第二十八話 支配者と、烏合の衆
次に踏み出したのは、ルシオだった。
剣を握る手は、震えていない。
だが、理解していた。
勝てない。自分も、エリオも。
この男に剣を教えたのは、他でもない光神教団。
そして、その教えを体系化し、磨き上げた存在が玄武だ。
「来るか」
玄武は、わずかに口角を上げた。
「哀れだな」
踏み込む。ルシオの剣が、最短距離で振り抜かれる。だが、結果は同じだった。
玄武は、刃を見ていない。ルシオの重心、肩の角度、踏み込みの癖。すべてを読んだ上で、最小限の動きでかわす。
剣が空を切った瞬間、拳が飛ぶ。
「ぐっ……!」
腹部に衝撃。息が詰まり、ルシオは床を転がった。
「ルシオ!」
エリオが叫び、続けて飛び出す。
拳。
蹴り。
剣でも魔法でもない、必死の攻撃。
だが、玄武はそれすら受け止めない。
肘で払い、肩で弾き、足を掛ける。
エリオの体が、無様に床へ叩きつけられた。
「……だから言っただろう」
玄武は、二人を見下ろす。
「教えたのは、我々だ」
ルシオが、歯を食いしばり、再び立ち上がる。
エリオも、壁に手をつき、ふらつきながら立つ。
勝ち目はない。それでも、下がらない。
「……まだだ」
ルシオが呟く。
「……まだ、終わってねぇ」
エリオも、血の混じる唾を吐き捨てた。
その光景を、アネモネは見ていた。
(どうして……)
勝てないと分かっているのに。
助かる保証もないのに。
(それでも……立つの?)
胸の奥が、ざわつく。
守られているから。
選ばれたから。
そう言われて、生きてきた。
だが、目の前の二人は違う。
誰にも選ばれていない。
守られる約束もない。
それでも、自分の意思で、立っている。
アネモネは、ゆっくりと前に出た。
「……ねぇ」
その声に、女たちが振り向く。
怯えた目。
縋るような視線。
アネモネは、震える手を握りしめた。
「私たち……」
一度、息を吸う。
「このまま、支配されたままで……本当に、いいんでしょうか」
ざわめき。
誰かが、目を伏せる。
誰かが、唇を噛む。
そして、一人がゆっくりと頷いた。
次に、もう一人。
恐怖は、消えていない。
だが、その奥で、何かが確かに芽生えていた。
玄武が、初めて不快そうに眉をひそめる。
「……愚かな」
その瞬間。
女たちが、一斉に動いた。
叫び声。
掴みかかる手。
爪を立て、縋りつく。
秩序だった玉座の間が、完全に崩れる。
それは、武器を持たない者たちの反乱。
選ばれなかった者たちの、初めての意思表示だった。
騒ぎを聞きつけ、奥の回廊から信者たちが駆け込んできた。
だが、彼らは足を止めた。玉座の間は、もはや聖域ではなかった。
女たちが玄武に縋りつき、叫び、泣き、爪を立てている。恐怖に震えながらも、必死に逃がすまいとするその姿。
床には血。
秩序は崩れ、祈りの言葉もない。
「……やるしか、ない」
誰かが呟いた。
その瞬間、信者たちが一斉に踏み込む。
短剣。
杖。
拳。
統制などない、覚悟だけの突撃。
「無駄だ!」
玄武の怒声が、空気を震わせた。
振り払う。
投げ飛ばす。
一撃で骨を砕き、壁に叩きつける。
圧倒的。
絶望的。
それでも、玄武の動きがわずかに鈍る。
女たちが絡みつく。
信者が背後から斬りかかる。
致命傷にはならない。
だが、確実に刃は届いていた。
血が、床に滴る。
「……チッ」
玄武が舌打ちする。
その瞬間だった。
「遅くなったな!」
轟音とともに、壁が砕け散る。
瓦礫を突き破って現れたのは、イーヴァだった。
両手に魔力を渦巻かせ、その背後にトルネロが続く。
「状況は最悪、でも」
トルネロが、短く笑う。
「面白くなってきた」
魔法が放たれる。
風と雷が、玄武を包む。
「俺も、負けてられん!」
さらに体勢を立て直したアリウムの猛攻。
それでも完全に止めることはできない。
だが、足を止めるには十分だった。
その隙を、ルシオは見逃さなかった。
踏み込む。これまでで最も深く、最も静かな集中。
(今だ)
剣が、横薙ぎに走る。鈍い手応え。
「……!」
玄武の肩口が裂け、血が噴き出した。
分厚い筋肉が、刃を止める。致命には至らない。
だが、右の僧帽筋が完全に断たれていた。玄武の右腕が、わずかに落ちる。力が、入らない。
「……ほう」
玄武は、自分の肩を見下ろした。その目に浮かぶのは、怒りではない。
驚愕。
「端役が……ここまで来るか」
ルシオは、剣を構え直す。
息は荒い。足は震えている。
それでも、視線は逸らさない。
「……まだだ」
その言葉に、エリオが、アリウムが、イーヴァが、トルネロが応えるように立ち位置を取る。
女たちも、信者たちも、倒れながらも立ち上がる。
玄武は、ゆっくりと息を吐いた。
右腕を下げたまま、左拳を握る。
「いいだろう」
低く、重い声。
「最後まで、付き合ってやる」
玉座の間に、再び緊張が満ちる。
それはもう、処刑ではない。支配でもない。
選ばれなかった者たちが、選ばれた者に刃を向ける本当の戦いの始まりだった。




