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ミルフィーユ  作者: いろはうた
1/3

始まり

もう何も失いたくない




だから守ってみせる



暑い。


棗は額に滲む汗を拭った。


教室の中にいるのに


この暑さだ。


扇風機がぬるく棗の前髪を揺らす。


7月の初め。


先程、5日目になる期末試験が終わった。


1、2年生ならば、最終日である明日から夏休みになり部活三昧となるのだが、


棗のように受験生の場合、そうではない。


恐怖の勉強三昧の夏休みが始まる。


夏休みの負担を少しでも減らそうと


今、こうして放課後の学校に残って勉強しているが


暑すぎて集中できない。


ちらりと窓の外を見ると、殺人的に輝く日光が


ようやくオレンジに染まりはじめた所だった。



「…もう集中きれたのかよ?」



低く耳に心地いい声。


棗は額をぬぐいながらそちらを向いた。



「……淕はいつでも涼しそうだね」



「別にー?


滅茶苦茶暑いけどー?」



この暑さの中でも爽やかに見える


幼馴染みはふいっと横を向いた。


空手部のエースであった淕は、一月前に部活を引退した。


だから今、こうして棗につきあって放課後の学校に残ってくれている。


淕は成績優秀だから、こんな風に残って勉強する必要もない。


だけど、残ってくれているのが


私のためだ、と思うほど自惚れていない。


淕は完璧主義だから、更に上を目指しているのだろう。



「……おれの顔がどうかしたか?」


「あ……ううん、ごめん」



無意識のうちにじっと見つめていたようだ。


そう。


淕は成績優秀に加えて容姿端麗なのだ。


しかも、空手部のエースなだけあって運動神経もいい。


だから、淕は昔からモテた。


しかし何故か昔から淕の彼女の存在は見たことがない。


とはいえ、こうして棗と一緒に勉強している、となったら、


かなり噂になるのだが、淕は気にする素振りを見せなかった。


「んー、暑すぎて集中できないから私は帰るけど、淕はどうする?」


「しょうがねーな」


そう言うなり、淕は机の上の参考書を手早く片付け始めた。


それに遅れじと、棗も慌てて机の上を片付け始めた。






この暑さが太陽を溶かして夕焼けを生み出したのかと思うくらい暑い。


汗がとめどなく背中を伝って落ちる中、棗は淕と並んで歩き、家に帰る所だった。


棗と淕は同じアパートのお隣さん同士。


棗としても隣室が付き合いの長い淕なら何かあったときに頼れるし安心だ。



「あ、ねぇ、淕」



ふと明日の用事を思い出して隣を歩く淕に声をかける。


夕日の光に目を細めながら、淕がこっちを見る。



「近所のショッピングモールに行くから、


 淕、明日は、先に帰ってくれない?」



ここから一番近いモールにはバスに乗らないといけない。


しかしそうしてでも行きたい理由がある。



「何しにいくんだよ?」


「ほのかの誕生日プレゼント買いに行くの」


「ああ、もうすぐだっけか」


「うん」



ほのかというのは棗の友達のことだ。


モールにはたくさんの専門店がくっついているから


友達の誕生日プレゼントを買うにはもってこいだ。


……まあ、実は、もうひとつ目的があるのだが今は言わないでおこう。



「あっ!!」



棗は不意に声をあげた。


棗達のアパートの前に見知った人影が立っているのが見える。


棗は我慢できずに駆け出した。



「雪にぃ!!」



雪にぃというのは


棗と淕の4つ年上の幼馴染み、雪那のことだ。


現在は大学生で、大学院に行くことも決まっている。


しかも、雪那はエリートなだけでなくとんでもなく格好よかった。


今、こうして棗の声に気付いて夕日の中で振り返る姿なんかもう絶品だ。


こんなにカッコいい人が……三日前から彼氏だなんて本当に


人生何があるかわからない。



「ああ、棗。淕も」



眼鏡の向こうから柔らかく目を細めて雪那がこちらに近づいてくる。


スラリと伸びた長い足といい、さらさらした薄い色をした髪といい、


