プロローグ2――左手の異変
ステラは腕を持ってニコっと笑うが、その光景はいささかシュールだ。
腕といってもカピカピに干からびたミイラ状なので、そこまではグロテスクではないが、女の子が笑いながら持っていたいい物ではない。
「えーっと、それは? なんですか?」
「ん?腕だよ?」
「……その腕がなんの役に立つの? とてもそれじゃあ、物理攻撃は出来なそうだけど……」
「物理攻撃ってこうですか?」
ステラはその腕でバットを振るような仕草を見せる。持ち主は分からないが、イオリはステラの代わりに心の中で謝ることにした。
「いやいや、そういう事はやめておこうね……で、それはなんなの?」
「えへへ、教えてほしいですか?」
「ああ、さっきからそう言ってるんだけどね……教えて下さい」
イオリは頭を下げてお願いした後に、なにかおかしなことになってるなと思った。頭を下げてお願いされるのは、むしろ自分の方だよなと。
「えへへ、それはですね……これは破壊神シーバの左手だよ! これを媒体にしてイオリ君をこの世界に召喚したんだよ! すごいでしょ? 」
「すごいのか?……てか、破壊神シーバってなに?」
「えー、知らないんですか? この世界を作った神々の1体ですよ」
「知るか! 今日っていうか、さっきこの世界に来たばかりだぞ」
ステラの言う破壊神シーバとは、この世界を作ったとされる三神一体の1体で、その名の通り破壊を司る。しかし、実はもう1つ、再生も司っている。破壊と再生は表裏一体なのだから当然と言えば当然だが。解釈はそれぞれあるが、世界の終わりに現れ全てを破壊して次の神様に託すと言われている。
「あー、そうだった。忘れてました」
「……で、その腕を媒体にするとなんの意味があるんだ?」
「えーっとね、これはこの神様の能力が授けられるって聞いたよ」
そう言われてイオリは、自分の左腕を見るが特に変わった様子はない。念じてみても何か出るかわけでもない、いたって普通の左腕だ。
「いや、とくに変わった感じはないけど……騙されたんじゃないの? 騙されやすそうだし」
「そ、そんなことないよッ!これは、代々伝わる大事なものらしいんですから」
「そもそも、それが本当に神の腕だったら、なんでここにあるんだよ? 国とかが管理してなきゃいけないんじゃないの?」
イオリが言った事は、もっともな事で正論だった。
例えば、普通の家庭にキリストの腕があったら、宗教関係者か国が引き取りに訪れるだろう。最悪、凶信者に奪い殺されてもおかしくない。それに値するような物が、失礼だがこの家にあるのはおかしな事だ。
「んー、なんででしょうか? ステラも詳しくは知らないんです」
「ますます、怪しく感じるよ……でも、どうするかな……何かあればいいんだけど」
イオリの心の中では、何かがあれば戦って助けてあげてもいいと言う気持ちが芽生えていた。それは、ステラが可愛いと言う下心もあるが、なによりも頼まれたら断れない性格で、ついついトラブルに巻き込まれてしまう。その性格が原因で、学校のみんなに嫌われてしまったのだが、イオリはそれを気にしない様に心がけていた。
「まあ、いいや。ちなみに前の世界に戻すことは出来るの?」
「どうでしょうね……ステラにとってイオリが初体験だから分からないや……」
イオリが初体験か……イオリは鼻の下を伸ばして。よこしまな事を考える。
「って、戻っちゃうんですか?!」
「今のところは、そんな事は考えていないよ。ただの確認のためさ」
こっちの世界の方が気疲れせずに過ごせるし、前の世界に戻ってもいい事ないし、とイオリは目をつぶりながら思い出す。
------
猫山イオリ――高校3年の17歳で来月の8月24日に誕生日を迎えて18歳になるはずだった高校生だ。成績は5段階評価で保健体育を除けばオール3のザ・平凡だった。元々は野球推薦で今の高校に入学して、2年時からレギュラーとして活躍していたが、とある事件を起こして退部させられてからは帰宅部として、学校と自宅を往復していた。
