兄貴と溝田家
俺んちは普通の家じゃない。大金持ちでもないのにこんな大きな門がある。その理由は過去にある。なんと言えばいいか、最適な言葉が見つからないんだけど、去年死んだジイさんの言葉を借りるなら『愚連隊』だ。今は元・愚連隊だけど。
愚連隊といえば言葉の意味のまんま、グレた奴らの集まりだと思う。だが、ジイさんは「そういうものではない、治安を守るため組織したものだ」と言っていた。暴力団とも違うと言っていた。愚連隊と暴力団は看板が違って草野球とプロ野球なんだってさ。例えがよくわからないけど、そう説明してくれた。
でも、愚連隊とか言っていたくせに『溝田橋組』って名乗っててジイさんが初代の組長だった。溝田橋組を立ち上げた頃は戦後だったから結構好き勝手にできたらしい、王子周辺では結構な地位で組員も多かったし、一目置かれてたみたい。もう何十年も前の話だけど。
戦争で徴兵されなかったジイさんは若かったから、闇市だったアメ横にも顔を出して暴力団にも入っていたらしい。当時の若者は敗戦のフラストレーションとか、暴れ足りない気持ちとかもあって、暴力団に入るのも自分の居場所を求めてとか、憧れだったらしい。若者たちは下っ端として暴力団の兵隊みたいなことをしてて、チンピラってのよりも下の存在だった。
ジイさんはアメ横で暴れまわってても全然カワイイものだったらしい。暴力団幹部のその下の人に取り入って幅を利かせていた頃に、ある事件で拳銃を突きつけられた時は死を覚悟したって笑いながら語っていた。
去年90歳で死ぬまで一度も逮捕されたこともないし、長生きできたから運のいい人生だったと振り返っていたな。暴れまわっていたくせに大往生とは運がいいよ。
俺が小学生だった時はジイさんが語る溝田橋組創設の話や、愚連隊の武勇伝がカッコいいと感じたし、愚連隊を率いていたジイさんをヒーローのように思っていたけど、今は違う。どう考えても暴力的な行為をしていた。孫の手前、カッコよく見せたいと思って語っていたんじゃないかな。
通夜の時に親父は「ジイさんは上野の抗争にビビって王子まで逃げてきた、それでも赤羽と勝負しなかったから小さい組のままだった。だから自分の代で組を畳むことになった」みたいなことを酔っ払いながら言っていた。組を畳んだのは親父の実力というか、責任みたいなものだと思うんだけどね。
まぁ、親父が戦後の世界を知らずに勝手に語っていたのを反面教師にして、俺は知らない世界の話をするのは止めておく。親父は組を兄貴に継がせたかったらしいから、組を畳んだことを悔やんでいるんだろう。
親父が50歳の時、兄貴が6歳で養子に来た。親父になかなか子供が生まれなくて、組としては後継ぎがいないってのはまずいってことで養子縁組をした。そこで兄貴が選ばれたんだけど、初孫が養子になるジイさんでも兄貴の本当の親は誰なのか知らなかったみたいだ。
小耳に挟んだ情報だと兄貴は孤児ではないらしい。親父は兄貴の家族のことを知っているんだろうけど、話そうとはしない。兄貴も子どもの頃の話はしないし、無理に聞くことでもないから聞かないけど、少しは気になる。
だから世間的に俺と兄貴は義理の兄弟なんだ。家庭環境は変わっているけど、たぶん、普通の兄弟と変わらず過ごせていると思うんだ。そんなに歳も離れてないし。よく遊んでくれたし。
兄貴が養子になってから半年ぐらいで俺が生まれた。腹の中に俺がいるうちに養子縁組をしちゃったんだってさ。なんで母さんは気がつかなかったのかね。
ドラマとか映画の世界なら血の繋がった実子を後継ぎにしようとするんだろうけど、違った。あくまでも兄貴が溝田橋組を継ぐことになっていた。母さんもそれに従ってたみたい。だから戦国時代みたいな跡取りでのお家騒動みたいなこともなかった。