滑らかだけどシャープな顎のラインといい、どこをとっても格好いい。


しかも、高校の時は淕と同じ空手部に入っていたほど運動神経がいい。


容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、と三拍子そろっている雪那は昔からモテた。


淕よりもモテた。


小さいときからずっと雪那に片想いしてきた棗は気が気でなかった。


雪那が大学生になった時なんかは、大学には綺麗な人がいっぱいいるだろうし、


4つも年下の自分なんかが相手にされるわけがない、と諦めかけたほどだ。



「淕!!」



雪那の腕をきゅっと抱いて、淕の方を振り返る。


10日前だったらできなかったことだ。


雪那も、もう戸惑ったような顔をしない。


穏やかな表情で笑ってくれる。


対する淕は怪訝そうな顔だ。



「淕、あのね、おれ達…」


「10日前から、恋人同士になりました!!」


「……は?」



淕は文字通り固まった。


眉を寄せたまま。


淕とは生まれたときからの付き合いだが、彼のこんな顔は初めて見る。


色々な感情が入り乱れていてなんと表現したらいいのかわからない表情だ。


棗は内心、よっしゃっ、と拳を握った。


ドッキリ大成功だ。


雪那と、淕をびっくりさせようということで、


雪那の時間が空いている今日、


わざわざアパートまできてもらったのだ。


バラすまでは恋人同士ということは淕には話さないという約束で。


しかし、こんなにも驚いてもらえると秘密にしていたかいがあるというものだ。



「雪那、こいつと付き合ってんの」


「10日前におれが告白してね」


「雪那が?


このちんちくりんに?」


「ちんちくりんって何よ!!」


「ちんちくりんだろーが」



ぷくぅーとふくれかけてはっとする。


雪那と釣り合うような大人の女性になろうと数日前に決意したばかりなのだった。


もっと大人の女性らしい楚々としたふるまいをしなければ。


でも、今のやりとりでようやくいつもの3人に戻れた気がしてほっとした。


雪那と恋人同士になりたいのはなりたいがこの3人の関係が壊れるのは


もっと嫌だったからだ。









『家に着いた?』



部屋に入ると同時に雪那からラインがきた。


思わずにやけてしまう。


さっきまで雪那の奢りで皆でラーメンを食べに行っていたのだ。



(こういう所が淕とは違って紳士だよねー)



淕の部屋と接している側の壁にむかって一人舌を出してやる。



『無事到着!!

わざわざありがとうm(__)m』



そう返して返信を待つ。


返信は少ししてから連続してきた。



『よかった』

『テストもお疲れさま』

『勉強はほどほどに』

『おやすみ』



ゆっくりと瞬きを繰り返し、文を何度か読む。


雪那の文はいつも淡白だ。


スタンプもあんまり使わない。


けど、それが大人な感じがする。



『おやすみなさい』



それを見習って顔文字も使わないシンプルな文を送ってみた。


なんかそれだけで、少し雪那に近づけた気がする。


既読のマークがでたが、返事はない。


このドライな感じがまた大人だ。


棗はうぬぅ…と唸るとばたりとベッドに突っ伏した。



「……早く大人になりたいよお姉ちゃん」



棗の視線の先には、穏やかに微笑む少女の写真があった。


棗の七つ上の姉の杏だ。


杏は十歳、棗がまだ三歳の時に、彼女は交通事故で亡くなった。


だから彼女に関する記憶はあまりない。


でも、寂しくなった時はこうやって心の中で話しかける。


枕に顔を埋めた。


はやく大人になりたい。


成長したい。


雪那に追いつきたい。


……もっとラインで会話したいとか、ちょっと寂しい内容だな、とか


思わないような大人になりたい。


題名のミルフィーユ、というのは

ミルフィーユがたくさんの層でできているように

登場人物たちのさまざまな想いが積み重なってできている物語

という意味で名づけました。



よろしくお願いします(ぺこり

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