第十八話 媚びて、諂う
湖の馬宿を発って半日。
一行は、風翔国の最外縁に位置する小さな村へと辿り着いた。
土の道。低い木柵。古い家屋が肩を寄せ合うように並び、畑と生活の境目は曖昧だ。国境の外れにあるこの村は、貧しさと警戒心を、長年かけて身につけていた。
「ここで休憩を取る」
アリウムの号令が下る。
「今夜はここに宿泊する。各自、英気を養え。無用な揉め事は起こすな」
その瞬間、兵士たちの表情が緩み、列がほどけた。
「腹減ったな」
「酒、あるか?」
水明国の兵士たちが村へ散っていくと、村の空気が一変する。
「いらっしゃいませ、兵士様!」
「こちらへどうぞ!」
商人や宿の者たちは、笑顔を作り、必要以上に腰を低くした。貨幣が見える相手には、声の調子も、態度も柔らかい。
だが、その少し外れ。
同じ道端で、みすぼらしい身なりの浮浪者が立ち止まった瞬間、露店の女は露骨に顔をしかめた。
「……邪魔だよ」
追い払うような声。同じ場所、同じ人間。だが、向けられる視線はまるで違う。
子どもが店先を覗いただけで、店主は舌打ちをする。
「金がないなら、来るな」
兵士の背中が遠ざかったのを確認してから、村人は一切の愛想を引っ込めた。
力ある者には媚び、持たぬ者には冷たい。
それが、この村で身についた生き方だった。
「……ああいう目、覚えがある」
ルシオが、低く呟く。エリオも頷いた。
教団として来訪した時、同じ光景を見ていた。
教団の白装束を着ていれば、頭を下げられる。だが、孤児や旅の浮浪者には、視線すら向けられなかった。
「歓迎されてるって、思ってた」
ルシオの声には、自嘲が混じる。
「神の名を掲げてるからだって」
「……違ったな」
エリオは、露店で銀貨を数える兵士と、その背後で露骨に態度を変える村人を見比べた。
敬意ではない。
恐怖でもない。
生き延びるための選別だ。
「立場が変わっただけだ」
ルシオが続ける。
「教団の使者か、水明国の兵士か。その違いだけ」
どちらも、村にとっては逆らえない側だった。
エリオは、胸の奥に鈍い痛みを覚えた。
(俺たちは……何を守ってる?)
守っているつもりで、同じ構図をなぞっているだけではないのか。
村の中央では、兵士たちの笑い声が上がっている。そのすぐ脇で、貧しい者は目を伏せ、道の端へ追いやられていた。
アリウムは宿の手配を進め、ミリアは村の配置を確認する。ジャックは、人の流れと視線の向きを、冷静に観察していた。
戦は、まだ始まっていない。だがこの村では、金と力を持たぬ者は、すでに負けている。
風翔国最外縁の村で、エリオとルシオは、かつて自分たちが立っていた側と、今立っている側を、否応なく突きつけられていた。
兵士たちがそれぞれの宿へ戻り、村に夜が降りた。
酒の匂いも笑い声も消え、残ったのは風に揺れる灯りと、虫の音だけ。
だが、その静けさの裏で人目を避けるように、数人の村人が集まっていた。
「……思ったより多いな」
小声で囁く。
「三十人前後ってとこか」
「でも、全員が強いわけじゃねぇ」
別の男が、指を折る。
「ヤバそうなのは、兵士長らしき男が一人」
「黒炎龍の女……あれは別格だ」
「それと、あの女の兄っぽい男だな」
評価は早かった。値踏みする目。人を危険度で仕分ける視線。
「……よし」
一人が、決意したように立ち上がる。
「玄武様に報告に行こう。今ならまだ、間に合う」
その瞬間。
「何を報告するんだ?」
低く、落ち着いた声が背後から落ちた。
村人たちが、一斉に凍りつく。
振り返った先に立っていたのは、水明国の兵士。
否、ただの兵士ではない。
「……ッ!」
兵士長アリウムだった。月明かりの下、槍を片手に、静かに立っている。怒りも焦りもない。ただ、状況を把握し終えた目。
「クソッ……!」
誰かが舌打ちをする。
「バレた!」
一瞬、逃げようとしたが、すぐに別の声が上がる。
「待て!」
男が、仲間を制した。
「大丈夫だ。やつは一人だぞ」
アリウムを睨みつける。
「こっちは六人いる。囲めば――」
言い終わる前だった。
アリウムが、一歩踏み出す。
次の瞬間。
槍の柄が、音もなく振るわれた。
鈍い音。
最初の男が、喉を押さえて崩れ落ちる。
二人目が動いた時には、膝に衝撃。
三人目は、腹部を強打され、息が詰まった。
叫ぶ暇すらない。流れるような動き。突きではない。斬りでもない。
制圧。
アリウムは、確実に戦えなくする打ち方だけを選んでいた。六人が地面に転がるまで、十数秒もかからなかった。最後の一人が、恐怖に引きつった目で見上げる。
「ひ……っ」
アリウムは、その男の胸元に槍の柄を当て、静かに言う。
「報告相手の名を、もう一度言え」
男は、震えながら口を開いた。
「……げ、玄武……光神教団の……」
その瞬間。
「やっぱりか」
別の声が、闇の奥から聞こえた。アリウムの背後に、複数の気配が現れる。
ミリアとジャック。
そして、少し遅れてルシオとエリオ。
「異変に気づいた」
ジャックが、周囲を見回す。
「村が、静かすぎた」
ミリアは、倒れた村人たちと、アリウムを見て状況を理解した。
「……内通者ね」
エリオは、歯を食いしばる。
「やっぱり……いたか」
ルシオは、俯いたまま、低く言った。
「金と力に媚びて、裏では売る……教団と同じだ」
夜の村に、冷たい沈黙が落ちた。風翔国奪還戦は、すでに、この小さな村から始まっていた。