クラスメートは彼を【向こう見ずで、度胸はあるけど空気は読めないね。だから、あんな事件を起こすんだよ。いくら親友とその彼女を助けるためにあそこまでするかな……怖い人だよ】と評価して、野球部のOBには【話したくもないし、顔も見たくないクソ野郎だ】と言われ、教師には【くだらないことに噛みついてくる面倒な生徒】と切り捨てられ、校長には【わが校、始まって以来の大問題を起こしたにも関わらず、よくまだ学校に居られるね。頭のおかしい子だよ】と断罪される。さらに近所のおばさん達は【街の顔に泥を塗った、とんでもない人】と影口を叩かれる始末。
高校の悲願を、友達を救うために潰したイオリには、重い責任がのしかかり、普通の人間であれば不登校どころか自殺してもおかしくないレベルだった。現に救われたはずの友達は、周りの重圧に耐えきれずに行方不明になってしまう。
そんな中をイオリは自称鋼のメンタルで生きてきたが、内心は相当なダメージを受けていた。ただ、弱った姿を見せたら負けだと思い、必死に耐えて生きてきた。だが、ここではそんな評価はない。ゴブリンを倒したらのんびり生きようかと考えていた。
そのためには何か、武器を見つけないといけない。
「って、やっぱり何も武器となるものは無しか……バットとかあればいいだけどな」
そう言ってイオリは左手で髪をかき上げると、何か違和感を覚えた。髪をかき上げたときに、何か黒いものが視線に入ったのだ。恐る恐る、髪をかき上げた左手を見ると、黒い霧のようなものが腕からから指先まで覆っている。黒いそれは、生き物のようにうごめいてて、それは次第に手の形に添うように張り付く。手のひらを見ると、魔法陣が刻まれていた。
「なんだよ……これ」
イオリはつぶやくと、ステラもその左手の変わりように気が付いたようで、目を丸くして驚いている。
「わぁっ!! なにそれ?!」
「さあ、分からないよ! この世界の病気か?」
「そんな病気初めて見るよ……きゃあ!!」
『ブニュ』
女の子特有の甲高い悲鳴が響いた後に、重量感を感じる鈍い音がした。イオリは落ちた物に目を向けると。それはステラが持っていた腕だが先ほどまでの干からびた腕ではなくて、適度に潤うを保った肌色の腕だった。
その腕には見覚えのある傷痕が残されており、イオリは何となく理解した。自分の腕とステラが持っていた、神の腕が入れ替わったのだと。そんな事を知らないステラがその腕をツンツンと突くので、イオリはそれを止めさせた。一応、自分の腕【だった】物なので、そういう事をされると変な気分になるからだ。
「どうやら俺の腕は、神の腕やらと入れ替わったようだな」
「それってシーバの腕になったって事?」
「多分……。仮定だけどね」
イオリは手のひらを開いたり閉じたりしてみるが特に問題はない。ためしに鳥の死骸に手を置いてみるが、何も起こらない。床を殴ってみるが、少しへこんだ程度でダメージを与えた形跡はなく、逆にイオリの拳がダメージを受けた。
「痛っ!! これは痛い……」
「急にどうしたんですか?」
「いや、こうやったら壊れたり何か起きるのが『普通』なんだけどね」
「普通……ですか?」
ステラはきょとんとしながら頭を右にかしげる。何言ってんだこの人はと言う感じがステラからにじみ出ていたので、イオリは話を変えるために質問を投げた。
「こういうのに詳しい人とかいないの? 医者とかでもいいし」
「んーっと、1人いるよ。 ってこの村には1人しかいなんだけどね」
「あ、そうか。2人しかいないのか。その人はどんな人なの?」
「んー、ステラの師匠のような友達のような家族のような人だよ」
「へぇー、じゃあ、その人のところに行こうぜ」
「いいよ!善は急げだしね!」
「そうだな。ってひっぱるなーーー! それに何かあたってますよ!」
イオリはステラに腕を組まれ、半ば強引に連れ出された。だが、それも悪くなかった。ひじに当たるそれを堪能できるのだから。