第二十話 可能、不可能
暗月国へと続く荒野を、鈍い金属音が埋め尽くしていた。
行進するのは、人ではない。
量産された機械兵。同一規格の装甲、無機質な歩調、感情の欠片もない兵器の群れ。
その先頭を歩くのが、ゴリガンだった。
かつて暗月国正規軍に属し、前線に立っていた男。
今は光神教団に与えられた立場と力を背負い、侵攻側として故国へ向かっている。
皮肉だとは思わない。感情は、とうに摩耗していた。
丘の上で、ゴリガンは足を止めた。機械兵たちも、一斉に静止する。命令がなければ、動かない。
ゴリガンは懐から双眼鏡を取り出し、暗月国の王城と城下町を見下ろした。
変わっていない。城壁の配置、門の位置、見張り台。正規兵時代に叩き込まれた地形が、そのまま脳裏に浮かぶ。
(……防備は薄い)
王城の外観は威厳を保っているが、兵の動きは少ない。戦時の緊張感もない。
ゴリガンは、ゆっくりと視線を動かした。
城下町。
人の流れ。
露店。
そして、双眼鏡の中で、ある人物が動いた。
瞬間、ゴリガンの指が止まる。
「……は?」
低く、掠れた声が漏れた。城下の一角。目立たないはずの場所。だが、どうしても目が離せない存在。
分厚い外套。隠す気のない体躯。歩き方だけで、戦場の空気を引きずっている男。
「……モウラ」
炎龍国の、モウラ。かつて、炎龍国と暗月国が全面衝突した際、たった一人で暗月国へ侵入し、戦況をひっくり返した男。
暗月四天王。
レイア。
キル。
ヘル。
そして、四天王のリーダーだったコルド。
その四人より遥かに強く、「覇王の双璧」と称された化け物たち。そして、数え切れない暗月兵。
すべてを、たった一人で壊滅させた存在。
ゴリガンは、無意識に歯を食いしばっていた。
(くそ……あれが、いるのか)
計算が、狂う。
ゴリガンは自分の戦力を即座に評価した。
元上官。元暗月四天王の一人。
現在の暗月の覇王・レイア。
そして、その右腕・ガイツ。
(あの二人なら……勝てる)
レイアの癖も、ガイツの動きも、ゴリガンは熟知している。今の自分なら、機械化したこの身体と装備があれば、確実に上を取れる。
だが、視線は再びモウラに戻る。
(……無理だ)
判断は、一瞬だった。
勝てない。賭ける価値がない。
この距離、この状況、この相手。
理屈ではない。経験が、身体が、魂が告げている。
あれは、触れてはいけない。
ゴリガンは双眼鏡を下ろし、無言で振り返った。
「……前進命令」
機械兵たちの目が、一斉に赤く灯る。
「目標、暗月国王城および城下」
淡々と、感情を排した声。
「殲滅を開始しろ」
機械兵の隊列が動き出す。金属の軍勢が、暗月国へと雪崩れ込んでいく。だが、ゴリガン自身は一歩も動かなかった。丘の上に立ち尽くし、ただ城下を見つめる。
(……俺は行かない)
卑怯でも、臆病でもいい。生き残るための判断だ。
機械兵たちは、いくらでも作れる。だが、自分は代えが効かない。
(そして、あいつが出てきたら……)
ゴリガンは、静かに背を向けた。
(撤退だ)
暗月国へ向かうのは、無機質な兵器だけ。本物の怪物と相対する役目を、ゴリガンは選ばなかった。
戦争は、始まった。だがこの瞬間、ゴリガンははっきりと理解していた。この戦場には、自分ですら近づいてはいけない存在がいる、と。
城下町に、警鐘が鳴り響いた。石畳を踏み砕きながら、機械兵の群れがなだれ込む。
赤い光を灯した無機質な視線が、一直線に前を見据えている。
「止めろ! 迎撃しろ!」
暗月の一般兵たちが隊列を組み、槍と盾で立ちはだかった。
だが、数など意味をなさない。
機械兵は止まらない。
突進し、弾き、叩き潰す。
鎧ごと兵士を吹き飛ばし、骨が折れる音が連続して響く。
「くっ……!」
押し返され、崩れかけたその瞬間。
空気が、変わった。
「どけ」
低く、鋭い声。次の瞬間、地面が爆ぜた。
「剛槍脚!!」
踏み込みと同時に放たれた一撃。脚から放たれた衝撃が、槍のように一直線に突き抜ける。
機械兵一体が、内部から破裂した。
装甲が砕け、歯車と金属片が宙を舞う。
「……さすがだな」
遠くの丘。双眼鏡越しにそれを見ていたゴリガンが、低く笑う。
「ガイツ……奴も、あの技を会得したのか」
現れたのは、覇王の右腕。無駄のない体躯、研ぎ澄まされた殺気。機械兵が次々と向かっていくが、ガイツは怯まない。一歩踏み出すだけで、戦線が押し返されていく。
そして、さらに空気が張り詰めた。
束ねられた、長い白銀の髪。
漆黒の軍服に身を包み、ゆっくりと前に出る女。
暗月の覇王・レイア。
彼女の手には、二本の鉄棒。
武器としては異質だが、その構えに迷いはない。
次の瞬間、彼女は舞った。
「紫電闘舞」
鉄棒が弧を描き、紫の電光が空を裂く。
回転、跳躍、打撃。
まるで舞踏。だが触れた機械兵は、次々と切断され、叩き潰されていく。
「……はは」
ゴリガンは、思わず声を漏らした。
「やっぱ、覇王になっただけはあるな」
双眼鏡の向こう。
あの頃より、強くなったガイツとレイア。
(それでも、この二人なら……)
ゴリガンは冷静に評価する。
(同時でも、問題ない)
勝てる。
確実に。
その時だった。ゴリガンは、ふと別の方向に双眼鏡を向けた。
「……?」
城下町の外れ。一人、立っている男。
その足元には、何体もの機械兵の残骸。
叩き潰され、引き裂かれ、原型を留めていない。
そして、その男が。
ゆっくりと、顔を上げた。
視線が、丘の上を捉える。
こちらを、睨んでいる。
「……げっ!!?」
ゴリガンの喉から、素の声が漏れた。
(見つかった!?)
炎龍国最強の隠密・モウラ。
考える暇はなかった。
「撤退! 撤退だ!!」
踵を返し、全力で走り出す。
丘を駆け下り、遮蔽物へ飛び込む。
「やっぱ、あいつはダメだ!!」
息を切らしながら、叫ぶ。
「無理! 無理無理無理!!」
背後で、戦闘音がさらに激しくなる。
だが、ゴリガンは振り返らない。
勝てる相手と、勝てない相手。
その線引きだけは、誰よりも正確だった。
暗月国の戦場に、本物の怪物がいる。
それを確信しながら、ゴリガンは逃げ続けた。




