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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第二章 風翔国奪還戦
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第三十二話 新風帝と、平和なひととき

 光神教会区域。


 白亜の大ホールは、今日も厳粛だった。高い天井、磨かれた石床、壁一面に刻まれた聖句。


 だが、そこに集う者たちの空気は、どこか歪んでいた。


 最前列。


 麒麟の席は埋まっている。

 青龍も、背筋を正して座している。

 朱雀は、肘をつき、どこか気だるげだ。


 そして、玉座が二つ空いていた。


 玄武。

 白虎。


 かつて四神が揃っていたはずの場所に、欠けた穴のような沈黙が落ちている。誰も、その空席に言及しない。まるで、最初から存在しなかったかのように。


 ホール中央に、一人の信者が膝をついていた。風翔国から逃げ延びた男だ。衣は裂け、声は震えている。


「……ご報告いたします」


 喉を鳴らし、言葉を絞り出す。


「玄武様は……敗北されました」


 ざわめきが起こる。だが、すぐに沈静化する。ここにいる者たちは、感情を制御することを叩き込まれている。


「討ったのは、黒炎龍を宿す者、ミリア」


 その名に、朱雀が大きくあくびをした。


「はぁ〜……またその子かいな」


 指で目元をこすり、興味なさげに言う。


「正直、もう聞き飽きたわ。玄武はんも、運が悪かったんちゃう?」


 青龍が、静かに視線を向けた。


「……朱雀様」


 口調は柔らかいが、制止の意を含んでいる。


「事態は、決して軽くありません」


「そぉ?」


 朱雀は肩をすくめる。


「玄武はん、風翔国におったんも一年あるかないかやろ。地盤も信仰も、根ぇ張る前や」


 信者が、恐る恐る補足する。


「は、はい……玄武様が派遣されたのは、比較的最近で……」


 朱雀は、ほれ見ぃ、と言わんばかりに手をひらひらさせた。


「そないな場所で負けたんやったら、それまでやろ」


 青龍は、ゆっくりと首を振る。


「……そういう問題ではございません」


 そして、信者に視線を戻す。


「続けてください」


「はっ……」


 信者は、深く頭を下げてから続けた。


「ミリアは、玄武様を討った後……風翔国の民に推され、帝として迎えられました」


 一瞬、空気が止まる。


「帝、ですか」


 青龍の声が、わずかに低くなる。


「形式上とはいえ、国家の頂点に立ったと?」


「……その通りです。風帝ミリアとして、即位しております」


 青龍は、目を伏せた。


「黒炎龍の器が、国家を統べる立場に……」


 その声には、明確な危機感があった。


「それは、神の道具が守られる存在になったということ。教団にとって、看過できない変化です」


 朱雀は、鼻で笑う。


「大げさやなぁ。ガキが王冠被っただけやろ?」


 だが。


 麒麟が、静かに口を開いた。


「いいや」


 場が、引き締まる。


「青龍の言う通りだ。問題は、即位そのものではない」


 麒麟の視線が、空席の玉座を一瞬だけ掠める。


「黒炎龍の器が、破壊ではなく“統治”を選び、それを民が受け入れた」


 淡々とした声。


「それは、偶然でも感情でもない。世界が、あの少女を“役割”として認め始めた証だ」


 朱雀は、少しだけ目を細めた。


「……ふぅん」


 青龍は、静かに頷く。


「つまり」


 一拍。


「黒炎龍の存在は、もはや秘匿すべき異物ではなく、表に出た脅威になった、ということですね」


「その通りだ」


 麒麟は即答した。


「玄武の死も、白虎の不在も、その流れの一部に過ぎない」


 大ホールに、重たい沈黙が落ちる。


 空席は、何も語らない。

 だが、その沈黙こそが、教団の綻びを雄弁に示していた。


 朱雀が、もう一度あくびをする。


「ま、ええわ。どう転んでも、面白うなってきたんは確かや」


 青龍は、目を閉じた。


「……戦場は、もはや個ではありません。国単位の衝突になるでしょう」


 麒麟は、静かに告げる。


「黒炎龍の少女は、神話で終わらない」


 そして。


「我々もまた、後戻りはできない」


 光神教団は、静かに理解し始めていた。


 新たな帝の誕生は、世界の均衡が、確実に崩れ始めた合図であることを。


 その決断が、世界に届くまでに、一年の時が必要だった。


 季節は巡り、ミリアが風帝となってから、ほぼ一年が経過した。


 薄紅色の髪は、もう肩を越えて伸びている。

 そして彼女は、この春で二十二歳を迎えていた。


 風翔国は変わった。


 争いは消え、街道に剣を携えた兵が立つことも減った。畑は荒れず、市場には笑い声が戻り、子どもたちは城壁の影で追いかけっこをしている。


 平和だった。

 疑いようもなく。


 玉座の間。


 ミリアは、相変わらず玉座に座らず、窓際に立っていた。風が吹き抜ける。かつて重苦しかった城内は、今では穏やかな空気に満ちている。


「……いい国になったな」


 ぽつりと、ガンドロフが言った。


 巨躯の男は、兵士長としての役割を完全に受け入れていた。規律は厳しいが、無理をさせない。戦えない者を、無理に前に出さない。


 それを、ミリアは信頼していた。


「うん」


 短く答える。


 側には、アネモネがいた。白いローブに身を包み、穏やかな微笑みを浮かべている。


 彼女は、もう怯えていなかった。


 かつてのように、命令に縛られ、価値として扱われる存在ではない。癒すことを、自らの意志で選び、誰かのために力を使っている。


「ミリア様」


 アネモネは、そう呼ぶときだけ、ほんの少し照れた。


「この国は……あなたがいたから、変われました」


「大げさだよ」


 ミリアは首を振る。


「みんなが、頑張っただけ」


 だが、アネモネは否定しなかった。

 否定できなかった。


 暗い日々。

 玄武という名の支配。命を奪うためではなく、維持するためだけに使われた力。


 それを終わらせたのが、目の前の少女だった。


 強くて、優しい。

 誰かを踏み台にしない王。


 だからこそ、アネモネは、心を許していた。


 中庭では、金属音が響いている。


「そこ、甘ぇ!」


 ガンドロフの怒声。


 ルシオとエリオは、汗だくになりながら剣を振るっていた。一年前とは、別人のような動きだ。


 まだ、最前線を任せられるほどではない。

 だが、逃げない。折れない。


 守る理由を、もう持っているからだ。


 ミリアは、その光景を見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


(……平和だ)


 あまりにも。


 光神教団の動きは、一切入ってこない。

 偵察も、噂も、使者もない。


 まるで、最初から存在しなかったかのように。

 それが、気にかかっていた。


 夜。


 執務机に向かいながら、ミリアはペンを止める。


 胸の奥に、言葉にならない違和感があった。


 理由は、ない。

 根拠も、情報も、何もない。


 ただ。


(……静かすぎる)


 戦いを知っている者ほど、分かる。

 本当の終わりは、こんな顔をしてやってこない。


 ミリアは、窓の外を見る。


 穏やかな月明かり。

 眠りについた街。


 守りたいものは、確かに増えた。

 だからこそ、嫌な予感は拭えなかった。


 風は、今日も優しく吹いている。

 嵐の前触れであることを、誰も知らないまま。


ーーー 第二章 風翔国奪還戦 完 ーーー

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