恋のディープラーニング
健二は家に仕事を一切持ち込まないスタンスの持ち主だ。
沙耶と健二は社内恋愛で結ばれた。
沙耶は営業企画部のマドンナで上司は元より周囲から「仕事のできる可憐な花」と噂されていた。
社内行事のミスコンで優勝した実績がある。
彼女自身仕事に対しては真摯に向き合うタイプで男勝りのキャリアウーマンになろうとしていた。
その仕事ぶりはロボット活用の市場調査を統計から営業に結びつく題材をピックアップして他社のラインナップと比較し新製品へ繋がる要素が無いか導く仕事であった。
彼女は毎晩のように残業して報告書を作成し上司に新製品開発の為の要素を提案していた。
上司で課長の犬神は活躍する沙耶の事をあまり良く思っていなかった。
部下の手柄を独り占めにする課長犬神。
沙耶が入社した当時、係長だった犬神は沙耶に対して紳士的に仕事を教えてあげていた。
いつしか沙耶は犬神に好感を抱くようなる。
部下の手柄は上司の手柄と割り切り、係長の犬神を支えて来た沙耶だった。
犬神は課長に昇進した途端、今までの仕事ぶりから一転してマネージメント強硬派に移り変わっていた。
周りからはマッドマックス犬神と怖れられていた。
沙耶はそれでも犬神を信頼してついていった。
しかしある日沙耶にとんだ災難が降り掛かる。
沙耶が提案した資料が改ざんされ取締役会に提出されていたのだ。
取締役会でのプレゼンテーション資料とは異なる資料が差し込まれていたのだ。
沙耶はその当日プレゼン資料を後輩の里奈にチェックさせたつもりだったがすり替えられていた。
取締役会では休憩以外の時間は用意できない。
沙耶は機転を利かせてその資料の内容を速読しながら他の資料と結び付けようと試みた。
しかし内容は他社メーカーのロボット以外の製品クレーム内容の資料で明らかに自分の資料と繋ぐ事に無理がある。
取締役会が騒つきはじめていた。
はめられた事に気付く沙耶。
冷や汗と赤面でもう呂律が回らない。はじめての事だ。
課長の犬神は薄ら笑いしながらフォローもしない。
その日取締役会では他部門の報告会も予定されていたため営業技術部長の金沢も宮澤健二も出席していた。
健二は沙耶の異変に気付き、取締役会の進行担当である総務の川尻マネージャーに提案した。
「川尻さん、ここらで休憩を挟みませんか?」
犬神はすぐさま攻撃してきた。
「営業技術部の新人が何を偉そうな事言っとるんや!」
「ここは取締役会やで誰の承認を得て発言しているんや?」
「取締役会規定に反した者は減給もしくは懲罰の対象になるんやで〜」
そんな懲罰は会社の信用や損失を前提にした出来事にしか適用されないのは誰でもわかる。
部長の金沢がすぐにフォローに入った。
「いいじゃないですか犬神さん。」
「社長をはじめ席上の取締役の皆様方!」
「彼女の今までの実績を考慮して、ここは穏便に済ませては・・いかがなものでしょうか?」
社長は呟いた。
「金沢くんの意見に賛成だな」
「ありがとうございます。東堂社長。」
形勢逆転された犬神の立場は失っていた。
「それでは十分間の休憩に入ります」
沙耶は命拾いしたがすぐさま後輩の里奈を呼んた。
「里奈?取締役会の資料、私のパソコンから出力したはずよね・・」
里奈は震えていた。
「ハッ・・ハイ・・」
「今朝犬神課長から言われて、このメモリースティックで出力しておいてくれって・・沙耶さんには後から話しておくからって・・」
「先輩!・・スミマセンでした!」
「うぇーんー」
里奈はその全容を知り号泣した。
「あなたのせいではないわよ・・里奈ちゃん」
沙耶は里奈を責める事なく、職場へ戻してあげた。
沙耶は反逆の狼煙を上げる決意を固めた。
