第八話 旅の途中
炎龍国の中心都市、炎龍城下町。
そこを目指し、ミリアとジャックは街道を進んでいた。背負い袋の中には、紅蓮町の人々が分けてくれた食料。わずかだが、旅を続けるには十分な資金。
見送るときに向けられた、あの視線。
感謝と、不安と、期待が混じった目。
――戻れなくなったんだな。
ミリアは、歩きながらそう思っていた。
日が落ちる頃、二人は小さな村に辿り着く。
石と木でできた簡素な家々。煙突から、細く立ちのぼる煙。
「今日は、ここで泊まろう」
ジャックの言葉に、ミリアは頷いた。
宿は一軒だけだった。古いが、清潔そうな建物。
兄妹であることを告げると、宿主は少しだけ驚いた顔をしてから、頷く。
「部屋は一つでいいね。節約になるだろ」
「はい」
鍵を受け取ると、宿主は木桶を二つ運んできた。
中には、湯気の立つ湯。
それと、畳まれたタオル。
「風呂はないが……これで体を拭くといい」
「ありがとうございます」
部屋に入ると、簡素な寝台が二つ。小さな窓から、夜の気配が流れ込んでくる。
ジャックは桶を置くと、軽く背を向けた。
「ミリア、先に済ませろ」
「え……」
「俺、外ぶらついてくる」
それだけ言って、ジャックは部屋を出た。
ミリアは、しばらく扉を見つめてから、桶に視線を落とす。タオルを湯に浸し、絞る。温かさが、指先にじんわりと伝わった。
身体を拭くたびに、今日までの疲れが少しずつ溶けていく。血と煙の匂いが、ようやく薄れていった。
――生きてる。
それだけで、今は十分だった。
一方、ジャックは夜の村を歩いていた。
街灯は少ない。そのぶん、空がよく見える。
「……すげぇな」
思わず、足を止める。
雲ひとつない夜空。
無数の星が、手を伸ばせば掴めそうなほど近い。
戦いのあとだというのに。
世界は、何事もなかったかのように静かだった。
少しだけ、時間を潰す。
深呼吸をして、気持ちを整える。
やがて、ジャックは宿へ戻った。
――コン、コン。
「ミリア、俺だ」
扉が開く。
「もういいよ」
「ありがと」
ジャックは桶を手に取り、入れ替わるように部屋に入る。用を済ませて戻ると、ミリアは寝台に腰掛けていた。
ジャックは、何気ない調子で言う。
「なぁ、外」
「うん?」
「星がすげー綺麗だったぜ」
ミリアは、少しだけ微笑んだ。
「……見たかったな」
「明日も晴れてりゃ、見れるさ」
それだけの会話。けれど、その静けさが、今は何よりも救いだった。
翌朝。
木製の机に並べられた、質素な朝食。
温かいスープと硬めのパン。
それでも、身体に染みる。
二人が食べているのを見ながら、宿主は腕を組んだ。
「……あんたら、旅人だろ」
「はい」
ミリアが答える。
「どこから来た?」
「火花村です」
「それから、紅蓮町を通って……ここへ」
宿主の眉が、ぴくりと動いた。
「火花村……」
短く、息を吐く。
「あそこは……まだ、大丈夫なのか?」
ミリアは、一瞬だけ言葉を選んだ。
「……平和でした。少なくとも、私たちが出るまでは」
「そうか……」
宿主は、少しだけ安堵したように頷く。
そして、視線を二人に戻した。
「で、次はどこへ行くつもりだ?」
ミリアとジャックは、顔を見合わせる。
「城下町です」
その言葉が落ちた瞬間。
宿主の顔色が、はっきりと変わった。
「……炎龍城下町か」
声が、低くなる。
「命が惜しけりゃ、やめとけ」
場の空気が、張り詰めた。
「あそこはもう、昔の城下町じゃねぇ。暗月軍の連中がうろついてる。噂じゃ……」
そこで、宿主は言葉を切った。
「……いや、やめとこう。聞かなくていい」
ジャックは、パンを置き、立ち上がった。
「心配してくれて、ありがとな。おっちゃん」
穏やかな声だった。
「でもさ」
真っ直ぐに、宿主を見る。
「俺たちは、行かなくちゃいけないんだ」
宿主は、しばらく二人を見つめていた。
やがて、諦めたように肩を落とす。
「……若いってのは、怖ぇな」
小さく笑い、布袋を差し出した。
「干し肉だ。少しだが、足しにしな」
「ありがとうございます」
宿の外へ出ると、朝の空気が澄んでいる。
宿主は、戸口に立ったまま言った。
「無事でいろ……生きて、帰ってこい」
ミリアは、深く頭を下げた。
「はい」
ジャックは軽く手を振る。
「世話になった!」
二人は並んで、街道へ踏み出す。
背後で、宿の扉が静かに閉じられた。
前方に続く道の先。
そこにあるのは、炎龍城下町。
そして、避けられぬ運命。
兄妹は、迷いなく歩き出した。




