3話・星と夕食と風呂
――お前が余計なことするから、全てがパーになったじゃないか?
――死んで詫びてくれよ?
「やめてくれーーーッ!」
イオリは自分の叫びに近い寝言で目を覚ました。どうやらいつの間にかゴミの上で寝ていたようで、窓から見える空は星が輝く夜空に様変わりしている。その星空はいままで見た中で一番綺麗で、見ているだけでイオリは、心が洗われるように感じる。そして、自分の目に涙がたまっている事に気が付いた。
(ってなんで、涙をためてるんだ?)
「どうした? 何かあったのか?」
突然セルテが顔を覗き込んできたので、イオリは慌てて涙を拭いて、泣いていた事を誤魔化すように軽口をたたいた。
「い、いやー、セルテのこと考えててさ。本当に綺麗だなーって」
「はっ、えっ? い、いいきなり何言ってんの?」
セルテは目をキョロキョロと、泳がせて顔を紅色に染める。それを見てイオリは少し驚いた。セルテ位の美人な人だったら、こんな言葉を軽く受け流す事が出来ると思っていたからだ。
「なんだ? 顔が赤いけど照れてるのか?」
「て、照れてなんかはいないさ。ただ、そうやって言われたのは初めてだから……」
「そうなのか? すごくモテそうだけど」
「も、モテそうだなんて……。いきなり何言いだすんだ――――!!」
バンッ!!
勢いよく扉を開けてセルテは、外に出て行ってしまった。それを寝転がりながら見届けたイオリは、上半身を起こして体をほぐす。ゴミがクッション代わりになったおかげで幾分はマシだが、ほとんど石のようなところで寝ていたので体のあちこちが痛む。
チラッと目を横に向けるとそこには、巨大なブラジャーのようなものが転がっていた。イオリは思わず鼻の下を伸ばしてニヤリと笑う。とくに何かをしようとしたわけではないが、男なら誰でもニヤリとしてしまう物だ。
「イオリー! セルテが外に出てったけど……ってなんで気持ち悪く笑ってるんですか?!」
イオリは気色悪い笑い顔を、何かを運んできたステラにタイミング悪く見られてしまった。ステラは手に持っていた何かを、セルテの机の上に置くとイオリをジトっとした目で見つめる。
「……何かへんなことを考えていたんですか?」
「そ、そんなことないよ。ってこれなんだ?」
誤魔化すように、机に並べられたカラフルな物の正体をステラに聞いた。 青に黄色に紫に黒――それは小学生のころの乱雑な絵の具のパレットを思い出させるそれは、得体のしれない豆や葉っぱがところどころ原型を残していて、ツーンと薬のような匂いがする。
「なにって夕食に決まってるじゃないですか! ほら、見てくださいよ。ステラにもお料理は出来るんですよ!」
「これがお料理ですか……はあ……」
1口食べたら顔を紫色にして頭からどくろの煙が吹き出しそうなそれを料理と定義するのは難しいなと、イオリはため息をついた。横に座ったステラは、豆が入ったスープを木製のスプーンですくうと、イオリの口もとまで運ぶ。
「ほら、あーんとお口を開けて下さい」
「い、いや、自分で食べれますよ……」
「遠慮しないでください。えへへ、それに一度でいいからこういうことをしてみたかったんですよ」
「お、俺の世界では女の子にこんな風に、食べさせてもらうのはダメなんだ!」
「ほんとですかー? でもここは違う世界ですから。ハイッ!」
ステラは構わず強引に豆が乗ったスプーンを、イオリの口に突っ込む。死を覚悟したイオリは、両手を合わせて死神に祈る――死ねるなら楽に逝かせて下さいと。
「……ん? うまい……? これ、うまいぞ」
ちょうどいい塩加減で、心がほっこりする味で空っぽの胃袋にじんわりと染み込む。それは全ての配分が、奇跡的にカチッと組み合わさったのだろう。予想外にうまくてイオリはステラに申し訳ない気持ちになり、心の中でひっそりと謝った。
「でしょう? 自信あるんだから」
ステラはイオリに食べさせたスプーンを使って豆のスープを口の中に流し込んだ。
「んー!! やっぱり美味しい!」
「ってそれ俺が使ったスプーンじゃん?!」
「ん? 洗い物が少なくなるからいいじゃん。ハイッ!」
再び強引に口の中に豆のスープを流し込まれた。間接キスに少しドキドキしたがやっぱりうまいと、イオリは頷いた。そこに、濡れた赤毛を額にはりつかせたセルテが、部屋に戻ってきた。