その場にいた健二は沙耶の部署で行なわれていた出来事には裏がある薄々感じとっていた。
取締役会はリスタートされ沙耶のプレゼンは正規の資料で行なわれ無事終了した。
取締役会終了後、犬神は沙耶を呼び出した。
ミスに至った事情を説明するが、その顔つきには反省の色がまったく無い。
それどころか沙耶を攻撃してきた。
「君は私のやり方に不満が有るみたいだね。」
クールに逆上してきた犬神にクールに論理的な返し方をする沙耶。
「あなたのマネージメントのやり方は間違ってないわ・・」
「ただ・・」
「ただ何だ?沙耶くん」
「この会社には合っていないと思います。」
「私達は日本から世界へ夢の未来を提案する事をアイデンティティとしています。」
「それは会社の理念でもあります。」
あのプレゼンの報告目的は
「豊かさはお金ではなく安全で安心な社会を築く事から始まる事を着眼点にした次期製品の考え方を述べたものです。」
「ほほうー私が理念に反した事をしていると言いたいのか?」
過去の良き理解者は理解者でなくなったと・・
沙耶は悟った。
「ズバリ言いますけど、犬神さんは変わったわ」
「課長に昇進してから何かあったんですか?」
「君には関係ない事だ」
「わかりました。失礼します。」
「バタン!」
応接室から出た沙耶は涙ぐんでいた。
入社時から信頼して来た上司だっただけに裏切られた気持ちと同時に寂しさがドッと込み上げてきた。
そこに健二が通りかかりリラクゼーションルームで愚痴を聞く事になる。
健二は沙耶の真っ直ぐな気持ちに共感した。
どこか僕と似ている・・
いつの間にか健二と沙耶はロボット産業の未来について語り合う仲間になっていた。
沙耶は犬神のパワハラを受けながらも後輩の里奈を育てる事に徹していた。
やがて沙耶は営業企画部の前線を退く事になる。
ビッグニュースは忘れた事にやって来る。
沙耶が営業企画部から総務部に移動になってから数ヶ月経った頃。
この会社を揺るがす出来事が起こる。
犬神が競合先のロボット未来社に技術情報を提供し見返りとして数百万の資金の提供を受けていた事が発覚した。
沙耶は健二からテレビ報道に出る前に知らされていた。
営業企画部の担当常務は引責辞任し犬神は懲戒免職で会社を去る事になった。
会社は犬神とロボット未来社に損害賠償請求の裁判を起こす事になる。
沙耶は会社を去る決意をしていた。
沙耶と健二は良い関係になっていたが・・
ロボットを恋人のように青年期を過ごした健二は生身の恋愛が苦手のようだ。
健二の純真でロボットに愛情を注ぐ事は未来にとって無形の財産になる。
それは子供に愛情を注ぐ事と似ている。
ロボットと子供つまり機械と人間の価値を天秤にかけるのは異質で馬鹿げている。
しかしロボットの鏡が人間ではなく、人間の鏡がロボットになる日が来るかも知れない。
空気が澄んだ満月の夜を眺め
沙耶は愛すべきタイミングと人物を自然に考えていた。
「私の愛情が彼に注ぎ込まれたらどんな化学反応が起こるのかなぁ〜」
その頃健二はロボットの画像認識からのディープラーニング方法を開発設計の先輩吉田と共に夜遅くまで研究していた。
「ハッ・ハッ・ハックショーンー!」
「なんか冷えてきたな〜」
「健二くん。誰かが噂しているかもよ〜」
「・・・?」
健二は沙耶と付き合い始めてから真剣にパートナーの事を考えるようになった。
健二の行動パターンが会社か図書館もしくは常連のカフェしか無い事を記録していた沙耶はデートにすっぼかされても怒りはしなかった。
健二も沙耶の優しさを感じ取るようになり二人は共感から受容への道を歩むパートナーとして
結ばれる事になったのだ。
そして数年後息子の翔太が誕生する。