「腐ってもというか、生粋のAV脚本家なんですけど」
「ふっ、はは、生粋ってなんだそれ」
私の発言がツボに入ったのか、抑えるように笑い続ける鷹藤さんを、私は食い入るように見つめた。
こんな笑い方もできるんだ。
いつも意地悪で、からかってくる笑みしか見たことなかったから新鮮に感じる。
正直キュンとした。
体調が悪いせいで、素が出ているのかもしれない。
だとしたらこっちの方が良いのに。
「…ん?どうした」
まだ口の端に笑みを残したままの鷹藤さんが、不思議そうにこちらを見ている。
やけに高い顔面偏差値が良い仕事をしているせいで、ドキドキしてしまう。
やばい。
いま絶対顔赤い。
直接顔を見るのが恥ずかしくて、少し視線を逸らして鷹藤さんの手のあたりを見る。
「いえ、あの…私、鷹藤さんがそういう風に笑うの好きみたいです…」
いや待て。
別にどうしたかって聞かれただけでそこまで正直に答えなくても良かったんじゃない?
しかも、なにこの沈黙。
何のリアクションも返ってこないことに不安を覚えた私は、ちらりと視線だけ上げて様子を窺った。
「…えっと、どうしました?」
「なんでもない。ちょっと顔がかゆいだけだ気にするな」
いやいやいや。
顔がかゆい人はそうやって顔を両手で覆ったりしませんから。
目が合うことがないので遠慮なく鷹藤さんを凝視すると、少し耳が赤かった。
もしかして、照れているんだろうか。
あの鷹藤さんが?
よし、自分に置き換えてみよう。
もし私が鷹藤さんに「お前の笑顔いいな」なんて言われたらどうするか。
いや、照れるわ。
確実に同じような反応をする自信がある。
私はとんでもない爆弾発言をしてしまったようだ。
「…”そういう風”って、どんなだ?」
両手で顔を覆ったままの鷹藤さんが聞いてくる。
どう伝えたら良いのだろう。
面白くて思わず笑ってしまった、という感じ?
―――いや、違う
鷹藤さんが思わず吹き出すところを見たのは確か初めてじゃない。
会社のテレビで面白いCMが流れていたときにもちょっと笑っていた気がする。
そのときはなんとなく「あぁ、このCM好きなんだなぁ」と思った程度だった。
じゃあなんで私はあの笑顔が好きだと思った?
なにが嬉しかった?
…嬉しかった?
あぁ、そうか。
私は嬉しかったんだ。
「…強いて言うなら、私のことで笑った顔、ですかね。嬉しかったんです。鷹藤さんを笑顔にしているのが私だってことが」
いつも意地悪な顔で私をからかってくる鷹藤さん。
それもある意味では、私が彼を楽しませているんだろうけど。
純粋に私との会話で笑ってくれるのは、嬉しいらしい。
加えて最近は怒らせたり(来栖湊への枕営業疑惑)、困らせたり(今日の突撃訪問)していたので、いつもの意地悪な顔さえ見ていなかった。
自分で妙に納得していると、鷹藤さんの方から今度はゴンッという音が聞こえた。
見ると、机に突っ伏している鷹藤さんの姿が。
「え!?ちょっと、本当に大丈夫ですか!?」
「もちろんだ。顔がかゆいだけだからな」
「えっと…それなら良かったです?」
どうしよう。
鷹藤さんが変だ。
熱のせい、ということにしておいていいかな…?
鷹藤(こいつマジで勘弁して…)