「ふー! 顔を洗ったらすっきりした……ってそれ食べて大丈夫? 不味いでしょ?」
机に乗ったステラの手料理を見ると、舌を出して苦々しい表情を浮かべる。まるで子供のように。
「いやー、そんなことなくてうまいよ。意外と、うまくて驚いたよ」
「ちょ、ちょっと! 意外ってひどくない?!」
ステラは睨みながら、イオリに抗議する。
「そんな睨まなくても……でも、本当にうまくてビックリだよ」
「ほんと?! なら、ゆるしてあげる」
ステラが目を細めて笑いながら喜ぶので、イオリも微笑ましく思い知らず知らずニヤリとしてしまう。その中で1人――セルテは仏頂面で腕を組みながら2人を見下ろす。
「もしかしたら、今日はうまくできたのかもしれないわね。 どれどれ……」
セルテは細くて長い人差し指を、豆のスープにチョンとつけて口の中に突っ込む。その姿はとても可憐で様になり、思春期のイオリをドキッとさせる、いやらしさをかもし出す――がその姿は数秒もせずに消え去る。
「うっ!! ぎゃ!! どぅえ!!」
言葉にならない言葉を吐いたセルテは、顔を紫色――にはならなかったが限りなく青に近い顔色で、外に走っていった。イオリとセルテは、顔を見合わせて首をかしげる。
「「どうしたんだろう?」」
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どことなくゲッソリとしたセルテは、自分の手料理を食べている。それは、ステラの料理と違いとても美味しそうに見えて、イオリはだらしなく口を開けてそれを見つめた。それに気づいたセルテが、1口分をスプーンですくうとこちらに向けた。
「これ、食べる?」
「……いいのか?」
「だってこんなにあるし、大丈夫よ」
「いや、そっちじゃなくて……」
「ん? なに?」
「あ、いや、何でもない……いただきます!」
イオリは一気にそれを食べた。
「どう? 美味しいでしょ? もしかして言葉が出ないってやつ? まいっちゃうなー」
「……」
しばらく黙り込んだイオリは苦悩の表情を浮かべて、感想を伝えた。
「ぶえっ!! マズッ!!」
顔を土色にしたイオリは、外に向かって走った。それを見て、セルテはスプーンをくわえながら首をかしげる。
「どうしたのかしら? こんなに美味しいのに」
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イオリは外にある水瓶から、水をすくって口をゆすいで吐き出す。口の中に広がっていたすっぱい酸味が消えて、気分はなんとか持ち直した。未体験の不味さで、どうやったらあんなものが作れるのか気になる。あのレベルの不味いものを、作ってくれと頼まれても無理だ。それ位、不味かった。
「って寒いなー!! 昼は温かかったのに……」
イオリはTシャツから露出した、鳥肌の立つ腕をさする。昼間は肌を焼くように熱く、夜は肌を突き刺すように寒い。まるで中東の砂漠のようだ。
「風呂とか入りたいなー。ってあるわけないか」
イオリは思わず言葉を漏らした。疲労を取りたいという本能が、そうさせたのだろう。
「あるよー?」
「そうそう、ありますよ。ふぇっ?!」
予期せぬ声に驚いて情けない声を出したイオリは、声のする草陰のほうに顔を向ける。背の高い草陰の中から湯気のようなものが、ゆらゆらと天へ向かって昇っている。
(なんだあるのかよ。しかも、露天風呂か……最高じゃん!!)
イオリは無心で風呂に向かって進む――だがあることに気が付く。そこから声がするっていうことは誰かが、風呂に入っているということを。しかし、それに気がつくのが遅かった。すでに背の高い草陰を抜けてしまった。
「やあー、イオリもお風呂入るよね?」
イオリの目には、レンガ造りの浴槽と小さなお尻を向けた裸の女性が映る。ステラは隠すことなく、むしろ見せつけるかのように体をイオリに向けた。
(お尻は小さいけど、意外と発育がいいな……って違う!!)
女性の裸体を初めて目撃したイオリは――悲鳴に近い声をあげて逃げ出した。
「イオリーーー! お風呂はいらないのー?!」
ステラの問いは返されることなく夜空に消えていった。