サーモン
俺はビックになりたかった。
あの大空のように青く広がった世界で旅をし、一回り大きくなった男として故郷でフィーバーしたかったわけよ。それがどうだ。今俺は板前の前に置かれたまな板の上にいる。
ああ、そうさ。俺はサーモン。鮭じゃねえ。サーモンだ。
ホントはこうなるはずじゃなかったんだよ。
回遊中に知り合ったエリーと、あ、エリーって俺の彼女な、エリーと故郷の川に帰って華々しく果てるつもりだったんだよ。
それがなんだあれは。いきなり目の前に網が来たかと思ったらあっという間に酸欠。寿命が一週間縮まったぜ。
まぁ逃げてやったよ。さすがビックになる予定の俺様だぜ。サケ属必殺技の連迅爆撃、通称ビチビチで。だがエリーとはぐれちまった。何処を探してもエリーの姿は無かった。もしやさっきの人間どもに捕まったか? いや、希望を持とう。ただはぐれてしまっただけかもしれない。とにかく目的地は同じなんだ。目指していれば再び出会える会えるかもしれない。そう思って俺は数が少なくなった仲間たちと一緒に進んでいったんだ。
だがそこであの悪夢が起きたんだ。今思い出しても自分に腹が立つ。最高の色艶だった。あんなものに惑わされるなんて思いもよらなかった。
他の仲間が無視する中、俺は思わず行ってしまったんだ。飢えた狼の如く、ビックにだ。
そして気づいた瞬間には船上にいた。
ああ、そうさ。釣られたのさ、このビックになる予定の俺がだ。
笑うがいい。
だがこれだけは言わせろ。釣られた瞬間、俺を釣ったそいつはこう言ったんだ。
「うおお!! デケェ!!」
ビックな俺にはピッタリな言葉だろう? あろうことか俺を釣ったそいつは俺のことをビックだと言ってくれたわけよ。
だがまあ、それは置いておこう。今は俺の身に起きたことだ。
俺はそいつの手によって水が中途半端に入った箱に入れられた。その後は回遊中に見かけた魚が入れられたりしてきたんだよ。途中足が何本もあるやつが
「やんのかいわれぇ!! 墨かけたろかあ!? あん!?」
と言いながら入ってきた。発言こそやんちゃではあるがぐにゃぐにゃと骨がない軟弱野郎である。
そして船が移動して運ばれて今に至る。
どうやらこの板前は俺を釣ったやつの友人らしい。そして、俺のこのきらびやかでビックな体を刻んで食いたいと言っている。
このまま人間ごときに食われるようなビックな俺ではないが、正直に話すともう苦しくて仕方がないのだ。陸に上がってからもうだいぶ経つ。もはや必殺の連迅爆撃を繰り出す力も残っていないのだ。
もはやここまで、今思うと短い人生であった。ひと思いに殺すがいいこの板前め。
そしてこのビックな俺様が千年先まで貴様を呪って……
「早く釣った魚食べたいね!!」
「ああ、そうだな息子よ」
……息子?
そうか、私を釣ったのは人間の子供であったのか。
子供。俺らサーモンは子供の顔を見ることなく一生を終える。それは俺らはだけではなく魚界の殆どがそうなのである。子供と一緒に暮らすなど考えられない世界なのである。
どうやらそろそろ限界らしい。視界が段々と白くなってきた。おそらくこれが死ぬという感覚なのだろう。
いったい子供を育てるとはどういう感覚なのだろうか。ビックな俺でも想像することができない。
いったい、どのような感覚なのだろうか?
「おい、砂紋!!」
昼時を前にしたオフィスの一室に怒号が響く。働いている身としてこういうのを言うのはなんだが、この時間は昼飯まであと少しだということもあり仕事に身が入らない。こればっかりは小学校のころから変わりようがない。
「はい!! 何ですか?」
声に反応して俺は自分のデスクから顔を上げる。
「おまえこの前の企画を先方に説明して来い!!」
怒ったように聞こえたがどうやら叱られるわけではないらしい。ビックな俺でも叱られるのは嫌である。
「いつですか?」
「今週の土曜だ!! 先方の予定が空いてないからその日らしい」
今聞いた内容の予定と、頭の中で把握している予定を照らし合わせる。
「すんません。その日は子供の運動会があるので……別な人を回してくれませんか?」
「またかお前は……はいはい、わかったよ」
愛想笑いを浮かべながら、頭を掻いて他の社員を呼ぶ上司を見て座る。
「おまえも大概だよな。砂紋」
座ると同時に隣に座っている同僚が話しかけてくる。
「何がだ?」
「子煩悩さがだよ。お前子供の行事とかほとんど行ってるだろ?」
「ほとんどじゃない。全部だ」
「はは、お前の子煩悩さはおかしいよ。俺なんて子供にうっとうしがられてるぐらいだよ」
それから延々と同僚が愚痴を言い始める。
「昔から憧れだったんだ」
俺がそう言うと同僚が珍しそうな視線を向けてくる。
「憧れ? 子供の行事に行くのがか?」
「たぶん、子供を育てるのがだ」
そういってパソコンの横に飾られている写真を見る。そこには妻と自分、笑っているのかどうか分かりづらい表情をしている子供がいる。
「子供を育てるのが憧れ? もしかしてお前、前世が子育てできない生き物だったんじゃないか?」
同僚が笑う。
「そうかもな」
「名前に似てサーモンとかか? そりゃ傑作だ!!」
今度は腹を抱えて笑い始める。
「ああ、そうかもな」
思わず口元から笑みがこぼれる。
周りが何と言おうが、今の俺は幸せである。
たとえ俺がビックでなくても。
皆さんこんにちは。初めての方は初めまして。奏狗というものです。今回この作品は夜中のテンションで書きました。ですので至らない、または突っ込みどころ満載な部分もありますがご了承ください。
さてこの作品ですが、これはTwitterじょうから生まれた作品です。自分が「ネタちょうだい^^」とつぶやいたところ「【サーモン】」という返信が帰ってきました。今思うと小説のネタと寿司ネタをかけていたのだと思いますが、奏狗にそのような冗談は通じず、このサーモンの序盤を書きました。結局寿司ネタの提供者からは返信は頂けなかったのですが、このような小説を書くことができたのはその方のおかげです。ありがとうございます。
そしてここまで読んでいただいた皆様ありがとうございます。これからも細々とこのネット世界の隅っこで暮らす奏狗をよろしくお願いします。