第二十四話 死闘、開幕
街路に散っていた気配は、いつの間にか完全に消えていた。
路地裏、屋根の上、窓の影――
先ほどまで確かに存在していた視線が、嘘のようにない。
「……逃げたか」
ジャックは短く吐き捨てると、倒れた信者から視線を切り、すぐさま踵を返した。
黒炎に包まれ、地に伏すミリア。兵士たちが慌ただしく応急処置を施している。
「ミリア!」
駆け寄るジャックに、ミリアはわずかに目を開けたが、すぐに意識を手放した。
アリウムは状況を一瞥し、即断する。
「無事な者は彼女と負傷者を守れ。ここから先は」
血に染まる槍を拾い上げ、握る手に力がこもる。
「少数精鋭で行く」
選ばれたのは、
アリウム、ジャック、ルシオ、エリオ。
そして水明国兵士の精鋭三名。
光神教団施設。
白い外壁と荘厳な意匠とは裏腹に、入口に立つ影は、あまりにも場違いだった。
筋骨隆々。
歴戦の傷だらけの体。
肩には巨大な大斧。
信者の装束など、どこにもない。
ルシオが、息を呑む。
「……奴はガンドロフ。個室持ちです」
エリオも即座に続けた。
「元傭兵だ。信者というより、玄武のボディーガードだな」
ガンドロフは二人を見下ろし、歪んだ笑みを浮かべた。
「ほう……もやし男どもは、もうやられたか」
斧を肩で揺らしながら、一歩前へ。
「少しは、楽しめそうだな」
瞬間、ジャックが前に出た。
「……来るぞ」
アロンダイトを構え、低く言い放つ。
「ルシオ、エリオ。お前らはアリウムさんと先に行け……コイツはやばい。お前らが相手したら即死だ」
言い切りだった。アリウムは一瞬だけジャックを見ると、無言で頷く。
「……必ず、生きて戻れ」
水明国兵士二人がジャックの左右につき、陣形を取る。その隙に、アリウムたちは施設奥へと走り出した。
「行かせるかよ!」
ガンドロフが地を蹴る。
大斧が唸りを上げたその瞬間、ジャックが一歩踏み込む。
「ここから先は」
鋭い眼光で、巨漢を睨み据える。
「通さない」
巨大な斧と、細身の刃。エントランスで、戦いの幕が切って落とされた。石畳を踏み割るように、ガンドロフが一歩前へ出た。
「お前らぁ!働けぇ!!」
怒声と同時に、周囲の路地や柱陰から信者たちが雪崩れ込んでくる。鍛え上げられた身体。狂気に近い忠誠心。もはや一般信者ではない。
だが。
「ジャック殿!」
低く、だが芯のある声。
「露払いは、我らにお任せを!」
前に出たのは、水明国の精鋭二人。
白髪混じりの髭を撫でる老兵・イーヴァ。
無駄のない動きで槍を構える若き精鋭・トルネロ。
「若造、前に出すぎるな」
「わかってます、イーヴァさん」
言葉と同時に、二人は動いた。
イーヴァが盾で正面を受け止める。鈍い衝撃。だが、退かない。
盾に当たった刃が弾かれたとき、信者たちが足を止めた。抜けないと悟ったからだ。その瞬間、トルネロの槍が盾の横から突き出される。
一突き。喉。
二突き。膝。
倒れた信者の隙間へ、即座に位置を入れ替える。
「連結、維持!」
「了解!」
盾と槍。老練と若さ。隙のない連携が、信者たちの波を完全に止めていた。
数では勝っている。だが、近づけない。
「……ちっ」
ガンドロフが舌打ちする。
「無駄に出来がいいな」
その視線が、ジャックへ移った。
「だが、お前はどうかな?」
大斧が、地面に叩きつけられる。
ガンドロフが踏み込む。正面、逃げ場のない直線。
「来い」
「ほざけ!」
ガンドロフの大斧が、唸りを上げて振り下ろされる。
重い。風圧だけで、足元の石が砕ける。
「っ……!」
ジャックは、真正面から受けた。
剣と斧が激突し、金属音が炸裂する。
腕が、痺れる。
骨が、悲鳴を上げる。
「どうした! 軽いぞ!」
ガンドロフが、力任せに押し込む。
純粋な膂力。技も小細工もない。
だが、それが恐ろしい。
「……軽くはない」
ジャックは、歯を食いしばる。剣を、わずかに滑らせる。
「重いだけだ!」
瞬間、間合いがズレた。ガンドロフの斧が地面を抉り、バランスが崩れる。
「うおっ!?」
ジャックは踏み込んだ。剣を振るう。狙いは胴。
だが、ガンドロフは笑った。
「甘ぇ!」
斧を無理やり引き上げ、横薙ぎに振るう。
衝撃。ジャックの身体が、後方へ吹き飛ばされる。地面を転がり、咳き込む。
「どうよ、これが個室持ちの力よ」
ガンドロフが、肩を回す。
「守るために剣を振るう……それで生き残れた奴を、俺は一人も知らねえ」
だが、ジャックは立ち上がった。剣を、離さない。
「……何度も、こういう相手と、やってきた」
血を拭い、視線を上げる。
「お前も、その一人だ」
ガンドロフの笑みが、獣じみたものへと変わる。
「は、いいぜ」
大斧を、両手で構える。
「殺し合おうじゃねえか」
背後では、イーヴァとトルネロが、押し寄せる信者を必死に足止めしている。助けに来る余裕はない。
これは、ジャックの戦いだ。
剣と斧。
意地と暴力。
エントランス前で、二人の気配が、真正面からぶつかった。




